第4話

 いきなり大きな声を発した諸星に、千里と滝石の視線が向く。

「知ってるんですか?」

滝石が訊ねると、諸星が話し出す。

「知りませんか?西野翔平って、元お笑い芸人ですよ。『マンドリル』ってコンビのツッコミだった人です。芸人辞めたあと、漫画家に転向して賞も取ったんですけど、その受賞した作品が後になって、実は別の人が描いたものだったことがわかって、ひと騒ぎあったんです。それからこの人、世間やマスコミの目から逃れるように雲隠れしちゃって。なにしてるかと思ったら、まさか社長になってたなんて・・。ほんとに知りません?」

「知らない」

即答した千里だったが、滝石には覚えがあったようだ。

「漫画の件なら知ってます。ワイドショーなんかで取り上げられてましたよね」

「古橋はそんな奴になに訊いたの・・・」

千里が呟いた。

「そろそろ捜査会議の時間ですね。それじゃ、僕はこれで」

腕時計を見た諸星は一礼して別の席へと移っていく。それと入れ替わりに芳賀がふたりのもとに近づいてきた。諸星が会釈すると、芳賀は片手を軽く挙げて返した。

「緋波」

芳賀は千里の隣席に座り、腕を組んで正面を見据えたまま説き起こす。

「これから会議で報告があるが、先に伝えとく。古橋の死亡推定時刻だ。直腸温度、その他諸々の具合から、昨夜の二十二時から今日の深夜三時ごろと推定された。ほかのガイシャも夜間に殺されてる。あと、使用された弾丸は前の二件と同じ、線条痕もだ。科捜研が使用した銃を特定しようとしたんだが、やっぱり見つからなかったそうだ」

千里は黙ったまま、無愛想な表情を芳賀に向けている。

「なんか、前にも似たような事件があったって科捜研の奴が言ってたなあ」

芳賀はわずかに回想すると、姿勢を変えずに説明を続けた。

「あと科捜研でもうひとつある。弾道距離を計測したら、犯人はガイシャから五メートルほどの距離で発砲したであろうことがわかった。ほかのガイシャも大体そのくらいだった。それにガイシャ三人が三人とも、心臓と脳の視床ししょう部を正確に撃ち抜かれてる。こりゃ犯人は手練てだれだな。距離で考えてみても、相当訓練を積んだ人間でなきゃできない芸当だ」

そこで芳賀は目を閉じ、うつむくと自身の考えを述べた。

「これは俺の主観なんだが、犯人はガイシャ三人の行動パターンを知ってた可能性がある。工藤と市川はふたりとも帰宅途中、人通りがない場所で殺された。さっき一課の連中が話してるのを耳にしたんだが、古橋は帳場が立ったときから、いつも夜遅くに外でメシを済ませたあと、あの道を歩いてここに戻ってきてたらしい。あそこも夜は人がほとんどいないと聞いてる。犯人は丹念に調べ上げたうえで、犯行に及んだんじゃないかと俺は踏んでるよ」

芳賀の推論に千里はなにも返さず、思考を巡らせていた。

「ま、刑事じゃない俺の考えだ。参考にするかしないかはお前に任せるよ」

千里にそう言って目を開けた芳賀は、静かに席を立った。

「これからまた仕事だ。お前と違って自由じゃねえんだよ。俺は」

芳賀は会議室を辞した。


 捜査会議では遺体に関しての報告から始まり、このほかにも、目撃者は今もなお見つかっておらず、警察に恨みを持つ者は大多数おり、事件と関係する人物の割り出しに時間がかかっていることや、殺害された被害者三名に共通して怨恨を抱く者がいないか、引き続き捜査をしていることなどを、捜査員たちが各々、管理官を代行する高円寺に状況報告を上げている。その様子を千里と滝石は、後ろの席で見守っていた。

「次!児玉こだま熊倉くまくら組」

高円寺がマイクに向かって放った呼び声に、警視庁捜査一課の児玉と、七節警察署の熊倉の刑事ふたりが立ち上がった。児玉が先に話し出す。

「篠田照之ですが、古橋警部補が手帳に書き残した住所を訪ねたところ、篠田の自宅アパートでした。呼び鈴を押したのですが応答がなく、留守のようでしたので大家に訊きましたら、ここ数日見かけてないそうです」

児玉に引き続き、熊倉が進める。

「その大家が、篠田は建設会社で土木作業員として勤務しているとの供述を得ましたので、当該の会社に聞き込みしたところ、篠田は四日前、つまり市川警部が殺害された日から、作業現場を無断欠勤しているとのことで、心配した上司が所轄署に行方不明者届を出しています」

「あともうひとつ、篠田について情報があります」

高円寺を見て児玉が言った。

「なんだ?」

手帳を見ながら児玉が報告する。

「建設会社に保管されていた履歴書を見て判明しました。篠田は元陸上自衛隊の自衛官です。しかも直近の所属は第一空挺団でした」

「そこってあれだろ。自衛隊の特殊部隊だろ?」

高円寺の答えを、熊倉が少し修正する。

「正確には特殊部隊ではありませんが、その母体になった部隊です」

「ってことは、銃の扱いに慣れてるってことかあ・・・」

思案顔になった高円寺に、児玉が付け加える。

「自衛隊が採用している拳銃も九ミリ口径。一連の事件で使用された凶器と一致します。被疑者としての公算は大きいかと」

平手で机をドンと叩いた高円寺が立ち上がる。

「よし!児玉と熊倉は、篠田が被害者三名と接点がなかったか探ってくれ。ほかの者には俺から各自指示を出す!」

高円寺はすでに、正式な管理官になったつもりでいた。


 翌日、快晴の空の下、千里と滝石は、古橋の手帳に記された住所のひとつであるオフィスビルを訪れた。そのビルは十階建ての高層ビルで、三階から五階までが西野が経営する会社、<ウエスト・ウイング>のフロアだった。応対した稲村陸いなむらりくという専務が、ふたりを応接室まで案内した。

