第46話「決戦に向けて」

 一夜明けて、朝。

 悪鬼彷徨う街の中を夜通し走り続けたレイ。一晩中走り戦い続けた疲弊の色は強く、獣のように肩で息をするレイに向けて、その背に乗るココノラは気遣いながらも、何処か気安い声を掛けた。

「レイさん、大丈夫でやすか? ここがクツル通りでやす。まあほんとなら数時間前には着いたはずでげすが……」

「うるせえゴミ商人! てめえの案内がクソなだけだろうが!」

「ヒイイイ! だってレイさん、あっしの言う方向に1度も……グェポ!!」

 殴り付けられ蹲るココノラを尻目に、レイは指定された場所へと足を運んだ。そこは薄暗い裏通りの中で、朝の光が僅かに差し込める街の中でも、異彩を放つ漆黒の闇が広がっていた。

「……ここらにいるはずなんだが。連絡はつかねえが、“伝言”が必ずこのあたりに……おいゴミ野郎! なにヘタってやがる! さっさとてめえも手伝え!」

「そ、そんなこと言われやしても……。この辺りは灯りがなくて、もしまたオバケが出たら……」

「うるせえ! んなモン俺がなんとかしてやる! だから早くしやがれ!」

 へたり込むココノラを蹴り起こし、2人は協力して辺りを探し始めた。人の気配のない薄暗い通りの中で、暫しの沈黙の時間が流れた。やがて、何かを発見したココノラが、素っ頓狂な声を上げてレイを呼んだ。

「あ、レイさん! もしやこれでやすか? ゴミ箱の底に不思議な文字が刻んでありやすが……」

「どれ、見せてみろ! ……間違いねえ、こいつだ! でかしたぞカス野郎!」

 そこにはぼんやりとした光の文字の羅列が刻まれていた。レイはそれを食い入るように見つめると、予め伝えられた暗号を解読し、ニッと微笑んで自らの両頬を叩いた。

「へっ。すぐ近くみてえだな。もう一踏ん張りってとこだ。気合入れて……ありゃ?」

「レ、レイさん!」

強気の言葉とは裏腹に、レイは糸が切れたようにその場にがたんと膝を付いた。ココノラは慌てて駆け寄ると、躊躇うことなくその肩を差し出した。

「あ? なんのつもりだてめえ? 俺はべつにこんなの……」

「言わんこっちゃねえ。夜通しあっしを守りながら戦ってたんだ。見たところ化け物はいねえみたいだし、後はあっしに任せてくだせえ」

 そう言って彼はレイを背に抱え歩き出した。レイは驚きと戸惑いを顔に浮かべながらも、やがてふっと笑って力を抜き体を任せた。一歩ずつ前に進む2人、足並みを揃えてゆっくりと動く影。レイは口を僅かに歪めて微笑むと、彼に向けて親しげに話しかけた。

「へっ。ゴミ野郎のくせになかなかやるじゃねえか。さすがは元軍人だな」

「へっへ。一晩ずっと守ってもらいやしたからね。これぐらいちょろいもんでさあ」

「すぐそこの青い屋根の家だ。そこまで行けりゃ問題ねえから、てめえは帰っていいぞ。いろいろ迷惑かけたな。あとは家に帰って、今晩のことはいっさい忘れちまいな」

「仰る通りでげすが、何というか……忘れたくても忘れられそうもありやせんや。これも縁でげす。最後まで付き合わせて下せえや」

「ギャハハハハ! 上等だぜ。俺もてめえのことは忘れねえさ」

「……ねえ、レイさん。一つだけどうしても聞きたいことがあるんでげすが、どうか教えてくれやせんか?」

「あ? 俺にか? んなのかまわねえからさっさと言えや」

「え、ええ。そしたら遠慮なく。じ、実は……あっしはその……レイさんのことを………」

 ココノラは戸惑いがちに、真剣な表情と口調で何かを切り出そうとした。だがその時、目の前に1人の少女が飛び出してきた。金髪のおさげを2つにしばった幼女が、レイたちの姿を確認してバタバタと嬉しそうに走り寄ってきたのだ。

