第33話「リース=シャガール、かく語りき」
あたしの名前はリース。北大陸はグレイシア国出身の、花も恥じらう乙女の中の乙女よ。今は特別な任務中なので、クソ野蛮なド田舎の東大陸に嫌々来てまあす。お風呂もお菓子もない、どうしようもなくシケた道中だけど、愛するパパ……リースは頑張ってます!
「リース殿、どうされた? 車に揺られて気分でも悪くなったでごさるか?」
あたしが力車の屋根の上で風を浴びてると、童貞侍がへらへらと話しかけて来やがります。本当に騙されやすくて、信じられないくらいお人好しで、ぜんぜん裏表がなくまっすぐで、今んとこあたしの一番大切な……奴隷くんです。
「何でもないですよぅ。実はわたしぃ……いま亜門くんのこと考えてましたぁ。えへへ」
「そ、それは誠でござるか?! じ、実は己もリース殿のことを考えておったところですぞ! いやあ、実に偶然でござった。も、も、も、もしやこれこそが運命というやつでは……」
何とも人懐っこくはにかむ童貞。まったく……顔も性格もぜんぜん悪くないのに、万事この調子なんだからまあ……。
「おい、亜門や。何度も言うが其奴に心を許すでない。奇っ怪な術で何から何まで搾り取られてしまうぞ。おお怖い怖い」
……出たよ。あたしの目下最大の敵。最低最悪の商人、金蛇屋藤兵衛! この腐ったクソ狸のせいで、あたしの計画はずっと狂いっぱなし! ほんとゴミみたいな奴ね。さっさと死ねばいいのに。
「いやだぁ、おじさまったら冗談ばっかり。リース困っちゃう」
「ホッホッホ。困り果てて野垂れ死んでくれればさぞ清々するだろうにのう」
「うっせえなぁ。リースを連れてくのはてめえも納得したろ! ガタガタ言ってんじゃねえ!」
車中から眠い目を擦りながら出て来たのは、半人半獣の美ゴリです。こいつもそこそこのお人好しだから扱いは簡単だけど、クソ狸と違って相当に実力があるわ。万が一こいつを怒らせたら終わりね。
「そうそう。さっすがレイさんですぅ。キレイで強いだけじゃなくて、とっても優しい! わたしレイさんのこと大好き!」
「な、なんだよ。キレイとか照れるじゃねえか。でもリースの方がキレイだぜ。乳もやたらでけえしよ」
「へへ。照れちゃいますぅ。ねえレイさん、今度一緒に下着を買いに行きませんかぁ? わたしいいとこ知ってますから、きっとレイさんに似合うと思うんですよねぇ」
「そ、そうか? あんま興味ねえけど、てめえがそう言うなら……」
「この腑抜けが! 貴様まで籠絡されるとは何事ぞ! こんな見てくれに騙されおってからに! 何がキレイじゃ! そんな見え見えの世辞に騙されるようでは、どうやら脳だけではなく神経まで筋肉に侵食されたようじゃの!」
「うるせえ!! リースを悪く言うんじゃねえ!」
「グェポ!(そ、そっちに怒るのか!)」
日常のように繰り広げられる遣り取り。しかしいつ見ても清々しい気持ちになれるわ。あの憎たらしいクソ狸が血反吐を吐いて打ち震えるのを見ると、身体の芯からすうっとするの。どうやらクソ狸は美ゴリには表立って逆らえないみたいね。これは利用する他ないわ。
「はっはっは。相変わらず仲のよろしいことで。……しかし、先日の窮地を免れたのは間違いなくリース殿のおかげ。殿もそこだけはお認めになられては如何か?」
「ふん。確かにそれは認めるが、一体どこで身に付けたものやら。まあタダ飯を食わしてやる訳にはいかぬ故な。多少は働いて貰わねば罰が当たるわい」
クソ狸の言い方は心底腹立つけど、確かに数日前の襲撃を逃れたのはあたしの符術によるところ。以前からこいつらの周りを、何者かが伺っているのは気付いてた。どうせなら化け物同士やり合わせてもよかったんだけど、任務に支障があっても困るしね。ちょっとだけ小屋の内側の闇力を遮断してやったの。
それにしても……シャーロットの術は常軌を逸していたわ。大地を自在に操り始めたかと思ったら、あれだけの大きさのトンネルを数分で作ってしまうなんて! 見た感じかなり力は弱っているみたいだけど、流石はアガナ様の末裔といったところね。音と闇力はあたしが遮断し、あの忌々しいクソ狸が土砂を移動させてたんだけど……あのデタラメな術はなんなのよ?! 空間移動を自在に行うなんて、どの文献にも載ってなかったわ! デタラメにも程があるわよ!
そういうのも含めて、ほんとにほんとに嫌な奴!
