第10話

 城戸は過去をかえりみて話し出した。

「三年前、七節町にある児童公園の公衆トイレの中で、若い男がネクタイで首を吊って死んでいるのが見つかった。その男が当時、七節区役所に勤めていた杉内春樹だ。現場の状況から見て明らかに自殺だった。けれど首の索条痕が、一見してはわからないが二か所あった。工藤と市川は一度失敗したか、躊躇ためらったのだろうと言ってたが、鑑識の調べで索条痕の形がそれぞれ違うことがわかり、俺は自殺に偽装した他殺だと考え、ひとりで捜査を始めた。すると聞き込みで、区議会議員が個人的に政治資金を不正流用していたことを、杉内が偶然突き止め、調査していたと知った」

「その区議会議員ってのが笠岡健」

千里が推定する。

「ああ、そうだ。当時の笠岡は、清廉潔白の人物と表向きには見られていた。だが俺の調べで、裏ではいろいろと悪い風評も立っていた。さらに捜査を進めると、杉内が首を吊った個室トイレのそばに、脚立を立てたと思しき跡が残っていることがわかった。跡はまだ新しく、清掃員は業務に脚立は使わないと証言していた。それに杉内の体内から、多量のアルコール成分が検出された。つまり杉内は、死ぬ直前まで泥酔していたことになる。そんな状態で首吊り自殺するとは思えない」

「で、他殺説が濃厚になってきたってわけね。笠岡が犯人だって確証はあったの?」

「杉内の死亡推定時刻にトイレを出る笠岡が目撃されていた。そして杉内の口から、彼のものでない毛髪が見つかった。笠岡の毛髪と比較しようと本人に願い出たら拒まれた。犯人はこいつだと思ったよ。そのときだ。捜一の古橋が自殺で方(かた)をつけると言い出したのは」

思い返した城戸が嫌悪の情を示す。

「証拠があったんでしょ。だったら令状取って無理にでも照合すればよかったじゃない」

千里の疑問は正論でもあった。

「そうしようとしたさ。でも、確認したら毛髪が別のものと替わってた。毛の長さが違ってたんだ。深夜に保管室からひとり出てくる古橋を巡査が見てる。おそらくあいつがやったんだろう。問い詰めても素知らぬふりしてやがったけどな。それからすぐに工藤と市川も、古橋に同調して杉内は自殺だと主張し始めた。俺は他殺だと反論したが結局、強引に自殺と結論付けられて幕引きになっちまった」

やや意気消沈した城戸は続けた。

「あとになってわかったことだが、笠岡はあの三人ともうひとり、本庁の人間を抱き込んで、自殺で処理するよう陰で指示してたらしい。俺はそれを本庁に告発したが、証拠がないと突っぱねられて、署内じゃ和を乱す迷惑な奴と疎外された挙句に、“ハコ”行きだ」

城戸は自嘲めいて言うと、天井の一点を見つめて打ち明けた。

「見りゃわかるだろうが、俺は重い病気だ。末期のがんでな。余命は延ばせても半年だそうだ。辞表はもう出してある。有給が消化されたら受理される予定だ」

静やかな笑みをたたえた城戸がひと言加えた。

「最期にあんたみたいなべっぴんさんと話せてよかったよ・・・」

締めくくろうとした城戸はふと思い出し、千里に顔を向ける。

「そういや、俺がいた交番に杉内の身内だって言う“サツカン”が来たな」

「サツカンって警察官のこと?」

「ああ。杉内の自殺に関して訊きたいことがあるって。ほかの関係者が話してくれないから、唯一残った俺のとこへ来たんだと。今と同じ話をそいつにもしたよ」

千里が膝を乗り出す。

「警察官って誰?」

そのとき、病院の外で突然に一陣の風が吹いた。


 同じ頃、滝石は四ツ谷にいた。フリージャーナリストである落合の事務所を兼ねた自宅マンションを訪ね、聴取を行っていたのだ。

「じゃあ、落合さんは依頼に応じて古橋警部補に情報を提供していたと?」

滝石は手帳とペンを手に落合に訊ねた。

「ええ。金離れがいい人だったんですけどねえ。殺されたってニュースで知ったときは、やっぱりなと思いました」

マッシュルームカットに、一重の細い目をした面長な顔の落合は、コメンテーターのような口調で答えた。

「やっぱりとは?」

滝石が訊き返した。

「僕が言うのもなんですが、古橋さんは自分が犯人と決めた人に対しては手段を問わないっていうか、不正を平気でやったり、仮にその人が犯人じゃなくても、検挙実績を挙げたくて、なにかあらを探しては逮捕しようとしてたところがありましたからねえ。憎んでる人は少なからずいるんじゃないでしょうか。そのくせ、犯罪によっては賄賂をもらって見逃してるなんて話も聞いたことがあります」

「そうなんですか・・・」

とんだ汚職刑事だと感じた滝石は、続けて訊いた。

「落合さんは西野翔平という男の情報も古橋警部補に流してたんですか?」

「はい。古橋さんから変わった銃を売ってる奴はいないかと依頼を受けたんです。それで僕、心当たりがあったんで」

「それが西野?」

落合はうなずいた。

「西野については兼ねてからマークしてたんです。西野の経営する会社の営業利益や経常利益に比べて、彼が以前に発表した資産額が大きく、かなり差があったもので、気になってコネを頼りにいろいろ調べたら、隠れて拳銃をネットで販売して利益を得ていることを摑んだんです。しかもその拳銃が身バレしない変わった作りの物だとわかったんで、それを古橋さんに話しました。古橋さん、一応は警察ですから対処してくれると思って」