「ああ、レイ! やっと会えた! ケガでもしてるの?」

「たいしたこたあねえよ。俺はいつも通りだ。ちといろいろあったがな」

 レイはココノラの背からくるりと飛び降りて、嬉しそうに彼女に手を伸ばした。告げるべき言葉を宙に彷徨わせる彼にちらりと目をやり、リースは不思議そうに言った。

「ふぅん。なんだか知らないけど……まあいいわ。そっちの首尾はどう?」

「まずまずだ。だが状況は好転しつつあるらしいぜ。てめえの方はどうだ?」

「そうね。いろいろ分かったわ。知りたいことも、知りたくないことも。さっさと報告したいけど、まずはちょっと休みましょ。ここはたぶん安全だから、治療も済ませちゃうわ」

 そう言って急ぎレイの手を引くリース。急変する状況に戸惑うココノラを見て、レイは彼に再び微笑み掛けた。

「ま、そういうわけだ。じゃあな……ココノラ。もう会うことはねえと思うが、達者でな」

「ち、ちょっと待ってくんなまし! あっしはどうしても聞きたいことがありやす!」

「そんなの知らないわ。つーかさ、あんたいつまでいんの? 早く消えてよ」

「そう言うなリース。こいつのおかげで俺はここまで来れたんだ。少しくれえいいだろうが」

「な、なによ。妙に優しいのね。らしくないの。まあべつにいいけどさ」

 実に珍しく素直な態度のレイに驚きを隠し切れず、戸惑いがちにリースは言った。ココノラは照れ臭そうな表情でこくりと頭を下げると、2人に向き直り意を決して言葉を吐いた。

「あっしが聞きたいのは、例のボルオンでの一件でげす。あんたらが住民を皆殺しにしたというあの件、あれは……本当にあんたらがやったんでげすか? あっしにはどうしてもそうとは思えねえ。確かにあんたらは俺らとは桁違いの力を持ってやす。やろうと思えば街1つぐらい余裕で滅ぼせるでげしょう。でも……あっしにはレイさんがそれをやったとは到底思えねえ。こんなに美しくてお優しい方が、そんな蛮行を行えるとはどうしても信じられねえでげす! 真実を教えてくだせえ。お願いしやす!」

 それは一切の迷いのない、真っ直ぐで澄み切って視線だった。心底驚嘆するリースを尻目に、レイは頭をぽりぽりと掻いて彼を手招きした。

「……おい、ゴミ野郎。答えてやってもいいが、まず一回寝てからでいいか? わりいが俺はそろそろ限界だ。てめえもアジトまで来い。とりあえず一緒に寝て、落ち着いてからゆっくり話してやる。それでいいだろ?」

「え? ね、寝る? あ、あ、あっしと一緒に? い、いや、小さな子もいるのにそりゃあちと……あ! 別に嫌だってことじゃありやせんぜ。むしろ願ったりかなったりでやすが……」

「うるせえ!! ゴチャゴチャほざいてんじゃねえぞ!」

「ハロワバ!!」

 鉄拳を鳩尾に喰らい、一瞬で気を失うココノラ。面倒臭そうに彼を肩に担ぐレイの姿を見て、リースはにやにやと覗き込んで来た。

「へえ。まさか……ねえ? いやほんと、レイも隅に置けないわ。シャルちゃんのこと、もうとやかく言えないわよ」

「あ? 意味わかんねえよ。さっきも言ったが俺は疲れてんだ。結界の中じゃねえと寝ちゃダメなんだろ? 話あるなら後にしろや」

「ま、後でゆっくり教えてあげるわ。男なんて単純なもんよ。それじゃ、お休みなささい」

 建物内に入るや否やリースは符を取り出し、レイの肩を叩くようにぽんと貼り付けた。ふわりと光が瞬くと共に、一瞬でレイの脳髄は睡魔で浸され、2人はその場にへたり込んだ。

「とりあえず安心ね。さ、あたしも少し休まないと。なにせ……全ては明日にかかってるんだから」

 周囲を伺いながら軽く戸を閉め封印を施すと、リースもその場に気を失うように倒れ込んだ。彼女たちの物語はここで一旦中座する。朝焼けの空が高く陽を掲げていた。


 黒龍屋総本店。最上階、当主の間。

 部屋の奥、漆黒の塗りが施された椅子に深々と座るは、純白のスーツを着込んだ狂気の男、黒龍屋幽玄斎。ただ居るだけで悪意と狂熱を放ち続ける男の前に、跪くは、漆黒に染まる装束を纏った闇の塊。輪郭そのものが影と同化しているほど闇に染まったその男は、僅かに覗かせる赤い眼を幽玄斎に向け、小さな声で淡々と報告を続けていた。だが時折声は震え、よく見ると全身も屈辱から小刻みに震わせていた。黒龍屋幽玄斎はそんな彼の姿を見て嬉しそうに唇を歪ませると、実にわざとらしくため息をついた。