でも流石ね。あたしの話を聞いてからのあいつの決断は早かったわ。即座に情報を整理し計画を立て、何の躊躇いもなくあれだけの規模の作戦を実行したの。周りの連中もそう。皆、口では何やかんや言いながらも、クソ狸のことを全面的に信頼し、迷いの色一つ見せなかった。
……かなりの“強敵”ね。あたしも気合入れてかないと。
「ふああ。しっかしよう、いつまで俺は起きてりゃいいんだ? もう4日も寝てねえぜ。こんな時に襲われたらシャレになんねえぞ」
「ふん。ぶつくさ言うでないわ。体力の可能な限り続けい。賭けに負けた罰とは厳しいものじゃて」
「けっ。カジノ勝負のカタになにが来るかと思えば、てめえにしちゃずいぶんくだらねえ話だぜ。まあこんなんでよけりゃいくらでも……ZZZ」
「言ったそばから寝るでない! おい、亜門。早急に虫を起こすのじゃ!」
「は! かしこまりました! レイ殿、ここは布団では……ハォン!!」
クソ狸の狙いは何となく見えるわ。美ゴリには……何か“仕込まれて”るわ。あたしには見える。闇の胎動を、何者かの意思を感じる。恐らくは意識を失うことがキーになっているようね。
「おい、シャルや! 起きろ! もう虫は限界じゃ。近くの安全な場所で休むとするぞ」
「……ふぁい。私は間違いなく起きてます。だから平気で……zzz」
力車の奥から寝ぼけ眼で姿を現したのは、あたしにとっての目下の標的、シャーロット=ハイドウォーク。腰まで伸びる美しい黒髪、透けるほどの白い肌、憂いを帯びた大きな目。いつ見ても同性でも惚れちゃうほどの美貌ね。これなら男なんて幾らでも騙せそうだけど、どうもそういうタイプでもないみたい。しばらくクソ狸が必死で揺り起こすと、ようやくシャーロットは覚醒して、キリっとした表情であたしらに告げたわ。
「おはようございます、皆様。今日もいいお天気ですね。ご気分はいかがですか、リース? 慣れぬ旅で疲れたことでしょう」
丁寧な口調、他者に対する思いやり、何より独特のカリスマ性。彼女の存在は、あたしが思ってた闇の眷属の印象とはまるで異なるものだった。あたしはどきりとする心をなんとか鎮め、いつもの芝居を続けたの。生きる為に、任務という名の騙し合いを制するための小芝居を。
「ほんとにいい天気ですねぇ。わたしも眠くなっちゃいますぅ。ふわわ」
「まあ、リースったら。それじゃあ一緒にお昼寝でもしましょうか。そろそろ日も暮れますし、もう休んでも差し障りないでしょう」
「ダメじゃ! 先も申したであろう。虫が寝ている間に少しでも進まねばならんのじゃ」
「そうでしたね。しかし……私には、レイに何か術をかけられたような形跡は見当たりません。何がどうなっているのでしょうか?」
「殿を疑ぐるか! 現に己がしかと目にしたでごさる。あの時のレイ殿は、明らかに口調も何もかも違っておったぞ」
シャーロットのふとした一言に、柄にもなく激昂する童貞。なんかこの2人はあんまうまくいってないみたいね。ここも追々利用できたりするかも。でも、彼女はそんなの気にもせずふわりと美しく微笑んで、あいつらに向けて優しく頷いたの。
「ええ、私は藤兵衛と亜門を信じます。私は謀の類は不得手です。だから貴方たちを心から信じていますよ」
「ふ、ふん! 分かればよいのだ。くれぐれも余計な真似をするな」
「その辺にしておけい、シャル。何処ぞの間者が紛れておるとも知れぬ故のう。無垢な振りをして胸元に近付き、陰では舌を出し儂らの情報を売られては堪らぬわ」
それってあたしのこと!? ほんと腹立つ男ね! なんなのあのゴミ! 心底むかつくわ! 任務が終わったら即座にチリにしてやる!
「ふえぇ。よくわかりませぇん。でも、出発するなら早くしましょうよぅ。悪い人が来たら困っちゃいますから」
「ふふ。何も気にしなくていいですよ、リース。今は怖いかもしれませんが、どうか安心してくださいね。私が貴女を必ず守りますから」
……ッ! 思わず素直に返事をしてしまいそうなほど暖かい言い方。蕩けるような笑顔が眩し過ぎる。……いけない! これもこいつのやり口に違いないわ! こんなんで心を許しちゃいけない!
