第1部 戦いの挽歌〜戦士の国セイリュウ〜
第4話「金蛇屋藤兵衛、かく語りき」
儂の名は金蛇屋藤兵衛。名実共にオウリュウ国随一の大商人であり、東大陸にその名を轟かす偉大なる男じゃ。覚えておいて損はないぞよ。この世の栄華と富を独占した儂じゃったが、ひょんなことから全てを失い、とんだ偶然から不老不死となり世界を旅する78歳(肉体年齢18歳)じゃ。
この場を借りて、儂の身に降りかかった一連の未曾有の災難について、余すことなく伝えておこうと思う。儂のような善良で無力な市民が、如何に理不尽かつ無惨に虐げられた生活を余儀なくされているか、過酷な現実の一片でも伝えられたら幸いじゃて。
「おいクソ商人! 気合入れてちゃっちゃと引けや! このままじゃ日が暮れちまうぞ!」
「喧しいわ! 今やっておるところで……グェポ!!」
お聴きいただけだであろうか。今、儂の隣で理不尽な暴力を振るう悪漢が、目下の一番の天敵じゃ。名は何と申したか……確かゲロとかデクとか、その種の忌まわしき響きであったかと記憶しておる。まあ昆虫並みの知能しか持ち合わせておらぬ下等生物故、今後は虫と呼ぶことにしようぞ。
この憎っくき虫めは、常日頃より儂に対する態度が必要以上に苛烈じゃ。底辺の者ほど神経張り詰めるは世の常じゃが、虫はそれだけでは説明がつかぬ異常者じゃ。何かと言えば即座に暴力を振るい、自分の意のままに振舞おうとする。儂のような気の弱い穏やかな人間は、はいはいと頭を垂れることしか出来ぬ。今も虫は拳を振り回しながら、哀れな儂に力車を引けなどと怒鳴り付けておる。彼奴めは野蛮極まりし原始人であり、十分過ぎる程の体力を持ち合わせておるのに、じゃ。これだから知能低き者とは付き合っていられぬ。
故あって儂らは、昼間の一定の時間しか移動が出来ぬ。それにも関わらず、虫は1日に40キロも力車を引けと当然の様に主張しおる。本人は一切それに関与せず、適当に道草を食っておるにも関わらず、じゃ。もし反抗の意を示したり、目標を達成出来ねば、容赦のない鉄拳が振り下ろされる。これを暴挙と呼ばずして何と呼ぼうか! 奴隷でもここまで屈辱的な扱いは受けぬ筈じゃて!
「おいクソ商人! 今日中にオンブロに着かねえと縛り首だかんな! わかってんだろうな!」
「ふん! 上等じゃわ。やれるものならやってみい。まあ貴様ほど脳が軽ければ苦しまずに済むじゃろうがの」
「うるせえ!!」
「グェハ!!」
ご覧の通り、少しでも言い返すとこの始末じゃ。しかも此奴の膂力は並ではない。脳味噌と人間性は下等な虫並みじゃが、その分だけ筋力と運動神経が野生の猛獣並みに発達しておる。何処をどうしたらこんな生き物が誕生してしまったのか。まったく……一度親の顔を見てみたいものじゃわい。
「だめですよ、レイ。無闇に暴力など振るっては。人は皆、愛によって生きるのですから」
起きた! やっと目が覚めおった! わざわざ大声を上げたり、段差の多い道を通った甲斐があったわい! これで形勢は逆転じゃ!
この女は虫めの飼い主で、シャーロットとかいう女じゃ。世界を守るだの愛を満たすだの、噴飯ものの妄執に取り憑かれた尋常ならざる狂人での。見た目こそ年若き美女じゃが、此奴は正真正銘の魔女じゃ。儂が不老不死という呪いをかけられたのも、此奴の悪しき企みによるものじゃて。いつも笑顔で綺麗事を抜かしておるが、腹の底では何を考えておるのか分からぬ。大体において、偽善者など碌な者ではないというのが世の道理ぞ。しかし今の儂の過酷な状況に於いて、忌まわしき虫に対抗するには、此奴の存在に頼るしかないのが現実じゃ。
「お、お嬢様! お休みではなかったのですか? これはその……新入りへの教育の一環でして……」
「嘘をおっしゃい。仲良しはよいことですが、あんなに強く殴る必要はありません。どうやら貴女にも教育が必要なようですね。明日の朝、楽しみにしていなさい。新術の実験台になってもらいます」
「!? そ、それだけは、それだけは勘弁してください! なんでもしますから!」
「電気と水、それだけは選ばせてあげます。ではお休みなさい、藤兵衛にレイ」
ウヒョーッヒョッヒョッ! 何たる痛快、何たる愉悦か! 臓腑の底から笑いが止まらんわい! この虫はシャーロットだけには逆らえぬようじゃ。状況さえ整えば斯くの如しよ。
しかし……難点は2つ。頼もしき魔女は、1日の殆どを眠って過ごす。儂のような勤勉な市民からすれば考えられぬ愚行じゃが、本人も虫も全く気にする様子もない。つまりは、あの阿呆の悪行を報告する隙がほぼ存在せぬのじゃ。無理矢理起こした結果、機嫌でも悪くされたら堪ったものではないからの。