「でも古橋警部補は対処せずに放置し、そのあと殺された・・・」

滝石は呟くと、落合に問いかけた。

「この件、記事にしようとしないんですか?」

落合は首を捻る。

「まだ迷ってんですよねえ。西野は逮捕されてるし、拳銃のことも警察がいずれ公表するでしょう。今更記事にしてもあんましウケないかなあって」

「なるほど」

滝石は落合の話の中身を手帳に書き留めた。


 七節警察署の捜査本部の固定電話が鳴り響く。受話器を取ったのは高円寺だった。向こうから聞こえてきた報せに高円寺は驚きの声を上げた。

「なに!?死んだ?」

その言葉に諸星が訊ねる。

「どうしたんですか」

高円寺は目を丸くしたまま、諸星を見た。


 空が夕陽に染まり出した。千里が病室を出ると、廊下がなんだか騒がしい。看護師が数人慌ただしく走っている。なにか大事故でも起きたのかと思ったとき、千里のスマートフォンが振動した。諸星からの着信だった。

―緋波警部。今どこですか?

「病院。<つばさ総合病院>ってとこ」

―そこから連絡があって・・。西野が自殺したそうです。

「えっ!?」


 千里は急いで西野の入院している個室に向かうと、室内で両手と制服を赤く汚した警察官が呆然と立ち尽くしていた。その警官、米山よねやまの目線の先には、病室内にある洗面台の前で車椅子に背をあずけたまま、目と口を半開きにした西野の姿があった。首の左側にはガラス片が深く刺さっており、そこから流れ出た多量の血が病衣を染めている。その血は床にまで達し、大きな円を描いていた。

「ねえ!なにがあったの!?」

医師や看護師が行き交うなか、千里が自失している米山の腕を摑んで問い詰めた。

「そ、それが・・・」

米山は我に返り、おぼつかない声で事情を話し出した。米山によれば、病室の前で番をしていると、なにかが割れた音が聞こえたので様子を見に中に入ったとき、首から血を噴き出した西野が痙攣けいれんしていた。米山は止血を試みたが時すでに遅く、すぐにナースコールで看護師を呼んだという。

「すみません!こんなことになるなんて思わなかったんです!」

米山は今にも泣きそうな顔で頭を下げ、必死に謝っている。その詫び言を聞きながら千里が周辺を見ると、西野の正面にある洗面台の鏡が砕けている。血だまりの上にはガラスの破片と一緒に除菌用の大きなスプレー缶が転がっていた。どうやら西野は、それで洗面台の鏡を割って自殺を図ったらしい。

「まともに動けなかったのに、なんで今・・・」

蒼白していく西野を見遣った千里は呟いた。


 一帯が暗くなり、街灯が明かりを照らし始めた頃。千里は警視庁の科捜研にいた。

「鑑定したところ、被疑者宅で押収した部品と同一でした。間違いありません」

科捜研の研究員が千里に報告した。

「同じだったんだ・・・」

その報告に、千里の胸中はそうあってほしくなかったと囁いていた。

「どうも。さっき渡したの、返してくれる?」

千里は簡単に謝意を示すと、右の手のひらを差し出した。


 夜の七節警察署。捜査本部の会議室では、千里が最後尾の席に脚を組んで座り、タブレットを操作していた。そこへ滝石がやって来る。

「聞きました。西野が自ら命を絶ったそうですね」

そう言った滝石の表情は暗い。

「ええ」

タブレットの画面を見ながら千里が答えた。

「将来を悲観して死を選んだんでしょうか」

「そうじゃないと思う」

千里にはおおよその見当がついているようだった。

「じゃあ、なんでですか?」

疑問視する滝石を他所に、千里が問いかける。

「そっちはどう?話は訊けた?」

「ええ・・、まあ・・・」

「私もよ。それじゃ、お互い報告しましょう」

滝石は訝しがりながらも、千里の隣の席に座り、上着の内ポケットから手帳を取り出した。

「えーっとですね・・・」

先に滝石が落合から聴取した内容を、次に千里が杉内に関する事柄の“一部”を話した。


 同じ捜査本部内では、進行席に座っていた高円寺の前に、三人の刑事が集まっていた。

「篠田以外の参考人はどうなってる?」

高円寺は刑事たちにシリアスな目線を送る。

「こちらは工藤ならびに市川警部殺害時刻にアリバイがありました」

刑事のひとりが答えると、もうひとりの刑事が続く。

「こっちは古橋警部補が殺害された時間にアリバイが」

足を大きく広げ、腕を組んだ高円寺は考え込んだ。

「複数犯ならまだしも、鑑識の話じゃ単独犯で同じ人物・・・」

高円寺は三人目の刑事に訊いた。

「舟木組はどうだ?七節町で西野から銃を買ってたんだろ。組の奴にめぼしい奴はいたか?」

その刑事は首を振って心証を述べる。

「組員に被害者三人の写真を見せて問い詰めましたが、全く知らない顔のようです。私の印象としては、嘘をついてはいないと思います」

高円寺は捜査員席に座っていた部下の熊倉を、大声で呼んだ。

「おい熊倉!」

熊倉が高円寺のもとに歩み寄る。

「はい。なんでしょう?」

高円寺がいかつい顔で訊ねる。

「篠田の行方はまだわからないのか?」

「ええ。まだ・・・」

熊倉は口惜しそうに言った。

「篠田に関して新しい証言なんかは?」

「いえ、それも特には・・。ただ、海外へ行った形跡はないので、国内にいることだけは確かです」

高円寺は首の後ろに手を当て、大きくため息を吐いた。

「はあ・・。なにか糸口になるもんはないのかあ・・・」

捜査の流れが悪くなってきたと高円寺は思った。

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