第36話「高い窓」

 2週間ばかりの月日が流れた。

 旧道内に構築された、精霊銀採掘用の鉱山の一角。ここでは来る日も来る日も、鉱夫達が黙々と鉱脈につるはしを打ち込んでいた。不衛生で高温多湿な環境、倒れる者も少なくなかったが、彼らは決して手を止めない。流れる汗に目もくれず、彼らは無言で職務に邁進し続けていた。ただそれは、彼らが特に勤勉という訳でもなく、明確かつ明白な理由が存在していた。

「おら、ぼやぼやしてんな! 1班でも今日のノルマ超えられなかったら、連帯責任で全員メシ抜きだぞ!」

 鞭を片手に怒鳴る男の姿。1人2人ではなく各所に配置された男達は、白地に黒い龍の紋が刻まれた揃いの服を着て、鉱夫達を厳しい言葉で攻め続けていた。

 だが彼らは反抗の意を示さず、何一つ言い返さない。それが無駄だと何度も思い知らされてきたからだ。ここは黒龍屋グループ直営の中でも最大級の鉱山。兵も警備も極めて厳重で、配置も計算され尽くされていた。その上、何か問題があれば首都ダールより即座に増援が届く環境に加え、何よりこの地に巣食う禍々しい魔物の存在。誰もが目を疑う巨体と、その強力な力で彼らを抑え込むであろう古の種族“龍”が鎮座していた。

 過酷な環境で奴隷の身である彼らに待つのは、近い将来の確実な死。彼らは絶望し、ただ運命を受け入れるだけだった。涙すらとうに枯れ果て、限界を超えて身体を酷使し、言葉も発せず感情すらも失われ、毎日をただ生きるのみ。

 そんな彼らを階上から冷ややかに見下ろすのは、鉱山を取り仕切る黒龍屋グループの大幹部、赤龍屋サンドラだった。突き上がった赤髪と顔に刻まれたタトゥーが特徴的な、一見すると細身なれど鍛え上げられた体躯を持ったその男は、爬虫類を思わせる薄い唇を僅かに動かして、その場に侍る部下に冷ややかに告げた。

「……3班の生産効率が落ちているようだが」

 書類から目を離さずに発せられた無機質な言葉は、部下達の動きをぴたりと止めた。

「は! 3班は汚染区域担当。奴隷どもの数は減る一方でして……」

「そんなことは分かっている。それならば、なぜ早急に補充しない。クズどもの命より、まずはノルマが最優先だ。いつも言っているだろう?」

 芯から冷え込むような声。ぞくりと背筋を震わせる部下達に、更に告げるサンドラ。

「ここは黒龍屋にとって極めて肝要な地。旦那様は結果のみを求めている。明日ノルマを果たせなければ、お前らも奴隷行きだ。分かったらすぐに動け。以上だ」

「は、はっ! すぐに対処いたします!」

 バタバタと走り去る部下達を深いため息で見送り、椅子に深く座り込んだサンドラ。そのすぐ隣の椅子には、いつの間にか1人の男の姿があった。漆黒のローブをすっぽりと頭から被った痩せ細ったその男は、彼らの様子を眉を顰めて見つめていた。