「おい! てめえのせいでまたお仕置きだ! ふざけんじゃねえぞ!」
「ふん! 全ては貴様の行いが招きし……グェパ!」
もう1つの難点がこれじゃ。この虫は憎たらしいことに、シャーロットから受けたストレスを儂に直接的にぶつけてくる。つまりは、幾ら言付けた所で、状況は日に日に悪化していくだけなのじゃ。……おお、何と救いのない話であろうか! 何の曇りもない、生まれたての子羊のような清き心を持つ儂が、何故ここまでの艱難辛苦を味あわなければならんのじゃ。
日が落ち始めると、儂らは行軍を止めて宿泊の準備に取り掛かる。今日は街道沿いの林の中で野宿になってしもうた。日中の重労働のせいで、この時間にはもう身体は動かぬ。思わず地べたに倒れ込んだ儂を蹴り飛ばしながら、虫が忌々しそうに吐き捨ておった。
「……ったくよ、てめえのせいでまた野宿じゃねえか。いつになったら街に着くんだ!」
「戯けが! 全て貴様の不適切な道案内のせいじゃろうが! 街道を東に直進するだけじゃのに、一体何をどうしたら真北に進んでおるのじゃ! お陰で半日は遠回りしたわい!」
「あ? 気づいてたんなら先に言いやがれ! このクソ野郎が!」
「儂は何度も止めたじゃろうが! あの街道は金蛇屋が手掛けた事業によるものぞ。万に一つも間違いは有り得ぬと何度も申したのに、力尽くで言う事を聞かせたのは貴様じゃ! 脳も能も足りぬ木偶がこの儂に意見しおって!」
「んだと! ほんと口ばっかのうるせえクソだぜ! ごちゃごちゃ言ってるヒマあんなら、さっさと今日の食材を集めてきやがれ!」
「グェポ!!」
不愉快極まる事じゃが、いつの間にか儂はこの旅の食料集め担当になっておった。料理だの洗濯だのは虫が率先して行い、驚くべきことに極めて精緻で手際がよい。いやはや、どんな野糞にも取り柄はあるものじゃのう。疲れた身体に鞭打って、山野を駆け巡るは中々に骨ではあるが、儂だけ何もせぬ訳にもいくまいて。働かざる者食うべからず、虫なぞに怒鳴られるは心底不快じゃが、世の中の摂理ではあるの。万事寝てばかりの主人はさておきじゃが。
調達の間に連中は沐浴を行い、儂が帰り次第各々で洗濯をする。不老不死の術に犯された儂は服までも自動で再生し、どういう理屈か臭いや汚れも付かぬが、どうもこればかりは癖での。これも儂が、まだ人間であることの証左であるか。まあそんな事はどうでもよい。今日も儂は全身を襲う絶望的な筋肉痛を騙し騙し、1人森へと向かったのじゃ。
中に入ると、すぐにシイの木の下に団栗とワラビを見つけることが出来た。ほう、実に幸先の良い日じゃわい。儂は背籠にそれらを根こそぎしまい込むと、更に奥深くまで足を伸ばした。好物の果物がないとシャーロットの機嫌を損ねる恐れがある故な。これも世渡りの一環よ。
儂の記憶ではこの辺には恐らく……よし、あったわ。実に大きく熟れたあけびじゃ。どれ、1つ味見をば……うむ、美味い! 正に大地の恵みじゃな。若い頃の行商の日々を思い出すわい。これならシャーロットも納得するじゃろうて。
その時、夢中で漁っておる儂の耳に微かな不協和音が届きおった。これは……猛獣の唸り声じゃ! 咄嗟に振り返った儂の右肩には、既に鋭い爪が突き刺さっておったのじゃった。
「ぐむっ! この! あっちへ行かぬか!」
儂は大量に出血しながらも、必死で這いずり回って距離を取った。やはりと言うべきか、そこにおったのは大型の熊じゃった。人間に自分の縄張りを荒らされたと思い、本能的に攻撃してきたのじゃろうが、今回ばかりは相手が悪かったの。不運にも“人間以外”に手を出した訳じゃからな。己を知り敵を知らねば、この現世では無残な結末が必須じゃて。
「貴様に罪など欠片も存在せぬが、こうなった以上此方も戦わねば生きていけぬ(正確には死にはせぬがな)。この儂の眼前に現れた己の不運を呪うがよい」
儂は極めて冷静に懐から銃を取り出すと、瞬時に引き金を引いた。通常の弾丸などでは到底通用せぬ大物じゃが、今の儂なら造作もないわ。儂の身体には、魔女シャーロットより授かりし闇力(どうも“その界隈”ではそう呼ぶらしいの)が、血液の如く流れておるようじゃ。夜の闇が世界を包めばこの通り、絶大な力を発揮する寸法よ。儂の身体から絞り出された闇力は、銃身内で圧縮され幾重もの力の波を成し、極限まで密度を高めて撃ち出した弾は漆黒の螺旋の軌道を描き、一撃で熊の心臓部を破壊し尽くした。奴は呻き声を上げる間もなく膝から崩れ落ち、その場に大輪の血を咲かせたのじゃ。
