第5話

 立ち上がった千里が、西野の髪の毛を鷲摑みにし、その西野の顔をテーブルの上に激しく叩きつけた。

「てめえ何様だ!あ!ナメた口利いてんじゃねえぞ!」

千里は怒声を浴びせながら、西野の顔面を幾度も卓上に打ち当てた。

「緋波さんダメです。緋波さん!」

滝石が身を挺して必死に止めに入る。千里は払うように摑んだ手を放したが、憤りは治まっていなかった。

「もういい。あんたには訊かない」

吐き捨てた千里が玄関へと向かって行く。

「大丈夫ですか・・・」

滝石が気遣わしげに声をかける。血と唾液にまみれたテーブルの上で、西野は顔をゆがめて苦悶していた。


 外の公道を歩く千里に、滝石が追いつく。

「緋波さん。気持ちはわかりますけど、無抵抗の相手にあそこまでするのはいくらなんでも度を越してます。始末書や訓告じゃ済みませんよ」

「私、ああいう傲慢な奴、大嫌いなの。殺したくなる」

滝石も諸星同様、千里の暴力的な面が増していると感じた。


 ふたりは予定を少し変更して、辻井彩香に聴取すべく自宅であるマンションにいた。

「警視庁の者ですが、二、三お伺いしたいことがございまして」

玄関で滝石が、彩香の前に警察手帳を提示した。

「入ります?ちょっと散らかってますけど」

黒髪のショートカットに、くりっとした丸い目をした、二十代と見える秀麗な顔立ちの彩香は、西野とは違い、快く部屋の中にふたりを迎え入れた。


「ひとり暮らしですか?」

 滝石が何気なく訊いた。

「はい。今、お茶出しますね」

彩香はそそくさと台所へ向かう。

「どうぞお構いなく」

滝石はそう言ってソファに腰掛けた。隣に目を遣ると、先に座っていた千里が、視線を下げてうつむいている。

「どうしました?」

なにか悩みでもあるのかと、気にかかった滝石が訊いた。

「ん?ちょっと考え事・・・」

千里がポツリ答えた。滝石の思い過ごしだったようだが、千里の恐ろしく厳粛した目つきに、滝石は杞憂きゆうしてしまうのだった

「お待たせしました」

彩香が真四角のローテーブルの上にお茶を差し出すと、正座をして、やや緊張した面持ちで身構えた。

「そんな緊張なさらなくて結構ですよ」

彩香の様子を察して、滝石が優しい声をかけた。

「あ、はい。それでお話というのは?」

顔を上げた千里が、聴取を行おうと切り出す。

「西野翔平って男、知ってる?」

「<ウエスト・ウイング>の西野さんですよね。ええ、存じています」

彩香はうなずいた。

「あいつってどんな奴?」

「人見知りなとこはありますけど、私には気さくに接してくれますよ。優しいですし」

「優しい・・・」

千里は呟き思った。西野には極端な二面性があると。

「西野さん、なにかやったんですか?事件に巻き込まれたとか?」

彩香がふたりに訊ねると、滝石が物柔らかに答えた。

「いえ、そうじゃないんです。詳しくはお話しできませんが、捜査の過程で西野さんのお名前が出てきたので、人柄などをお聞きしたく参っただけですから。ご心配なさらないでください」

頬を緩めた彩香に、千里が前のめりになって声を投げる。

「あなたと西野はプライベートな付き合いはあるの?」

千里の一歩踏み込んだ問いに、彩香は戸惑いながら片手を振った。

「特別男女の付き合いなんてないですよ。接待を受けて、何度か食事をごちそうになったことはありますけど。それ以上の関係はありません」

「西野さんの会社とお取引される予定だとか」

滝石が彩香に訊いた。

「はい。私、個人でネットショップ経営してまして、ハンドメイドの商品を販売してるんです。それを西野さんは気に入ってくれたみたいで、自分の運営するサイトでも販売してみないかと勧めてくれたんです」

そこで彩香が、両手を広げて前に出した。

「ちょっと待っててください」

彩香はすっと立ち上がり、部屋の奥に向かった。

ほがらかそうな方ですね」

微笑んだ滝石がふと千里を見ると、当の本人は、上着のフラップポケットに左手を突っ込んでいた。

「探しものですか?」

滝石が訊ねた。

「そう・・。あ、そっか。本庁に置きっぱなしだった」

千里がまし顔でポケットから手を出したとき、彩香が戻ってきた。

「これなんですけど」

彩香が滝石に手渡したのは、鮮やかな花柄を模した手帳型のスマートフォンのケースだった。

「スマホケースですか。これはご自身で?」

ケースをまじまじと眺め回して滝石が問うた。

「はい。ほかにも小物を入れるポーチや、キーホルダーなども制作しています」

「すごいですね。とても手作りしたとは思えない。デザインも素敵ですよ」

滝石は、彩香の器用さに賛称の言葉を並べた。対して、醒めた目でその様子を見ていた千里が話を戻す。

「西野に関して、ほかに知ってることは?」

「いえ。さっき話した以上はなにも・・・」

すまなそうに恐縮する彩香に配慮した千里は、穏やかに礼を述べた。

「わかったわ。ありがと」


 千里と滝石は、警視庁にあるサイバー犯罪対策課を訪れた。舟木が証言したダークウェブの闇市場、<ゴルゴン>と謎の出品者、「リーパー」の調査を頼むためである。

「<ゴルゴン>はアジア諸国を中心に市場規模を拡大しているマーケットです。取引は匿名性の高い暗号資産で行われています。我々も現地当局と協力して、常時監視、摘発に当たっていますが、サーバやプロキシの構成が複雑であることと、不定期に閉鎖と開放を繰り返しているため、管理者の特定に至っていないのが現状です。けれども、国内でこのマーケットを利用している売主や買い手は、こちらで何名か逮捕できています」