「相変わらず厳しいやり方ですね。効率が落ちているのは彼らのせいではないでしょう?」

「これはこれは、バラム様。ご機嫌麗しゅう。お言葉ですが、これは黒龍屋のやり方でしてね。余計な口を挟まないで欲しいですな」

「ふふ。よく調教されている様で。まあ確かに私には関係ありませんね。お好きにどうぞ」

 挑発にも全く反応しないバラムを見て、サンドラは内心で立腹しながらも、努めて冷静に告げた。

「で、急にお越しになったのは、例の化け物の“点検”ですかな? まったくマメなことで。もう心配いらぬと申してあったでしょうに」

「いえ、そうはいきません。闇力で押さえ込んでいるとはいえ、龍とは危険極まる存在。油断して足元を掬われては事ですから」

「あの化け物の操舵権は、我ら黒龍屋にあります。あなたのような、机上でしか物を考えぬ方には分からないでしょうが、実際はあんなもの家畜と変わりありませんよ」

「……そうだとよいですね。ともかくこれは我が主の命、即ち幽玄斎様の命でもありますよ。それでも……そのよく喋る口を動かしますか?」

 突如としてバラムの全身から湧き出る闇の波動。幾重にも連なる厚みと重さに、サンドラの顔は瞬時に恐怖に染まっていった。汗が滲み心臓が握り潰されん程の圧力。時間にすれば数秒のことだったが、彼にとっては数時間に感じられる程の緊迫の中、ふとバラムは口元だけに笑みを灯した。

「ふふ。冗談ですよ。決まっているでしょう? まさか契約相手である貴方に、意味もなく無茶などしませんよ。ご安心下さい」

「……し、失礼しました。どうぞこちらへ」

 そう言って震える足を隠し何とか案内するサンドラと、不敵な笑みを絶やすことなく後に続くバラム。長い坑道を抜け、奥の広間の柵の奥にその者はいた。10メートルはあろうかという巨体を折りたたむように座り込み、蒼龍はすやすやと眠りについていた。

「最近はずっとこの調子です。かつては厳重に警備を敷いていたのですが、今はその必要もありませんで。大人しい猫みたいなものですよ」

 サンドラは緊張感の欠片もなく、実に面倒そうに吐き捨てた。バラムは少し離れた位置からその姿をまじまじと眺め、乱雑な広間内をじろりと一瞥すると、やや不快そうに呟いた。