「で、その小娘とやらにまんまと嵌められ、情報を盗まれた挙句、始末も出来ず敵の情報も持たず、おめおめと私の前に姿を現したと。かつてはセイリュウ国一と噂された暗殺者、黒衣のクロガネが聞いて呆れるね」

「………」

「黙っていては分からないよ、クロガネ。お前の大失態で事態は大きく動いたんだ。まあ私からすればどうでもいいことだがね。ミカエルへの説明が面倒というだけで、私の計画には影響はない。むしろ面白い方向に動きそうで、胸が高鳴るくらいだよ。お前には礼を言いたいくらいさ」

「…………」

「だけどね、クロガネ。私がどうしても許せないのは、お前が藤吉の情報を何一つ持って来なかったことだ。私は言ったよね? 他の連中はどうでもいい、一命に代えてでもあいつの動向を探って来い、と。それなのにこんな絶好の機会を、お前の無能のお陰で棒に振った訳だからね」

「申し訳……ありません」

「言葉は不要、行動で示さねば何の意味もない。お前が私に仕える際に言った言葉だ。部族に追われ死にかけていた暗殺者を、ここまで重用してやったのは何処の誰だい? お前はその恩のために生きているのではなかったのかい? どうなんだい、クロガネ」

「!!」

 次の瞬間、クロガネはしなやかに腕の筋肉だけを動かし、頭を上げることなく懐から苦無を投げ付けた。その狙いは幽玄斎の後方、漆黒のカーテンの奥に隠れた窓に向けてだったが、刃は目標を捉えることなく窓にカスンと軽く突き刺さり、彼はちっと軽く舌打ちをした。

「……化け物め。よくも簡単に避けてくれる」

「おお、怖い怖い。いきなり攻撃する無法者になんぞ言われたくないのお」

 そこに立っていたのは、屈強な肉体の老人だった。2メートルを遥かに超える長身にはち切れんばかりの筋肉を携え、傷と皺だらけの顔に不敵な笑みを浮かべか彼は交互に2人を見渡してから、蔑み切った鋭い視線を幽玄斎へと向けた。

「これはこれは。大切な腕が使い物にならない駄犬がお越しだ。先にあんな失態を犯しながら、よくもおめおめと私の前に姿を出せたものだね。ミカエルには私からよく伝えておいたので、いずれ沙汰が下るだろうよ」

「なんぼでも構わんわあ。あいつとは長い付き合いじゃし、まあ不覚は間違いないけえの。それより……今はおどれの話じゃあ。クロガネ、席を外さんかい。そんな殺意を撒き散らしてちゃあ話ができんわい」

 クロガネは臨戦態勢のまま、片目だけ伺いの視線を幽玄斎に向けた。彼は不快そうに眉を顰め、すっと手で合図を送った。と同時に闇の中に消えて行くクロガネを見て、ガンジはふうと大きく息を吐くと、警戒を解くことなくがっしりと腕組みをしつつ、鉛のように重苦しい声を出した。

「……悪いこたあ言わん。早急に神都へ向かえい」

「ほう。まさかあなたが私に忠告してくれるとはね。私のことをお嫌いなのでは?」

「嫌いなんてもんじゃないわあ。反吐が出るほどじゃけどな、このままだと色々な方面に影響が出るのは明らかじゃけえ。ミカエルが……ひどく怒っちょる。おどれの“能力”ならすぐ行けるじゃろう? 早急に本拠に向かい、今回の件についてワビ入れえ。今ならワシも口効いてやれるけえ」

「もし私が……嫌だと言ったら?」

 その声と同時に、爆発的な闘気がガンジから舞起こり、ぴしりと部屋中のガラスにヒビが走った。その圧を面倒そうにやり過ごすと、幽玄斎はしなやかに輝く長髪をかき上げて、実に皮肉な笑みを顔中に浮かべた。

