第34話「プレイバック」

 ビャッコ国北東部。シャーロット一行の旅は続いていた。

 彼女たちは追跡を振り切り、更に行く手を読まれぬよう、大きな街道を避けるように進んでいた。時折眷属との小競り合いはあったものの、リースの張る光の結界は敵の目を眩まし、亜門の刀は這い寄る敵を密かに葬り去り、更に藤兵衛が舵を取る道は敵の包囲網を見事に避け、大きな戦いを避けつつ敵の本拠と目されるビャッコ国首都のダールに接近しつつあった。

 そんなある日のこと。運命の舞台はダールの手前、海沿いのとある小さな町に差し掛かったところから始まる。


 今日も彼らはのんびりと街道沿いの道を進んでいた。春も盛りの今日このごろ、力車を引く藤兵衛の額には気持ちの良い汗が流れ、雫となり顎の先まで垂れていた。彼は手足を休めることなく前へ前へと進み、日焼けした体を更に日差しに晒していた。

「ふう。今日もよい天気ですなあ。殿、己が少し代わりましょうか?」

 前方から歩哨中の亜門が近付いてきた。手には今日の戦利品であろう鴨を2匹ぶら下げており、それを見た藤兵衛は嬉しそうに口角を上げた。

「要らぬ要らぬ。まだまだいけるわい。しかし……実に美味そうな鴨じゃな。でかしたぞ、亜門。今日は久々のご馳走じゃて」

「光栄にござる。血抜きは済んでおりますゆえ、後はレイ殿に美味しく調理していただきましょう。ですが……レイ殿の体調の方は平気であられますか?」

「おお、大分落ち着いたようじゃったぞ。闇力を封じられて1週間はまるで死んだようじゃったが、ある程度は慣れてきたようじゃ。先ほどなど体力を持て余し、リースと屋根の上で踊っておったぞ。まったく儂の身にもなって欲しいものじゃて」

 呆れた顔で藤兵衛は呟いたが、その声には少々の安堵の色が見え隠れしている事を感じられ、亜門は実に朗らかに笑った。

「はっはっは。レイ殿に心配など無用でござりましたな。ここのところ敵の気配もまるで感じられませぬ。このまま首都ダールまで何もなければよいですな」

「そうであればよいがの。ただ今までの経験上、上手くいっておるときこそ、落とし穴が広がっておるものじゃて。ゆめゆめ忘れぬことじゃ」

 自分に言い聞かせるように藤兵衛は呟いた。亜門もそれを受けて静かに首を縦に振った。


 日も暮れはじめ、彼らは近くの小さな漁村に身を落ち着けることにした。ダールまでは1週間で届く距離。彼らの冒険も間も無く一区切りとなるはずだった。しかし、ここに来て事態は大きく揺れ動いた。

 村の酒場にて。情報収集のために訪れた藤兵衛とリースは、耳を疑う話を聞かされた。

「な、何じゃと?! それはどういう意味じゃ?」

 大きな声で聞き返す藤兵衛。村の男衆でごった返す酒場の空気が、不意の叫び声にしんと静まり返った。

「どうしたもこうしたも、今言った通りさ。ダールに繋がる山道は封鎖中だよ。1年も前からお役人が見張ってんだ。とんでもねえ化け物が出るっつってな」

「お化けですかぁ? いやあ! リース怖いですぅ」

「おやおや、すまんなお嬢ちゃん。でも本当なんだ。俺たちも何度も目撃してる。ありゃ伝承にある龍みたいな姿だったよ。山みてえにでかい青色のトカゲが、空飛んで火を吹いて暴れまくってんだ。とても人間がどうこうできるもんじゃなかったよ」

 村人は諦めの色を深くし視線を落とした。藤兵衛はキセルを短く何度も吸い込みながら、苛立ちを隠し切れずに叫んだ。

「では、ダールには行けんというのか? 何処かに迂回路はないのかの?」

「もちろんあるさ。俺たちの環境を見かねた首都の黒龍屋さんが、別に道を切り開いてくださったんだ。それなりの通行料を払えばそこを通れるよ。まあ旅人は身分証とか色々確認されるみたいだけどな」