「……なんと不衛生な。掃除や食事はどうしているのです?」

「そんな金のかかることは奴隷どもに任せてますよ。なんとかやってるんじゃないですか? どうせ“これ”は我らには逆らえない。有事の時まで放っておけばよいでしょう」

 その言葉には耳を貸さず、バラムはつかつかと柵の側まで足を進めた。そして目と鼻の先まで近付いたその時、目を閉じたまま蒼龍は小さく鋭く言葉を放った。

《そこまでだ、バラム。それ以上近付けば……自害する》

「ほう、息があって何よりですね。強がりはおやめなさい。貴女を捉えてから1年、死のうと思えば何時でも出来た筈ですよ」

 バラムは嘲笑するように肩を竦めてから、芝居がかった大袈裟な動きで足を止めた。しかし蒼龍はそのままの態勢で再び言葉を吐いた。

《龍族は自死を禁じられている。お前が知らん訳がなかろう? だが……もう限界だ。仲間に迷惑はかけられん。このまま私は死ぬ。お前などにいい様に使われるのは御免だ》

「おやおや。餓死でもするつもりですか。つくづく誇り高い方ですね。だがその誇りとやらが、貴女たちを衰退させたと何故分からないのです?」

《……お前だけはそれを言う資格はない! 私たちはお前のしたことを忘れていないぞ!》

 かっと目を見開き、蒼龍は空間中に気迫を放った。空気と大地が揺れ動き、後方で腰を抜かすサンドラを嘲笑しながら、バラムはまるで動じずに後ろを向いた。

「おや。まだまだ元気ではないですか。流石はかつての『龍大戦』の功労者ですね。もし貴女が死んだら“彼”がどう動くか、今から楽しみですよ」

《……!!》

「ふふ。実に分かり易い方ですね。実に興味深い。勿論万が一、の話ですが。今日は気が立っておられる様子。また日を改めましょうか。くれぐれもお元気で……インギア様」

 バラムは虚仮にした態度で彼女にウインクし、くるりと振り返り歩き去った。唖然とするサンドラの側を通り抜けながら、彼は静かに告げた。

「くれぐれも死なせぬようお願いしますよ、サンドラさん。彼女には使い道がありますので」

「ええ。違約金だけは御免ですからね。損だけは絶対にしてはいけない、黒龍屋の者は全てそう教え込まれています。お達しの通り、殺しも生かしもしませんよ」

「……そうですか。まあ生きてさえいれば問題ありません。それでは」

 彼の返事を聞くまでもなく、バラムはふっとかき消えるように、その場から闇の残滓だけを残して消え失せた。

「ったく、実に余計な時間を使った。これだから金を産まん奴は嫌いなんだ。これ以上生産効率が落ちては、私が旦那様に殺されてしまうよ」

 サンドラは忌々しそうにその場に唾を吐いて、ドスドスと足踏みして戻っていった。その間、蒼龍は静かに目を閉じてその場に伏せ続けていた。

 そこから10分ほど経過して。彼女は漸く目を見開くと、長い首を掲げて周囲の状況を確認し、小さく口を開き不思議な言葉を放った。人の言語とはまるで異なる響きが周囲に干渉し、空間に共鳴していくと、彼女の影が生き物のように地面に広がっていき、そこから2つの影が立ち上がった。

《……行ったぞ。もう大丈夫だ》

 口を最低限だけ動かして、蒼龍は無機質に告げた。影は徐々に人の姿を形取り、やがて一対の男女の人間へと変化していった。

「はっはっは。いやあ、心の臓が潰れるかと思ったでござる。まさかあのバラムめがここに来るとは」

 長い黒髪を1つに括った蒼い着流しの侍、高堂亜門は周囲に警戒を払いながらも、長身を震わせて実に呑気に笑い飛ばした。

「ほんとびっくりしましたぁ。あんな強力な術士がいるなんて聞いてないですぅ(知ってんならちゃんと伝えろよ! この童貞が!)」

 2つに括った金髪をかき上げて、少女の如き符術士リースが彼の背に隠れるようにゆっくりと現れた。そんな2人を見て、蒼龍は僅かに頬を緩めた。

《何とかやり過ごせてよかった。見つかったら全てが水の泡だからな》

「そうでござる! 己らの目的の為にも、インギア殿の自由の為にも、この作戦をなんとしても成功させなければ!」

 亜門は刀を掲げて力強く言い放った。リースが内心呆れ返る中、インギアと呼ばれた龍は、全身の力を抜いて再びふっと小さく笑った。

《やれやれ。金島の侍はいつの時代も変わらんな。気持ちは充分伝わったから、さっさとやってくれないか?》

「はぁい。よろこでぇ。でも亜門くぅん、そんなに声が大きいと敵にバレちゃいますよぉ(静かにしろアホが!)。それじゃ、インギアさん。続きを始めますねぇ。力を抜いて下さぁい」

 リースはそう言うと、インギアの身体を纏う鱗の隙間から、独自の術理の刻まれた符を1枚ずつ挿入していった。その度に眩い光が染み込むように全身にに飲み込まれていった。彼女は苦しそうに目を閉じはしたが、苦悶の声など一切発しなかった。

「インギア殿、大丈夫でござるか? 痛みが強いようなら遠慮なく言ってくだされ」

 亜門は心配そうに彼女の体をさすりながら話しかけた。インギアは目だけ微かに細めて、歯を噛み締めながら返した。

《問題ない。私とて腐っても龍族第2席、この程度で根を上げたりしない。……しかし驚いたぞ。まさかこの私を、龍を解放しようと思う人間がいるとはな。それも身の危険を顧みずに、だ》

「己は龍族に恩義があり申す。受けた恩を返すのは侍としての責務であり、また己の主の信条でござる。何もご心配なされるな」

「わたしはぁ、そういうの何もありませんけどぉ、亜門くんがどうしてもって言うからぁ」

《そうか。正直私は……人間という種族に良い感情は持っていない。だが、目の前で行われている行為の真偽は見えるつもりだ。今は何にせよ感謝しよう。ところで亜門とやら、お前の力はフィキラ様の賜物だな?》