「はぁい。じゃあわたし、シャーロッ……シャルちゃんの陰に隠れてますぅ」
「はい! 私はリースの盾になりますよ! もし私に何があっても、必ず友達は守りますから」
「ふん。死ぬまで出て来ねばよいのにの。さて、間も無く大きめの街に着くぞい。今のところ敵の追手はなき模様じゃ。何とか朝まで休めればよいのじゃが」
「そうですか。しかしレイは暫く起きなさそうですね。それは……残念です。本当に残念ですね。ここは私が、一肌脱がねばなりませんね」
こうして、あたしたちは街道沿いの街に辿り着いた。時刻は夕刻近く。こいつらの旅は暗くなるまでに落ち着くようね。それも当然の話で、シャーロットには常に闇の眷属の手が迫ってる。そう、それがこの娘の宿命よ。神の一族ハイドウォーク家を、眷属を裏切った女の哀れな末路。ただ言い換えるならば、それは彼女があまりにも強大な力を持っているってこと。あたしは警戒し、観察し続けてなければいけない。この力が本国に、アガナ神教に、いやこの世界にとって何をもたらすのかを。
宿に落ち着いてからも連中から緊張感は消えない。
部屋の隅に寝かせられた美ゴリは気持ちよさそうにイビキをかいてるけど、その横でクソ狸と童貞が神妙な顔で見張ってた。なにか異変があればすぐに動けるよう、2人とも獲物を手に構えている。逆に言えば、あたしは動きたい放題ってことだけど。
「ふああ。お腹空いちゃいましたねぇ。わたしちょっと買い物でもしてきますよぉ。レイさんが寝てるんで、たまにはわたしが料理でもしますねぇ」
「余計なことをするでない! 毒でも入れられてはたまったものではないわ!」
「まあまあ、殿。リース殿の料理は絶品でござるよ。それに……己は嫌な予感があり申す。レイ殿の不在、動けぬ己ら、そして妙に張り切っている魔女。この符丁がもたらすものは……殿ならお分かりでありましょう?」
「……ッ!! わ、儂としたことが不覚じゃった! おい、女狐! 先程の発言は取り消す。全面的に謝罪しようぞ。幾ら金がかかっても構わぬ故、直ぐに食事の準備に取り掛かってくれい! この金蛇屋藤兵衛、一生の頼みじゃ!」
ん? 何のことかさっぱり分からないけど、とにかく飯を作ればいいのね。まあ美ゴリ程じゃないけど、多少は嗜みはあるわ。連中に借りを作っておくのも悪くないし、そもそもお料理は嫌いじゃないしね。
「わかりましたぁ。リース頑張っちゃいますぅ。あ、何かリクエストはありますかぁ?」
「己は以前作ってもらった、どうなっつとやらを食べたいでござる! 甘くてほくほくしていて、思わず頬が落ちそうになり申した」
「儂は何でもよい。ただ、くれぐれも内密にの。シャルにだけは勘付かれてはならぬ故……」
「何を……仰っているのですか?」
その時、入り口の扉が勢いよく開き、無表情のシャーロットが立ってたの。手には見たこともない野草や土の塊、球根、泥のような液体をビンに山のように抱え、肩で息をする彼女は、いつもとは少し違って見えたわ。
けど、男たちはそれを見て妙な様子になったの。伏せ目がちになり、全身を震わせているようだった。今から何か怪しい呪術でも行うのかしら?
「ず、随分と刺々しいのう。儂らは何も隠してなぞおらぬぞ。のう、亜門や」
「そ、そ、そ、その通りでござる。ちと殿と積もる話をしていただけでござるよ。は、ははははは!」
明らかに不審な2人に、突き刺すような視線を向けるシャーロット。あたしまで背筋が凍るような冷たい視線! これがこいつの本性なのかしら?
「……そうですか。まあよいとしましょう。それより、聞いてください! 今日はレイが休んでいますので、私が直々に料理を作って差し上げます! 材料もほら、この通り調達して参りました」
得意げに胸を張ったシャーロットに反し、無言で俯いた男連中。まったく……なんなのかしら? ぜんぜん意味わかんない。
「そのことじゃがの、シャルや。実はその……お主に手を汚させる訳にはのう……」
「私の料理が食べたくない、とでも?」
「い、いや、違うぞ! 実は……ほれ、そこの新入りが、どうしてもお主の為に料理を振る舞いたいと申してのう。儂も止めたのじゃが、お主に対しての恩義を返したいと頼み込まれ、渋々許可したところだったのじゃ。故に、シャルはまたの機会ということで……」
「本当ですか、リース! ならば私と一緒に作りましょう。私だけでも一流シェフ並みだというのに、リースが加われば鬼に金棒です! 一緒に皆の力になる料理にしましょうね」
「お、おい! リース殿は魔女の甘言になど乗せられん! 貴様は大人しく座して待つがよい」
「なんでですかぁ。楽しそうじゃないですかぁ。もちろんいいですぅ。楽しみぃ!」
ガクン、と奴らが沈み込む音が聞こえたわ。何だか知らないけど、バカどもはシャーロットの料理を食べたくないみたいね。ま、ちょっと下手なのかもしれないけどさ、食べられないほどじゃないでしょ。まったく大げさなんだから。
「それでは買い出しに行きましょう、リース。私はまだ欲しい材料が山ほどあるのです」
「ええ。それじゃあ出発ですぅ。亜門くん、おじさま、後はよろしくねぇ」
あたしたちはそう言い残して街に出かけたわ。縋るような念が背後から迫ってたけど、あたしの知ったことじゃないわ。それに街に出れば、本国に連絡する隙もあるだろうしね。どうせ警戒するほどのことは起きっこないわ。
と、思っていたのは数分前まで。あたしは今、この上なく困っています。何をって? ……決まってるでしょ! あのバカ女のことよ!
