第51話「お世話になり申した」

 黒龍屋本店地下。古の術具『楔』の設置された最深部。

 普段は暗く光の届かぬ室内に、煌々と輝く灯りとやかましい声が鳴り響いていた。そこでは数人の男女が食べ、騒ぎ、飲み、思い思いに語り合っていた。

 それは戦いを終えた戦士たちの束の間の休息。中でもオウリュウ国の豪商、金蛇屋藤兵衛は、何処か割り切れぬ気持ちを抑え隠すように、蟒蛇の如く盃をかっ喰らい続けていた。

「ガッハッハ! 何とも酒の美味い日じゃのう! おい、シャルや。お主も飲んでおるか?」

「ふふ。ちょっとだけです。あまり飲むとレイに怒られてしまいますから」

 黒髪黒衣の美しき魔女、シャーロット=ハイドウォークは、白い頬をほんのり赤く染めて嬉しそうに返した。藤兵衛はそれを聞くとふんと鼻を鳴らして、すぐ側にひかえし銀髪の大柄な女性を忌々しそうに蹴り飛ばした。

「何じゃ、ケチな下等生物じゃのう。おい、虫! 今日ぐらいはよいじゃろうが!」

「ダメに決まってんだろ! 明日は待ちに待った満月だぞ。だいたいてめえ……あれからずっと飲みっぱなしじゃねえか!」

「ホッホッホ。祝いなぞ何度行っても損せぬものよ。貴様のような畜生には縁無きこと故分かるまいがの」

「うるせえ!!」

「グェポ!!」

 落ち着いた、弛緩さえ見える雰囲気。一同の戦いは幕を閉じた。敵は全て姿を消し、後は長き旅の目的である『楔』の封印のみ。明日になれば全てが終わるのだ。満月を迎え、シャーロットの力が万全な状態ならば、封印を解ける者などこの世に存在しない筈だった。ダールに掛かる闇は全て振り払い、敵の気配すら感じられない。そう、全ては終わったに等しいと言えた。

「旦那様、お待たせしやした。遊山様の所から追加で3樽持って来たでげす」

「おお、ココノラ! 早かったではないか。いやはや、新生金蛇屋ダール支店長はやる気が違うのう。遊山にはよく伝え置いてくれい」

「へへえ、確かに。あっしは旦那様あっての男でございますから、何もお気遣いは不要でげすよ」

「ガッハッハ! こやつめ言いおるわ。儂に任せておけば万事上手くいく故、安心して商売に励むがよい。但し……もう奴隷商売はいかんぞ」

「もちろんでございます! 男ココノラ、旦那様にお会いしてすっかり改心いたしやした。こんな愚者が真っ当な道を歩けるのも、全ては旦那様の思し召しで」

「グワッハッハッハ!!」

「ゴッホッホッホッ!!」

 楽しそうに笑い合う藤兵衛と奴隷商人……いや、元奴隷商人ココノラ。酒宴を重ねるうちに意気投合した2人は、いつしか従属の契りを交わしていたのだった。そんな彼らを横目で見ながら、レイは心底呆れ返りつつ、手に持った骨付き肉にかぶり付いた。