やれやれ。仕方なきこととはいえ、気分のよいものではないの。とはいえ食わねば死ぬ。殺らねば殺られる。何処の偽善者がどう喚こうが、世の摂理じゃろうて。しかし実に久方ぶりの肉じゃな。こうなれば美味く食ってやるが供養じゃて。さて……果たしてどうやって運んだものか。
「おう。やっと帰ったかノロマ野郎。さっさと汚ねえ体洗って……っておい! そりゃなんだ?!」
蔓で何重にも縛り必死で持ち帰った熊の死骸を見て、虫は驚きと若干の歓喜を込めた声で言いおった。儂は鼻高々に獲物を指差し、見せびらかすように言ってやったわ。
「ほれ、今日の収穫じゃ。肉など久々じゃろうて。偶々襲われたところを返り討ちよ。儂にかかれば屁でもないわい」
「へえ。ま、やるじゃねえか。俺も肉なんざしばらくぶりだぜ。こりゃ腕が鳴るってもんだ」
大量の食材を前にして、虫は露骨に嬉しそうにな表情を見せおった。この木偶の数少ない、唯一と言ってもよい長所じゃな。食い物に関しては実に寛容で、見た目に反して実に素晴らしい料理人なのじゃ。
「ホッホッホ。楽しみにしておるぞ。じゃがこの類の食材は……シャーロットとしてはどうなのじゃ? 食えずに機嫌を悪くされても困るからのう」
「ん? ああ、そういうことなら心配いらねえよ。お嬢様は自分から殺生はしねえが、出された食材はなんでも平らげる方だ。安心して待ってろや」
「それは重畳じゃな。シャーロットの好みがまだ分からぬ故のう。そう言えば先日、彼奴が自ら料理をすると張り切っておったぞ。たまには貴様の負担を減らしてやろうとな。よき主人を持ったではないか」
儂のたわいもない世間話を聞くと、虫の様子ががらりと変わりおった。目を泳がせ体を小刻みに震わせて、見たことのない不安げな様子になっていったのじゃ。明らかな異変を訝しむ儂に向け、彼奴は周囲を慮りながら耳打ちしたのじゃった。
「……おい、クソ商人。これだけは忠告しとくぞ。今後、一度たりとも、絶対に、お嬢様に料理を作らせるな。理由は聞くんじゃねえ。だがこりゃお互いのためだ。わかったな?」
「う、うむ。よくは分からぬが、付き合いの長い貴様がそこまで言うのじゃ。さぞや剣呑な事態になるのじゃろう。儂も腹を壊したくない故な」
「んなモンですむかよ。1年前にお嬢様の“シチュー”を食った時のこと、今でもありありと思い出せるぜ。あれなら死んだ方がマシってモンだ」
「何を……騒いでいるのですか?」
いつの間にか力車からシャーロットが顔を出し、大きな目を更に見開いておった。青ざめる虫の顔とは対照的に、紅に染まるシャーロットの瞳を見て、儂とて極めて剣呑な事態であると即座に悟ったわ。
「お、お嬢様。これはですね、その、こいつが勝手に……」
「全て聞こえておりましたよ、レイ。随分と……調子に乗っているようですね。どうやら本日もお仕置きが必要ですか。さあ、こちらへ御出でなさい。この世の絶望を全て体現させてあげましょう」
「い、嫌ああああ! お嬢様ごめんなさい! どうか許してえええええ!」
「ふ、ふむ。何やら息災のようじゃな。儂は湯浴みと洗濯をする故、其方は好きにやるとよいぞ」
儂はそう言って一目散に川に向かって歩き出した。君子危うきに近寄らずじゃ。背後から憐れな羽虫の絶叫が鳴り響く中、儂は決して振り向くことなくキセルに火を付けたのじゃった。
「お、おい! てめえのせいだぞ! 必ずぶっ殺して……いやああああああ!!」
「大人しくなさい。これ以上裂けたら修復不能ですよ」
「きゃあああああ! そんなのはいんないいいい!! うわあああああ!!」
世の中とは何とも残酷なものじゃの。儂は目を伏せて世の理不尽に胸を痛めつつも、実に気分晴れやかに歩みを進めていった。夜風が少しだけ心地よく儂の身体をさすっておった。
暫し後、夕食。
広場の中央で火を囲み、儂は温かな食事にがっついておった。いやあ、久方ぶりの肉は五臓六腑に染み渡るわい。こんな美味い食事は久々じゃ。虫も珍しく文句一つ言わずに平らげておるし、シャーロットも心から美味そうに箸を進めておる。
「うむ。実に美味じゃのう。儂は心の底から満足しておるぞ。鍋も美味いが、この焼き物の味噌が格別じゃて。見たところ普通の調理法ではないようじゃが?」