「見て下さい、リース。あそこに牛さんがいます。一つミルクを頂くとしましょう」
「ああ、シャルちゃん! 勝手にそんなことしちゃダメですよぅ! ……違う! そのまま飲んじゃダメ! すみません、わたしの連れが勝手なことを……」
「ご馳走様でした。実に美味しかったです。あ、今度は楽しそうな小屋がありますよ! 是非中を覗くとしましょう!」
「そ、そこは絶対見ちゃダメ! 大人の人だけしか入っちゃいけないの! ……ああ! なんで服を脱いでるの! 興奮しすぎよ!」
「とても素晴らしい物語でした。私は心から感動しました。少し眠くなって来たので、私はここで休みますね」
「な、なんで道端で眠るのよ!? とにかく早く服を着て……ああもう! さっさと行くわよ!」
つ……疲れる。なんて自由な女なの。目を離すとどこへ行くか分かりはしないわ。これじゃ任務の時間なんか持てやしない。買い物だけはなんとか済んだものの、そろそろ帰らないと怪しまれちゃうわ。
「シャルちゃん、そろそろ帰りましょうよぅ。皆が心配してますからぁ」
「ちょっと待って下さい、リース。……これをどうぞ」
にこやかに美しく微笑んであたしに何やらを手渡したシャーロット。その手の温度を感じながら、あたしはそっと手を開いたの。そしたら、そこにあったのは、銀メッキされた安っぽい小鳥の髪飾りだった。
「こ……これ、もらっていいの? どうしてわたしに?」
「もちろんです! リースは私の初めての女友達ですから。藤兵衛と亜門は男ですし、レイは男なのか女なのかよく分かりません。私はリースに出会えて、リースと仲良くなれて本当に嬉しいです。だからもっと仲良くなりたくて、自分のお小遣いで買いました。リースが喜んでくれるといいのですが」
そう言って太陽のように美しく笑うシャーロット。正面からそれを見つめられず、何となく下を向くあたし。短い時間しか経ってないけど……直感で分かる。こいつは嘘をついたり、人を騙したりするような奴じゃない。本当に、心の底からあたしに親愛を感じているんだろう。今までの人生で、こんなに真っ直ぐに思いをぶつけられたことなんて、一度だってなかった。欺瞞と某略の中でずっとずっと生きてきた。それなのに、こんな……化け物が……
あたしは無言でそれを掴むと、そのまま頭の横のところにきゅっと結び付けた。そして、ぎこちなくだけど、シャーロットの気持ちに応えられるよう、ゆっくりと微笑んでみたの。
「……どう? 似合うかな?」
「すっごく似合います! ただでさえ可愛いのに、最高に素敵になりましたよ。亜門が好きになるのも無理はありませんね」
「……ありがとう。嬉しいよ。……シャルちゃん」
「ふふ。こちらこそ喜んでもらえて何よりです。私は友達がとても少ないので、貴女がいてくれて本当に嬉しいのです。これからもよろしくお願いしますね、リース」
「……うん。ありがと、シャルちゃん」
言った後で気恥ずかしく顔が赤くなっちゃったあたし。どうにも調子が狂っちゃうな。ほんと……今日のあたしはどうかしてるわ。
一方、宿舎内。
高いびきをかくレイを囲むようにして座り込む藤兵衛と亜門。一向に目覚める様子のないレイを気遣ってか、今から待ち受ける試練を思ってか、2人の間には重い沈黙が広がっていた。
「……」
「……」
ふと目が合った2人だが、すぐに気まずそうに目を逸らした。藤兵衛は間を保たせる様にキセルをふかし、目を細めてレイのことを見やった。
「……しかし、これで本当によかったのでありましょうか?」
重い空気の中、亜門がおずおずと口を開いた。藤兵衛はふんと一声唸ると、煙を輪にしながら吐き捨てた。
「言わんとする事は分かるが、他にどうせいと? この国はミカエルとやらの本拠地。この状況で虫を放置するのは危険過ぎるわい」
「確かにその通りでござる。ですが、このままでは己らの道中にも障りまする。それに……レイ殿は真実を知ってどう思うでしょうか?」
「……そうじゃな。虫は極めて脳味噌が足りぬ分、シャルへの忠誠心のみが発達しておるからのう。自分が足を引っ張り、危険を招いておる状況なぞ耐えられまい。ミカエルがいるであろう首都ダールまでは、どんなに早く見積もっても一月。強行軍は現実的には不可能じゃな。シャルが万全ならば手はありそうじゃが、今の状況ではそうもいかぬ。今度ばかりはこうする他に策はない。やれやれ、情けない話じゃ」
再び押し黙る2人。数分後、何かを思いついて口を開いたのは亜門だった。
「その……あくまで案ですが、リース殿の力を借りてはいかがでしょうか? あの力は魔女めの術とは真逆のもの。きっと何か役に立つ技術があるのではないでしょうか?」