「ったく、バカ同士気が合うもんだぜ。付き合ってらんねえや」

「レ、レイさん。あの……実は……お、お渡ししたい物がありやして、その……」

 そんなレイを見て、ココノラは我に返ったように口調を一変させた。彼は端正な顔を緊張に染めながら懐から大きな包みを取り出すと、おずおずとレイに差し出した。

「あ? 俺に? どっかでくすねてきやがったのか?」

「い、いいえ! 昔からコツコツ貯めた金でげすよ! 決して悪いことした訳じゃ……」

「奴隷を売り買いして、だろ。たいしたもんじゃねえか」

「う、ううっ! そ、そこを突かれると困るでげすが、とにかくこれを受け取ってくだせえ! お願いしやす!」

 彼が手渡したのは、大輪の薔薇の花束だった。その辺の野生の種とはまるで違う、握り拳ほどの大きく瑞々しい、美しく色とりどりの目を奪われるような逸品だった。

「へえ。ずいぶんとキレイな花じゃねえか。どうしたんだこれ?」

「ダールで一番の花屋で買ったんでげす。レイさんみたいな……本当に綺麗な人にはこれが似合うと思いやして。あ、勿論レイさんの方が何億倍も綺麗でやすが……」

「そうか。ま、捨てんのももったいねえし、もらっといてやるよ」

「そ、そうでげすか! そりゃよかった! あの……で、実は……あっしは……」

「……ん? まだいたのかてめえ? そろそろ消えろ。目ざわりだ」

「あ……ああ、そうで……げすね。そ、それじゃまた」

 整った顔をくしゃりと萎ませ、肩をハの字にがっくりと落とし、すごすごとその場から去るココノラ。彼はふらふらと足取りおぼつかぬまま、談笑する藤兵衛とシャーロットの脇を通ろうとした。

「おお、ココノラよ。何じゃその様は? 虫と話していたようじゃが、あの野蛮人に何かされたのかの?」

 酒瓶を片手に藤兵衛が明るい声を掛けると、びくんと我に返ったココノラは、悲しい笑みを浮かべてその場に立ち尽くした。

「……旦那様、あっしは自信を失いやした。ここダールでココノラと言や、ちっとは知れた名前でさあ。女オトすなんて造作もなかったし、器用に世の中を渡ってきたつもりでげす。けれど……本当に手に入れてえものは、生まれて初めて心の底から愛した人だけは、どうやっても手に入らなかった。ああ、レイさん。どうすれば振り向いてくれるんですかい……」

「…?? ……?!! ………!!!! お、お主正気か?! な、何をどう作用して、どう世界が回転すればあんな虫ケラに惚れるというのか!」

「あっしはあの方の強さ、美しさ、そしてその奥に隠された優しさ、それら全てに惚れたんでさあ。人生でこんなに人を愛したことはありやせん。旦那様、どうかその慧眼であっしに良い知恵を授けてくだせえ!」

「こ、この狂人が! 何といういかれた男じゃ! と、とは言え何をどうすれば……ええい、俄かには信じ難い話じゃ! 儂の人生で一番の難問じゃぞ! おい、シャル。何ぞ良き知恵はないか? お主が虫とは一番長いじゃろうに」

 あまりに予想外の事態に困り果てた藤兵衛は、隣で肩に寄りかかるシャーロットの方を向いた。彼女はぼんやりとした目つきのまま、気持ちよさそうに欠伸をしながら答えた。

「……ふぁい。一体何の話ですか?」

「奥様にお願いがありやす! どうかレイさんがお好きなものを教えてくだせえ。あっしはレイさんを……お慕い申し上げてるんでさあ! 恋焦がれてるんでさあ!!」

 “奥様”、“恋”、この2つの言葉により、就寝寸前のシャーロットの目に分かりやすく火が灯った。藤兵衛は不穏な気配にむむと心中で唸り、急ぎ2人の話を中断させようとした。

「お、おいココノラよ。お主は何か大きな勘違いをしておるぞ。儂とシャルは別にの……」

「ココノラさん! 貴方は大変見る目のある方です! このシャーロット=ハイドウォーク、全面的に貴方の恋に助太刀致します!」

「ほ、本当ですかい?! 流石は奥様。お綺麗なだけでなく、心底頼りになる方でげす。やはり大陸一の商人の伴侶ともなれば、並の方とはぜんぜん違いやす」

「ふふ。やはりばれてしまいましたか。こう見えても私は、西大陸の恋愛師範と呼ばれた女です。レイの1人や2人、私にとっては造作もありません」

(……)