「やはりお分かりになりますか?! そうでござる! 己はかつてフィキラ殿から“力”を授かり申した。そのお陰で今まで生き残ってこれたのでござる。敵の目を欺きここに来れたのも、インギア殿の存在を感知できたのも、全てこの力のお陰にて」

 亜門の誇りに満ちたその言葉を聞き、インギアは目を伏せて首を下を向けた。

《……皮肉だな。私たち龍族は、絡み合う歴史の中の結果としてではあるが、かつて彼を反逆者として追放した。龍の遵守すべき“龍令”を破り、人間に加担した忌むべき男として。龍族の頂点たる帝龍に位置する者にして、力も人格も申し分なく、何より“あの方”を支え続けた偉大な男をな。そして今私は、そんな彼の力と、彼が信じた人間の力に助けられた。……私たちは一体何をやってきたのだろうな》

「インギア殿、その結論は何れで結構にござる。今は目の前にある真実のみを見て下され。秋津の格言に『骨交わらば肉も又髄に染まる』とあり申す。己らは貴殿を全力でお助けし申す。其処に嘘偽りはありませぬ。全てが終わった後、その目を以ってご判断下され」

《何度も言わすな。私は今、お前らを信じている。……フィキラ様の言っていた通りだ。信ずるべきものに龍も人もない。よく理解したよ》

 そこまで彼らが話した時、術の構築に当たっていたリースが不意に顔を上げた。全身に汗をびっしょりとかき、疲労に息を荒くしながらも、何処か満足感に近い感情を浮かべて彼女は小さく微笑んだ。亜門は彼女の側に駆け寄ると、肩を優しく抱いて心配そうに顔を覗き込んだ。

「リース殿! 大丈夫でござるか?!」

「ごめんなさぁい。今日のところはこの辺が限界ですぅ。また明日来ますので、どうかお許しくださぁい」

《無理はするな。このままでは敵の監視も勿論だが、お前の体力が保たんだろう。お前の献身、心から感謝する。……お前のその力、北大陸はアガナ神教のものだな?》

「ご存知でしたかぁ。さすがは龍族ですねぇ。物知りぃ(ったく……面倒なトカゲだわ)」

《……分からんものだな。よりによってお前らに、人間の中でも龍族と最も因縁深き“アガナ神教”に救われるとは。世の中何が起こるか知れたものではない》

「? 一体何を仰っているでござるか?」

 複雑な表情をして考え込むインギアこ顔を、亜門は不思議そうに覗き込んだ。一方リースは微かな苛立ちを覗かせながら、急激に口調を変化させていった。

「……あのさ、言いたいことはわかるけど、それって大昔の話でしょ? たしかにウチとあんたらは色々あったみたいだけどさ、それがあたしとあんたとの関係に影響するわけ? つまんないこと言わないでくれる?」

「リ、リース殿!? いきなりどうしたでござるか?!」

《いや、私が軽率だった。謹んで謝罪させてもらう。申し訳なかった》

 実にあっさりと蒼龍インギアはその場で深く頭を下げた。リースはそれを鋭く見つめていたが、すぐにふっといつもの調子に戻った。

「もういいですぅ。べつに謝るほどのことでもありませんしぃ。ただインギアさんにかけられた闇力は、はっきり言って常軌を逸してますぅ。どんなに頑張っても1月はかかりますので、それだけはご理解くださぁい」

《ああ。ミカエルの力は、ある意味ではアガナ様にも劣らないだろう。あの古き神々の末裔、ハイドウォーク家相手ではな。……情けない言い訳だ。誇り高き龍族として失格だな。忘れてくれ》

 そう言って自嘲気味に笑うインギア。そして周囲の警戒を伺いながら、亜門が静かに立ち上がって告げた。

「ではインギア殿、また明日。他に任務もありますので、名残惜しいござるが己らは帰るでござる」

「そうね。頃合いだわ。じゃあインギアさん、またねぇ」

《かたじけないな。私は、いや龍族は……受けた借りは必ず返す。どうか覚えておいてくれ》

 リースの符術が輝きを増すにつれ、手を振る2人の姿が朧になっていった。そしてすぐに気配すらも消え失せ、彼らの痕跡は完全に絶たれた。インギアは目を細めて天を見上げた。そこにあるのは洞窟の天井、コケと泥がこびりついた岩の壁のみ。しかし彼女の目には、満天の星空が映っていた。深い星空の中に身を浸しながら、彼女は久方ぶりに心に暖かな感情が浮かぶのを感じていた。