 藤兵衛とリースは同時に顔を見合わせ頷くと、幾ばくかの金を置いて外に出た。

「お邪魔してすみませんですぅ。これで一杯やって下さいねぇ」

「お、こんなにいいのかい? 力になれなくてすまんね」

「気にするでない。礼金と思ってくれい。感謝するぞ。とにかく一度その化け物とやらを見てみんとの」

「そうかい。そりゃあんたらの勝手さ。ただ無茶はせんようにな。……あ、そうそう。一つお願いを聞いてくれないか? 旧道の外れの山奥、龍の住処の近くにボケたバアさんが1人で住んでてね。俺らが何と言っても聞かなくて、危険の中で居続けてんだ。こっちもだいぶ参っちまってるんだが、昔世話になった人でな。俺らとしても放っておけねえんだよ。そっちを通るなら、ついでに食料を届けてやってくれねえか? もちろんあんたたちにも少し用立てするぜ」

「ふむ。まあついでじゃしの。問題なかろうて」

「助かるよ! じゃあすぐに準備するから待ってな」

 村人がばたばたと急ぐ中、彼らはため息をついてその辺の椅子に座り込んだ。難しい顔をする藤兵衛に、リースは下から覗き込むように言った。

「やっかいね。ビャッコ国の黒龍屋……いい評判は聞かないわ」

「恐らくは眷属の一派じゃろう。可能な限り避けるのが無難じゃて。しかし……龍とはの。シャルたちは一度会っておるようじゃが、そんなものがこの世に存在するとは俄かに信じられぬわ」

「龍は実在するわ。あたし、この目で見てるから。人の時代のはるか昔、龍が治める時代は確かにあったの。今でこそ人に追われ姿を消したものの、ひっそりと自分の世界を築いている。自分たちを追いやった人間に対する恨みを抱えたまま、ね」

「やれやれ。そんな骨董品と相対する羽目になるとはの。まあ一度シャルたちに相談するしかあるまい。こちらは虫が使い物にならん故、荒事は避けたい所じゃからの」

「そう上手くいくとは思えないけどね。……あ、すみませぇん。こんなにたくさんいいんですかぁ? おじさま大好きぃ!」

 はぁ、と再び大きくため息をついた藤兵衛。彼らの前に立ち塞がる高い山、そのことを考えると気分が塞がった。だが、事態はそれのみに留まらなかった。すぐに彼らは、いや彼はそれを思い知ることとなる。この世に偶然などないということを。運命とは人の喉元に絡み付き、逃れる足すらも封じるということを。


 次の日、朝早く。旧道沿いの山道。

 龍の住むという場所に向けて、ひたすらに突き進む一行。亜門はいつもより念入りに警戒態勢をとり、リースも屋根の上で闇力を探っていた。力車内ではシャーロットとレイが額を付き合わせて話をしていた。

「それにしても……またしても龍ですか。しかも前とはちがって好戦的な野郎みてえで。お嬢様、体調は大丈夫ですか? やはりべつの道を進んだ方がよいのでは?」

「私は問題ありませんよ、レイ。体力的にも月齢的にも問題ないでしょう。まずは行ってみてから決めても遅くありません」

「ちくしょう! 俺が動けたら……こんな時になんもできねぇなんて!!」

 口惜しそうに床を殴り付けるレイの太い腕を、シャーロットは不意に掴むと、強く強く抱き寄せた。突然の事態にレイは赤面し、思考を停止させて体を固く硬直させた。

「お、お嬢様。いきなりなにを……?!」

「本当に、本当に苦労をかけますね、レイ。この場を借りて心から礼を言わせていただきます。貴女がいなければ、私の目的はとうに潰えていたことでしょう。今はゆっくりお休みなさい。そして、必ず訪れる決戦に備えて下さい。ダールにはバラム様が待ち構えているとのこと。とすれば、ガンジやお兄様もそこにいる可能性は高いでしょう。彼らに対抗するには、貴女の力が絶対に必要です」