「お願いしやす! 先程あっしはレイさんに薔薇を差し上げたんでげすが、全く相手にされやせんでした。どうすれば気を引くことが出来やすか?」

「それはいけません。レイにとって花など食糧に過ぎませんから。いいですか、ココノラ。レイの特技は暴力ですから、贈り物なら鈍器の類がよいでしょう」

「な、なるほど! 目から鱗でげす! ではこの棒に釘を刺して……こうやって……」

「それだけでは……もっと攻撃力を……肉片まで抉り取れるように……」

(……やれやれ。君子危うきに、じゃのう)

 激しく盛り上がる2人に見つからぬよう、藤兵衛は静かにその場を立ち去った。彼は悠然とキセルをふかしながらふらりと歩くと、そのまま『楔』の側で一人佇むレイの隣に腰を下ろした。

「あ? 誰かと思えば、今度はてめえか。メシがマズくなるからさっさと失せろ」

 しっしと手払いをするレイに構わず、藤兵衛は大きくため息混じりに煙を吐き出した。

「そう言うでないわ。貴様のせいでえらい騒ぎじゃて。大人しく責任をとれい」

「あ? なに言ってんだ? ついに脳の芯まで腐っちまったか?」

「……面倒な奴じゃ。おい、率直に聞くぞ。貴様の好みの男はどういう奴じゃ?」

「俺の? 好きな? 男? ……考えたこともねえが、クソみてえな性根の商人は大嫌えだぜ」

「何故そこで儂が出てくるのじゃ! 貴様のような原始人とまぐわうくらいなら、いっそ無間地獄に落とされた方がましじゃて!」

「うるせえ! ちったあ亜門を見習え!」

「グェポ!!」

 いつものやりとり。いつもの光景。しかしこの場所に居るべき、居なくてはならない人間が欠けていた。まだ受けた毒から回復しきらず、寝込んだままのリースはさておきとして、問題はもう一人の男。そう……それは秋津国の侍、高堂亜門。その名前が出ると藤兵衛は急に真剣な顔になり、目を合わさずにレイに話しかけた。

「……で、亜門はどんな様子じゃ?」

 レイは即答しなかった。少しの沈黙を自ら飲み込み、重い声をやっとのことで吐き出した。

「変わらずだな。リースんとこにいるよ。たまに俺が声かけても、どこか上の空だ。まあ……無理もねえがな」

「……そうか」

 藤兵衛は短く言葉を放った。この男にしては実に珍しく、それ以上言うべきことが見つからなかった。見かねたレイは少し目を細めると、ぼそりと言い聞かせるように言った。

「なんにせよだ、てめえはしばらく顔出すな。理由はわかんだろ?」

「そう……じゃな。貴様の言う通りにするのは癪じゃが、こればかりは仕方あるまいて。状況的にそうなってしまうのも必然じゃな」

「たぶん……時間しかねえよ。今はなにを説明しても逆効果だ。ま、あいつもなかなかのアホだけどよ、考え足りずのバカじゃねえさ。きっと時間が経てばぜんぶ解決すんよ」

「そう願うしかあるまい。……邪魔したの」

 むくりと立ち上がり、藤兵衛はその場を後にしようとした。だがそれを押し留めるようにレイが話しかけた。

「……なあ。てめえはこの後どうすんだ?」

「明日の『楔』の封印以降、という意味かの? 全てが片付いたとしたら……なら話は簡単じゃ。オウリュウ国に戻り、前の通り商売に精を出そうて。何も変わらぬわ」

「……だよな。なら俺の聞きたいこともわかんだろ? てめえ……お嬢様のことどうすんだ? わかってるだろうけどよ……もうお嬢様はてめえから離れねえぜ」

「その話ならば更に簡単じゃ。シャルは儂の所で暮らせばよい。彼奴は喜び、儂は不老不死に。まるで問題なかろうて」

「……わかってりゃいいさ。そんだけだ。邪魔したな」

 そう言って話を打ち切ろうとするレイを、今度は藤兵衛が押し留めた。

「ふん。そういう貴様はどうするのじゃ? 何度も言うが、帝都で店を出すなら面倒を見ようぞ。貴様は料理の腕だけは絶品じゃからな。儂とて問題なく融資できるわい」

「そりゃどうも。でもよ……ミカエルをこのまま放置はできねえ。俺は各地を巡って情報を集めようかと思ってんだ。だからよ、その間お嬢様は任せたぜ。てめえは正真正銘のクソ野郎だが、あの方はてめえといるのが一番幸せみてえだからな」

