第3話

 七節町の空は曇り始め、今にも雨が降り出しそうだった。長い高架線脇の道路を一台の覆面パトカーが走っている。

「そこ」

助手席の千里が指差す。運転する滝石は一棟の雑居ビルの近くに覆面パトカーを停めた。車を降りたふたりはビルの中へ入り、千里を先頭に狭い階段を二階まで上ると、すぐ横にスチール製で上部にりガラスが付いたドアがあった。ふたりがそのドアの前に立つと、千里が傍らにあるインターホンを押した。すると、ドアを開けて上下黒いジャージ姿の十代と思しき男が現れた。

「誰だあんたら?」

男が訝しそうな目つきになる。

「引っ越してないみたいね」

千里は右手で男の頭を摑み、前に押し出して室内に入ると、摑んだ手を放した。

「なんだよいきなり!お前誰だ!」

強面で迫る男の目の前で、千里は警察手帳を開いた。

「警察・・。ガサか?」

問いかけを無視した千里は、男を脇に押しやり、まっすぐ奥へ進んでいった。滝石も室内に入り、固唾を呑んでその様子を見ていた。

「令状はあるんですか?ガサ入れにしては人数が少ないように見えますが」

高級スーツに身を包み、格調高い自席に座っている浅黒い顔をした高年層の男、舟木組組長の舟木やすしが、千里に泰然と訊ねた。

「違う。ガサ入れじゃないわ」

千里が舟木の机の上に腰を下ろした。

「では、なんのご用で?」

舟木が背もたれに寄りかかった。

「あんたにひとつ、訊きたいことがある」

周りにいた数人の組員たちが警戒心を強めていると、千里の顔を見て舟木が気づき、前のめりになる。

「あなた、前にもここにいらっしゃってましたよね。数人の刑事さんと一緒に」

千里が微笑む。

「ええ、来たことあるわ。私ってそんなに印象深かった?」

舟木が再び椅子に背をあずけた。

「そりゃそうですよ。あなたみたいな美人の刑事さんは初めて見ましたから」

千里の外見に視線をわせた舟木が続けた。

「印象といえば、随分と様変わりしましたねえ。当時はもっと堅物の印象を受けましたが」

「まあ、こっちもいろいろあってね」

「で、訊きたいこととは?」

尊大な態度の舟木に、千里が本題に入る。

「銃はどっから仕入れてるの?」

千里の問いに舟木は失笑しながら席を立ち、ズボンのポケットに手を入れて、ブラインドで閉められた窓の方へ歩いて行った。

「そんなの答えられるわけないでしょう。馬鹿なこと訊かないでください」

「だと思った」

机から離れた千里は、舟木に近づいていく。

「こりゃ一雨降りそうだなあ」

ブラインドの薄い羽根を指で開け、空を眺めて呟く舟木の後ろに千里が立った。

「ご質問がそれだけでしたら、お引き取りください」

舟木が淡白に言って振り返った瞬間、横を向いていた千里が、左腕で舟木の顔面に痛烈な肘打ちを食らわせた。鼻骨が折れた舟木がその場に転倒する。

「なにやってんだ!てめえ!」

激高した組員たちがこぞって千里に襲いかかろうとした。滝石がホルスターから拳銃を抜こうと手を伸ばしたとき、千里が左方にある木製の低い戸棚に置かれた一升瓶を、左手で取って降り下ろし、戸棚の角に叩きつけてその瓶を割った。響き渡った大きな音に、組員たちの動きが止まる。割れた瓶を右手に持ち替えた千里が言葉を放つ。

「来るなら来なさいよ。なんならここにいる全員ぶっ殺してもいいのよ」

千里の眼は威嚇ではなく本気だった。

「待て!やめろ!」

舟木が出血した鼻を押さえながら組員たちを制した。舟木の前にしゃがみ込んだ千里が訊く。

「仕入れ先、言う気になった?」

黙ったまま、舟木は千里を睨みつける。

「言いたくなければ言わなくてもいいけど、白状しないとこれから暴対課と機動隊の連中呼んで、お前ら逮捕させるわよ」

千里の発したことを、舟木はただの脅しだと軽んじた。

「最初にぶってきたのはあんただろ。だいたい、逮捕状もなしに逮捕なんてできんのかよ」

「できるわよ。例えばお前らが私に暴行した。とか」

笑みを浮かべた千里は、割れた瓶の切っ先を自分の頬に食い込ませた。

「警察ってのはね、身内に危害を加えた奴には特に厳しいの。下手すりゃなにされるかわかんないわよ」

千里の冷たい笑顔を見た舟木に戦慄が走った。

「あんた、狂ってんじゃないのか」

「どうすんの。言うの?言わないの?」

荒くなった息を整えた舟木は、交換条件を出した。

「ここだけの話にしてくれ。俺が警察にしゃべったと本家にバレたら殺される。それが約束できるなら・・・」

「おいコラ!てめえ、組長オヤジに吐かせるつもりか!」

スーツを着た組員のひとりが、金属バットを手にすごむと、滝石が拳銃を抜いて構えた。

「動くな!」

拳銃を向けられて、組員たちは抵抗もなにもできなくなった。

「わかった。話して」

千里が割れた瓶を頬から離すと、舟木は答え出した。

「闇サイトだ。ダークウェブだよ・・。そこで銃を売ってる奴がいたんだ。パーツだけ売ってたり、金だけ騙し取るような奴が多いのに、そいつは銃を丸々出品してた。弾薬付きで大量に。しかもサツには特定できない銃と謳ってたから、試しにひとつ買って、下の奴らに大阪で使わせた。ちょうど敵対する組の事務所を襲撃するつもりだったからな」