「……そうっすね。ガンジだけは俺がやるしかねえでしょう。わかりやした。今は休みます。あのアホどもに任せるのは不安ですが、どうもそうするしかねえみてえですからね」

「ふふ。藤兵衛がいるから平気ですよ。彼はいつも冷静ですから」

 嬉しそうにそう告げるシャーロットに、レイは頭をぽりぽりと掻きながら呆れ気味に返した。

「ったく、ご馳走様ですよ。ま、たしかにあのクソは確かに冷静さだけが取り柄ですからね……」

 レイはその先の言葉を敢えて告げなかった。その時レイは浮かんだのは、今迄の旅の、特にゲンブ国での光景。鄙びた寒村を背景にした、彼に似つかわしくない言動の数々。

(確かにあいつはいつも、憎ったらしいくれえに冷静沈着だ。けど……家族とか身内のことがカラむと話は変わってきて、急にバカみてえに突っ走ることがありやがる。ってもまあ、そうそうあることじゃねえがな。心配するまでもねえか)

 レイはすぐにそう結論づけた。確かにその通り、彼は身内のことになると持ち前の冷静さを失う。今までも、これからも変わらぬことであろう。それがオウリュウ国一の大商人である彼の、唯一と言ってもいい致命的な弱点だった。そして、それを知る者にとっては、彼の胸元へ付け入る大きな隙へとなり得る。

 彼らはすぐに思い知ることとなる。歪みきった世界は、内包する思いすらをも容易く捻じ曲げていくことに。


 海の見える山道。険しい山々が連なる姿が見えるその途中に、目的の民家が見えた。どんなに上手く形容しても、ボロ小屋としか言いようのないくたびれた民家。数十年の年月を重ねただけでなく、外的な要因も加わったのか、所々穴が空き隙間風の通り道となっているようだった。丁寧に直した後はあるが、所詮は素人修理で効果は小さいようだった。家の後ろには丁寧に整備された猫の額ほどの畑があり、とうもろこしがささやかに実をならし収穫の時を待っていた。

「何じゃ、このあばら屋は! まったく見ているだけで情けない気持ちになるわい。どんな惨めな老婆が住んでおるのかのう」

「はっはっは。そう申されますな。風情のあるよい家ではありませぬか。それに……どことなく殿の御実家と似たところがありますぞ」

「痴れ者が! 儂の家はあんなボロ屋ではないわ! さっさと届けてくるがよい。こんな所にいるのは時間の無駄じゃて。即ち大損じゃ。儂は損だけは大嫌いなのじゃ!」

 そっぽを向く藤兵衛に微笑みを浮かべて、亜門は荷物を小脇に抱えて家へと向かっていった。呑気に進む彼の行く手の先を、リースが力車の屋根の上から鋭い視線を向けていた。

「ねえ、おじさま。あの家……なんか変ね」

「うむ。やはり貴様は気付いておったか。あれは人の手によるものじゃな。龍だか何だか知らぬが、どう見てもケダモノの壊し方ではなかろう。まるで嫌がらせのように随所が壊れておるわ」