「お、わかるか? クソ野郎のぶんざいで舌だきゃあ一人前だな。ひさびさの肉だからな、腕によりをかけたつもりだぜ。松の実とピーナッツを砕いて味噌に混ぜといたんだ。大葉がありゃもっと美味かったんだが、代わりに野草を足してみてよ。赤身は鍋に、脂身は味噌焼きにして、余りは燻製にしといた。明日も肉三昧だから楽しみにしてろよ」
「ほう! そんな調理法があるとはのう。……ずっと思っておったが、貴様の料理の腕は実に大したものじゃな。儂はかつて、金にものを言わせ世界中の美食奇食を余すことなく堪能したが、これほど美味い料理を食べた経験はそうはないわい」
「な、なにいきなり言ってやがる! テキトーこいてんじゃねえぞ!」
焦ったような、ほんの少し照れたような表情になり、虫は乱雑に叫びおった。まったく気持ちの悪い顔じゃ。極めて整っておるが故、余計にたちが悪いものよ。
「そうなのですか? 私はレイの料理以外を食べたことが少なく、確かに美味しいと思いますけれど、そこまで凄いとは知りませんでした」
「間違いないわ。この儂が断言しようぞ。貴様の料理は紛れも無い本物じゃ。拷問にも等しき日々の中で、最近はそれだけが楽しみで過ごしておる。この旅が終わった暁には、貴様はロンシャンで料理屋を出すべきじゃな。味は儂が保証するし、融資も土地も宣伝も全て金蛇屋が請け負おうぞ」
「う、うるせえな! んなうまい話にゃ乗らねえぞバカ! だいたいよ、てめえ俺のことなんざ好きでもなんでもねえだろうが!」
「うむ。無論じゃて。好きではないどころか、心の底から嫌っておるぞ。痰壷の痰とよい勝負な位にの。じゃが、儂は金の事については絶対に嘘は吐かぬ。貴様の料理の腕はずば抜けており、世界に通用する程の成果物を生み出し、結果として莫大な金を産むと信じておる。金と契約に於いて、儂の言葉に一切の偽りは存在せぬわ」
「そ、そうかよ。もともと料理は好きなんだけどよ、旅してる中なんとなく人に聞いたり試したりして、なんとなくやってるだけなんだけどな。ずっとお嬢様にしか出してなかったから、他人にそんなん言われるのは初めてだよ。けどよ……へへ、なんか嬉しいもんだな」
「ガッハッハ! どんな阿呆にも一つくらい取り柄があるものじゃ。それを探し育ててやるのも、主たる者の努めじゃて。筋肉以外に誇れることがあってよかったの。おい、ちと量が足りぬな。代わりをよそって参れ」
「誰が主だ! チョーシこいてんじゃねえ!」
「グェポ!!」
食事が終わった後は、いつも決まって虫が洗い物や洗濯、その他家事全般に取り掛かりおる。奴めはどうもこの手の家事に全く抵抗がないらしく、鼻歌など歌いながら呑気に手早くこなしておる。儂はと言えば周囲を警戒しながら、隙を見て手紙を書いたり銃の練習をしたりと、言うなれば好き放題じゃな。たまに虫に雑用を押し付けられはするものの、昼間とは違い大層な負担はないわい。
それ故に、儂はこの時間シャーロットと言葉を交わすのが常じゃった。食事を終えると彼奴は既に眠そうに目をすぼめ、閉じかけた瞳でうつらうつらと書物を読んでおるが、儂が話しかけると嬉しそうに言葉を返しおる。儂はこの日、ずっと疑問であった質問をぶつける心積もりであった。
「……シャーロットや。前から聞こうとは思っておったが、この旅の真の目的は何なのじゃ?」
「はい! それは世界の平和を守ることです!」
「い、いや。それは知っておるが、儂が聞きたいのはもっと具体的な……何処へ行って何をするとか、何を打倒し何を手にするとか、そういった類の話を……」
「そうですか! 私たちはこの世界を巡り、邪魔をする敵をやっつけて、世界の平和のために戦います! 一緒に頑張りましょう、藤兵衛!」
……成る程。これは全面的に儂が悪かったの。これ程の狂人に、あろう事か世の道理などを求めるとは、儂の人を見る目もまだまだじゃな。
「おいクソ商人。こりゃてめえにゃ関係ねえ話だ。ウスノロは黙って俺たちに付いてくりゃいいんだ」
いつの間にか余計な阿呆まで乗ってきおった。気付けばシャーロットは深い眠りについておる。やれやれ、面倒が続く前に話を変えておくかの。
「しかし、貴様らの関係も不思議なものじゃな。貴様それだけの力を持ちながら、あの魔女にだけは絶対服従とはの」
「あ? そうか? 俺からしたらこれが自然だよ。俺の生きる意味はお嬢様の目的を果たす、ただそれだけだからよ」
「他人の夢が己の役割、か。儂には到底理解出来ぬ話じゃな」
「けっ。てめえみてえなクソにゃ一生わかんねえさ。ま、使えねえゴミはさっさと引っ込んでろ。肌がヒリついてやがる。今晩あたり“来そう”だな」
「ふん! 貴様の様な原始人に理解されようとは思わぬわ! 貴様とて儂の邪魔だけはするでないぞ!」
