第12話

 翌朝、新築されたビルの二階にあるホール。そのホールの半分は、大きな壁面ガラスの窓が数ヶ所並ぶようにはめ込まれ、高い天井に、全体は広く四角い造りになっている。周りには積み重なった数個の段ボール箱が点在しており、人は誰もいない。外から自動車の走行音がわずかに聞こえるのみで、ほとんど静寂している空虚なこの場所に、ひとりの人物が入ってきた。以前に古橋の前に現れた真っ赤な能面の人物だった。服装もそのときと同じで、右手にはサプレッサーを付けた自動拳銃を握っている。それは、西野が所持していた銃と同型であった。能面の人物は拳銃を四方に向け、なにかを探している。すると、突如として女の声がした。

「嶋本ならいないわよ」

驚いた能面の人物は、声が聞こえた方向に拳銃を構えた。離れた距離にある出入り口から、声の主である千里が、右手に拳銃を握り提げて入ってきた。

「ごめんね。昨日の電話は嘘。嶋本は今ごろ本庁にいるわ」

千里が言った。能面の人物の拳銃を握る手が強くなる。

を殺したのはあなたね。彩香さん」

能面の人物は右手に構えた銃口を、名指しをして立っている千里に向けたまま、左手で帽子を取って放り投げると、能面を外してそれも放った。顔をあらわにした辻井彩香の表情は、最初に出会ったときの優しさはなく、とても恐ろしいものに変貌していた。

「本当は、彩香さんが人殺しなんて思いたくなかった。でも調べていくうちに、あなたへの疑惑が深まっていった」

千里は予期したとおりの結果に口惜しく感じていた。

「なんで私だってわかったの?」

彩香が訊いた。千里は上着のフラップポケットから物証を取り出した。それは数日前に諸星に見せたバネの巻かれた黒い金属製の棒だった。

「あなたの部屋で見つけて拾ったの。これは弾薬の雷管らいかんを叩くための撃針げきしん。つまりは拳銃の部品のひとつよ。科捜研で調べさせたら、西野の扱ってる拳銃と同じものだってわかったわ」

「どうりで探しても見つからなかったわけね。おかげで西野さんに同じ物注文する羽目になっちゃった・・・」

併せて彩香は言い足す。

「まあ、予備の銃だったから急ぎじゃなかったけど」

開き直ったように話す彩香に、千里は追及する。

「彩香さん。あなたは西野から直接銃を買っていた」

「そうよ」

自供した彩香は続けた。

「前に西野さんの家に行ったことがあるの。そこで銃がたくさん置いてある部屋を見つけた。気になって彼に訊いたら、なんでか知らないけどあっさり認めたわ。ダークウェブでゴーストガンを売ってることも全部」

「その理由ならなんとなく察しがつくわ」

千里は撃針を上着のポケットにしまう。

「どういう意味?」

そう問う彩香に、千里が推論を述べる。

「彩香さんはどう思ってるのかわかんないけど、西野は多分、あなたのことを好きだったのよ」

彩香は蔑視するような目つきになった。千里は先を進める。

「好きな人に隠し事はしたくなかったんでしょうね。だからあいつは、通報されるのを覚悟で話した。だけど、あなたと銃の売買をしたあとで逮捕されてしまった」

次に千里が彩香に問うた。

「彩香さんは知ってる?西野が自殺したこと」

「ええ。ニュースでやってたわね」

彩香が答えると、千里は話を進めた。

「自分が生きていれば、いずれあなたに捜査の手が及ぶ。不安に駆られたあいつは死を選んだ。そうすれば、被疑者死亡でこれ以上警察は捜査しないだろうと考えて。あなたを守ろうとしたのよ」

その推論を聞いて、彩香は笑みを浮かべた。

「フッ、バカな男。私は彼のこと好きでもなんでもない。単なる運び屋」

冷淡に彩香は吐き捨てた。そこで千里が話を少し変じる。

「彩香さんのこと、調べさせてもらったわ。あなた、三年前まで千葉県警の警察官だったのね。しかも射撃のオリンピック選手候補だった」

銃口を向けられたままの千里は続ける。

「でも候補を辞退して、そのまま警察を辞めてる。それってお兄さんのことがあったから?」

その語末に、彩香の瞳が開く。

「亡くなった杉内春樹はあなたのお兄さん。城戸って元刑事から話を聞いたの。あなたも警察辞める前に、杉内の自殺に関して彼に会ってる」

千里が事実を述べると、彩香は修正して返す。

「あれは自殺じゃない。殺人よ」

ゆっくりと千里はうなずいた。

「そうだったわね」

兄である杉内について彩香が触れた。

「私が小さい頃に両親が離婚して、兄は父に引き取られて、私は母のもとで育った。その母が亡くなって、母の葬儀のときに兄と再会した。それから兄とは度々会うようになった。兄は全然変わってなかった。優しくて、正義感が強くて」