「加えて言うなら、微かな闇力の気配を感じるわ。どうも嫌な予感しかしないわね」

「剣呑じゃな。問題の予感しかせぬわ。……しかし亜門の奴め、帰りが遅いのう。敵の待ち伏せの可能性もあろうて。おい、リースよ。ちと見て参れ」

「なんであたしが! 人を顎で使わないで!」

「それなら私が行きます!」

 いつの間にか力車から降りていたシャーロットが、突然2人の耳元で大声で叫んだ。びくりとした2人は同時に振り返り、まじまじと彼女を見つめた。

「シ、シャルや。いきなりどうしたんじゃ? あまりよい予感がせんのじゃが」

「ヒマです! 私は力が余っています! 皆のお手伝いをしたいのです!」

「そ、そうは言ってもじゃな。あそこには敵がおるやも……」

「イヤです! 私は絶対行きます! 休んでるレイの分も働きます!」

「……やれやれ。じゃあシャルちゃん、あたしと一緒に行きましょ」

 すぐに諦めて、リースはくるりと身軽に屋根から降りた。それを見てシャーロットは子どものように、とても嬉しそうにはしゃぎ回った。

「わぁい! 私とリースが一緒なら何も怖いものはありません! では行ってきますね、藤兵衛」

「お、おい! 待たんか! ……ったく、もう行ってしもうた。まったくシャルは儂の手に負えんわい。しかし……仲良くやっておるようじゃな。これも縁、というやつかの」

 藤兵衛はキセルを取り出すと、口元に微笑を浮かべて深く煙を吸い込んだ。穏やかな昼下がり、のんびりと時間が過ぎていった。


 30分後。苛立ちを顔中で表現する藤兵衛。

「遅い! 遅過ぎる! あやつらは何をしておるのか!?」

 彼の天衝く怒鳴り声に反応して、心底不快そうな顔でレイが力車の窓から顔を出した。

「うっせえなあ。気持ちよく寝てたってのに起きちまっただろうが」

「黙れい! 儂はちんたらするのが一番嫌いなのじゃ! 時は金なりと申すであろうが!」

「口を開きゃあ、カネカネカネカネ。ほんと下劣なクソ野郎だぜ。ちったあ大人しくしてやがれ!」

「下賤中の下賤の貴様が何を抜かすか! 闇力のない貴様なぞ怖くはないわ!」

「うるせえ!!」

「グェポ!!(な、何故効くのじゃ?! 力任せの野蛮人めが!)」

 そんなやり取りが暫し続いた後、待ちかねた2人はどちらが言い出すわけでもなく、件の民家に向かっていった。古びて色褪せた玄関のドアが半開きで風に揺れていた。レイはノックすらせずに、乱雑にそれを蹴り飛ばした。

「……でな、オラは言ったんだ。そんなのぜんぶオラに任せろ、って。でも弟がどうしてもって言うから……あら、またお客さんかい? 今日はお客の多い日だねえ」

 骨と皮だけの痩せ細った体を杖一本で支えた、1人の老婆が楽しそうに話し続けていた。野良作業用と思われる花柄の厚手の服を着込み、室内でも深々と麦わら帽子を着込んで、彼女は目尻を下げて楽しそうに笑っていた。部屋の隅には困り果てたように亜門とリースが座り込んでいた。

「レ、レイ殿! 助けて下され。先程から彼女の話が止まらないのでござる」

「……でねえ、あの日弟が言ったんだ。姉ちゃは幸せになってくれ、って。そのためなら何でもするって。そったら涙が出てきちゃって、後で1人で泣いたんだ。みんなの前でオラが泣くわけにはいかないもの。だってオラがいなきゃ、ウチの皆んなが困っちゃうもの」

「そうですね。貴女が頑張ったから兄弟たちは元気に暮らせたのですから。誇りに思うべきです!」

 老婆の独演会は尚も続いていた。亜門とリースがげっそりと疲れた顔になっているのに反し、シャーロットだけはにこにこと嬉しそうに話を聞いていた。呆れたレイは首を竦めて藤兵衛の方を振り返った。

「ったく、ボケ老人は困るぜ。おい、クソ商人。すぐに引き上げんぞ。話になんねえや」

「………」

 彼の異変に気付いていたのは、この時点ではレイだけだった。藤兵衛はその細く鋭い目を老婆に釘付けにし、虚ろな表情で瞬きを何度も何度も繰り返していた。レイに肩を叩かれても反応すらせず、彼はただ呆然と立ち尽くしているのみだった。