「嫌だ嫌だ。これだから野蛮人は好きになれない。私達はあくまでもビジネスパートナー。友好的にやらねば互いに損をするだけだ。数日以内に必ずシャーロットを捕え、そちらへ引き渡す。それなら問題ないだろう?」

「……おどれは勘違いしちょる。ハイドウォーク家は、いやミカエルは……目の前にある損得だけでは動かんけえ。それだけ今のうちに伝えとくわあ」

 暴発しかねない怒りを心中に収め、ガンジは乱雑に足音を立てて彼に背を向けた。幽玄斎は小馬鹿にしたような笑みでそれに応え、彼の大きな背に向けて中指を立てた。

「お前のような闘うことしか出来ぬ野犬に何が分かる? 犬は犬らしく、黙って指を咥えていなさい。ミカエルの“野望”は私なしでは達成出来ない。その事は本人が重々承知だろうに」

「……確かに伝えとくわあ。くれぐれも後悔せんようにのお」

 しっしと手を振る幽玄斎に、最後に軽く一礼をして去るガンジ。怒りに足音を重くする彼が長い通路を進むと、そこには1人の男が立っていた。豪奢な装束を幾重にも纏い、気取った柄の鼻メガネをかけた、まるで吟遊詩人のような風体の優男。にやりといやらしく微笑む彼はガンジに軽く手を振ると、実に気さくに話しかけた。

「どう、ガンジさん? 話は通じた?」

「……分かっちょるじゃろうが。決裂じゃあ。遊山、おどれとも今日限りじゃのお」

「そう。残念だね。でもそうはいかないんだ。ちょっと話あるから俺の屋敷で待っててよ。すぐに終わるからさ」

「あぁ? ワシは急いじょるんじゃあ! おんどれなんぞに話なんざ……」

 そう言いかけた彼の耳に、そっと遊山の甘い囁きが響いた。ガンジは顔色を変えて目を怒らせるも、すぐに平静を取り戻し顔をぐっと近付けた。

「おどれ本気か? 冗談ではすまん話じゃぞ」

「そ。つまりそういうこと。まあ詳しくは屋敷でね」

「……つくづく食えんのう。親父にそっくりじゃあ」

 遊山は彼に背を向けて長い廊下を進み、優雅に扉を開けて幽玄斎の元へと馳せ参じた。その姿に目もくれず思案に耽る彼に、遊山は内心で歯噛みしながらも、努めて冷静に芝居じみた礼を披露した。

「随分と息災の御様子ですね。時を改めた方がよいですか?」

 のんびりとしたその口調には、本質的に他者を小馬鹿にする響きが込められていた。幽玄斎はふっと振り向くと、作り笑顔を一杯に広げ、両手を広げて彼に歓迎の意を示した。

「はは、ははは。問題ないよ。いつも通りさ。お前がここに来たということは、計画は順調に推移しているということだね?」

「もちろんです。全ては絵図通り。かの猪武者はしかと手の内に」

 部屋を意味なくうろつきながら、遊山は天を眺めて大仰に言った。幽玄斎は彼に一瞥もくれずに、その言葉を何度も咀嚼しながら、視点定まらぬまま満足そうに頷いた。

「そうか。よくやったよ。やはりお前が一番頼りになるな。あの阿呆どもとは大違いだ」

「ええ。全ては私の張った糸の中にあります。明日は素晴らしい見世物となることでしょう」

「絶望の宴は間も無くといったところか。藤吉は無論別格だが、あの侍も実にいいね。素晴らしき戦士で、途方もない“素質”があるよ。ああ、どうやってあの強き瞳を穢してやろうか。やっぱり泣き叫んで跪くかな? ああ、想像したただけで堪らないよ! 藤吉はいつ来るかな? あいつのことだ、最後の最後に満を辞して登場するんじゃないかな? ……ああ、もう我慢出来ない!」

 1人褥に狂う幽玄斎に、遊山はとても濁った、それでいて悲しみを込めた瞳で見つめていた。その時間は実に長く続いた。息荒く目を蕩けさせる彼を、遊山は暫し見守ってから、努めて軽く道化じみた声で告げた。

