第8話

 天井の蛍光灯が廊下を照らすなか、芳賀が話し出した。

「警務部にいる後輩から聞いたんだが、古橋は三か月前、監察の聴取を受けてる。四年前に起きた丙里町の強殺事件、知ってるか?」

「たしか高円寺と取り巻きがそんなこと話してたわね」

「なら、篠田照之って男が古橋にきつい取り調べを受けたことは?」

千里はうなずく。

「それも聞いた」

「古橋はなあ、篠田って奴が犯人だと信じ込んでたらしい。それであいつは、いち早く検挙しようと気が焦ったのか、証拠を捏造ねつぞうした疑いがあった」

「捏造ねえ・・・」

鸚鵡おうむ返しに呟いた千里に、芳賀は背伸びや腰を捻るなどしながら続けた。

「誰かは知らんが、本庁内部から監察に情報が入って調査したら、古橋は不正に採取した篠田の指紋を証拠品に付着させていたことがわかった。獄中でそれを知った篠田は出所後、弁護士を通じて、古橋に対して警務部に懲戒処分の請求をしていたそうだ。工藤と市川にも同じ請求をしていたらしい。捕まったときに痛めつけられたって言ってな。裁判所に訴える準備もしてたんだと」

簡単なストレッチを終えた芳賀は、腰に両手を当て話を進めた。

「監察としては事件自体が解決済みで、古橋も猛省してる様子がうかがえるとかで処分は軽いものになった。工藤と市川のほうは、逮捕時のやむを得ない行為として処分はされなかったそうだ。そのことを聞いたのか警務部のフロアで、弁護士にぼやいて憤ってる篠田の姿を後輩が見てる」

「じゃあ、篠田は処分に納得できなくて三人を殺したってこと?」

千里が先読みして訊いた。

「訴訟を起こすにも金や時間がかかるだろうし、思うような判決にならない可能性だってある。篠田に殺意があったならば手っ取り早くと考えたのかもしれないが・・、断定するのはまだ早計だろうな」

そこで芳賀がもうひとつ足した。

「後輩の話じゃ、篠田のぼやきのなかに『マスコミ』って言葉があったと聞いてる。もしかすると篠田は、テレビや新聞にこのことを話そうとしてたんじゃないかなあ」

「だったら殺す必要ないでしょ。それとも、そのマスコミが相手にしてくれなかったから殺人に走ったとか?」

千里がれ言のように言った。

「篠田が失踪した今になっちゃわからねえよ。とりあえず話はここまでだ。引き留めて悪かったな」

芳賀は千里の腕をポンと叩くと去っていった。

「内部からの情報・・・」

千里はふと、芳賀の話の一環が気になった。


 翌日、東京拘置所を訪れた千里は、刑務官の案内で面会室の前に立った。

「執行は明日です。当然ながら本人には伝えていません。ですので、訊きたいことがあれば本日中にお願いします」

案内した刑務官はひそやかな声で千里に告げると、面会室のドアを開けた。部屋に入った千里は椅子にもたれるように腰を下ろし脚を組んだ。待つまでもなく、窓越しに男が入ってきた。男は口に拘束マスク、身体からだは拘束衣を着用し、車輪の付いたストレッチャーにベルトで縛り付けられ、ふたりの刑務官が千里のもとまで運んできた。刑務官がベルトを外し、男をストレッチャーから椅子に移動させて座らせるとマスクを外した。三十から四十代といった容貌のその男、死刑囚の阿久津は、肩まで伸びた黒い髪に無精ひげを生やした青白い顔で、対面した千里に淀んだ眼を向けた。

「綿矢じゃなくて残念だったわね」

千里が最初のひと声をかけると、阿久津は薄気味悪く笑って呟いた。

「やっぱ来なかったか・・。まだ俺のことが怖いらしい・・・」

「話したいことがあるんでしょ。なに?」

すげない態度で訊ねた千里に、阿久津は醜い笑顔のまま言った。

「七節町でサツが撃たれて殺されただろ?三人。えーと・・、工藤と市川・・、あと古橋って野郎が」

千里の胸懐きょうかいが一瞬驚く。

「あんた、いつも拘束されて独房にいるんでしょ。外からの情報も遮断してるって聞いたわ。なのにどうしてそんなこと知ってんの?」

「こん中にはなあ、俺みたいなのを慕ってくれる奴が何人かいるんだよ。そういう連中がこっそり教えてくれるんだ」

怪しげな雰囲気の阿久津がほのめかす。

「殺(や)られた三人には共通点がある」

「篠田照之に関しての件なら、警察はもう摑んでるわよ」

千里が既知きちした風に答えると、阿久津は異なる発言をした。

「違う。もうひとつある」

「もうひとつ?」

聞き返した千里に、阿久津が含みのある口調で話す。

「七節町で杉内春樹すぎうちはるきって野郎が死んだ。それを調べてた七節署のデカのなかに、あの三人がいた。あいつらはなあ、真実を丸々すり替えてんだ」

「どういう意味よ」

「最初、杉内は自殺と思われてた。だけどな、同じ署のひとりのデカが不審な点を見つけて、殺しだと言い始めた。が、三人は自殺で押し通し、上司はそれを受け入れて、その一件は片づけられた」