「正気か? 敵か味方かもわからん怪しい者を信じろと? 儂らの命運をあの女に託せと?」
「心配ありませぬ! 己の人を見る目は確かにござるよ。きっとリース殿は心強い味方にて」
胸を逸らし快活に笑う亜門を見て、深く大きくため息をつく藤兵衛。彼はキセルの灰をぽんと床に落とし、鋭い眼で正面から亜門を見据えた。
「……やれやれ、降参じゃ。お主と話していると馬鹿馬鹿しくなるわい。虎穴に入らずんば、とも申すしの。仕方ない、女狐めが帰ってきたら相談してみるかの」
「さすがは殿! 冷静なご判断に感謝いたしまする。『王たるもの天狗を斬りてその鼻で桃源に至る』秋津の格言にござる。なあに、心配は要りませぬぞ。己は第一印象で人を大体見抜けますゆえ。リース殿は善人、これは間違いありませぬ!」
「何時もながら何じゃその格言は! ……ところで、その第一印象とやらで、この儂はお主の瞳にどう映った? 気にせず申してみよ」
「はっはっは。それはもちろん……この上ない極悪人に見え申した」
にっと朗らかに笑う亜門。少し遅れてから弾けるように笑い転げる藤兵衛。
「ガッハッハ! それなら間違いなかろうて。大分信憑性のある見立てではないか。仕方ない、儂もお主に乗るとしようかの」
その時、家の外から待ち人の声が聞こえてきた。明るく楽しそうに笑い合う声を耳にし、藤兵衛と亜門は目を見合わせて現実を直視した。
「そうじゃ。忘れておった。『あれ』があったの」
「ええ。乗り越えねばなりませぬな。殿、お付き合い致しまする」
震える手でキセルに火を付ける藤兵衛に、両手で頬を叩く亜門。彼らの試練はこれから始まろうとしていた。
「はい、できましたぁ。リース特製の魚介サラダにスペアリブ。デザートにドーナツもありますよぅ」
「これはいつにも増して美味そうな! いただきますでござる」
ずらりと並ぶ料理に貪りつく亜門くん。ほんといい食べっぷりね。そういうとこ嫌いじゃないわ。けど……その様子を疑わしそうに横目で伺うだけのクソ狸。こいつほんとにいい根性してるわ。
「ひゃあ、美味い! やはりリース殿は料理も一流でござるな!」
「ふふ。ありがとうございますぅ。あれ、おじさまは食べないんですかぁ?」
「亜門が食して、1時間後に死なずば食べるとしようぞ。それより……シャルの料理の方はどうなっておる?」
「へへ。実は、これみんな2人で作ったんですぅ。ね、シャルちゃん?」
「ふふ。そうなのです。本気を出した私たちの力を見て下さい!
嬉しそうに台所から得意げに顔だけを出したシャーロット。ったく、これだけ見ると恐ろしい魔女とは思えないわ。だが男連中の態度は違ってた。心底驚ききったって表情で、奥に引っ込んだシャーロットと料理を交互に何度も見つめてたわ。
「バ、バカな! あの魔女がこんな美味い料理を?! そんな道理がある訳が……」
「ち、ちょっと儂にも寄越せい! ……本当じゃ。美味じゃて。貴様……どんな術を使ったのじゃ?! こんな事は絶対に有り得ぬわ!」
「なんにもしてないですよぅ。一から一緒にやってみただけですぅ。細かい作り方さえ教えれば、シャルちゃん手先が器用だし、何も問題ありませんでしたぁ」
「か、神がおるわ。いやはや、この金蛇屋藤兵衛感服の極みじゃ。今宵の儂らの命は、貴様に救われたようなものじゃて」
何大袈裟に言ってんだか。どうせいつも通り小馬鹿にしてるんだろうけどさ。やっぱ生理的にムリ! たしかにこの子は、お世辞にも料理上手とは言えないけどさ、あたしの助言にとても素直に従ってくれたわ。何をしても褒めてくれたし、出来を味見して子どもみたいに喜んでた。なんか……妹が出来たみたいな感じね。年だけで言ったら逆なんだけどさ。
「いやあ、実に美味かったぞ。大儀であった、女狐よ」
「そんなに褒められたら光栄ですぅ。レイさんには負けるけど、わたしもたまになら作りますよぅ」
「いやはや、流石はリース殿。改めて惚れ直しましたぞ」
ったく、男ってのは単純ね。胃袋掴めば、ってやつ? まあ嫌な気はしないけどさ。
「して、何故シャルはこちらに来んのじゃ? 何か不具合でもあったか?」
「それがぁ、どうしても自分だけで一品作るって言ってぇ。あ、もちろん作り方は教えましたよぉ」
ガタリ、と勢い良く立ち上がるクソ狸と童貞。その場を立ち去ろうと早足で逃げるその背に、シャーロットの朗らかな声が響いたわ。
「出来ましたよ、リース! 教わった通り作ったら、美味しそうなドーナッツが出来ました! さあ、皆で食べましょう」
「……」
「……」