「そうなの。弟は頭が良くってなあ。今頃幸せにしているに違いね。それでね、いつか皆んなで暮らすんだ。だって昔に約束したの。皆んなで、皆んなの家族も合わせて一緒に幸せに暮らそうって。そしたら藤吉も藤三も、うんって言ってくれて、熊美はまだ小さかったから何も言わなかったけど、みんなで暮らそうって。母ちゃのために立派な墓を建てて、ここで皆んなで暮らすの。でね……」

 その時ガタン、と大きな音を立てて藤兵衛は外に飛び出した。皆はただ怒っているとしか思わなかったが、レイだけが全てを察して外に出た。

 藤兵衛は地面に座り込み、頭を抱えていた。弱々しいその姿からは、いつもの威厳と自信は微塵も感じられなかった。彼は独り言を、ただ自分自身だけに聞こえるように、頭を掻きむしりながら言った。

「……何故、何故じゃ?! 何故今なのじゃ?! どうしてこんなことになるのじゃ!? 儂は……儂は……!!」

「……身内か? てめえの」

 そんな彼の真横にどんと座り込み、レイは空を見上げながら静かに声をかけた。だが何も答えない藤兵衛。暫しの時間が流れ、ふぅと小さくため息をついて部屋に戻ろうとするレイに、彼は縋るようなか細い声をやっとのことで発した。

「……姉じゃ。間違いない。儂の姉の千里じゃ。70年探し続けた。なのに……どうしても見つけられなかった。死んだものと諦めた。自分にそう言い聞かせた。なのに、なのに……」

 再び腰を下ろして、彼の言葉に静かに耳を向けるレイ。だがそれ以上は彼は何も言おうとしなかった。レイはただその空間に、彼が何も言わずとも全身で表現している場所に、束の間だけ一緒に身を浸した。

 やがて、シャーロットたちも外に出た。老婆も、藤兵衛の姉の千里も一緒に外に出た。彼女は吹けば飛ぶようなやせ細った体をふわふわと動かし、畑に向かって朗らかに歌い始めた。

「とうきびは~三角畑の出がらしじゃ~取れても取れても夢のまた夢~。……素敵な歌でしょ? 藤吉がずっと歌ってたの。あの子ったら豊作の年は大はしゃぎして、両手に角みたいにとうきびを持って踊ってたの。オラはそれが可笑しくって可笑しくって。皆んなで一緒に踊ってね、本当に幸せだったのよ」

 無邪気なか細い声が響くにつれ、藤兵衛の顔が更に下を向いていった。時折震えるように身を屈め、彼は何も言わずに突っ伏していた。ようやく異変に気付いたシャーロットが心配そうに駆け寄ったその時、道の向こうからドスの効いた声が響いた。

「おい、ババア! さっさと出てけって言ったろうが!」

 柄の悪い男達が3人、山道からこちらへ走ってくるのが見えた。咄嗟に身構える亜門とレイに反して、呆けた顔でそれを迎える老婆。

「あら! またお客さん! ほんと今日はなんて日かしら。煮物ならあっからすぐに出すんでよ……」

「ナメたこと抜かしてんじゃねえ、この耄碌ババア!」

 男達は喧嘩腰で彼女に叫ぶと、ピリピリとした空気が辺りに漂った。

「お待ちなさい。私たちは彼女と話をしています。後にしてはもらえませんか?」

 シャーロットが臆することなく男たちの前に歩み出た。が、男達は小馬鹿にするようにせせら笑うと、シャーロットの肩を強く押した。

「なんだか知らねえがすっこんでろ! 俺たちはこのババアに用があるんだ。おい、ババア。昨日も言ったろ。3日以内に出てけってよ。これはな、黒龍屋グループとしての決定だ」

