第49話「亜門の決意」①
混乱の境地にあるコロシアム。
鮮血飛び散る惨劇の中央で、亜門は考える。かつての主人に、友に、家族に、無惨に人中を貫かれながら、高堂亜門は考える。この光景は、自分が目にしている信じ難い現実は、果たして何故引き起こされたのか、と。
赤黒い漆黒に染まり、上半身を重厚な鎧、下半身を騎馬の如き異形に侵食されし高堂龍心。かつて彼であった者の刃に貫かれ、明確なる死を目前にしながら、亜門はただ自らの内から響く音に耳を澄ませていた。
(己は……あと数分で死ぬ)
素直な体感だった。恐らくは間違いないだろう。体温、呼吸、血圧、それら全てが物語っている。自分はここで死ぬ。それはかつては自らが望み、求めた結果だった。何の諦観もない。だが……だが!!
(今の己は……死ぬ訳にはいかぬ! 己にはまだやるべきことがある! 果たさねばならぬ約束がある! どんなに泥水を啜ったとしても、誰に後ろ指を指されようとも、例え主を敵に回したとしても、己は……己は!!!)
全身に血が通うのを感じる。自分には、戦う意味がある。そして今の自分には……戦う力がある!
「高堂の刀は……刃のみにあらじ。其方もよく知っておろう。高堂流奥義『慚愧無刀』!!」
肺に残った最後の息と共に発した、渾身の気迫を込めた手刀。それはまるで戦斧の如く鋭さと力を増し、自らを貫く‘敵’の腕に向けて垂直に振り下ろされた。常人に対してなら間違いなく切断し得ただろう一撃であったが、目の前の異形と化した男には文字通り歯が立たず、腕に幾分かの損傷を与えただけであった。
(なるほど。そう簡単には切れぬであろうな。だが……己が身は既に修羅であれば!!)
決断、即行動。一瞬だけ緩んだ腕力を察し、亜門は両腕で刃を掴むと、足で柄を蹴り付け、その勢いで刀をずるりと抜いた。胸にぽっかりと風穴が開きながら辛くも脱出した亜門に向けて、異形と化した龍心の口から呪いのような呻きが放たれた。
「亜門……俺はお前を……殺す!!」
「な! り、龍心?! まさか意識があるでござるか!?」
よろりと力無く腕を伸ばし、亜門は彼の顔を覗き込もうとした。だがそこに放たれたのは、言葉ではなく斬撃。下からの縦振りをまともに貰い、肉を抉られ血潮を撒き散らし、亜門はゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「……亜門。お前さえ……お前さえいなければ!!」
「落ち着け……龍心。己が憎ければ幾らでも……ただ……正気を………」
「ガアアアアア!! 亜門! あもおぉんんん!!」
絶望の咆哮が木霊し、それと同時に闇の波動がコロシアムを覆い尽くし、次々に人々の命を奪っていった。世界はこうして揺れる。意味もなく、ただそのままに。全てを失い崩壊する亜門の瞳は、光を失い無限の闇に包まれていった。
(終わった……でござる。全ては潰え……己は何も為せずに……。大殿、申し訳ありませぬ。己はやはり……)
だがその時、背後から彼を呼ぶ声。そして……光!!