急に無言になる2人を見て、あたしはだんだんイライラしてきたわ。さっきからさ、ちょっと失礼すぎるんじゃないかしら。シャーロットは皆のことを思って頑張ってるのに、こんな露骨に嫌そうな態度で! ほんと頭くるわ。
「2人とも食べないなら、わたしが全部食べちゃいますぅ。ほんと美味しそう!……?!」
山盛りのドーナッツを手に取った瞬間、あたしの直感が全力で告げていた。これを食べてはならない、と。けどすぐに振り払うあたし。だって気のせいに決まってるわ。レシピも作り方もぜんぶ一から教えたんだから、下手なことになるはずがないんだから。確かにほんのり紫色をしてるけど、いや、かなり派手に紫そのものだけど、色だけで判断するのはよくないわ。それより……この表面にかかってる黒いものは何かしら? 粉砂糖をかけるように言っておいたんだけど……なにやら微妙に動いてるような気もするんだけど……。ま、まあ全部気のせいね。さっきから持つ手が痺れてきてるのも全部気のせい! さあ、いただきましょう。
「リースに教わったものをただ出すだけでは弟子として失格ですので、私なりに手を加えてみました! 秘密の隠し味を幾つも入れましたので、もしかするとリースを超えてしまったかもしれませんよ」
オッケー、知ってる。あたしももう分かってる。こいつに悪気なんてものは微塵もない。あたしは2人をちらりと振り返ってから、おもむろに“これ”を口に運んでみた。揚げたての衣のサクサクとした感触が堪らない……はずなんだけど。どうしてだろう? なんで歯が刺さらないんだろう? 何度か試してみたけれど、固すぎて歯型しか残らないの。
「あれ? ちょっと揚げ過ぎちゃいましたか。うーん、なかなかうまくいかないものですね」
そういうことでは明らかにない……わね。あたしはノコギリのように歯を何度も何度も動かして、やっとのことでひとかけらを口の中に入れられた。その瞬間、悪寒が脳天から子宮まで突き刺さったの。それはまずいとかそういうレベルじゃなくて、迫り来る死の予感。昔、訓練でドクツルタケを食べさせられた時と同じ気持ち。
それでもあたしはちゃんと噛んだ。正確に言えば、噛み砕いた。なんとも言えない不思議な気持ち。頭の芯が痺れるような感覚の後、時間差を置いて襲いかかる渋み、苦味、痛み、苦しみ。
「!!!!!」
あたしは叫んだ。声にならない思いを全力で表現した。なんなの、このクリーチャーは? 闇の眷属よりも悍ましい! しかも……いつになったら飲み込めるのこれ?! 一向に唾液を吸収する気配がないんだけど!
「……」
「……」
男連中の憐れみの視線が痛いほどに突き刺さる。でも、あたしは飲み込んだ。無理矢理に、とにかく早く、強く!顔を真っ赤にしながら、なんとか胃の中に押し込んだ。明日のことなんてどうでもいい。本当に頑張ったあたし!
「ああ、美味しかった。お腹いっぱいですぅ」
「まあ、リースったら。まだまだいっぱい残っていますよ。でもその小さな体では仕方ないですね」
「ええー。でも勿体無いですぅ。あ、そうだ!残りはそこの2人に食べてもらいましょうよぅ」
いきなり話を振られてピクンと反応する2人。そしてら満面の笑みを浮かべるシャーロット。
「そうですね! せっかくだから2人に全部食べてもらいましょうか!」
「そ、その、己は……お腹がそんなに……(リ、リース殿! ご無体な!)」
「(ふん! 貴様がそう動くのは読めたわ)そうじゃな、では遠慮せずに頂くとしようかの」
と言ってかぶりつこうとするクソ狸。……甘いわ。あんたの考えはお見通しよ。想像通りの動きをしようとした狸は、“ドーナッツ”を持つ手を口の前でぴたりと止めたわ。
「どうしたのです、藤兵衛? 早く食べてください。私は貴方たちの為に作ったのですよ」
「いやあ、その気持ちが有難すぎての。中々口に運べんわい(な、何故転移の術が使えん? まさか……あの女狐めの術か!)」
ふふん。あんたの座る座布団の下にはあたしの術符が仕込んであるわ。どうせロクでもない術を使うだろうと予め用意していたのが、まさかこんな形で役に立とうとはね。
「さあ、どうしたのです? 遠慮なく食べなさい、藤兵衛に亜門。さあ!」
「う、う、う、ウムムム!!!!」
「オェェェェエ!!!!」
こうしてアホ2匹の絶叫が部屋中に響いたの。亜門くんには申し訳ないけど、大っ嫌いなバカの喚きってなんて素敵なのかしら。あたしはのんびりとお茶を啜り、ひたすらに口の中を洗い流し続けていたわ。
1時間後。
