撤退戦
「ロンメル団長、あれ…‥あそこから撃っています!」
「な?! バカな……」
フランの指さした先に居る虎を見たロンメルは、驚愕を隠せなかった。
将校たるもの、模範となって常に平静を保つべし。そう口酸っぱく言っていた彼でさえ、彼方にいる黄土色の虎の姿に取り乱した。
皺の寄った頬を脂汗が伝い、
馬を全力で走らせても、アレのいる場所までは十数分の時間がかかる。そして、駆け寄るその間は一方的に攻撃を受けるだろう。
――打って出るのは論外。だが、盾を貼って守りに徹したとしても、攻め手を出さずに守るだけなら、時間をかけて擦り潰されるだけだ。
この状況は完全な「詰み」であると、ロンメル団長は理解したのだ。
だが、この状況でも「詰み」から逃れる方法が、たった一つだけある。
それは――
「撤退だ、街の外へ撤退しろ!」
そう、逃げることだ。
自分たちの手に負えない相手にやるべきことは、少しでも被害を減らすことしかない。そうロンメルは考えた。しかし、彼の目の前にいたフランは、その赤毛を炎のように逆立てると、団長の決定に抗言した。
「はぁ?! なによそれ!! 戦えるのは私達しか――」
「お前もだフラン。自分の足で走れるうちに、ここから退避しろ」
「街の人はどうするのよ!」
「気の毒だが、自分たちの力で逃げてもらうしか無い」
「見捨てるってことじゃない、クソジジイ!」
彼女が発した「見捨てる」という言葉で殴られた団長は、喉の奥でうなる。
「わかっている、だが他に方法がない。このまま残っても皆死ぬだけだ」
「だからって……!」
フランと団長が会話している間にも、虎は容赦しなかった。
発射された二発目の砲弾が訓練場の中央に飛び込み、土と砂利を巻き上げ、爆発で巻き上がった土砂が、黒い柱を立てた。
「騎士だろうと民だろうと、アレにできることは何もない――行け!!」
「……ッ!!」
怒りと無力感に駆られたフランは、小さな拳を握り込む。
彼女も自分一人では虎に対して何も出来ないのは知っている。そのやるせない気持ちが、何か意味ある言葉を紡ぐことの邪魔をする。
「フラン、よく聞け。生き延びて、次のチャンスを待つしか無い」
「でも、そんなの本当に来るの?」
「来るかどうかはわからん。だが、死んでしまえばそのチャンスは絶対に来ない」
「……わかりました。」
フランは指を唇にあてがい、マリオンを呼ぶために口笛を吹く。すると彼は普段のだらけぶりがウソのように俊敏な歩調で彼女の元へと走り寄って来た。
「行くわよ!」「ヒヒン!」
マリオンにまたがったフランは、近くにいた馬の口を取ると、その馬にできるだけ負傷者を回収して、街の外を目指すことにした。
「手伝うよ!」
自分と同じくらいか、もっと若い騎士が声をかけてきた。彼女は口を引いていた馬の手綱を手渡すと、身振り手振りを交えて叫ぶ。
「ありがとう、とにかく乗騎のない皆は引っ張り上げて!」「はい!!」
「撤退だって?」「どこに?」
「とにかく、街の外へ!」
クッ、避難させようとしても、みんなの反応が遅い。
爆発で耳が遠くなってしまった人もいるんだ。
フランの推測は正しかった。虎の発射した88mm砲の爆圧で、多くの騎士は難聴のような状態になっている。何が起きているのか分からず、亡霊のようにうろうろしている者までいた。
「……なら!」
フランは訓練場の壁にかかっていた騎士団の略旗を取ると、地面に刺さった焼け焦げた竿を引き抜くと、先端にくくりつけた。
そしてフランは旗を振る。聞こえないなら「見せよう」というのだ。
訓練場の中に、雄々しい白い獅子の描かれた旗がひるがえった。
「騎士たち! 白き獅子のもとに続いて!!」
フランがそう言って旗を振ると、それに気づいた騎士たちが一人、また一人と立ち上がり、彼女に続く。そうして騎士たちを集めた彼女は、傷の深い者を優先して仲間の馬に任せた。
――よし、あとは撤退の道を確保しないと!
傷を負った人達をそのまま連れて行く訳にはいかない。もし怪物と鉢合わせたら、そこでお終いだから。
「旗をお願い、私は先の様子を見てくる!」
「あ、あぁ」
手近にいた者に旗を手渡したフランは、マリオンの腹に拍車を当て、駆け出そうとする。しかし、彼女を止めようとする声があった。
「待て、オレも行く!」
彼女がその声に振り返ると、そこには乗騎にまたがったカリウスが居た。怪物と遭遇して乗騎を喪ったはずの彼が、乗騎に跨っていることに疑問を感じたフランは、ついそれを口にした。
「カリウスさん、たしか乗騎は――」
「フラン、その逆もある。コイツの主は死んだ」
「そう……ついて来て、負傷者の逃げ道を確保します。援護をお願い」
「ああ、任せろ」
二人は乗騎に拍車をかけ、走り出した。崩壊したアーチをくぐり、炭となった家々の間を跳躍し、石畳を覆った灰を蹄で剥がした。
すると、壁の向こうから「ギャッ」という悲鳴が聞こえた。
「カリウスさん!」「ッ!!」
首肯するカリウスと共に、悲鳴のもとに駆け寄る二人。
そこには緑色の怪物と、乗騎とともに地に伏した騎士がいた。
騎士は胸にポッカリと大きな穴が空いており、どう見ても絶命している。
「手遅れだったか!」
「まだ他にも居たなんて……見て!」
怪物は今まで見たことのない姿をしていた。先に戦った怪物とも違う姿だ。下半身にはフランもよく知る車輪がついていたが、それは分厚く、片側に3つ、全部で6つもついていた。そして、大きく分厚い車輪は表面に凹凸の並んだ、墨のように黒いものを履いている。それは一見すると芋虫のようで、彼女に生理的な嫌悪感を感じさせた。
そして、この怪物が取った次の行動に、フランは戦慄を覚えた。
怪物は死体のそばによると、通常不可視の魔力を、目に見えるほどに吸い上げる。先ほどまで体温を感じるほど生々しかった騎士の死体は、たちまちのうちに骸骨のように干からびた。
「まさかこの化け物、人の魔力を、魂を……喰ってるの!?」
「らしいな。しかも、まだ腹一杯じゃないらしいぞ」
怪物は胴体の上の丸パンのような頭を、ガラガラと耳障りな音を立てて二人の方へ回す。そしてビタリと止まったかと思うと、一瞬の間も置かず閃光が
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