「うるせえ!」
「ハガォン!!」
そうこうしている間に、夜は一刻、また一刻と過ぎていきおった。怪しく生ぬるい風が吹き、闇がそれに合わせて深まり、それに伴い虫の顔がみるみる引き攣ってきおった。“闇”とやらに入門したての儂ですら、全身の神経を通じて感じるわ。どうやら今日は眠れそうもないの。やれやれ、ここ数日は情勢が凪であった故に油断しておったわい。
「おい。やはりこの感覚は……そういうことかの?」
「月が明りいな。こういう日の連中はやる気まんまんだ。あのゴミどもに自我なんてねえ。“指令”通りお嬢様を狙うだけさ」
「む? それはどういう意味じゃ? 何者かがシャーロットの命を?」
「命ってか、身柄だけどな。お嬢様だけは殺されねえはずだ。ま、ザコのやることなんざハナっから計算なんてできねえがな。なんにせよ、俺らのやるこたあいつも通りだ。ぜんぶ俺が片付けっから、クソモヤシはせいぜい見学でもしてろや。ヒマならそのへんのザコでも掃除してもかまわねえぞ。つかえねえ役立たずらしく、コソコソひっこんでな。間違っても俺のジャマだけはすんじゃねえぞ」
……つくづく腹の立つ虫じゃ。前世でさぞ悪行を積んだのじゃろうて。儂のような生まれながらの善人には、到底理解しかねる傲慢極まりし言い草じゃわい。ふっと脇を見ると、儂らの首魁たるシャーロットはすっかりお休みの真っ最中ときたものじゃ。やれやれ。まったくよきご身分じゃて。
「……くんぞ」
闇が、形を成した。グールと呼ばれし闇から生まれし生命体が、爛れ崩れ落ちし身体をいきり立たせ、牙を剥き此方へ向かって来たのじゃった。すると一目散に虫めが駈け出し、襲い来る邪悪に向けて迷い無く拳を振り切りおった。肉を食ったせいか、普段よりもキレのよい動きじゃな。もうすっかり慣れたものじゃて。奴は全身で破壊の風を起こし、蠢めく闇共をゴミの様に蹴散らし続けておった。
一方儂はと言えば、基本はぼんやり見ておるだけじゃ。連中はシャーロットを狙って迫り来るが、大体において虫が全てを片付けるのでの。今日儂は次の商売の計画をずっと考えておった。
(さて、見世物小屋の規模はどうすべきかのう? 立地は帝都でよかろうが、西のビャッコ国でも面白いやもしれぬな。あの国は東西の文化が交わる場所じゃから、珍しきものには滅法弱かろうて。問題は内容じゃが、猛獣女と魔女だけではちと弱いの。秋津国の侍と猛獣を戦わせたり、アガナ神教のインチキ手品を見せつけて、南大陸に巣食う龍族なども連れて来ねばの。これは愉快そうな催しじゃわい。こけら落としの際には儂直々に……)
「おいクソ商人! なにボケっとしてやがる! そっち行ったぞ!」
「むうっ!」
虫の耳障りな声にハッと我に帰り、儂は反射的に懐の銃を抜いた。金蛇の印がきらりと闇夜を照らし、儂は身体から闇力を掻き集め銃口に込めると、そのまま引金を引いた。漆黒の螺旋が実に小気味良く放たれ、此方に向かうグールの一団が纏めて吹き飛んでいったわ。
「ぼけっとしてんじゃねえ! てめえの面倒までみきれねえぞ! 仮に死んでもお嬢様を守れや!」
つくづく余計な一言の多い奴じゃ。まあ惚けておったのは認めざるを得んがの。儂らの闘いは持久戦の側面が大きい。一度交戦を開始すれば、敵は無限に近い勢いで迫り来よる。どの日に何時まで続くか分からん闘いを行うには、並大抵の体力と精神力では務まらん。そもそも儂は、あの虫に昼の間ずっと馬車馬のように働かされており、疲労は頂点に達しておるのじゃ。まったく……お気楽に眠りこけるあの女が羨ましい限りじゃわい。
しかし文句を言っても何も始まらぬ。何処で何をしていようとも同じよ。無能な者ほど窮地にて無駄に声を大きくするわ。今はただ黙し、一心にやらねばならん。やらねばシャーロットが死ぬ。先程の虫の話では、敵は彼奴を殺傷せぬとのことじゃが、どうにも眉唾なものじゃわい。例え彼奴だけ生き残ったとしても、その先儂らがどうなるかは分からぬし、恐らくはまともな運命は待ち受けておるまいて。どちらにせよ現時点では不確定な情報が多過ぎて、委細まで判断するのは危険じゃな。とにかく今はシャーロットを守ることが儂の安全に繋がる。そう考えるが常道かの。
あの女は強力な術こそ使えるが、いかんせん燃費が悪過ぎるわい。まともに戦えるのは数分、それ以外はただの盆暗よ。そして万が一奴が死ねば、儂も道連れで死ぬとのこと。死なば金も栄誉も何の意味もない。おお、何という理不尽な話であるか!