部屋にはクソ狸とあたししかいなくなった。美ゴリはまだぐうぐう寝てるし、シャーロットは台所で後片付け、童貞はなんか外で吐き続けてるみたい。なんかこいつと一緒だと空気が重いわね。会話なんて当然ないし、媚び売ったって意味ないから、あたしからも何も言わなかった。でもそんな中、意外にもクソ狸の方から普通に話しかけてきたの。
「おい、女狐。ちと話があるのじゃが」
あたしはその声を聞いて思わず身構えたわ。どうせロクでもない話なんでしょうしね。
「ええ~。おじさまから何かあるなんて珍しいですねぇ。どうかしたんですかぁ?」
「そんな不自然な話し方をせんでもいい。今は儂しかおらぬ。普通にやれば良かろう」
はいはい。そうですね、と。あたしは胡座をかいて座り直し、巻きタバコを懐から取り出したわ。
「じゃ、遠慮なくそうさせてもらうわ。で、なに? あ、話の前に火貸してくんない?」
「やれやれ、いきなりじゃの。貸してやりたいところじゃが、何故か術が使えぬ。どうせ貴様の仕業じゃろう?」
あたしは無言で座布団を指差した。狸はすぐに全てを察して、不機嫌そうに放り投げたわ。
「こんなものを仕込んでおったのか! まったく油断も隙もないわ。ほれ……『マグナ』!」
あたしが咥えた巻きタバコの目の前に、闇術により火が灯された。あたしは久方ぶりの紫煙を思い切り味わった。ああ、身体に染みるわあ。っても普通のヤニとはぜんぜん違う、地元で取れるハーブを詰め合わせた薬膳みたいなもんだけどね。
「……はぁ、美味しい。しっかし闇の力ってのは便利なもんね。あたしらの術とは系統が違うからさ」
「アガナ神教の光の術、か。かつて何度か目にしたわ。高位の術者とならば国一つを光に包めるともな」
「言い過ぎよ。ま、教皇猊下ならそれも可能かもしれないけどね。闇に対抗するための力といや聞こえがいいけど、結局は戦道具よ。で、どうしたの? あたしになんか用?」
「実はの、貴様のその力を見込んで相談があるのじゃ。話せば長くなるがの……」
クソ狸は理路整然と今までの経緯、今後の危険性を述べた。まあ大体は想像通りね。ゴリに仕掛けられた術のせいで、居場所を特定される彼らはまともに行動することができていない。これを何とかしないとこの先に進めない。非常に端的で分かりやすい説明で助かるわ。
「……よくわかったわ。方策はあるにはあるけど、リスクもかなり大きいわね」
あたしは懐から数枚の符を取り出した。そんな中、狸は眉を顰めてあたしの目を注視していた。まるで目の奥まで見通すような鋭い目付き。明らかに不審をあらわにしちゃって、そっちから頼んでるのにめんどくさい男ね。ほんと大っ嫌いだわ。
「それは……先程座儂の座布団に貼ってあったものじゃな? 闇力を阻害する術理と考えてよいのかの?」
「ご名答。細かい説明は省くけど、正確には符自体ではなく、ここに刻まれた術式に意味があるの。これをレイの身体に縫い込めば、闇の力の関与を防ぐことができるわ」
「成る程の。じゃが“関与”という事は、虫が放つ力そのものも損なわれる、それが貴様の言う危機要因かの?」
「話が早くて助かるわ。そうよ。レイ自身の闇力もまた、術によって無力化される。それでもいいなら幾らでもやってあげるけど。1時間もあれば仕込めると思うわ」
そこまで言うと、キセルを咥えたまま考え込むように視線を落とすクソ狸。その心中には明らかな迷いを浮かべていたわ。つくづく不思議な男ね。冷静で油断ない現実主義者でありながら、その反面、人の感情に寄り沿った思考経路を常に忘れない。ほんと理解出来ないわ。
「……やはり虫への説明をせねばならんか。いきなり力を奪うわけにもいくまいて。しかし何と説明すればよいものか……。それに、いざ闘いとなった時に、虫の力がないのは大問題じゃて」
「封印には時間かかるけど、解除は一瞬よ。まあ闇力空っぽだからすぐには戦えないだろうけど。どうせなら正直に言えば? あなたには疑わしいところがある、って」
「それが言えれば苦労はないわ。虫のシャルに対する忠義は本物じゃ。それが、形上だけとは言え裏切っていたと知れば、単細胞なりに衝撃は大きかろうて」
「ふぅん。“あの”金蛇屋藤兵衛が、まさかのヒューマニストとはね。ほんと笑えるわ」
「ふん! 何とでも言うがよい。儂は儂じゃて。……此奴のことは出会った頃から大嫌いじゃし、出来れば早急に死んで欲しいと思っておるが、シャルへの思いだけは裏切らせられぬ。何とかこっそり出来ぬものか……」
「……いいよ。なんも気にすんな」
その声は目を閉じたままの美ゴリの口から、確かな覚悟と共に放たれたわ。驚いて急ぎタバコの火を消したあたし。けど何も気にすることもなく、レイは言葉を続けたの。
「貴様……話を聞いておったのか?」
「てめえらの声がデカくてな。ま、お嬢様の料理を食わずに済んだだけよしとするか」
