第6話

 キーボードを叩きながら堀切がしらせる。

「今、ウイルスを仕込んだおとりのメッセージをリーパーに送りました。向こうがそれに反応すれば、人物が特定できます」

「わかったら私に連絡して。七節署の捜査本部にいるから」

千里の申し出に、堀切は了承した。

「はい。心得ました」

千里と滝石が部屋を後にしようとしたとき、男の制服警官がドアを開けて入ってきた。

「こちらに緋波千里警部はいらっしゃいますか」

声を張って呼びかけるその警官に、千里が近づく。

「私だけど」

「綿矢警視がお呼びです」

千里の顔が一瞬、嫌悪の情を示す。

「行ってください。自分は駐車場で待ってます」

滝石は先に部屋を出て行く。千里は制服警官の案内で、綿矢のいる大会議室へ向かった。


 静まり返った大会議室の奥の席に、綿矢が腰掛けている。その背の前で千里が反抗的な空気を漂わせながら立っていた。

「急になによ」

千里が沈黙を破るように言うと、綿矢は過去の話題を持ち出した。

「十五年前、新宿で起きた集団リンチによる連続殺人事件を覚えているかね?」

「知ってるけど」

「事件の主犯格が逮捕され、裁判で死刑判決が下されたことは?」

「頭の片隅にね。それがなに?」

質問の主旨が摑めず、千里は内心苛立っていた。

「その死刑囚、阿久津巧あくつたくみが私に面会を申し出てきた。拘置所に収容されて以降、初のことだ」

「だから?」

綿矢が椅子を反転させて、サングラス越しに千里を見る。

「私の代わりにきみが面会に行ってくれないか」

「は?あんたを指名してきたんでしょ。あんたが行きなさいよ」

千里には理解できない要望だった。

「私はあの男とは二度と会いたくない」

綿矢の顔が曇る。

「お断り。ただでさえ、あんたの頼みでこうして捜査してるのに。これ以上、あんたに強制されたくない」

明言した千里が踵を返して去ろうとする。

「ならば、刑事部長と監察に話して、きみを重い懲戒処分とする」

立ち上がった綿矢が声を上げて告げた。

「好きにすればー」

どこ吹く風と気にせずに歩く千里だったが、次の綿矢の言葉でその足が止まる。

「滝石君もだ」

振り返った千里は、眉を寄せて綿矢の方へ足早に近づいていく。

「どうして!滝石さんは関係ないでしょ!クビにしたいなら私だけにしなさいよ!」

声を荒げて訴える千里に、椅子に座り直した綿矢は落ち着き払った態度で言った。

「きみに対するクレームが二件来ている。ひとつは七節署の高円寺係長。もうひとつは西野という男性からだ。きみはふたりに暴力を振るったらしいね。その場に滝石君もいたんだろ。であれば一蓮托生いちれんたくしょうだ」

「滝石さんは私を止めようとしただけ。第一、そんな理屈通らない」

千里が弁明するも、綿矢は冷たく突き返す。

「それでも通るんだよ。私が上層部ウエに掛け合えばね」

「チッ」

千里の舌打ちを承諾の意と受け取った綿矢が告示する。

「面会はあさっての午前十時だ。遅れないように」

「なんで私なの?」

理由を問う千里に、綿矢は意味深げな声で答えた。

「今のきみの目だ。阿久津と似ている。きみなら互角に話せるのではと思っただけだよ。それにあの男だ。ただ雑談をしたくて呼んだのではないだろう」

綿矢は上着の内ポケットから一枚のカードを取り出し、机の上に置くと、千里の方へ滑らせた。

「これをきみに返却する」

それは、職員証を兼ねたICカードだった。

「私の・・。どういうこと?」

カードを手に取った千里が訊ねると、綿矢は静かな口調で命令を下す。

「きみに拳銃携帯を許可する」

「いきなりなんなの?前は許可出さなかったくせに」

「天海先生から聞いた。きみの症状が快方に向かっているとね。まだ粗暴な面はあれど、正常な判断はできると考え、私が決めた」

懐疑的な目で見る千里に、綿矢は続ける。

「保管庫に行って手続きしてきなさい。それがなければ銃を取り出せないだろう」

「面会の件だけど、ひとつ貸しよ。いつか返してもらうから」

千里はひと言言い置いて大会議室を辞した。


 翌日、夕暮れが迫る頃。七節警察署の捜査本部では、捜査に進展があったようで、児玉と熊倉が、進行席に座っている高円寺にその報告をしていた。

「篠田に関して、被害者三名との接点が見つかりました」

走ってきたのか息を切らせた児玉が高円寺に言った。

「接点が見つかったのか?」

「はい。篠田は四年前、七節町で見ず知らずの女性に、わいせつ目的で怪我をさせたとして、強制わいせつ致傷の容疑で逮捕、当日付で自衛隊を懲戒免職処分。裁判で懲役三年の実刑判決を受けています。それで彼を逮捕したのが、その頃七節署の刑事課にいた工藤警部と市川警部です。ふたりは逮捕の際、強硬手段を用いたらしく、篠田と一悶着あったようです」

「古橋警部補との接点は?」

高円寺のその質問には、熊倉が応じた。

「当時、古橋警部補は丙里町へいりちょうで起きた強盗殺人事件を捜査していまして、後日、その真犯人は逮捕されたんですが、目撃された犯人の似顔絵が篠田とよく似ていたらしく、彼の逮捕時、七節署の取調室でかなり厳しい尋問をしていたそうです」