「亜門くん! 負けちゃダメ! あたしがここにいるわ! だから……戦って! アガナ神教最終経典……『ユグドラシル』!!」
聖なる符群が雨の如くコロシアムを舞い、その各々が意思を持つかのように有機的に絡み合うと、その場に光の大樹が形成された。天をも穿つ程に育った眩い大樹は、混乱極まる人々の目には奇跡的な光景に映った。その中心に抱き合うように佇む亜門とリース。彼の傷は瞬く間に癒え、光の壁が闇を、異形を阻む力の結晶と化していた。
「なんと奇跡的な……リース殿、かたじけのうござる。この御恩は一生忘れませぬ」
「へへ。じゃあ貸し1つね。でも感謝は作戦立てたクソ狸にしてよ。全てを読み切って動いたのあいつだからさ」
「……殿が。やはり……そうでござるか。全てをご存知の上で……」
「ん? どうかしたの? あたし行かなきゃ。やらなきゃならないことがあるから。亜門くんも早く逃げてよ!」
「……委細承知にて。ですが己は……まだやることが残っておりますゆえ」
再び立ち上がる侍。彼は全身から闘気を巻き上がらせ、獲物無き腕を上段に掲げた。敵の動きが再び力に満ち、憎悪の視線を向けるも、彼は微動だにせずそこに立っていた。心中にある全ての感情を不断の意思で断ち切り、亜門はこの場にて修羅へと化していた。
「ち、ちょっと! 無理よ! 刀もないのにあんな化け物……」
「己は……奴めを斬らねばなりませぬ。リース殿、後はお任せあれ。必ずや戦果を上げてみせまする。今迄の“恩”に報いる為にも」
慌てるリースをよそに、亜門は決して揺るがなかった。確信があった訳ではない。だが、見えていた。この手に握られるべき刃の存在を。全ての物語は集約されているということを。
次の瞬間、彼の手の中に投げ込まれる一振りの刃。そう、あれは……龍の力が込められし古き刀。旅の途中に偉大なる龍から受け取った約束の証。そのままがしりと受け止め微笑む亜門に、背後から野太い声が届いた。
「大丈夫か亜門!? その刀を使え! あれは龍心殿ではない! あの誇り高き侍では決してない! 其方なら出来る!」
「……御意。雪之丞、助かるでござる。リース殿、己は必ず勝ちまする。ですのでどうか使命をお果たしあれ」
盟友たる隻腕の侍が見守る中、亜門はこくりと小さく頷き、リースに向けてほんの僅かに微笑んだ。その澄み切った笑顔に例えようもない不吉な気配を感じながらも、彼女はどうにか躊躇いを振り切り、無言で歯を噛み締めながらその場を後にした。
亜門は古刀から流れ込む龍の力に身を浸していった。彼はゆっくりと距離を詰める、かつての家族を真っ直ぐ睨み付けると、心の中の澱を払うように深く大きく気を吐いた。
秋津国随一と呼ばれる高堂家、その末弟たる高堂亜門の全てを懸けた侍としての戦いが、今ここに終幕を迎えようとしていた。
異変に気付き逃げ惑う人々の群れ。その合間を縫って駆けずり回るリースの姿があった。
(早くしないと間に合わなくなるわね。ほんっと、人使いの荒いこと!)
リースは柱の影に隠れた、怪しく蠢く闇の塊に符を投げ付け、瞬く間に闇の根源を無効化させていった。これで隠された罠は5個目。彼女の探知では、あと3箇所を封じれば、この場に渦巻く悪意を完全に無効化させられるはずだった。闇が渦巻く舞台にて、彼女は背にふわりと光の尾を引きながら、集中を深めて一心に探知を続けていた。
(……ややこしい場所を選んで設置してるわね。嫌な性格だわ。あのクソ狸の師匠筋だってのも頷ける話ね)
階段の陰に隠れた罠を解除しつつ、リースは1人内心で吐き捨てた。敵の仕掛けはこれで6箇所。あと一歩でこの狂った目論見も白紙に帰るはず。そう思ったリースは深く集中し、更に歩みを強めようとした。だが、その時!
「うっ!」
首筋に刺すような痛み。瞬時に血流が止まりかけ、脳に酸素が足りなくなるのを感じる。だが突然の異変にも関わらず、リースの判断力は決して衰えなかった。彼女は知っていた。幼少の頃からの工作員としての経験から、この状況を乗り越えるだけの見識を積み重ねてきた。
(この感じ……遅効性の神経毒ね。大至急処置が必要だわ。やれやれ、例のあの男かしら。しつこい男は嫌われるわよ。……第一教典『アムリタ』!!)