「どうやら御腐心ですな。私は帰ります。それでは明日また」

「……ん? まだいたのかい? 私はね、ええと……お前のことをこの世界で一番頼りにしているんだよ」

「……それは素晴らしきお言葉。ご期待に添えるよう今後も奮進いたします。……父上」

 それだけ言い残し、静かに去っていく遊山。幽玄斎は彼に目もくれることなく邪悪な笑みを浮かべ、やがて段階的に狂気を加速させていった。

「はは、ははは! 何て素晴らしいんだろう! 私の藤吉がこんなに近くにいるばかりか、あいつの希望を悉く打ち砕けるなんて! しかもあのミカエルまで私に殺意を向けようとしている! ああ、早く来てくれないかなあ! 早く私に太くて硬いやつをぶち込んでくれないかなあ! ああ、楽しみだ! 楽しみ過ぎる! う、う、う……うううう!!」

 闇がどくりと膨れ上がり、ダールの街を包み込んでいった。その様子を肌で感じながら、帰路にある遊山は吐き捨てるように呟いた。

「……ふざけるな。“あの日”から俺は……あんたの息子なんかじゃない!」

 遊山の呟きに反応するように風が吹き荒び、ダールの街並みが飲み込まれていった。そのうねりが激しくなればなるほど、渦を巻くように1つの地点が浮き彫りにされていった。闇を巡る大都会での戦いは未だ始まったばかりだった。


 旧金蛇屋ダール支店。地下へと続く扉近辺。

 数十名の怪しい集団が、夜明け間近の廃屋を必死に探っていた。彼らの目には一様に生気の色はなく、ただひたすらに手のシャベルを動かし、地面へ穴を掘り続けていた。

 彼らを率いるは漆黒の呪術師バラム。全身を覆い尽くすローブを目深に被り、誰にも表情すら見せぬその男は作業の様子を不快そうに眺め、ため息を大きく1つついてから心底忌々しそうに呟いた。

「まったく……どうして私がこんなことを。狂人の沙汰はつくづく理解出来ませんね」

 数時間に渡り、夜通しでその作業は続いていた。術により強制的に使役された奴隷たちは疲労の色一つ見せず、ただ命じられるがままに穴を掘り続けていた。

「やれやれ。通信の反響音からして、地下に潜んでいるのは間違いないでしょうが、雲を手繰るような話ですね。この街は闇力が強すぎます。あの男が節操もなく撒き散らすからこんな事に……む!? それは何ですか! 早くそこを重点的に掘りなさい!」

 バラムの止まらぬぼやきの中、遂に奴隷の1人が地下への入り口を掘り当てた。ようやく見つけた糸口に、彼の顔色が僅かに高潮を見せた。

 それから数分して、奴隷たちの懸命の作業により、土の中から掘り出された鉄の扉。バラムは気を引き締めて術式を練り、苦もなくそれを開いていった。

「さて、果たして吉と出るか凶と出るか。……!? ……ふふ。それはそうでしょうね。やれやれ、昔から私はついていない」

 覗き込んだ地下室内に、明らかに闇力や人の気配は存在していなかった。先程まで誰かが生活していた痕跡はあったが、直前に気配を察して引き払った事は明白だった。バラムは自嘲しながら扉を閉めようとするが、その時蓋の裏側に微かな闇力の反応を感じ、不意にその一点を見つめた。

「……何じゃ。遅かったのう。このまま発見されねばどうしようかと思ったわい」

「……品性が欠落した物言い、性根の曲がり方をそのまま表した声色。やはり貴方ですか、金蛇屋藤兵衛」

 バラムは呆れ返ったようにその場所を漁り、彼が残したであろう術式の残骸と精霊銀の欠片を手に持った。

「ゲッヒョッヒョッヒョッヒョッ! 愉快じゃのう。実に痛快じゃて。本当に儂がそこにいると思うたのか? あんな派手な真似をしておいて、いつまでも木偶の如く同じ場所に留まると? 知将然でありながらどうも抜けておるのう、バラムや」