 再び、沈黙。藤兵衛が盃を傾ける音だけが、地下の空気に染み付いていた。

「お別れ、という訳じゃな。思えば旅を始めて1年も経っておらんのか。もう何十年もおるような気さえするがの」

「へっ。ちげえねえ。その腐ったツラも見飽きたぜ。ま、退屈だけはしなかったけどな」

「ガッハッハ! そうじゃな。そこだけは同感じゃな。退屈どころか死ぬような思いじゃったわ。おい、虫よ。例え何処に行こうとも、その精霊銀のピアスを手放すでないぞ。何かあらばいつでも儂に連絡せい」

「へいへい。ま、忘れなきゃな」

 2人の空気は珍しく暖かで、どこかしんみりとしたものだった。間も無く旅は終わる。一つの目的が終わる。そして本来の、それぞれの旅路へと分岐していく。


 黒龍屋総本店、客間。

 整えられたベッドに横たわる金髪の少女リースは、今日何度目かの痙攣を伴う突発的な覚醒をした。毒の後遺症により意識は朦朧とし、立ち上がることすらままならないが、命の危機だけは既に脱していた。びっしょりと汗をかいて息を荒げる彼女に、隣に侍る高堂亜門が穏やかに微笑みかけた。

「リース殿、大丈夫でござるか? 心配しましたぞ」

「亜門くん……あたしどのくらい寝てたの?」

「先に目覚めてから20時間ほどでありましょうか。よく眠っておったでござるよ。ご気分は如何か?」

「そんなに!? ……はあ、ほんと情けないわ。ヤワな体でやんなっちゃう。だいぶすっきりはしたけどね。亜門くん……ずっと付いててくれたんでしょ? ……ありがとね」

 潤む瞳でにっこりと美しく微笑むリースに、亜門は長い顔を赤らめて反射的に目を逸らした。

「そ、そ、そ、そんな大した事ではござらぬ! お、お、お、己は自分の責務を果たしただけでありまして……」

「そういうのいいから。とにかく……ありがとう。本当に嬉しい。あたしにしては珍しく本音よ」

「!!!!」

 そう言って花のように可憐に笑うリース。亜門は視線を上下左右に散らしながら、次の言葉を告げられずにいた。そんな彼の膝にそっとリースは手を置いた。暖かな体温が交換され、同時に顔色をどす黒く変色させて完全に硬直する亜門。

「……大変だったわね。こんな言い方が適切かどうかわからないけど。でもたぶん……これでよかったんだと思うわ」

「……リース殿」

「気を悪くさせたらごめん。でも……あたしはそう思う」

 亜門は視線を下に外し、静かに刀に手を添えた。高堂家に伝わる名刀『素戔嗚』。そこに込められた暖かな感情、その思いを亜門はしっかりと感じることが出来た。彼は一つ大きく頷き、澄み渡るほどに穏やかな視線を彼女に向けた。

「かたじけのうござる。己はいつもリース殿に救われておりますな。して……これからどうするおつもりか? この旅は一段落といった様相でありますが」

「……そうね。あたしは一旦本国に帰ろうかと思ってるわ。報告しなきゃいけないことも山ほどあるし、死んだ部下どもを弔わなきゃね。一応あたしも隊長だから」

「……そうでござるか。ならば……お別れでござるな」

 神妙な顔を向ける亜門。だがリースは笑顔を崩さずに、あどけない表情で明るく言った。

「なによ。改まっちゃって。これが今生の別れって訳じゃないでしょ? またいつでも会えるじゃない。亜門くんはあのクソ狸に付いてくんでしょ? だったらいつでも連絡なんて……」