リースは決して慌てず、一切焦らずに符を自身に纏わせつつ、薄れゆく意識の中で手早く首の針を抜き取り、患部を圧迫して毒を絞り出した。そして術が発動し全身が光に覆われると、彼女はその場に跪いてぴたりと動きを止めた。じりじりと光が細胞に浸透し毒を癒し続ける中で、静かに彼女の様子を伺う影一つ。影の主クロガネは警戒を解かずに、足音一つ立てずにリースの背後からきっちり2メートルの位置を保ち、油断なく苦無を構えた。
「悪いが……俺にもう油断はない。お前には聞きたいことがある」
全く動かない彼女に一瞥をくれるクロガネ。光だけが眩く輝き続ける中、暫し様子を見てから、彼は無表情で3発の苦無を彼女に投げつけた。
ザク! 頭陀袋のような音を立てて刃は彼女の体に突き刺さったが、クロガネは冷静に観察を続け、やがて確信を持ってその場を後ずさり始めた。
「あら。今度は勘がいいのね。三流暗殺者さん」
背後から、声。と同時にリースの姿が光に変化し、渦となり彼を包み込んだ。が、クロガネは完全に読み切ってバク転で躱すと、空中でくるりと回転しながら背後に苦無を投げつけた。それを今度はリースがすんでのところで回避し、互いに目を合わせ距離を取る両者。
「当然そう来るよな。この前とは同じ手段は通じん。この女狐めが」
「近い職業だからかしら。考えることは一緒ね。でもお生憎様。あたしにはあんたと遊んでる暇はないの」
そう言って身を翻し、人混みをかき分けて走り去るリース、その後を急ぎ追いかけるクロガネ。
(何をしている? 戦わんのか? まるで意味が分からん。……お前らの“正体”、ここで明確に暴いてくれる!)
闇に身を浸し、闇と同化するクロガネ。どろりと不定形に変化すると、光の向かう先へただひたすら追っていった。さながら闇夜に瞬く羽虫の如く、人々をすり抜けながら、ただひたすらに。
数分間の間、彼女らの追跡は続いた。2人の距離は縮まることはなく、一定の距離を保ったまま小競り合いを繰り返していた。隙を見て放たれる毒の一指しを、ふわりと揺れるように回避し続けるリース。流れ矢がからんと壁に突き刺さる中、彼女はまともに相手をしようとせず、人混みを抜けながらただ探知に意識を集中させていた。
(ったく……しつこいったらないわ。まあでも……あと1つ!)
垂れ幕の裏に周到に隠された爆弾に符を投げ付けて、リースは油断なく敵の攻撃をひらりとかわした。背後に迫り来る気配は未だ圧倒的。再度放たれた刃を避けながら、気を緩めずに最後の爆弾を探知する彼女だったが、その時彼女は気付く。目の前で蹲み込んで泣き喚く少年の姿に。そして、刃が彼に向けて一直線に飛んでいることに。
(危ない!! ……第三教典『プリトウェン』!!)
躊躇いはなかった。本能的に身体が動いていた。リースは咄嗟に胸元から符を取り出し、一瞬で術を構築して光盾を作り上げた。絶望して失禁する少年の目と鼻の先で苦無は止まり、からりと乾いた音を立てて地に落ちた。
ふうと胸を撫で下ろすリースだったが、その代償は大きかった。瞬間の攻防で大きく態勢を崩したリースの足に、無慈悲にも突き刺さる毒に満ちた苦無。
「ううっ!!」
全身に寒気と悪寒が走り、リースの小さな体はスローモーションのようにその場に沈んでいった。男の足音はすぐ近くまで聞こえている。即座に解毒を試みるリースだったが、先ほどとは異なる即効性の毒は、酷使した彼女の身体の自由を瞬時に奪っていった。
(……まずい! 術を使い過ぎたわ。元々の“仕込み”はあるけど、まともに動けるようになるまで5分ってとこね。つまり……あたしはここで死ぬ。ずいぶんと呆気なかったわ。亜門くん、シャルちゃん、レイ……ついでにクソ狸。役に立てなくてごめん。そして……パパの無念を晴らせなくて……)