「なんだい、勝手なこと言って! ここはオラの家だ! 家族皆んなで暮らす、大切な家なんだ! 兄弟達が帰ってくるまで私が守るんだ! 出て行くのはあんた達だよ!」

「ナメてんじゃねえぞ! どうせ家族なんていねえくせによ。仮にいたとしても、テメエみてえな耄碌ババアのことなんざとうに忘れちまってるぜ、なあ?」

 そう言って下卑た笑いを浮かべる男達、何も言い返せずしゃがみ込んで泣き崩れる老婆。藤兵衛はゆっくりと顔を上げると、忿怒をみなぎらせた表情で、隣の親愛たる侍の肩に手を当てて、一言だけ声を震わせながら告げた。

「亜門……頼む」

「……委細承知にて」

 亜門はつかつかと男達に詰め寄ると、目にも留まらぬ速度で手首だけ動かし拳を見舞った。鈍い打撃音とともに吹き飛ばされる1人の男を見て、彼らは動揺しながらも一斉に胸元から刃物を取り出した。

「て、てめえ! 何しやがる!」

「去ね。さもなくば……殺す」

 腰の大刀を抜きながら、氷のように冷たく言い放つ亜門。歴戦の侍の放つ偽りのない殺気は、多少は修羅場を潜ってきたであろう男達の肝を一瞬で握り潰した。彼らはすぐに後退りすると、中指を立てながら走り去っていった。

「お、覚えてやがれ! 面ぁ覚えたからな!」

「ババア! 次来た時に出てかなかったら、本当に痛い目に合わせるぞ!」

 口々に汚い言葉を吐いて逃げ去る男達。ふぅと息を吐く亜門に、嬉しそうに抱きつくリース。

「さっすが亜門くん! かっこよかったですぅ!(もうちっと情報聞き出せよ童貞が!)」

「はっは! それほどでもないでござるよ。こんなのは朝飯前にて」

「いんや、ビックリしたよ。あんたよく見ると男前だねえ。もしかすると……あんた藤吉かえ?! いんや、間違いねえ。その精悍な顔、間違いなく藤吉だ。藤吉が帰って来た! こうしちゃいられね、すぐに好物作るから待っててけろな」

「お、己はそのような名前ではござらぬ! ご老体、人違いも甚だしいですぞ。それより……殿?」

 心配そうに顔を近付けて藤兵衛を見つめる亜門。いつの間にか彼の側に侍るシャーロットが、目を細めてそっと声をかけた。

「藤兵衛……泣いているのですか?」

「……」

 黙して語らぬ藤兵衛、その横にそっと座り込むシャーロット。彼女は深い慈悲を込めるように彼の肩に手を置き、何も言わずにその場にいた。彼もまた、小刻みに震えながら何も言わず、動こうとすらもしなかった。時間だけが静かに、空をかき混ぜるかのように過ぎていった。


 夜になった。ふわりとした綿菓子のような雲が空を覆い、人々の脳にそっと幕をしていった。小屋の中では老婆の明るい声が、彼女の声だけが鳴り響き続けていた。

「ほんでな、熊美。オメは小さかったから知らねと思うけんど、藤吉はほんに悪ガキでなあ。いっつも悪さばっかして、ほんに困った子だったんだ。それでいっづも近所の茂作と悪さばっかりしてな。それであん時もそだ、村長さの家から柿を山のように盗んできてよ……」

「(この話、いったい何度めでござるか?)」

「(覚えてる限り、3度めだな。いつの間にか俺まで名前変わってるしよ)」

 ひそひそと気まずそうに話し合う亜門とレイ。実に楽しそうに続ける老婆に、彼らは穏やかに対応していた。

「(殿は……まだ外にいらっしゃるのですか?)」

「(ああ。お嬢様がずっと付きっ切りだ。にしても、リースはどこに消えたんだ? まさかあいつ……逃げやがったのか?)」

「(はて。何やら調べものをすると仰っておりましたが、中々戻って来ませぬな。……は! あの華奢でお美しいリース殿のこと、悪漢に絡まれていないか心配でござる!)」

(……やれやれ。てめえはほんとによ)