戦闘が始まり2時間ほど経つと、流石の虫とて体力が落ちてくる。不本意ながらここからが儂の出番じゃ。とは言うても、直接連中と争う気など毛頭ないわ。儂のような高貴で高邁な存在は、常に大局を見て下々に指示を出さねばならぬ故な。これも上に立つ者の努めよ。儂はささっと木の上に登り、虫が撃ち漏らしたグールに照準を合わせ、小気味よく数回の引金を引いたのじゃった。
「ふん! 貴重な儂の休息を邪魔するゴミ共が! 天地を喰らい尽くす蛇の怒りを味わえい! 『ミヅチ』!!」
こいつは儂の最も得意とする抜き打ちの連射じゃ。天より授かりし類稀な才に加え、日々の修練も欠かさなかったからのう。無数の螺旋は敵を襲い、連中の身体を微塵に粉砕していったわ。じゃが……今はやはり1度に3発が限界であるのう。1発しか打てんかった頃に比べれば段違いじゃが、これではいずれ限界が来ようて。実に不本意ではあるが、現実的に判断すると、今後のために様々を備えねばなるまい。
「おいクソ商人! 気いつけて撃ちやがれ! 万が一俺に当てたら首の骨へし折ってやっかんな!」
げに野蛮人とは恐ろしき種族よ。儂は虫を刺激せぬよう影から影へと飛び回り、生き残る事だけに注力しておった。先の見えぬ闇の中で、儂はただ盲に力を放ち続けるだけじゃった。
時は流れ。
そろそろ夜が明けそうじゃ。眷属とやらは闇に潜む生物、陽の光の元では活動出来ぬとのこと。つまりは……じきに停戦間近じゃな。
全身が凄まじい疲労感に包まれておる。間も無く長い夜も明けよう。このまま何もなければゆっくり休めるわい。無論、世界の理不尽はそんな甘い見通しを許しはしない訳じゃがな。
「!? クソが! 本命が来やがったぜ! おいクソ商人、気合い入れろよ!」
まあ、それは来るじゃろうな。儂でも分かるわい。先程から独特の気配が漂っておったからのう。地に落ちた闇が固まりだし、巨大な獣の姿が蠢めきおった。間違いなくオーガーとかいう化生じゃな。にしても……今回は大き過ぎるわ! 10メートルを遥かに超え、小山をも思わせる巨大な闇の獣が、呻き声を上げながら徐々に形作られていったのじゃった。
「先手必勝というやつじゃな。大人しく儂を休ませい! 『ミヅチ』!!」
儂は頭部を正確に狙って銃弾を3発撃ったが、広げた両手に簡単に阻まれてしもうた。当たった腕には損傷を与えたものの、煙を出しながらみるみる再生していきおる。どうやら多少の知能はあるようじゃの……と感心している場合ではないわ! 早くシャーロットを守らねばならぬ! ええい、何故こんな時にまで寝ておるのか! こんな愚図に従うなど到底我慢ならぬ!
「ちっ! やっぱ出やがったか。この頻度、この量……今までじゃぜってえありえねえぜ。噂通り東大陸が“特別”なのか、それとも“あの方”の指示か……」
「ごちゃごちゃ言うでない! その筋肉は唯の飾りか! 今はやるしかあるまいて! おいシャーロット、起きよ! 術の準備をせい! やらねば死ぬるぞ!」
「……はい。お待ち下さい。今……行います」
儂が激しく揺すって叩き起こすと、シャーロットは何事も無かったかのように術式を集中し始めた。巨大な力が彼奴の前で渦を成し、紋様が目前に立ち上がった。ふん、やれば出来るではないか。色々問題はあるが、いざという時には頼りになる女じゃ。何処ぞの木偶とはものが違うの。儂は満足して頷くと、直ちに木の上に駆け上り射撃態勢を取ろうとした。
だが次の瞬間、術式がぐにゃりと、まるで幼児の落書きのように崩れ落ち、シャーロットは跪いて大量に吐血しおった。術式が四方八方に飛散し、制御を失った炎を撒き散らして、森は一瞬で紅蓮の地獄と化したのじゃった。儂の足元の枝葉も瞬く間に燃え落ち、無惨にも地面に墜落してしもうた。
「こ、これはどうしたことじゃ? シャーロットは一体?!」
「やっぱ限界だったんだ! クソッタレが! おいクソ商人! 今のお嬢様はな……本当は術なんて使える状態じゃねえんだ!」
「な……そ、それは一体どういう意味じゃ?!」
「レイ! それ以上は……なりません! 言ってはならぬと……伝え……」
「いいや、もう限界でさあ。おい、耳かっぽじって聞きやがれ! てめえが遊び半分で求めた“不老不死”、そいつの行き着く先がこれだ! てめえん中に渦巻く老いや病、つまり人間として支払うべきとうぜんの“淀み”を、お嬢様はご自身で受け続けてるんだ! その意味がわかるか!」
「!? な、何じゃと!?」
「便利なお手軽術だと思ったか? 遊びみてえなもんだと本気で思ってたか? んなモンこの世にあるわけねえだろ! お嬢様はな、ずっとてめえを守るためにムチャしてたんだよ! ただでさえ病弱な体で、てめえみてえなクソを信じて、必死にぜんぶを内に抱え込んでな!」
……そうか。そういうことじゃったか。儂は……シャーロットにずっと守られておったのじゃな。この金蛇屋藤兵衛、護衛気取りのつもりがとんだお笑い草じゃ。その上で勝手に奴めを卑下し、魔女と称しせせら嗤う。誠に片腹痛い話よ。虫ほどではないにせよ、とことんまで救えぬ愚か者じゃて。何が“儂に見抜けぬものはない”じゃ。何が“儂に嘘は通用せぬ”じゃ。こんなに身近におる女1人すら見通せぬではないか。
その時、儂の脳裏にかつての記憶の断片が蘇った。幾つかの顔が、女の顔が、笑顔が、脳に突き刺さる程に降り注いだ。儂は……また繰り返すところじゃったな。何度繰り返せば気が済むのじゃろうか。何度失えば理解するのじゃろうな。儂は本当に愚かで、情け無い男じゃ。呆れて屁も出ぬわ。
じゃが……儂は動じはせぬ。この金蛇屋藤兵衛にとって、後悔などは一銭にもならぬ愚劣な感傷に過ぎん。過去などは所詮、脳が記憶するだけの幻よ。今目の前に存在する危機を、心胆冷やし脳髄澄まし全力で乗り越えねばならん。儂は借りを作るのが大嫌いじゃ。借用には必ず利子が生ずる。即ちそれは損じゃ。大損じゃ。儂は損だけは大嫌いなのじゃ! 受けた恩も恨みも、必ず数倍にして返す。これは儂の決して揺るがぬ信念じゃ! シャーロットよ、今度は……儂が守る番じゃて!