観念して目を閉じるリース。この機を逃すほど敵は緩くはないだろう。すぐに首筋に刃が振り下ろされる筈だ。後悔がないと言えば嘘になる。彼女の今迄の人生は、ここで無為に潰える為のものではなかった。しかし、彼女には不思議な充足感があった。最後の最後に、任務ではなく自分の意思で、救いたい人を救えた。頭の中に最後に浮かぶ、快活に笑うあの侍に向けて、リースはふっと呆れたように笑いかけた。
(ほんと……やんなっちゃう。これじゃ“逆”じゃない。ま、今さらどうでもいいけどね)
だが、ここで彼女は異変に気付いた。止めの一撃がまるで振り下ろされぬことに。男が、暗殺者の足がまるで動いていないことに。彼は肩を震わせ、目の前の光景を食い入るように見つめていた。
「なんだ……これは!!」
叫び声が響いた。彼の視線の先には、先程リースが術で押さえ込んだ、今にも破裂寸前の禍々しき闇力の塊があった。あまりの悲痛な声に耳が沸く。リースは突っ伏したまま、毒で薄れ行く意識の中で、言葉短くそれに返答した。
「……なんだもへったくれもないでしょ? あんたの親分がやったことじゃない。ボルオンの時みたいにさ」
「ボルオン! ……やはりか。信じたくなかったが……」
「なにしらばっくれてんのよ! あんだけのことしといて、街の人々を皆殺しにしといて! そんであたしらに罪被せて!」
「説明しろ。何故この惨状が幽玄斎様の“手”と分かる? 彼がボルオンを破壊した証拠とは? 端的に、理論的に説明しろ」
クロガネは顔を顰めつつ、強く鋭い口調で問いただした。リースはその懇願にも近い響きに疑問を抱くも、最後の意識を振り絞って一気に話し切った。
「そこに設置されてる闇力の爆弾、ボルオンを破壊したものと同一よ。そして彼の地であたしは奴を見た。住民を爆弾に変え、嬉々として破壊し尽くすあの男の狂気をね。このリース=シャガール。母なるアガナ様に誓って嘘は言わないわ。ボルオンを破壊したのは、あんたらの仲間の黒龍屋幽玄斎。自らの欲望と愉悦の為に、何百もの人間を殺した最低最悪の男よ。決して許してはおけないわ。現に今もこの場所に爆弾を仕掛けている。あたしはそれを止める。例え神でもなんでも邪魔はさせないわ!」
「……」
そこまで言うと、ふっと搔き消えるように意識を失うリース。クロガネは呆然とその場に立ち尽くした。
(この女の言葉に嘘はない。長年の経験でそれは分かる。嘘を吐いているのは、吐き続けていたのは……我が主の方だ。ならば……俺はどうするべきなのか? 最早信ずるべきものはこの世に一つもない。俺は……一体何に従うべきなのか?)
答えは既に出ていた。暗殺者の足は自然と前へ出て、その手には針のようなものが握られていた。そして彼はリースの前で屈み込むと、迷う事なくグイと頚動脈に向けて針を突き刺した。すぐにウッと小さく声を上げ倒れ込んだものの、数秒後に意識を取り戻したリースは、不思議そうに彼の顔を見上げるだけだった。
「……? 何が起こったの?」
「気付と解毒だ。お前の真意、俺が見届けてやる。やるべきことがあるなら、この場で大至急果たせ。偽あれば即殺す」
リースは急変した状況を即座に判断すると、縺れる足を指差して妖艶な笑みを浮かべた。
「あっそ。人がいいのね。ならついでに……あたしを運んで頂けません? あと一か所で片がつくの。終わったらどうぞお好きに」
「……ふん。口だけは達者だな。ともかく場所を示せ。判断は俺がする」
「最後の爆弾は……!! な、なんてこと! 闘技場の真ん中……亜門くんたちが戦っているところよ! 激戦を避けてあそこまで行かないと。あんたにできるの?」
「誰に口を聞いている? 俺は……暗殺者クロガネだ!」
その答えに満足そうに微笑むと、リースはがくりと膝を落とした。そんな彼女を脇に抱え、どろりと闇と化したクロガネは、湧き立つ猛る想いと相反する迷いに同時に襲われながらも、闇の渦を掻き分けて戦場へと駆け出した。
(俺は……何をしているのか? 本当にこれで良かったのか? だが、俺は……)