「あのぉ、レイさん。これはそのぉ……」
「リース、やってくれ。実は俺は……気づいてたんだ。自分がおかしくなる瞬間があるってな。あの時フィキラにも言われたよ。変なモンが俺の中に存在している可能性が高いと。そもそも俺は……造られた生命であろうと」
「……」
「俺は……怖くて言えなかった。お嬢様を裏切ってるかもしれねえ、敵の手先かもしれねえ今の自分から目を背けてた。けどよ、それじゃダメだ。そろそろ現実を見ねえとよ」
「よし、そうと決まれば善は急げじゃ! 頼んだわい……リースよ」
「……ええ。ただし、貸し1つよ」
あたしは迷わなかった。……どうしてだろ? 未だによくわかんないわ。でも、あの時は思ったの。こうすべきが正しいことだって。ウチの教祖様はかつてアガナ様に救われ、彼女の為に全てを捧げたというわ。そんな迷信どうでもいいけど、ただあたしは……あの時そう思ったの。あたしの力で、彼女を救いたいって。
「んじゃ隣の部屋でやってくれや。このクソに裸見られるなんざ屈辱の極みだからな」
「ふん! 貴様の薄汚い裸体なぞ金を積まれても見たくないわ! そもそも下等生物の乳を見たとてじゃな……」
「うるせえ!!」
「グェポ!!」
こうして、あたしはレイの身体に符を刻むことになった。部屋でうつ伏せで横たわる彼女は、その美しく引き締まった身体を露わにし、のんびりと灸でも据えられるように落ち着いていたわ。
「じゃあ、いきますねぇ。ちょっと痛いけど我慢してくださぁい」
「ああ、痛えのはなれっこだ。テキトーに頼むわ」
その言葉を裏付けるように、彼女の身体には無数の戦傷が刻まれていた。無事な場所なんてどこにもない。長年に渡る戦いの歴史を雄弁に物語っていたわ。こんなの……いくらあたしでも見たことがない。祖国の戦士たちにだって決して負けてないわ。そんなボロ布のような姿のレイを見ていると、また何かが心の中から込み上げてくるようだった。
「あ? どうした? ははあ、さては腹でも減ったか? お嬢様のメシじゃ食った気なんてしねえだろ。終わったらうめえの作ってやるからよ、申し訳ねえが今は集中してくれや」
「……レイ。あんたどうしてそこまでするの? シャーロットのためにどうしてここまで? 闇力まで封印されて、一時的とはいえ無力な存在になるのよ! 死ぬかもしれないのよ! それにどうしてあたしを信じられるの? ……どうして?」
苛立ちにも似た思いをそのままぶつけた、あたしの心からの問い。でもレイは……笑ったの。信じられないほど整った貌をくしゃりと歪ませて、まるで全身から湧きあげるような笑みで。
「さてね。なんでだろうな? リース……俺はな、お嬢様や亜門のようにおめえを全面的に信じちゃいねえし、かと言ってクソ商人みてえに頭から疑ってるわけでもねえ。でもよ、俺はお嬢様を信じてる。あの方がやること、なすこと、考えることを信じてる。だから、あの方が信じたものもまた信じて、んだから亜門やおめえのことも信じる。ただそれだけだよ。亜門が言うんだから、俺はなにやら妙なことになってるんだろうし、それを抑えられるのがリースだと言うのなら、それも信じる。理解してもらえっか?」
「……あたしには分からないわ。なぜ人をそこまで信じられるの? あたしが悪意を持ってたらどうするつもり? 昨日今日知り合ったばかりのあたしのことを……どうして?」
「へっ。そんときゃそんときだ。あのクソ商人がなんとかしてくれんだろ。俺はあいつが大っ嫌いだし、出会ってから今まで変わらずゴミみてえな人間だとは思ってるし、できればぶっ殺してやりてえと思ってるが……自分でやると言ったことだけは、絶対にやり遂げる男だよ。ゲス極まりねえやり方だし、思想は全く賛同できねえけどよ。ま、そういう奴さ」
何かがあたしの中で揺らぐ。あたしがここにいる意味、何のためにこいつらに近付いたのか、それすらも朧になっていく。
闇に浸るもの、即ち即断ずべきもの。ずっとそう教わってきた。ずっとそう信じていた。しかし……今、目の前にいるこいつらは何なんだろう? あたしが祓うべきもの、あたしの力はどこに向けるべきものなのだろう? あたしはそう深く自問した。それがすぐに答えなんて出ないと分かっていても、それでも。
神代歴1279年4月、少し蒸し暑い夜。
あたしは自身の道を見失いそうになりながらも、1人の女性に符を刻んでいった。外から聞こえる虫の音は、あたしの姿を笑っているようにずっと響いてた。
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