彩香の顔が一瞬温かさを戻したが、またすぐに屈折した。

「それが突然、兄の訃報を知らされて、死因が自殺だと聞いたとき、私は信じられなかった。だって次の日に会う約束してたし、プレゼントを用意してあるって言ってたから。自殺を疑った私は、兄の件を調べた捜査員に話を訊いて回った。だけどみんな自殺の一点張りで誰も取り合ってくれなかった。それで最後に残った城戸さんを頼ってわかったの。あいつらのこと・・・」

彩香の目が怒気を帯びた。

「あなた。城戸の話を鵜吞みにしたの?」

「そんなわけないでしょ。ちゃんと裏も取ったわ」

言い聞かせるように彩香は経緯を話し始めた。

「警察を辞めたあと、私は千葉から東京に移って、ひとりで事件のことを調べてた。そのとき、黒沢くろさわって週刊誌の記者と会ったの。あの人は笠岡の不正を取材してて、事情を話した私に盗聴した音声データを聴かせてくれた。それには、笠岡と嶋本たち四人が密約を交わしてる音声が記録されてた。笠岡が兄を殺したことを告白して、四人に金や出世と引き換えに、自殺で処理するよう指示を出してる一部始終が。お互い名前を言い合ってたから間違いない。あの男、四人に泣いてすがるような声出してたわ」

胸の内が激情していくのを感じながら彩香は進める。

「殺そうと決心したのは一番最後。その密約が結ばれた途端に笠岡の声が笑ってたの。あいつだけじゃない。嶋本たち四人も笑ってた。ふざけてるみたいに大声で」

「だけどニュースにも記事にもなってない。その黒沢って奴は・・・」

千里が言いかけると、彩香が先に答えた。

「死んだわよ。ひき逃げに遭って。黒沢さん、その音声を警察よりも前に笠岡に聴かせるって言ってた。犯人は捕まってないし、遺体の所持品にスマホがなかったらしいわ。あの人、音声データを記録したSDカードをスマホに入れてた。もしかすると笠岡が殺して奪ったのかもね」

彩香は不敵な笑みを漏らして言った。

「実は音声データならコピーして私も持ってるの。でも公開するつもりはない。だってもう全員殺す覚悟でいたから」

聞いていた千里は小さく息を吐いた。

「そう・・。で、彩香さんはそのために西野から銃を買った」

千里が問いただす。

「ええ。どう殺すか迷ってたときに、西野さんがゴーストガンを作ってるのを聞いたときは奇跡だと思った。それで、警察に話さないことを条件に銃を買ったの。彼は相場の半額で売ってくれたわよ」

彩香は続けて打ち明ける。

「そのあと私は、あいつらの行動をひとつ残らず調べた。まずは兄を殺した笠岡。それから一年かけて工藤と市川、そして古橋の三人。順番に殺してあとは嶋本ひとり。あなたからの電話でチャンスが巡って来たと思ったのに・・・」

強い悔恨かいこんの色が彩香の顔に表れる。

「彩香さん。私はあなたにこれ以上罪を重ねてほしくないの」

千里は自分の思いを伝えるが、彩香には届いていなかった。

「私がしてるのは正しいの。笠岡もほかの四人も、兄のことを侮辱して不自由なく生きてる。あいつらは人じゃない。制裁されるのが当然なのよ」

そんな彩香に、千里が過去を明かす。

「私も妹を殺された。犯人を殺そうともした」

「だったらわかるでしょ!」

声を上げた彩香は拳銃を両手に構える。

「でも殺さなかった。なんでだかわかる?」

千里に問われた彩香は黙っている。

「そんなことしても気が一瞬晴れるだけ。あとは虚しくて、心が空っぽになって、満たされない日々が待ってる。そう思ったから」

理由を述べた千里は一歩踏み出した。

「お兄さんの死の真相は必ずおおやけにする。嶋本も相応の処罰を受けさせる。だからお願い。もうやめて」

千里は静かに歩みを進めながらいつくしむ声で説得した。引き金にかけた指が震え出した彩香の眼には涙がにじんでいる。

「ありがとう」

彩香は呟くと、銃口を自らのこめかみに付けた。

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