「……」

 亜門は何も答えなかった。しかし、その深い沈黙の中には、彼の今の感情が雄弁に語られていた。それを見たリースは真剣な表情になり、ぎゅっと彼の手を握った。

「もしかして亜門くん……どこかへ行っちゃうの? ねえ、そうなんでしょう?」

「もう……決めたことにござる。最後にリース殿にだけはお伝えしておこうかと」

「え? てことはさ、もうすぐに行っちゃうの?」

「己には2つの使命があり申す。龍の意志を継ぐこと、そして死んだ家族の遺志を果たすことにござる。まずは南のスザク国にあるという龍の郷とやらに行き、然る後に秋津国を蝕む悪党に天誅を下す所存にて。今まで本当に世話になり申した。他の方々にはよろしくお伝え下され」

「ち、ちょっとまってよ! いくらなんでも急すぎない? 皆に一言あってもさ!」

「御意にて。しかし、もう決めたことでござる。本当に……最後になり申したが、己はリース殿に……心の底から惚れておるでござる。それだけは直接お伝えせねばと」

「バ、バカ! こんな時にそんなこと言うなんてずるいよ! ちょっと待って! まだ話は終わってないわ!」

 リースの叫びは今の彼には届かない。彼はあらかじめまとめておいた身支度をひょいと肩に担ぎ、一礼をして静かに去っていった。そう、とても静かに。彼女はふらつく足でそれを追おうとするが、何かに躓いてその場に転んだ。床の上には、彼が肌身離さず身に付けていた龍の刻まれし精霊銀の腕輪が、綺麗な布の上に丁寧に置かれていた。


 黒龍屋総本店、入口。

 数日前の混乱もすっかり収まり、人々の喧騒とほのかな夕闇が薫るダールの街を、高堂亜門は1人歩いていた。その足取りに迷いがないといえば嘘になった。いや、寧ろ迷いしか無かったかもしれない。しかし、彼はただひたすらに歩く。自分の生き方を貫くため、果たすべき使命のために。

(さて、南のスザク国……でござるか。果たして何処をどう行けばよいものやら)

 当てはなにもなかった。だが、今の自分なら何とかなる。そう確信していた。そして街外れに差し掛かるちょうどその時、彼の背後から銀色の風が吹いた。

「……おい。ちっと待てや」

 涼しくも、肌を刺す冷たい風。亜門はその事態を確信していたかのように、迷い無く振り返った。

「……レイ殿。何か御用にござるか?」

「最初に言っとくが、俺はべつにてめえを止める気はねえ。去りてえやつは勝手に失せやがれ」

「話が早くて何よりにござる。然らば……そこを退いて頂けませぬか?」

「最後まで聞けや。行くも退くもてめえの好きでかまわねえが、なんも言わずに消えるのはナシだろ? せめて一言、ちゃんとスジ通してけや」

「お言葉ですが、己は別にあの魔女に仕えておる訳ではありませぬ。所詮は行きずりの関係、お伝えする必要はないかと存じますが」

「んなこたわかってる! お嬢様も俺も、てめえからしたら大して関係もねえんだろうよ。だがな……あのクソ商人には一言あるべきだろうが! ごっこでもなんでもよ、あいつはてめえの主じゃねえのか? てめえはそんなハンパ野郎なのか? ちげえだろ!」

「!! そ、それは……」

 亜門は返答に困りぐっと口淀んだ。レイはその態度を見ると更に怒りを爆発させて、握った拳を思い切り壁に叩き付けた。

「てめえがなに考えてるのかはだいたい想像がつく。例の……兄貴やダチが死んじまった件、その一因がクソ商人にあると考えてる。……そうだろう?」

「……御意にて。あの件は遊山殿の手引き。つまりは、と……金蛇屋藤兵衛殿の策によって引き起こされたもの。確かにあの場を収めるには、全てを解決するには、あれが一番効率が良かったのでござろう。それは己にも理解出来申す。……けれど! その為に己は兄を、“本当”の主を討ってしまったでござる! 討たされたのでござる! その上巻き込まれた古い友邦すらも! それだけはどうしても許すことは出来ませぬ!!」