闇の中から囁く声。かつて自分自身に問うた、純然たる想い。俺は、何のために……人を殺すのか。巨大な力の波に押し潰されん民衆、それを断つ為の必要悪としての力と技。だがその誇りは常に舞台の隅へ追いやられ、嘲りと差別を背で受け続けた。それでも、彼は歩みを止めなかった。守るべきものがあったから。その手で抱くべき、か弱い存在を知っていたから。罵られ、疎まれ、化け物と差別されても、戦うことでしか守れぬものがあると知っていたから。
だが、突如として“それら”は潰えた。部族の論理に従わぬ彼に対して、戦士の鉄槌。彼ら暗殺者の一族を恐れた一部の者による、全てを焼き尽くす紅蓮の炎。誰も彼もが死んだ。生まれたばかりの赤子も例外ではなかった。殺されるべきではない者が、罪を魂に刻んでいない者から、彼の双眸の中で無惨に焼かれていった。
全てを失った彼は、何一つ信じる縁を手放した彼は、妄執にも似た信念だけに支えられていた。殺すべき者だけを、しかとこの手で殺す。最小限の犠牲で世界を救うと。
「クロガネ。私はこの世界を救いたいんだ。壊れゆく狂いきった世界そのものをね。その為の犠牲は必要経費だ。そうは思わないかい? 私と共に来なさい。必ずやお前の思うものを与えよう」
漆黒の思いに従い忌まわしき故郷を捨て、彼の信念を認めてくれる者と出会い、自らを闇に浸し本物の化け物と化した。その決断が過ちであったとは思わない。全ては起こるべくして起こったことだろう。だが……だが! そう彼は思う。
今はただ前へ、自らの中の声に従うのみ。決意を固めた男の足に迷いはなかった。ただ戦いの渦中に臨むのみ。右腕に伝う体温が、あの日々を誘う懐かしき温度が、彼の闇にじわりと光を射し続けていた。
一方、コロシアム中庭。
2つの風が吹いていた。常人には認識不可能な刹那の狭間で、巨大な影が交わり合っていた。1つの影、老境に達した男が繰り出す目にも留まらぬ連続蹴りをもう1つの影、銀髪の女はそれらを尽く紙一重で回避し、すかさず大鉈の如き回し蹴りを彼の胸元に叩き込んだ。だが老人は当たる瞬間に後方へバネの如く身体を逸らし、衝撃を大幅に無効化した。彼は驚いたように胸元の服の破れを手で払い、大きく口を広げて微笑んだ。
「ほう。『流星』をここまで使いこなすとは。おどれ足技は苦手じゃったろうがい。ずいぶんと腕を上げたのお」
「へっ。あれから何年経ったか覚えちゃいねえが、こちとら戦いの連続でよ。てめえみてえに楽隠居してたわけじゃねえんだ」
「ダッハッハ! 否定出来んわあ。お陰様ですっかり腕が鈍ってのお。ガキにさえ遅れを取る始末よ」
「よく言うぜ。さっさと終わらてやんよ。こっちもいろいろ立て込んでんだ!」
言い終わるや否や、疾風。レイが風を纏い再び突進し一撃、また一撃と回転しながらガンジに連撃を打ち込んでいった。レイは全身の筋肉をバネのように使い、反撃の隙さえ与えず怒涛の攻撃を見舞った。ガンジは巨大に似合わぬ軽技の如き身のこなしと、両脚を器用に使いこなしそれを捌き続けたが、次第に押し切られ壁際まで運ばれてしまった。圧倒的な有利を悟り、レイは思わず口角を上げて一気に気を吐いた。
「へっ。腕も使えねえジジイなんぞヌルいもんだな。これでしめえだ! 『百鬼』!!」
「油断に過信……雑魚がよう陥る道じゃのお。『草薙』!!」
更に勢いを増すレイの体躯。だがガンジは冷静な表情を崩さず、敢えて顔面で拳を受けて自分から床に倒れ込んだ。その勢いで暴風の如き連撃を回避すると同時に、彼は頭を軸に両腕でその身を回転させ、痛烈な旋風の如き蹴り技を見舞った。腰部を蹴り砕かれ倒れ込むレイに向け、彼は首の力だけで立ち上がりそのまま脚に闘気を溜めた。
「くっ……てめえ!」
「やはりおどれはそんなもんかい。所詮は紛い物か。じゃれ合いもここで終わりじゃあ! 『蓮花・牙』!!」