「西野は社におりません。業務は主に、在宅でのリモートワークで行っています」

ベタついた黒い前髪に大きい鼻と口、そして肥満気味なのか、着ているワイシャツがやや窮屈そうに見える四十代の稲村は、ふたりに対面して言った。

「そうですか・・・。」

てっきり社内にいるとばかり思っていた滝石は肩透かしを食らった。それは千里も一緒だった。

「ここに古橋って刑事が来たと思うんだけど」

「古橋・・・」

千里が訊ねると、稲村は一瞬回想して言った。

「ああ、はい。先日いらしてましたねえ。そのときも私が応対しました。今申したことと同じ話をしましたらすぐに帰られましたよ」

稲村の答えに、千里は無駄骨かもと小さく息を吐いた。

「この住所、西野さんのご自宅の住所でしょうか?」

滝石は手帳を取り出し、事前に住所を書き写していたページを開いて稲村に示した。

「はい。そこです」

稲村はうなずいた。

「西野ってどんな男?」

少しでも情報がほしい千里の問いに、稲村が訊き返す。

「と、おっしゃいますと?」

「“人となり”って意味」

解した稲村は言いづらそうに答える。

「ちょっと人間不信な面はありますかね。当然かもしれませんが、社員の雇用や取引先に関しても、本当に信用できる人物かどうか、入念に調べたうえで決めてますから。それに、西野はあまり自分のことについては話さないんですよ。ご存じですか?数年前に西野がテレビで騒がれたこと」

「あれですよね。漫画の件」

滝石が遠慮がちに言った。

「ええ。西野は、まだマスコミが自分の動向を探っているのではと、疑心暗鬼になってる節がありまして。この会社を立ち上げて以降も、ほとんど出社せずに、会議などは全てウェブ上で済ませています」

「それでも、ここまで規模を拡大できたわけですか」

滝石が感嘆の声を漏らす。

「企業経営については、かなり勉強したみたいですからね。努力の賜物たまものでしょう」

稲村はそこまで説明すると、目線を左に向けた。

「でも、あの方なら西野をよく知っているかもしれません。西野が珍しく好意を持っていたようで、食事にまで誘っていたと聞いたことがあります」

「誰?」

新たな証言を得た千里が、稲村に訊いた。

辻井彩香つじいあやかさんという女性で、弊社の取引先にと西野が推奨していた方です」

「その人の住所ってわかる?」

さらに訊いた千里に、稲村はまたもうなずいた。

「わかりますよ。以前、お会いして名刺を頂戴した際に、ご住所とご連絡先を伺ったので。それを記載した書類を今お持ちしますので、少々お待ちください」

稲村は席を立ち、足早に歩いて行った。


 千里と滝石が覆面パトカーで向かった先は、西野が暮らす二階建ての戸建て住宅だった。その住居は気品を備えており、車庫のスペースには、オレンジ色のスポーツカーが駐車してある。稲村から西野は独身と聞いていたため、外観からこの男の金回りの良さが伺えた。千里が玄関先で警察手帳を示すと、口ひげを生やし、髪型をツーブロックにした西野は顔を顰(しか)め、露骨に不快感を表した。警察が来ていることを近所に見られたくないのか、しぶしぶながらも、ふたりを自宅に招じ入れた。


 西野は千里と滝石をリビングに通し、椅子を薦めた。長方形のダイニングテーブルを挟んでふたりに面向かった西野が口火を切る。

「急になんですか?これからミーティングがあるんですけど」

四十代初めといったジャケパンスタイルの西野が、やり手を気取りつつ、ぞんざいな態度を取った。

「お時間は取らせません」

滝石が言うと、続けて千里が聴取する。

「古橋って刑事、ここに来なかった?」

「あー、はいはい。なんか会社に私がいなかったから、こっちに来たって。それが?」

「そいつはあんたになにか訊いた?」

千里のした質問に、西野は拒絶反応を示す。

「これ任意ですよね。だったら答えたくありません」

「自分たちも職務で行っているので、どうかご協力願えませんか?」

滝石が平身低頭に頼み込むと、西野が思いもよらない発言をした。

「いくら払えば帰ってくれます?」

「え?」

訊き返した滝石に、西野が加えて話す。

「だからお金ですよ。三万ですか?五万?それとも十万ですか?前に来た刑事さん、その古橋さんっての。あの人は五万でなにも訊かずに帰ってくれましたよ」

あざけるような西野の笑みを見て、千里が呟く。

「腐ってる・・・」

西野が振り返り、棚の上にあるデジタル式の置時計を見る。

「早く決めてくださいよ」

追い捲くように言って、テーブルを指で小刻みにトントン叩いていた西野が、正面を向いた直後、千里の感情が爆発した。

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