「……おい、虫よ。今から儂が隙を作る。その間に貴様が確実に止めを刺せい」
「あ?! 誰が虫だ!! てかなんで俺がてめえなんぞの……」
「黙って聞けい! 彼奴めの弱点は分析済みじゃ。防御の際に下腹部を庇う特徴的な動きが見えるわ。そこを突けい。よいな!」
「……へっ。そこまで言うならやってみろや。だがもしダメなら、俺がてめえをぶち殺してやっかんな!」
「ふん! 上等じゃ! 儂に続けい!!」
オーガーは周囲に散らされた火を恐れながらも、ゆっくりと迂回しながらシャーロットの方へ向かっておった。今からの行動を想定し、さしもの儂もぞくりと背筋に悪寒が走った。じゃがの、今迄こんなことは幾らでもあったわ。命を捨てる覚悟がなければ、望む宝は決して掴めぬ。最早決断の時は終えた。後はやるしかないの。
儂はずかずかとオーガーの前に進み寄った。目と鼻の先で相対すると、彼奴の禍々しい唸り声が脳髄まで響いた。儂はキセルを咥えたまま、直立の姿勢で銃を2発、奴めの両腕目掛けて発砲した。螺旋の弾丸は見事に腕を抉り、傷を負った化物は一瞬だけ明確に狼狽えた。それを確認すると、儂は迷う事なく地を駆けた。反射的に腕を振り下ろした化物じゃったが、一瞬の躊躇いと決して浅くはない手傷が命取りじゃったな。儂は甲虫のように地を這い、すんでのところで攻撃をすり抜けると、奴めの股下に向かって滑り込んだ。そして彼奴の薄汚い尻に目掛け、渾身の一撃をぶち込んだのじゃ。
「ふん! この儂の機嫌を損ねた罪は重いわ。屈辱をぶち撒けながら消えて行くがよい。『ノヅチ』!!」
「グェエェェェ……シャーロット!! アノオ方ハケッシテ……」
潰れた下半身で儂にもたれかかりながら、それでも上半身をくねらせて暴れ回るオーガー。いかん! まだ死んでおらぬ! だがそこに鋭く飛び掛かる影。銀色の風を纏い、疾風と同化するよう最高速で飛び掛かる矢の如き拳。ふん! なら最初からやればよかろうに。
「へっ。どうやら口だけじゃねえみてえだな。しゃあねえ、助けてやるぜ。ありがたく思えよ。『紫電』!!」
虫の強烈な突きはオーガーの頭部を容易に吹き飛ばし、化物はもんどり打って足元に崩れ落ちた。そうじゃ……正にの儂の上に全体重をかけて!
「グェエェェェェェ!! 死ぬ! 死んでしまううう! お、お助けええええ!!」
全身を押し潰され、内臓を大いに損傷し喀血しながら無様に叫ぶ儂。それを見て心底愉快そうに笑う虫。
「ギャッハッハッハ! なんだそのザマは! 鶏ガラ野郎がスープになっちまったぜ! こりゃたまんねえや」
此奴めが……こうなったのはそもそも貴様のせいではないか! 後で覚えておれ。必ず目に物見せてくれる。だが今は……呼吸が……。
「ま、てめえにしちゃ上出来だ。今回だけはほめてやるぜ。もうすぐ夜も明けるし、俺らもそろそろ寝とかねえとな。お前はそのまま寝てりゃいいけどよ。ちょうどよかったじゃねえか! ギャハハハハ!」
貴様に言われなくても……既に意識が飛びそうじゃわい。全くとんだ人生じゃ。何故儂の様な善良な一般市民がこんな目に……ん? 今、向こうで何かが動いたような? 見間違いかの?
その時、闇が更に深く蠢いた。深淵の淵を写したが如き水面が、儂らに向けて怨嗟の声を上げているようじゃった。闇は一際大きく蠢めくと、まるで受胎のように呻き声を上げ、儂らの目の前に巨大な質量が産み落とされた。それは……紛れもなく大鬼オーガー、しかも……10体以上も同時に!
巨大な影は、迷うことなくシャーロットの方に向かっておった。何とかしようと必死でもがくも、身動き一つとれん。もう、終わりじゃ……。こんな所で儂は死ぬのか? 嫌じゃ! 嫌じゃあああ!