「……つくづく不愉快な男ですね。どうしてこう、商人という者は皆こうなのでしょう? ところで、シャーロットお嬢様は無事ですか? 何かあれば只では済みませんよ」

「よく吠える犬じゃのう。心配せずとも儂の側でよう寝ておるわい。それにの……これは“契約”じゃ。儂は契約だけは違えたことはない。安心するがよいぞ」

「やれやれ。貴方とは話すだけ無駄のようですね。兎も角、全ては明日です。何かを語りたいのならば、直接貴方の口で話しなさい」

「ホッホッホ。貴様こそ“自分の口”で話せばよいのではないか? 儂は薄々気付いておるぞ。儂は一度見た者の顔は決して忘れぬ。つまり貴様は……」

 そこで、激しい音と共に通信は途切れた。藤兵衛は肩を竦めて隣に侍るシャーロットに苦笑した。

「何じゃ、ここからが良き所じゃったのにのう。まあ仕方あるまいて。この辺が頃合いじゃな。儂らも動かねばならぬ。こんな穴蔵に篭ってはおられぬからのう」

「ふふ。そうですね。地下から地下へのお引越しも楽しいですけど、陽が当たりすぎないのもちょっと気が滅入ってしまいますから」

 そう言って暗闇を照らす僅かな光に、物憂げな視線を向けるシャーロット。ここはダール某所地下。彼らが決戦までの最後の隠れ家と決めた場所だった。いつもと僅かに異なる彼女の表紙を見て、藤兵衛は不思議そうに顔を覗き込んだ。

「何じゃ、シャル。お主は光が苦手ではないのか? そう思い再び地下を選んだのじゃが、余計なお世話じゃったかのう」

「ふふ。貴方の優しさにはいつも感謝していますよ、藤兵衛。ただ……地の底に閉じ込められた感覚、どうしても昔を思い出してしまうのです」

「そういえば申しておったの。幼少の砌、お主は地下に幽閉されておったとか。随分と血も涙もない家族よのう」

 シャーロットはその言葉にふっと力無く微笑むと、美しく大きな目を静かに細めていった。

「確かにお父様とお母様は……私のことを嫌っておりました。ハイドウォークの一族に双子は産まれない筈でしたから。故にお兄様だけを跡取りとして認め、私は居ないものとして扱ったのです。でも……私は感謝しているのです。忌子たる私を殺さずに、最低限に生かしてくれたことに。そのお陰で私はこうして自分の意思で行動し、大切な仲間を作ることができました」

「物は言いようじゃの。お主が何を言おうが、儂はそんな事は絶対に許せぬぞ。どんな事情があろうとも、お主を可愛がらぬ親などあってはならぬ。冥土に赴いた折には儂からきつく諭してくれようぞ」

「ふふ。ありがとう、藤兵衛。でも私は平気でした。御祖父様やドニがちょくちょく様子を見に来てくれましたし、何よりたまに来てくれるお兄様が本当に優しかったのです。私にこっそりおもちゃを運んでくれて、甘いお菓子を2人で食べたり。御祖父様には虫歯になるって怒られましたけど、今でも私は……あの時の暖かい気持ちを忘れてはいません」

 シャーロットはそう言いながら小刻みに震え始め、藤兵衛の胸に頭を埋めた。彼は何も言わずただそのまま、時の流れに身を任せていった。

 それぞれの心の中に生まれゆく様々な思いを他所に、決戦前夜のダールの帳は明けようとしていた。


 そして、決戦の日。ダール中心部、コロシアム地下控室。

 そこには目を閉じて深く深呼吸を繰り返す、秋津の侍高堂亜門の姿があった。登場までは今暫くかかると伝えられていたが、既に彼の集中は超人的な高まりを見せていた。腰に差すのは二本の刀。古の代より伝えられし、天さえも斬るという名刀『大国』と、龍人の鍛冶屋にて鍛えられし、龍の力を秘めた名も無き古刀。鋭利な輝きを放つ凶悪な刃は、彼の手の中で尋常ならざる熱を帯びていた。

 彼はかつての光景、初めての戦場に向かう前の日を思い出していた。若かりし彼にとって、戦場とは恐怖と狂奔が入り混じる地獄の如き場所。舌を嚙み切らんばかりに歯を噛みしめる彼の肩にそっと手を置いたのは、色黒でたくましく、見るからに快活そうな若き侍だった。

「んだ亜門。そんなクソ踏んだみてえな顔しやがって。明日は初陣だからって、んな緊張しねえでいいだろが」

「そ、そ、そ、そんな訳がなかろう! 己は緊張など無縁の男でござるからな。秋津の格言にも『心の臓に蚤宿れば巨象とて赤子に等しい』とあり申す。己には容易い話でござるよ」