次の瞬間、空を切って放たれる刃の如き一撃。地面を薙ぎ払いながら進む蹴りの波動は、威力を増しながら喉元を正確に狙っていた。だがレイは横たわりながらも、その攻撃を肌で感じていた。そして斬撃が身体を引き裂感とする刹那、レイは大地に拳を強く強く打ち付けた。
「アメえぞバカ! 『滅閃・穿』!!」
掛け声と共に爆発的な闘気が拳から放たれ、地面を強く揺らすと同時に、宙に向けて飛び上がるレイの身体。レイはギリギリで殺戮の一撃をかわすと、そのまま落下の勢いと回転を加え、脳天に強烈な踵落としを見舞った。技の隙を突かれ回避が遅れたガンジは、頭部に強烈な打撃を喰らい10メートル以上彼方へ吹き飛んでいった。
「ぐうっ!」
壁を突き破り地面に叩きつけられ、口から血を吐くガンジ。その光景を見ても油断一つせずに、闘気を集中させて次の動きに備えるレイ。彼はそれを見てにやりと微笑むと、すぐさま両手を挙げて豪快に大きな笑い声を上げた。
「……参った! ワシの負けじゃあ。“今の”ワシではどう足掻いてもおどれには勝てんけ」
余りにはっきりとした言い切りに、レイは呆れ果てて思わず口を開けた。ガンジはその様子を気にすることもなく、薄まりつつある自身の身体を見て高笑いをした。
「ダッハッハ! やっぱり“作り物”はいかんのお。あれっぽっちで身体も崩れ、おまけに降魔もロクに出来んときた。にしても……流石はワシの愛弟子じゃあ」
「けっ。ふさけやがって。テキトーなこと言ってんじゃねえぞ」
「真実じゃあ。おどれには全てを叩き込んである。しっかりと守れえ。来るべき日が訪れるまでのお。つまらぬ“人形”とはいえ利用価値はあるわあ」
「……あ? んなモン知らねえよ。さっさと消えろ」
乱雑な口とは裏腹に、レイの顔には動揺が走っていた。それを察知したガンジは、激しく笑いながら更なる揺さぶりを掛けた。
「ダッハッハッハ! 何じゃあ。やはり記憶は無いんかい。ボンも酷なことをするもんじゃあ。いや、これもあいつの優しさなのかもしれんがのお。真実とは必ずしも甘き果実とは限らんけえ」
「ガタガタ言ってんじゃねえ! 俺は俺だ! シャーロットお嬢様を守り、お嬢様の為に死ぬ。ただそれだけの存在で、ほかのなんでもねえよ!」
語気を荒げて言い返すレイに、ガンジはその身を空間から消し去りながら、闇の輪郭にその身を浸しながら、嘲りに近い笑みを向けた。
「心底笑えるのお。果たしておどれは考えたことがあるか? おどれを支えるその強固な思想、揺るがぬ矜持、その全てが作り物だったとしたら? 全ては命令に過ぎぬとしたら? 自分が空洞の人形だったとしたら? だとすれば……おどれはどうするつもりじゃあ?」
「てめえ……マジで命いらねえみえてだな!」
怒りが膨れ上がり、拳に闘気が集中した。大地が震えんばかりの怒気、膨張した哮り、反して損なわれる集中力。だがガンジの狙いはそこ。感情のまま振り下ろされた拳に対し、彼は両手を交差してがっしりと受けた。無力化されたはずの彼の腕には闇力が注がれ、そこから放たのは……強烈な電撃だった。
「ぐああ! 『部分降魔』だと!? その身体で……」
「つくづく緩いのお。やはりおどれは未熟よ。だが今は決着の時ではないわ。ワシの使命はここまでじゃけえ。またすぐに会おうぞ」
「ま、まちやがれ!!」
漆黒の闇に消えていくガンジの姿に、身動き取れぬレイの叫びが虚しく響いた。そして最後に残した彼の言葉は、更にレイの足を地に打ち付けた。
「おどれは自分のことすら何も知らぬ、悲しく無垢な人形よ。すぐにそのことが分かろう。そしてその時は……おどれの全てが終わる時じゃあ」
搔き消える影、そして失われる夢。レイは何とか立ち直ると、その場に暫し立ち尽くしてぼんやりと空を眺めていた。
(俺は……俺とは………)
答えは風の向こうに消えていった。レイが伸ばした手のほんの僅か先、そこに存在する筈の真実は、無限にも遠く感じられた。
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