「……やれやれ、しゃあねえ。“奥の手”を使うか。おいクソ商人、てめえはもう休んでろや」
虫の声が遠くから聞こえた。ば、馬鹿な! 幾ら貴様でもこの状況は無理じゃろうて! 儂は何か叫ぼうとした、が何も出てこない。呼吸が出来ぬ。意識はどんどん遠ざかる。闇の力も打ち止めじゃ。どうすれば……どうすればよい? ええい、諦めるでない! 考えよ! 惨めでも何でも、息絶えるその瞬間まで考えるのじゃ!
「うるせえ! じたばたすんな! 俺に任せろって言ったろ。その代わり……明日のことは頼んだぜ。……『降魔』!!」
虫の汚らわしい太き足が、儂の頭を強烈に蹴り上げた。絶望的な状況の中で、ただ1人立ち向かう後ろ姿を見ながら、儂の意識はみるみる遠ざかっていった。闇が見えた。彼奴を包み込む、鈍い色の闇が。変わり行く輪郭のが巻き起こす風の中、儂は虚無の中へと消え去っていったのじゃった。
「おう! いつまで寝てやがる! さっさと起きやがれ!」
「グェポ!!」
再び蹴りを頭に食らって、儂は強制的に目覚めさせられた。朝陽が優しく儂の顔を射し、小鳥の鳴き声が耳に響いておった。どうやら辺りはすっかり朝のようじゃな。儂ははっと立ち上がり、地にのたくったままの虫に向かって尋ねた。
「……あれから何があったのじゃ? 化け物共は何処へ?」
「あ? んなモン俺が始末したよ。ま、おかげでこのザマだけどな」
虫はごろりと寝返りを打ちながら、自分の全身を指差した。その惨状に、思わず儂は目を伏せそうになってしもうた。見たことも無いくらいにズタズタに肉が裂け、血が噴き出し、骨まで見えておった。
「ほう。随分と派手にやられたようじゃの。痛み入るわい(ふん! 口ほどにも無い奴じゃな)」
「バーカ! 俺は1発も食らってねえよ。ひさびさに“技”を使った後遺症だ。ったくよ、使えねえクソのせいで、今日はまともに動けそうもねえな」
「それは剣呑な事態じゃの(ケヒョーッヒョッヒョッ! ざまあ無いわい)。ところで、シャーロットは無事か?」
「ええ。私なら平気ですよ、藤兵衛」
よろよろと力車から歩み出たシャーロット。青ざめた顔、覚束ない足取り。どう見ても平気などではないが、その美しい笑顔だけはいつもの通りじゃった。どうやら休んでおる暇は無いようじゃな。まったく……世話の焼ける女じゃて。
「ふむ。早速出立せねばなるまい。何所かでシャーロットを休ませねばの」
儂は決意を込めて立ち上がり、迷うことなく力車に駆け寄った。このままでは心中は必至じゃ。早くこの阿呆を何とかせねばなるまいて。
「まあ! なんと心強いことでしょう! それでは出発です。隣へいらっしゃい、レイ」
微笑みを浮かべて何故か虫を呼び寄せるシャーロット。儂は嫌な予感で胸を一杯にさせながら、無駄とは知りつつも大声で叫んだ。
「ち、ちょっと待てい! 何故此奴まで乗せねばならん! そんな話は聞いておらぬぞ!」
「あ? 言ったろ? 俺は動けねえんだよ。乙女2人くらい軽いもんだろ」
「誰が乙女じゃ! 貴様の重量はシャーロット5人分は優に……ハグポッ!」
「ガタガタ言ってんじゃねえ! それにてめえ昨日言ったろ? ぜんぶ面倒見るってよ。ありゃ嘘か? この国の商人は、自分から言い出した『契約』も守れねえのか? おいどうなんだ? オウリュウ国一の商人、金蛇屋藤兵衛さんよ」
な、何と憎たらしい奴じゃ! どこで覚えたのか知らぬが、嫌らしい挑発をかましおって! ……ええい、ままよ! もうどうにでもなるがよいわ!
「ふん! 儂を誰と心得るか! オウリュウ国はおろか、東大陸全域に名を轟かせる豪商、金蛇屋藤兵衛その人ぞ! 下々の要望とあらば仕方あるまいて。さっさと乗れい! 地の果てへでも行ってやるわ!」
「わかりました。実に頼もしい限りですね。それでは出発しましょう! 本日の目的地は……オウリュウ国の東の果て、ボンスンの街です」
「な!? 次はボンスンじゃと?! 順当に行っても60キロじゃぞ! 1日で、それも2人を載せて行けというのか? そんな馬鹿な話が……」
「言い訳してんじゃねえ! やるっつったんだから最後までやり通せや! このクソ野郎が!」
「ふふ。では決まりですね。さあ、それでは参りましょう。お願い致します、藤兵衛」
改めて感じたことじゃが、世の中には神も仏も存在せぬ。有るのは強き者と弱き者、強き意思と弱き意思、持つ者と持たざる者。儂は……結局どちらに転がるのかの。
まあ今はそんなことはどうでもよいわ。只、目の前の道を果てなく駆けるだけよ。昔から何も変わらぬわい。儂のやる事など、即ちは“それ”のみよ。未知なる先に向けて、唯ひたすらに駆け抜ける。それがこの儂、金蛇屋藤兵衛の生き方ぞ!
「ウォォォォ! そこの阿呆ども、道を開けい! 儂の前に立ちはだかる者は、誰であれ排除するのみじゃ! この儂を一体誰と心得るか!」
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