「逆恨みによる犯行かもしれないってことかあ・・。で、篠田の行方は?」

高円寺が訊くと、児玉が答える。

「行方はまだ摑めていませんが、篠田の自宅アパートに再度聞き込んだところ、隣の部屋の住人が五日前の夜、七節町の大通りで篠田を目撃していました。言い争っていたらしく、その相手が古橋警部補だったそうです。写真を見せて確認してもらいましたので確かです」

「五日前っていったら、古橋警部補が殺される前日じゃないか」

そう言って、机を平手で叩きながら考えていた高円寺が呟く。

「篠田を重要参考人に格上げしたいところだが・・、それだけじゃあなあ・・・」

腰を上げた高円寺が、児玉と熊倉に指示を出す。

「ふたりは目撃証言を頼りに、篠田の居所を見つけ出せ」

「係長、凶器はどうしますか?まだ特定されてませんが」

熊倉が訊ねた。

「そんなもん、犯人捕まえて吐かせりゃわかることだろ。時間がもったいない。早く行け」

高円寺は両手を打ち鳴らして、ふたりを駆り立てた。


 居丈高な高円寺を他所に、前列席の隅で千里はひとり脚を組んだまま、タブレットで工藤と市川が殺害された事件の調書を読み込んでいた。そこへ女の制服警官が声をかけた。

「警視庁の堀切さんという方からお電話が入っています」

千里は席を立ち、最後尾の机にある固定電話の受話器を取った。

―ウイルスの成果が出たようです。端末が特定できました。

「使われた場所は?」

堀切からの報告を聞いている千里のもとに、滝石と諸星が歩み寄る。

「わかった。ご苦労様」

千里は電話を切った。

「堀切さんですか?」

滝石が訊いた。

「ええ。リーパーの正体が摑めたわ」

「誰です?」

さらに滝石が問う。

「使ってる端末から住所を割り出してもらったら、西野の自宅だった」

「ってことは、西野翔平がリーパー」

滝石が言うと、千里はうなずいた。

「そう。これからあいつに会いに行く」

「自分も行きます」

意気込んだ滝石に、諸星が続く。

「なら僕も。署に連行するんでしたら、ひとりでも多いほうがいいでしょうし」

ふたりを見た千里は、ひとつ息を吐いた。

「群れるのは好きじゃないけど・・。まあ、いいわ」

千里を先頭に、三人は一路、西野の自宅へ向かった。


 日が沈み、千里が西野の自宅を仰ぎ見る。電気が点いておらず、家は黒い幕で覆われたように真っ暗だった。

「留守ですかねえ」

諸星は呟いた。千里がインターホンを何度か押すが応答がなく、車庫のスペースを見るとからだった。どうも西野はどこかへ出かけた様子らしい。

「自分、西野の会社に電話してみます。どこにいるか心当たりを知ってるかもしれません」

滝石は上着からスマートフォンを取り出した。

「警部、昨日ここに来たんですよね。滝石さんから聞きました。まさか、警察に自分の裏の仕事がバレることを恐れて逃げ出したんじゃ」

懸念を抱く諸星に、千里は異見を示す。

「見た感じそんな素振りはなかった。『これからミーティング』とか言ってたし」

通話を終えた滝石は、ふたりの前で首を振った。

「ダメです。業務自体はすでに終わっているようで、今はどこにいるのかわからないと」

滝石の報せを聞いた千里は、スマートフォンで堀切に連絡を取った。

「堀切、リーパーなんだけど、スマホの端末も特定できてんの?」

―はい。バッチリ。

「じゃあ、そのスマホのGPSから現在位置を調べてもらえる?」

―少々お待ちください・・。出ました。今は七節町にある<NCホテル>にいるみたいですね。

「追跡してる画像、こっちに送って」

電話を切った千里が伝える。

「西野は<NCホテル>にいるって」

「そこの場所なら知ってます。急ぎましょう」

滝石は威勢よく言うと、覆面パトカーの運転席に乗り込む。千里と諸星も同乗し、車は走り出した。


 三人は<NCホテル>のエントランスにいた。千里がスマートフォンの画面を見る。

「アイコンが動いてないから、西野はまだホテルの中にいる」

「西野が車で来たとしても、駐車場へ行くには必ずここを通らなければいけません。待ってればいずれ本人が来るでしょう」

滝石が辺りを見回しながら言った。

「緋波警部!」

諸星がフロントを指差す。そこには、ビジネスカジュアルに身を包んだ西野ともうひとり、スーツを着た外国人らしき褐色肌の男が、お互い片手にブリーフケースを持って話していた。ふたりがホテルを出ようとするのを千里たちが阻む。

「西野さん、あなたに銃刀法違反容疑がかかっています。署までご同行願えませんか」

滝石が強い目力で西野に告げた。

「Hey!What gives?」

スーツの男が何事かと、英語で西野に訊ねた。

「We are the police」

千里が身分を明かすと、その言葉を聞いた男が慌てて駆け出し、刑事三人の脇を走り抜ける。

「そいつ捕まえて!」

振り返った千里が近くにいた警備員に向かって叫ぶ。その千里の視界から、西野の姿が外れた瞬間だった。ブリーフケースの中に右手を入れた西野が取り出したのは、「グロックモデル」と呼ばれる拳銃に酷似したストライカー式という撃鉄を持たない自動拳銃だった。修羅の形相になった西野が千里に狙いを定め、引き金を引いた。

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