「へいへい。昔っから分かりやすい野郎だな。腕だけは俺の次くらいには立つのに、心ん中はいっつもショボショボだからよ。こないだだって、幼馴染の志乃ちゃんを口説くって息巻いて、なんもできねえで顔真っ赤にして2時間立ち尽くしてよ。あの時のお前、正直見てらんなかったぜ。あの子ぜってえお前に気があったのによ」

「そ、それだけは言うでない! 思い出させるな! 過ぎたことに御座ろうが! それに其方との戦績は己の方が上手でござる! この前の勝利で500戦499敗になったであろう!」

「あ! ふざけんなバカ! ありゃ俺の勝ちだろが! 親父が止めに入らなきゃお前死んでたぜ」

「なにを!」

「やるか!」

 ガタンと同時に立ち上がった両者。周囲はどよめくも、誰一人止めに入ろうとする者はいなかった。既に2人の喧嘩は軍の名物になりつつあった。顔を突き合わせること数秒、若き侍は顔を怒気させた亜門にぷっと吹き出し、どかりと座り込んで自慢の龍を模した複雑な髷を結い始めた。

「それそれ。お前はそんなんでいいよ。初陣なんて気張ってろくなこたあねえさ。俺も1年前の時は緊張しまくってよ、マジ金玉がひっくり返ると思ったぜ。んで皆に迷惑かけまくっちまった。テキトーでいいよ。自分が生き残ることだけ考えな」

「まったく……それでも高堂家の次期当主でござるか、龍心よ。龍牙殿の毅然とした態度を見習っては如何か?」

 呆れたように呟く亜門を見て、龍心はその場に乱雑な態度で座り込み、更に楽しそうに笑った。

「親父と俺は違うさ。俺はな、亜門……この国を変えたいんだ。今の秋津は絶対に間違ってる。正確に言えば、間違った方向へ向かおうとしてる。親父の努力もよ、今のこの国の体制の前では意味を成さねえ。いつかきっと、俺はこの国を世界に誇れる場所にしてみせる」

「……其方は餓鬼の頃から言っておったな。そんな世迷言を聞かされる己の身にもなって欲しいでござるよ」

「しゃあねえだろ。お前は俺の弟だ。これからもたっぷり迷惑かけてくだろうがよ、ま、一つ宜しくな」

「都合の良い話でござるな。しかし……其方の身勝手にはいい加減慣れ申した。一応は己が兄、従うしかないでござる」

「はは! お前のそういうとこ好きだぜ。戦終わったらいいとこ連れてってやるから、ひとつ気合入れてけよ」

「い、い、い、いいとこ?! ま、ま、ま、まさか例の下劣な酒場のことでござるか?! そ、そ、そ、それは……お、お、お、己はその………」

「いいからいいから。俺に任せとけって。よし、じゃあそろそろ寝んぞ。夜更かしは美容にも良くねえって色街で聞いたぜ。んじゃな亜門。……頼りにしてっかんな」

 ポン、と肩を叩かれる亜門。その衝撃が、温度が、彼を現在の時間軸へと揺り戻した。

 兄であり、友であった者は既にいない。そこには家族も仲間も失い、運命に翻弄され尽くされた1人の男の姿があった。だが亜門は、かつてほど絶望してはいない。今の自分にはやるべきことがある。それを果たし尽くしたら、全てが終わったら、その時は改めて死ぬだけ。そう心に誓っていた。

 そんな集中しきる彼の姿をずっと横目で見ながら、秋津の侍にしてビャッコ国の奴隷たる進藤雪之丞は、何も言わずに深く考え込み、呆然とその場で立ち尽くしているだけだった。やがて彼の姿に気づいた亜門は、穏やかにのんびりと話しかけた。

「おお、雪之丞! 気付かなくて申し訳ござらぬ。もう出陣の時間であるか?」

「……」

 雪之丞は、無骨な風体に相応しくない白い肌から青ざめるほどに色を失わせ、亜門の言葉には答えなかった。彼には答えることが、出来なかった。

「何でござるか? 今にも死にそうな面をしおって。昔から其方は死相のような面構えであったが、今日はいつにも増して酷いでござるぞ。……ははあ、さては国に残してきた細君のことでも考えておったな? 心配せずとも己がこの馬鹿げた見世物に勝利し、其方の自由は必ず勝ち取るゆえ。せいぜい感謝するでござるよ。はっはっは」