 それから数日後。

 黒龍屋大幹部、赤龍屋サンドラは傍目から分かるほどに苛立っていた。主人の命令通り、確かに街道は封鎖した。シャーロット一行はどこへも行く術はない。そこまではいい。しかし、その後の動きがようとして掴めなかった。

 彼らは例の家から動く気配すらない。あの金蛇屋藤兵衛が黙って指を咥えているはずがない。サンドラは見習い時代に直接彼に会ったことがあった。彼の放つ蛇の如き迫力に圧倒され、異様とも言える行動力に舌を巻いたのを覚えていた。その彼が、ただ静かに留まっているだけで済むのであろうか? 主人からは簡単に動くな、と言われていた。しかし……本当にこのままでいいのだろうか?

 彼は迷う。迷い続ける。そんな時、部下から急ぎの報告が入った。

「サンドラ様! 大変です! 金蛇屋が動きました!」

「蛇が?! それはどういう意味だ!」

 がたりと椅子から身を乗り出すサンドラ。汗をかきながら続ける部下。

「は! ご命令通り街道を見張っておりましたところ、金蛇屋と思われる連中が大挙してこちらに押し寄せて来まして。ただ、連中は鉱山の手前で立ち止まり、こちらを伺っておるようです」

「動くとは思っていたが、まさか金蛇屋の連中を使うとはな。力ずくで通れると思ったら大間違いだ。おい、ダールの本店に援軍を要請しろ! 本道に厳戒体制を敷け!」

「はっ! 大至急配備いたします!」

「……ちょっと待て」

 一歩引いて外に出ようとする部下を、サンドラは顎に手を当てて訝しむ様子で押し留めた。

「はい。何でありましょうか?」

「連中はどこにいるのだ? ここの手前とは、一体どこを指している?」

「それが……例のババアの家でして。連中はあそこに陣を張り、まるでその……ちょっとした集落を作っております」

「な!? なぜあんな辺鄙な場所に? 物資も店もあるまい!」

「それは分かりかねます。しかし大変な騒ぎようで。実は村の連中もその……宴の輪に加わっている様子。もちろん止めたのですが」

「ええい、訳が分からん! とにかく報告と監視を怠るな! 奴は何をしでかすかまるで想像が付かん」

 ヒステリックな怒りを放つサンドラに、部下は逃げるようにその場を去っていった。彼の苛立ちは声からだけでも伝わって来た。そう、比喩ではなく、直接的に金蛇屋藤兵衛の元へ。


「ガッハッハ! 随分と悩んでおるようじゃの。いやあ、実によき肴じゃわい」

 グラスを傾けて、藤兵衛は心から楽しそうに言った。彼の周りには沢山の人々が集まり、飲めや歌えの大盛り上がりを見せていた。

「しっかしまあ、魔女に魂売って若返ったかと思ったら、今度は妖術まで身に付けたときた。これから旦那様は一体どうなっちまうんだかよ」

 彼の近くに座る筋肉質の大男が酒を豪快に飲みながら、からかうように藤兵衛の肩を叩いた。

「ふん! 貴様のような阿呆には分かるまいて。しかしお主……よくこの近くにおったのう、蔵八。お陰で面倒ごとが確実に減ったわい。礼を言うぞ」

「なんだ、気味悪いな。まああれから色々あってよ。東の方はだいぶまとまって来たんで、ビャッコ国近辺に手をつけようと思ってたらコレだ。いきなり変な指輪が送られてきて、そこから旦那様の声が聞こえて来たときは焦ったぜ。うっかりヤクでも飲んじまったのかと思ったよ」