「……バカ野郎が!!」

 レイの怒りの拳が、唸りを上げて亜門の頬を打ち抜いた。もんどりうって地を這った彼は、鼻と口から血を流しながらも、どこか冷めた目付きでレイを捉えていた。

「てめえ今まであのクソのどこ見てた? あいつは確かにクソの詰め合わせみてえな人間で、品性下劣の極みみてえな性格だし、目的のためなら手段を選ばねえ最低最悪の人種だ。けどよ……絶対に1つだけ言える。もしあいつがこの件の裏を知ってたら、てめえを傷つける可能性がミリでもあったら、絶対に絶対にやる訳がねえ!」

「……」

「いいか、あいつはな……命を弄ぶようなマネだけは絶対にしねえんだ。金や利益のためなら何でもしやがるが、身内を犠牲にすることだきゃするわけねえ! 大のお気に入りのてめえならなおさらだ!」

「お言葉ですが……此度の敵は藤兵衛殿のご身内の仇だとか。ならば、その信条とやらを変えることも十分有り得まする。少なくとも己にはそう感じられました。レイ殿も随分と丸くなられましたな。冷静にならねばならないのは其方の方では?」

「てめえ……いったん死んだ方がいいみてえだな」

「委細承知にて。……やれるものなら」

 2人の間の空気が瞬時にぐにゃりと変化した。レイの全身からは漆黒の闘気が層になって吹き出し、亜門は冷静に刀を抜いて上段に構えた。2人は向かい合ったまま、互いに視線を交差させ、時間だけがじりじりと過ぎていった。

 そして、今にも拳と刀が交わらんその時、突如としてレイのピアスから声が響いた。それは聞き覚えのある低いダミ声、金蛇屋藤兵衛その人だった。

「……もうよい、虫よ。何も言うでない。最早戦っても、何を語らっても無駄じゃろうて」

「……ああ。だろうな。わあったよ」

「藤兵衛……殿」

 それを合図に2人の臨戦態勢は解かれた。レイは深くため息をついて気だるそうに首を鳴らし、亜門はしめやかに刀を鞘に仕舞った。

「今……儂がどう話し、どう言い訳したところで、事は全て起こってしまい、その結果のみが真実なのじゃろう。即ち、全ては儂の責任じゃ」

「流石に潔いですな。しかし、だからと言って全てを許容することは出来ませぬ。……口では何とでも言え申すゆえ。特にお手前におかれましては」

「許せとは言わぬ。好きにせい。お主との関係も今日限りじゃ。今まで世話になったのう。儂はの……心からお主に感謝しておるし、この上なく好ましく思うておる。そして……未来永劫その気持ちは変わらぬわ」

「……いえ。こちらこそお世話に……なり申した。と……」

 不意にぷつんと通信は切れた。歯を食いしばってその場に立ち尽くす亜門に、レイが吐き捨てるように言い残した。

「せいぜい達者でな、ハンパ野郎。最後にもう一度、てめえがここにいる意味、託された気持ちとやらを考え直してみやがれ。俺と違って……てめえにはまだやることがあるんだからよ」

「レイ……殿………」

 肌に刺さる銀色の風を残し、彼の“仲間”は去っていった。人っ子一人居なくなった街で、亜門はただ空を見上げて立ち尽くしていた。空からはぽつりぽつりと雨が降り出し、やがて土砂降りがダールの街を包み込んだ。しかし亜門は動き出すことが出来ない。その場で脳にこびりついた声を振り払うことが出来なかった。

 雨はいつまでも、いつまでも降り続いていた。


 神代歴1279年7月。

 金蛇屋藤兵衛と愉快な仲間たちは、長き旅の終わりを目前にして、離別と崩壊の渦に飲み込まれんとしていた。

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