千里が疑問を投げる。

「三人の意見だけじゃ処理はできないはずよ。疑わしい点があれば尚更」

「裏でコソコソ動いてた奴がいたんだよ。しかもそいつが、杉内を自殺に見せかけて殺した張本人」

「そいつって誰よ」

阿久津が前のめりになる。

笠岡健かさおかけんって代議士だった男だ。」

「だった?」

その過去形の言葉に千里は引っかかった。

「一年前、誰かに殺されてる。お楽しみの最中に死んだってよ・・。フッ、まさに昇天したわけだ」

光景を想像したのか、阿久津は笑みを浮かべて答えた。

「笠岡って奴が犯人だって根拠はあんの?」

そんな阿久津を蔑視しながらも、千里が問い詰めた。

「殺しだと言ってたそのデカが知ってる。そいつの調べでわかったことだ。今は七節町の交番でお巡りさんになってるよ。たしか名前は・・・」

阿久津は目線を一旦下げると、また上げた。

城戸きどだ。城戸茂久しげひさ

そう言うと、先ほどの不快な笑顔から一転、怫然ふつぜんとした表情になった阿久津は椅子にもたれ、笠岡の過去について恨めしく口にする。

「健はなあ、あいつがまだ学生の頃、俺の仲間でサブリーダー格だったんだよ。十五年前、俺が捕まった事件にも関わってた。今思えば俺以上に相手をボコってたな。けどあいつは切れモンでさあ。サツの網の目を潜って、まんまと自分だけ逃げおおせやがった」

「それ、警察や検察にも話したんでしょ」

「もちろん話したさ。でも信じちゃくれなかった。あいつは自分に繋がる証拠は残さなかったからな。裁判でも、無理矢理グループに入れられたとか被害者面して嘘ついて、俺やほかの仲間に責任をなすりつけた。健が殺されたのは自業自得だ」

毒づく阿久津に、千里が呆れたような声を出す。

「自業自得って・・。あんただってやってたんでしょ。どの立場でしゃべってんのよ」

阿久津はその言葉に返さず、呪わしい顔で千里を睨んだ。

「ひとつ訊かせて。黙ってることもできたのに、どうして話す気になったの?」

千里が問うと、阿久津が再び白い歯をこぼす。

「善行だよ。少しは人のためにってやつだ」

答えた阿久津のその顔は、死刑執行が迫っていることを悟っているかのようだった。

「綿矢はどうしてる?」

今度は阿久津が問いかけた。

「元気にしてるわ。ムカつくぐらいに」

千里が皮肉を込めて返事をした。

「あいつ、眼が片方ないだろ」

「それがなに?」

「俺が潰したんだ。捕まえようとしたからアイスピックでブスリとな。だからあいつは、俺にビビって会おうとしないんだよ」

阿久津は嘲るような声で哄笑した。


 東京拘置所の駐車場で、覆面パトカーに乗った千里は、スマートフォンで滝石に連絡した。

「滝石さん。ちょっと調べてほしいことがあるんだけど」

千里はスマートフォンを耳に当てたまま、ダッシュボードからタブレットを取り出した。


 警視庁の大会議室。千里は阿久津の話した内容を綿矢に報せていた。

「善行か・・。あの男がそんなことを・・・」

直立した綿矢が手を後ろに組み、窓に映る景色を見遣りながら言った。その後ろで椅子に腰掛け、脚を組んでいた千里は机に右肘を置き、人差し指をこめかみに当てぐるぐる回していた。

「あんな奴でも地獄には堕ちたくないのね」

うつむき加減に千里が声を出す。

「足を運んでもらってすまない。ご苦労だった」

綿矢が謝辞を述べたが、千里には訊ねたいことがあった。

「古橋の証拠捏造の件。監察にチクったのあんたでしょ?古橋がそれをしたっていう丙里町で起きた強盗殺人、その調書を見たら捜査責任者の欄にあんたの名前があった」

「そうだ。私が監察に話した」

素直に綿矢は認め、続けた。

「彼は規律違反を犯した。報告するのは当然だろう。大した処罰は受けなかったようだがな」

その答えに千里が苦笑する。

「らしいこと言ってるけど、本音じゃ自分が責任を問われるから、少しでも回避しようとしたんじゃないの」

「どう取ろうが構わない」

千里が上目遣いに綿矢を見る。

「私も規律違反してるけど・・・」

「きみは特別だよ」

「おとといはそれで脅しかけてきたじゃない」

「あれは面会に向かわせるため仕方なく言ったまでだ。だが、これだけは覚えておきなさい。私が黙認しているからこそ、きみは事もなくここにいる。要するに私次第で、きみをいつでも地の底に突き落とすことが可能ということだ」

綿矢は厳かに、そして威喝するかのように返した。

「あっそ・・・」

千里が立ち上がり、踵を回らす。

「自分から誘ったくせにイキりやがって・・・」

ささめいた千里は大会議室を辞した。振り返った綿矢は、その姿をサングラス越しに見送った。


 千里はその足で捜査一課のフロアを訪れた。久々の職場風景を横目に、係長席に座って事務作業をしている男のもとへ向かう。

「相変わらずね。ここ」

千里が発した声に、男は顔を上げた。

「緋波・・!?お前休職中じゃないのか?」

その男、捜査一課五係の係長である馬場ばばが、千里を見て驚きつつ言った。

「綿矢に呼ばれたの」

「ってことは、所轄の課長とウチの古橋が殺された事件の捜査にか?」

感づいた馬場が訊ねた。

「そういうこと。で、ひとつ訊きたいんだけど」

口角を上げた千里に、馬場が怪訝な表情になる。

「なんだよ」

千里が机に片手を置き、やや身を乗り出す。

「死んだ古橋について・・・」


 千里が警視庁を出ようと廊下を歩いていると、遠く正面から諸星が声をかけた。

「緋波警部」

諸星が駆け寄ってくる。千里は諸星の腕についたギプスを見て訊いた。

「電車で来たの?」

首を振った諸星が返す。

「いえいえ。ウチの係がちょうどこっちに行く用があったんで、綿矢警視に捜査報告も兼ねて車で一緒に来たんです」

「西野の家宅捜索は?もうやったの?」

「はい。それも含めて警視に伝えようと・・・」

千里が諸星の言葉を被せた。

「先に聞かせて」

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