「ホッホッホ。儂も修練を積んだ故、各地の金蛇屋支店とは連絡し放題じゃて。今後も儂の連絡を心して待つがよい」

「ったく面倒なこった。しかしま、元気そうでよかったよ。ほれ、もう一杯飲みなって」

 そう言って徳利を傾ける蔵八。気持ちよさそうにそれをあおる藤兵衛。周囲の社員たちも大いに飲み、一緒に騒いでいた。隣の集団では亜門とリースが中心になって大騒ぎし、レイは嬉しそうに次々と料理を作っては、病み上がりの千里が張り切り勇んで次々とそれを運んでいた。

「お、おいバアさん! おとなしく寝とけって言ったろ! なに勝手にやってんだ!」

「まったく熊美は口うるさくなったなあ。お客さんが来てんだから働かなきゃなんねえべ。オラこんな楽しいの久しぶりだ。ささ、芋がらを煮ただよ。みんな食べてくんろ」

 まるで少女のようにはしゃぐ千里を見て、藤兵衛は目を細めて微かに苦笑いを浮かべた。こうして宴は続き、夜も更けすっかり酔いの回った蔵八は、藤兵衛の肩に腕を回して馴れ馴れしく話しかけた。

「……旦那様。どうしても1つだけ気になってることがあるんだけどよ」

「何じゃ急に? 金の話か? 先も言うた通りこれは儂だけの問題ではない。ちゃんと儲かる事業故、何も考えず安心するとよいぞ」

「違えよ。そういう事であんたを疑うわけねえだろ。俺が聞きてえのは……そこのべっぴんさんのことだよ」

 蔵八は、この男にしてはかなり遠慮がちに、藤兵衛の横にべったりと寄り添うシャーロットを指差した。他の社員たちも興味深そうにそれを見つめていたが、当の彼はまるで動じることなく、悠然とキセルを吐き出した。

「ああ、気にせんでもよい。此奴は只の……」

「私はシャーロットと申します。藤兵衛は私の大切な人です。今後ともよしなに」

 べろべろに酔っ払って肌を露わにしたシャーロットが、真っ赤になりながら三つ指を突いた。とたんにどよどよと巻き起こる喧騒。慌てて止めに入る藤兵衛だったが、全てはもう遅すぎた。

「い、いや違うんじゃ蔵八! これはそういう意味では決して……」

「いいんだ、旦那様。何も言わねえでいい。サクラには俺から上手く言っとくよ。ったく、こんな可愛い子を捕まえるたあ、不老不死様様だな。よし、金蛇屋各支店に号外を出せ! こいつはめでてえや!」

「ありがとうございます。不束者ですが、宜しくお願い申し上げます。私のことは気軽にシャルちゃんと呼んでください」

「いえいえ! まさか旦那様のコレをそうは呼べませんや。どうせなら姐さんと呼ばせてくだせえ。おい、てめえらありったけ酒を持ってこい! 今日はとことん付き合ってもらうぜ!」