 心から気持ちよく快活に笑う亜門に反して、下を向き唇を噛む雪之丞。暫しの沈黙が流れ、地上から流れ込む生温い風の音が2人の侍を包み込んだ。その時、彼は臓腑から振り絞るように重苦しく告げた。

「志乃は……本当は其方のことを好きだったのでござる」

「な、な、な、なんと! そ、そ、そ、そうだったのでござるか? それは何というか……困ったというか、その……と言うよりいきなり何でござるか!」

「志乃の気持ちは最初から分かっていた。無論、お前の気持ちもな。でも俺は……どうしても志乃を諦められなかった! だから嘘を付いて……お前に他に女がいると謀って……それで無理矢理付き合ったのだ!」

 顔を伏せ拳を握り締めながら、雪之丞は心底からの醜く爛れた言葉を吐いた。忌み嫌われることも、或いはこの場で斬り殺されることも覚悟した真実の言葉。だがそれに対する亜門の答えは、彼の想像とは全くかけ離れたものだった。

「はっはっは。それは惜しいことをしたでござる。でもな、雪之丞よ。それは結局のところ其方の力ぞ。恋愛とは戦場と同じ。結局は己が弱かっただけにて。別に何も恥じ入ることも、引け目に思うことなどなかろう。秋津の恋愛師範と呼ばれし己にはよく分かるでござるよ」

「……お前はいつもそうだ。真っ直ぐで、馬鹿みたいに人を信じ、何一つ迷うことがない。だから皆はお前のことを信じ、誰からも愛される。あの名門高堂家でも実子同然に扱われ、侍としても比類なき力を持っている。俺は……ずっと……そんなお前のことが羨ましかった」

「それは奇遇でござるな。己も其方が羨ましかったぞ。暖かい家族に囲まれ、要領良く女子の心を奪い、誰に何と言われても自分の欲を貫き通す。何より志乃殿との間に、あんなにも可愛らしい赤子がいるではないか。それだけで己は勝てる見込みがありはせぬわ。まったくもって完敗にござるな」

「……亜門。俺は……俺は……!! 先ほど知ったのだが……いや、それは嘘だ! 詭弁だ! 俺は最初からお前を……」

 フルフルと震えて血が滲むほどに拳を握り締める雪之丞。そんな彼の般若のように大きな肩をそっと抱き、亜門は大きく太陽のように笑った。

「それ以上は何も言わずともよい。長い付き合いでござる。其方が何か隠しておるのは最初から分かっていた。其方が申した通り、己は人を信じることしか出来ぬ。戦さ場の策ならさておき、日常生活での謀はとんと苦手でござるよ。だからこそ、己は最後まで人を信じるのだ。勿論其方のこともな。いつもの戦と何ら変わらぬ。己は戦い、敵を斬り、勝利する。それだけでござる。しかと見ておいてくれ。その代わり……終わったら一杯奢るでござるよ」

「は! 下戸中の下戸のお前がよく言ったものよ。秋津に帰ったら志乃の手料理を振舞ってやるわ。だから……絶対に死なないでくれ! お前が死んだら俺は……」

 雪之丞は俯いた顔を漸く上にあげて、しっかりと彼の手を握った。2人の手は交わり、そこに込められた意志を亜門は強く熱く感じていた。

 その時、大きな音が鳴り響き、前方の大きな扉が鈍い音を立てて開き始めた。戦場への扉が開いたのだ。衛兵が亜門を呼ぶと、彼は迷うことなくすくりと立ち上がった。その時、雪之丞は迷いを吹っ切るように大声で叫んだ。

「待て! やはり1つだけ……絶対にお前に伝えねばならん! もうどうなっても構わん! 今からお前が闘うのは……」

「そこまでだ。お前の発言は許可されていない」

 瞬時に衛兵が駆け寄り、雪之丞の顔を地面に押さえ込んで口を封じた。苦悶の表情で見遣る彼に、亜門は明るく大きく、差し込める光を背景に満面の笑みを浮かべた。

「安心するでござる。何があろうとも、己は己にて。それに……己には沢山の大切な約束と、口うるさい主がおるのでな。然らば御免!」


 扉から差し込める一筋の光。闇と静寂を切り裂く一閃。

 武と狂を掲げる秋津国でも随一と評される侍、高堂亜門の最大の戦いが、運命を分つ一戦が、今幕を開けようとしていた。

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