黒縁の眼鏡をかけた捜査官の堀切渉ほりきりわたるが席に座り、ふたりに説明した。

「そのサイトに、リーパーって名で銃を売ってる奴がいるらしいんだけど、リーパーってのが誰なのか、特定することはできる?」

千里が堀切に申し入れた。

「やってみましょう。これは捜査用の専用端末ですから」

堀切はデスクトップパソコンのキーボードを打ち出す。そこへドアを開けて諸星がやって来た。

「どうしたの?」

諸星を見た千里が訊いた。

「綿矢警視に緋波警部がここに来ると話しましたら、様子を見に行けとおっしゃられたもので」

「で、覗きに来たわけ?」

千里がつれなく言うと、諸星は苦笑いした。

「まあ、そんな感じです」

「捜査本部のほうはどうなってますか?」

滝石が諸星に問いかけた。

「昨日と同じです。参考人になってる篠田の行方を追うのと合わせて、引き続き目撃者探しと、警察や被害者三名を恨んでる人物がいないか捜査しています」

諸星は答えた。

「ちょっと来て」

ひと言諸星に発した千里が部屋の出入り口へ向かう。諸星は怪訝そうな表情で後をついて行った。


 諸星がサイバー犯罪対策課の部屋を出ると、千里がある物を諸星の前に差し出した。

「あんたに頼みたいことがある」

それは手に包めるほどの大きさの、バネが巻かれた金属製で黒い鉛筆状の棒だった。

「科捜研に行って、これがなんなのか調べてもらって」

千里はその棒を諸星に手渡した。千里が続けて言う。

「本当は私、これがなにかわかってるんだけど、一応念のため」

「承知しました・・・」

諸星は渡された棒をしげしげと見ながら応じた。

「よろしく」

付託した千里が部屋に戻ろうとすると、諸星が呼び止めた。

「警部、事件に使用された銃なんですけど、捜査本部では3Dプリンターで作った銃じゃないかとか、モデルガンを改造した銃や木と鉄パイプで作ったジップガンを使ったんじゃないかとか憶測が錯綜しています」

「近いけど・・、少し違うと思う」

千里は腕を組んで自身の意見を述べる。

「3Dプリンターで作った銃なら、そもそも線条痕は残らないし、耐久性に問題が生じるから、撃ったときに暴発する恐れがある。それはモデルガンやジップガンも同じ。これから人を殺そうとする奴がそんなリスク負うと思う?」

「確かに。そんな危険犯しませんよね。ほかにも殺害する方法はありますから」

諸星が腰に手を当て考えていると、千里が訳知り顔で話した。

「実を言うとね。犯人がどんな銃を使ったのか、私には見当がついてるのよ」

「なんなんですか?」

「内緒。まだはっきりしてないから」

気にかかる諸星を他所に、千里はドアを開けて部屋に入っていった。


 <ゴルゴン>のサイトのウェブページを堀切がパソコン画面に表示させる。

「今のところ、閉鎖はされていないようです」

堀切はマウスを動かした。

「この人物のことでしょうか」

そのページには、≪REAPER≫の記名の下に、拳銃の写真がずらっと並び連なっていた。

「全部オートマチックの拳銃ですねえ」

写真を見て滝石が言った。

「こいつの正体を知りたいんだけど」

千里が出品者名の文字を指した。堀切が案出する。

「でしたら、リーパーなる人物が使用する端末に、我々が開発したウイルスを仕込みましょう。そうすれば、こちらのサーバにも秘密裏に情報が送信されますので、自ずと実体も判明するはずです。このサイトからとなると専門的な技術がいりますが」

「でもそれって令状が要るでしょ」

千里が訊くと、堀切はうなずいた。

「ええ。なので事後報告になってしまいますけど」

「いいわ。私が責任持つからやって」

「了解です。並行してログの精査なども行ってみますので、少し時間をください」

堀切が早速作業に取りかかる。

「緋波警部」

ドアを半分開けて顔を出した諸星が、小声で千里を呼んだ。


「わかった?」

 部屋を出た千里が諸星に訊ねた。

「科捜研の方にこれを見せたら、調べるまでもなく、すぐに答えてくれましたよ」

諸星は預かった金属製の黒い棒を、千里に返した。


 その頃、捜査一課のフロアにある個室内で、銀のような白髪をオールバックにした髪形に、黒く折り目正しいスリーピーススーツを着こなした綿矢が、椅子に腰掛けたまま、スマートフォンを耳に当て話していた。

「ええ・・。ですので、代わりの者を向かわせます・・。はい・・。それでは」

電話を切った綿矢は個室を出ると、通りがかりの制服を着た警察官の男にひと声かけた。

「きみ、ひとつ頼まれてくれないか?」


 千里は諸星の報告を聞き終えたあと、返された棒を示して問うた。

「じゃあ、これは本物ってわけね」

諸星がうなずく。

「はい。科捜研の方がそうおっしゃってました」

「わかった。あんたはこれからどうすんの?」

「僕は七節署に行きます。綿矢警視からの指示を高円寺係長にお伝えするので」

「そう。ありがとね」

謝して微笑をこぼした千里は、サイバー犯罪対策課の部屋に入っていった。

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