鼻血を拭った舟木が続ける。

「全然バレなかったよ。あとんなって、サツの知り合いにそれとなく訊いたら、『どの銃で撃ったかわからない』って言ってた」

「その知り合いって誰?」

「府警のデカだ。けどもう死んだよ。大阪の組の奴らに撃たれてな。蜂の巣だったらしい」

嘲笑した舟木が立て膝になった。

「でだ。そいつの宣伝文句が本当だとわかった俺は、以来そいつから銃や弾薬を仕入れるようになった。海外から輸入するよりもコストがかからなかったしな」

「それが三年前」

千里が言うと、舟木はうなずいた。

「銃を売ってる奴はどういう奴なの?」

問うた千里に、首を振った舟木が答えた。

「知ってるのはハンドルネームと、<ゴルゴン>っていう闇市場で商品を売ってたことだけだ。取引はネット上でやってたし、受け渡しも直接会ってしたわけじゃない。だからあとはなにも知らない」

「じゃあ、そのハンドルネームって?」

「ウェブ上では「リーパー」って名乗ってた」

「リーパー・・。死神・・・」

呟いた千里は舟木に訊ねた。

「ちなみにあんたら、警官撃ってないわよね?」

「んなことしてねえよ。俺らはそういう役回りじゃない」

「そう・・・」

千里が瓶を放り投げて立ち上がる。

「教えてくれてどうも」

すげなく謝した千里は事務所を出て行った。

「追ってくるんじゃないぞ」

組員たちに釘を刺した滝石は、拳銃をホルスターに収めて、階段を下りる千里のもとへ駆け出した。


 千里と滝石が覆面パトカーに乗り込む。組員が尾行してないか、運転席で周りを気にしている滝石の隣で、助手席の千里はスマートフォンを耳に当てていた。

「暴対の課長に繋いで」

「えっ、約束破っちゃうんですか?」

滝石がまさかといった表情で訊ねた。

「ヤクザと約束なんてするわけないでしょ」

千里が当然のように答えた。

「確かに・・。そうですね」

得心した滝石がエンジンのスタートボタンを押した。


 雨がそぼ降る夜。捜査本部の会議室内では、千里と滝石が机の上に立てかけたタブレットで、大阪府警から取り寄せた暴力団事務所襲撃事件の調書を読んでいた。

「舟木の言ってたとおり、使用された銃は特定されなかったみたいですね」

タブレットに表示された文面を滝石が指す。そこへ諸星がやってきた。

「聞きました。またコンビ組んだそうですね。どうです?捜査は進展していますか?」

諸星は、最後尾の椅子に座っているふたりに問いかけた。脚を組んでいた千里は、タブレットの画面を見ながらポツリと答えた。

「なんの用?」

「明日、本庁で綿矢警視に捜査の経過報告をするので、一応、警部にお知らせしとこうと思いまして」

「とか言って、私に関しての報告なんじゃないの。また監視してた?」

千里が疑念を示すと、諸星は両手を振って否定した。

「いえいえ違いますよ。そんな命令されてませんし。本当に捜査の報告です」

滝石が会議室内を見回す。

「そういえば捜査本部が立ってから、一度も管理官見えてませんね」

千里が不平交じりに話す。

「あいつは、よほどのことがない限り捜査本部に来ないわ。前からそうだった。指示は全部本庁から出してる」

「緋波警部と滝石さんは今後、どうされるんですか?」

諸星がふたりに訊いた。

「自分たちは明日、西野翔平という方に会いに行く予定です」

滝石の答えを千里が引き継ぐ。

「それから本庁のサイバー課に寄るつもり」

「西野翔平・・?どっかで聞いたような・・・」

諸星が視線を上げた。

「明日に備えて手帳にあった住所、調べときましょう」

タブレットを操作しようとした滝石が、ハッと想起したかのように千里を見た。

「あっ、住所書き写すの忘れてました」

「大丈夫。覚えてる」

千里は冷静な口調で、記憶したふたつの住所を言った。滝石は慌てた様子で、タブレットに地図を表示させ、検索バーにその住所を入力する。

「西野・・。西野・・・」

諸星は腕を組み、依然として回顧していた。

「えーと・・。ひとつは戸建て住宅、おそらく自宅でしょう。もうひとつはオフィスビル、こちらは勤め先ですかねえ」

滝石は検索結果を千里に見せた。

「手帳には、住所の下に≪ウエスト・ウイング≫って書いてあった。もしかして、その勤め先の名前じゃない?」

「待ってください」

千里の推測に応じた滝石が、検索ワードを追加する。

「そうですね。企業名です。オフィスビルの住所と一致します」

「どんな会社?」

訊いた千里に滝石は、次にインターネット検索を行い、その会社のホームページを表示させた。

「主に通販などのECサイトを運営する会社のようですね」

千里が画面を注視する。滝石は会社概要のページをタップして続けた。

「これを見ると・・、大手とまではいきませんが、売上高も上々みたいです。海外とも取引がありますねえ。アジアや欧米諸国か」

ページを見ていた滝石はなにかに気づき、画面を指差した。

「緋波さん、これ」

役員紹介の欄に、≪代表取締役社長兼CEO 西野翔平≫と記載があった。

「西野って人、社長だったんだ」

やや驚嘆した滝石は、ほかに情報はないかと画面をスクロールした。すると、≪代表挨拶≫の文字と共に、男の写真が載ったページが表示された。ふと、その男の写真を見た諸星が声を上げた。

「あっ!西野翔平。思い出した!」

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