 夜は更けていった。彼らは今日の宿をここに決めた。決めざるを得なかった。


 外。藤兵衛とシャーロット。

 2人は生暖かい風に晒されながら、寄り添うようにずっと無言で座っていた。時折、藤兵衛がびくんと体を動かすも、シャーロットは横で微笑んでいるだけだった。星が綺麗だった。今にも落ちて来そうな星空の下で、2人は同じ時間を共有していた。

「……月が綺麗ですね」

 シャーロットの優しい声が、冷たい空気の中にぴんと広がった。藤兵衛は静かに、恐る恐るといった感じで頭を上げた。

「……そうじゃな。月なぞまともに見るのは何年ぶりのことかの。海路を進む時ならいざ知らず、普段は金にならぬものなどまるで興味なかったからのう」

 やっとのことでか細い声を出した藤兵衛。そんな彼に穏やかな微笑みを向けるシャーロット。

「少しは……整理がつきましたか?」

「……分からぬ。だが、漸く目は覚めたわ。皆に迷惑をかけてしまったのう」

「その必要はないですよ。皆分かっています。それに、時には休息も必要ですからね」

 大きくにっこりと美しく笑うシャーロットを、藤兵衛はかっと目を見開いて真剣な眼差しで見つめた。

「儂は……お主のしてくれたことを生涯忘れんぞ。お主の誠意と真心、儂は死んでも忘れん。それだけは言うておく」

「あら、どうしたのでしょう? 悪いものでも食べたのですか?」

 ふふ、と冗談めかして笑うシャーロット。釣られて大きく笑う藤兵衛。

「ガッハッハ! そうじゃな、こんなものは儂のタチではないわ。よし、気を取り直そうではないか。……のう、リースよ」

 その声に反応し、背後の暗闇の中で何かが動く音がした。やがてそこから頭を掻きながら、バツの悪そうにはにかむリースが2人の前に現れた。

「どうしたのですか、リース? 帰って来たなら言ってくれれば良かったのに」

「ええ~。でもぉ、わたし2人のお邪魔虫になりたくなくてぇ、だから待ってたんですぅ」

「そ、そ、そ、そんな! お邪魔とかそんなのじゃありません! 私はただ……」

「ふん! 覗きに盗聴とはつくづく悪趣味な女じゃ。それより街で何か情報を仕入れてきたんじゃろう? さっさと吐くがよい」

「やれやれ。落ち込んでたと思ったら、すぐにこんなですかぁ。シャルちゃんも苦労しますねぇ」

「喧しいわ! どれ、シャルや。ちと小屋で休んでおってくれい。この女狐と作戦会議をする故な」

「ええ。くれぐれも無理だけはなさらぬよう」

 すっかり元気な口調になった彼を見て、彼女はにっこりと頷いて小屋に向かっていった。それを見送ってから、リースは大きくため息を吐いて気怠そうにタバコを咥えた。

「お気遣いあんがとさん。とりあえず火ぃくれる?」

「仕方ないの。……ほれ。で、その感じから察するに、何か言い辛いことがあるのじゃろう?」

「つくづく察しのいい男ね。こういう時は助かるけど。じゃあ、順を追って話すわ」

 リースは深く煙を吐き出して、藤兵衛の目の前に堂々と股を開いてしゃがみ込んだ。

「まず、この街道にいる龍のことだけど、村の連中の話では1年前に突如として現れた。そこまではいいわね? 問題はその理由。ここで先ほどの男達は、あんな何も出来ないお婆さんを追い払いたがっている。あまりに不審だから詳しく調べたんだけど、この地では不思議な鉱石が取れるって最近わかったらしいの。っても工業的な価値はなくて、魔法みたいな力を秘めた特殊な石だって。意味わかるでしょ?」