「おい蔵八! 待つんじゃ! お主らは大きな勘違いを……こら! 酒はもういいわ!」

「ったくよ、旦那様も水臭えったらねえや。ほら、まだまだ酒はあるぜ。んなんじゃ蟒蛇の名がすたらあ。早く姐さんにも注いで差し上げろ!」

「旦那様ばんざい! シャーロットの姐さんばんざい!」

 謎の喧騒は藤兵衛たちの手を離れ、どんどんと膨らんでいった。怒りながら飲み続ける藤兵衛、傍で楽しそうに微笑むシャーロット、そんな彼らを呆れた顔で見つめるレイ。

「ったく……ほんとお嬢様は見る目ねえなあ。そう思わねえか?」

 レイの隣で同じく呆れた顔でジュースを飲むリースは、既に酔い潰れた亜門の額を優しく摩りながら、深く深く大きく頷いた。

「そうですねぇ。おじさまも顔はそんなに悪くないんですけどぉ、ちょっと性格が悪すぎますぅ」

「そうだよなあ。いくらなんでもあいつだけはねえわ。床拭いた雑巾みてえな性根でやがるからな」

「でもぉ、恋ってえ、自分とは性格が違う人に惹かれちゃうものでしょう? あの2人、正反対じゃないですかぁ。だから……もしかするとちょうどいいんじゃないかしらぁ」

「そういうもんかねえ。しっかし、あのバアさんは穏やかで性格もいいってのに、弟はああも腐っちまうもんか」

 レイはちらりと千里の方を見た。彼女はにこにこと人々に給仕をし、たまにぼんやりと訳の分からぬことを呟きながらも、楽しそうに穏やかに皆の相手をしていた。リースはそれを見て、考え込むように軽くため息をついた。

「……それにしても、おじさまちょっとひどくないですかぁ。あのお婆さん、その……長くはないんでしょう? それなのにこんなことさせて。一緒の時間を過ごしてあげればいいじゃないですかぁ?」

「リース……そりゃちがうぜ。あいつはわかってるよ。ぜんぶわかった上でああしてんのさ。あいつなりにいろいろ考えてやってる。どうしようもねえクズ野郎で、救いようのねえゴミだってのは全面的に同意だが、家族とか身内を大切にするのはあいつの数少ねえ、唯一と言ってもいいくれえの長所だ。ま、俺みてえな天涯孤独の身には家族なんてよくわからねえがな」

「へぇ。そうなんですかぁ。ふぅん(家族……か。)」

 心地よく風が吹き抜けていった。彼らの宴は遅くまで続き、そしてそれは毎晩のように行われた。少しずつ、少しずつ物事は這い寄る影のように進行していった。


 一月後、鉱山。

 入り口で仁王立ちするサンドラが待つのは、首都ダールよりの使者。彼が敵と見做す目障りな羽虫どもを蹴散らす、黒龍屋が調達したダールの傭兵の一軍。しかし、待てども待てども兵は来ない。部下からの何の報告もなく、彼が要請してから3週間は優に経過していた。

(なぜ誰も来ない? 本部は俺達を見捨てたのか? あの旦那様のことだ、有り得ぬ話ではない。……いや、それは幾ら何でも考えすぎだ。まともに考えれば何かトラブルが起きている筈。いっそ龍を解放するか? いや、独断でアレを動かすのはまずい。バラムが黙っている訳がない。……ええい、考えすぎるな! 今は連中の動向を探るのだ!)

 そう思った時には、既に彼は歩き始めていた。即断即行動を旨とする黒龍屋の教えもあるが、何より彼を動かしたのは心中に深くで鳴り続ける疑心の声。それが苛立ちとして表面に現れるのを感じ、部下達は恐る恐る彼に付き従っていた。

 やがて彼の目に金蛇屋の駐屯地が見えてきた。一刻も早く連中の狙いを突き止め、必要とあらばここのクズどもなど見捨てて、自分だけでもダールに戻らねば。そう思いながら丘の上から見下ろすサンドラ。すると、そこに広がっていた光景は……!

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。新しい街道が開通したよ!」

 思いもよらぬ光景! 人々が列をなして、新しい街道らしき道を渡っていたのだ。岩肌をくり抜き、立派に施行されたその通路は、まるで昔からあったかのように堂々とした威風を放っていた。

「な、な、な、なんだこれは!?」

 理解不能な事態を目にし、混乱しきったサンドラの絶叫が響いた。銀の指輪越しにそれを聞く藤兵衛は、キセルの煙を悠然と吐き出して、実に愉快そうに高笑いを浮かべた。

「ゲッヒョッヒョ! まだじゃ、まだまだじゃ! 祭りはまだ終わらんぞ!」


 大陸歴1279年6月。

 オウリュウ国一と称された大商人、金蛇屋藤兵衛の本領が今、正に発揮されようとしていた。

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