「成る程。精霊銀やそれに準ずる鉱物かの。ならば儂が把握せんかったのも納得じゃて。連中はそれを独占するために、何処からか龍を呼んだ。そう考えるのが筋じゃな」

「そう。その上で新道を作り通行料をせしめた上、ダールに近付く怪しい者をチェックできる、と。よく考えられてるわね」

「……黒龍屋なる者が儂の想像する存在だとすれば、それくらいは容易くやってこようて。他に不審な感じはないか? 今はどんな情報でも欲しいからのう」

 藤兵衛の瞳には熱き炎が宿り、その頭脳は再び激しく回転を始めていた。リースはそれを感じ内心でため息をつきながらも、やや逡巡を顔に浮かべて告げた。

「で、あのお婆さんのことなんだけどね。あまり触れられたくはないだろうけど……」

「構わん。遠慮や気遣いは儂には不要じゃ。情報の正確性を損なう忖度や、主観に基づく推測は全て排除して伝えい」

「あっそ。じゃあ遠慮なく。実は黒龍屋の連中……彼女のこと執拗に調査してたらしいの。それって変よね? 追い出すだけならとっくに出来たと思わない?」

「……ふむ。手の内は読めたわ。儂を知る者からすれば、儂という男が身内を放置できん事は自明。故に罠を張る、と。人を人とも思わぬ手段、“奴”のやりそうな手じゃな。……思えば最初から不自然であった。見知らぬ旅人をこんな場所に遣わした上、待ってましたとばかりに悪漢の登場とくる。間違いなく全て罠じゃな。無為に進めば死。つまり儂らは型に嵌められたということか。ガッハッハ! こいつは笑えるのう」

 悠然とキセルをふかしながら、心底愉快そうに高笑いをする藤兵衛に、リースは苛つきを隠し切れずに思わず怒鳴り付けた。

「笑ってる場合じゃないでしょ! たぶん敵に情報は筒抜けよ。一旦引き返した方がいいんじゃない?」

「仮に退いても、そこに必ず策が刺さるわ。一度下がれば打つ手はなかろうて。そんなに緩い相手ではないわい」

「じゃあどうすんのよ?! このままやられるのを待つっていうの?」

「まあ聞けい。敵は3点ほど見落としがある。まず、この儂が策を張った者を認知しておること。次に、儂らの傘下に貴様がおることじゃ」

「あたし? それが何か関係するの?」

「大ありじゃ。最後に……連中は知らぬ。今のこの儂、東大陸の王たる金蛇屋藤兵衛の真の力をの! よいか、リース。耳を貸せい。まず……それで……としてな、その後……とするわけじゃ。そして……とすれば問題なかろう」

 藤兵衛は邪悪な笑みを浮かべ、持ち得る策を一気に捲し立てた。半信半疑で聞いていたリースもやがて顔色を変え、遂には呆れ果てたように身体を仰け反らした。

「……あっきれた。よくそんなこと思い付くわね。確かにその通り進めば突破口はありそうだけど、普通そこまでやらせる? あたしのこと信頼してないんじゃなかったっけ?」

「確かに貴様の人格はまるで信頼しとらんし、行動も目的も怪しいものじゃが、その能力だけは高く評価しておるぞ。高い能力を持つ者は、正しくそれを行使する責任があるのじゃ。そうじゃ、この偉大なる金蛇屋藤兵衛の導きによっての。大いに期待しておる故、しかと取り組めい!」

 やれやれ、と反論する気も湧かず、ため息を吐きながら髪をかきあげるリース。そんな時、亜門が慌てて小屋から駆け出してきた。

「殿、大変でござる! お姉様がお倒れに!」

 その知らせを耳にするや否や、血相を変えて飛び出す藤兵衛。亜門とリースはそれに続いて、急ぎ小屋の中に駆け込んでいった。


 大陸歴1279年4月。

 金蛇屋藤兵衛の人生の歯車は、数十年ぶりに軋んだ音を立ててゆっくりと、それでいて大きく動き出そうとしていた。

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