第2話

「撃たれたの?」

 千里の言うとおりだった。青いビニールシートの上で目を大きく開いたまま、仰向けに横たわるスーツの男の遺体には、眉間と胸の二か所に被弾したような銃創ができていた。

「まだ鑑識中だ。諸星、緋波に説明してやれ」

「わかりました」

芳賀の指示を了承した諸星は、千里を鑑識員たちから少し遠ざけて話し出した。

「確かに射殺です。しかも被害者はウチの五係に所属してる主任なんです」

「やっぱり・・。殺されたのは一課の奴ってことね」

千里は気づいていた。遺体が着ているスーツの襟に付けられた赤バッジに。諸星はうなずいた。

「はい。実を言うと、七節町で射殺されたのはこれで三人目なんです」

「じゃあ、前にも」

「ええ。最初は七節署刑事課長の工藤雅志くどうまさし警部。その二日後に同署の地域課長、市川瑛司いちかわえいじ警部。で、四日経った今日の古橋豊警部補。つまり、ここ一週間で警察官が三名射殺されたことになります。撃たれた箇所も皆同じ。一報を受けた捜査本部は現在のところ、犯人をほかの二件と同一犯ではないかと見ています。ちなみに、その捜査本部に古橋警部補もいました」

「そこまでわかってんなら、私要らないじゃん。帰る」

去ろうとした千里の腕を諸星は摑んだ。

「待ってください。ここからが肝心なんです。摘出された弾丸から、九ミリ口径なのはわかったんですけど、捜査本部が使用された銃を特定しようとしたんですが、該当する銃が警視庁のデータベースにないんです」

「ないってどういうこと?口径がわかってんなら絞れるでしょ。たとえ新型の銃だとしても、開発された時点で逐一データが更新されるわ」

「それでも見つからないんですよ。鑑識や科捜研の話じゃ、弾丸の線条痕が独特らしくて、どの銃で撃ったかわからないって。警察庁のデータベースとも照らし合わせたんですよ。それでもなかったんです」

諸星の手を振り払った千里が言う。

「だったら、犯人が本当に銃を使ったのかもわかんないじゃない」

「ええ。せめて目撃者でもいればいいんですけど、ひとりもいなくて。なので、捜査本部は銃の特定よりも先に、警察に恨みを持つ者、被害者三人に共通して殺意を抱いている者がいないか、片っ端から当たっています」

「じゃあ、私もそれを手伝えってこと?」

千里が訊くと、諸星は腕を組んで想起する。

「いや。警視の口ぶりだと、緋波警部は警部独自のやり方で捜査してもいいような感じでしたね」

「もし呼ばれたのが、ただの応援捜査だったら私、帰るから」

きっぱり断言した千里に、諸星はやや困惑した。そのとき、作業を終えた芳賀がふたりに呼びかける。

「緋波、諸星」

手招きした芳賀のもとにふたりが歩み寄る。

「どうでした?」

諸星が問いかける。

「司法解剖すればはっきりするだろうが、帳場の見立てどおり、前の二件と同じ殺しだ」

「やっぱり同一犯」

そう言った諸星に、芳賀は厳しい口調で答えた。

「あくまでその確率が高いってだけだ。今の段階じゃまだわからん」

険しい眼差しで芳賀が千里を見た。

「緋波」

千里のそばに近づいた芳賀が、囁くような声で言う。

「古橋の遺留品のなかに手帳があった。なにか事件の手がかりになることが書かれてるかもしれない。今、七節署の鑑識課に回した。これから帳場の連中が見るだろうから、お前もあとで見に行け」

芳賀は千里の肩をトンと叩くと、その場を離れていった。


 千里と諸星が乗った覆面パトカーが、捜査本部の置かれている七節警察署へと進んでいた。運転席でハンドルを握る諸星が、助手席の千里に訊いた。

「緋波警部。事件とは関係ないんですけど、ひとつ質問してもいいですか?」

「質問による」

「なんで綿矢警視はいつもサングラスしてるんですか?警部は昔、警視の部下だったんですよね。もしかしたら理由をご存じじゃないかと思って」

この一連の射殺事件を担当している警視庁刑事部捜査一課管理官の警視、綿矢宗臣むねおみは常に黒いライトカラ―のサングラスをかけている。諸星はそれが前々から気になっていた。

「あいつの右眼は義眼なの」

意外にもさらりと答えた千里は、ウィンドウに映っては過ぎ去る街並みを眺望しながら続ける。

「人づてに聞いた話だから、細かいことまでは知らないけど、あいつが一課の刑事だった頃、犯人を逮捕しようとしたときに抵抗されて右眼を負傷した。それ以来、あいつは義眼だってことを他人に悟られたくなくてサングラスをかけるようになったって、私はそう聞いてる」

「警視にそんな過去が・・・」

諸星が吞み込み顔になっている隣で、千里は嘲笑うように言った。

「私としては、ざまぁって感じだけど」


 七節警察署に到着したふたりは、署内の廊下を歩いていた。捜査本部のある会議室の前まで来たところで、千里はもうひとりの男と再会した。だが滝石や諸星とは違い、千里にとっては気に食わない男だった。七節警察署刑事課強行犯係係長の高円寺満こうえんじみつるであった。

「緋波、警部・・。管理官が捜査員をひとり増やすって言ってたが、まさかあんたか」

ダブルのスーツを着た高円寺は千里を見ると、手を腰に当て、苦り切った表情をした。

「ったく。本庁は人手不足かよ。またこんな厄介モン送って来やがって」

聞こえよがしに高円寺が陰口を叩いた直後、目に角を立てた千里が、高円寺の股を思い切り蹴り上げた。痛みに悶え、前屈みになった高円寺の横顔に、千里は右フックで強烈な打撃を与えた。壁に打ち付けられ、廊下に突っ伏した高円寺は、あまりの苦痛にうめき声を出した。

「あんた、死にたいの?」

千里は高円寺を見下ろして冷たく言い放った。

「諸星、私は鑑識行ってくるから。あんたはあんたの仕事してて」

投げやりに指示した千里は歩き出した。通り過ぎざまに千里が高円寺の腹を一発蹴った。むせぶ高円寺を後目に、千里は鑑識課へ歩みを進める。その一部始終を間近で見ていた諸星は、瞬く間の出来事に止めることができなかった。そして、以前にも増して性質が荒々しくなっている千里に内心怯えていた。身をもがいている高円寺を見て見ぬふりをした諸星は、黙って会議室に入っていった。

「あの女・・、絶対クビにさせてやる・・・」

唇を切った口で高円寺は忌々しくぼやいた。


 鑑識課を訪れた千里は、滝石と出くわした。

「あっ、緋波さん。今、遺留品をチェックしていたところです」

机には殺された古橋の遺留品が並べられていた。

「そのなかにさあ、手帳はない?」

千里は訊きながら目で探した。

「手帳ですか。ありますよ」

滝石は数点の遺留品のなかから、ビニール製で透明の証拠品袋をひとつ手にした。中には、茶色いコンパクトサイズの手帳が入っている。

「ちょっと見せて」

白手袋をはめた千里は、滝石から証拠品袋を受け取り、中から手帳を取り出した。しおり紐が挟んであるページをめくると、丸で囲まれたひとつの名前が記されていた。

篠田しのだ照之てるゆき・・・?」

千里が呟く。滝石が千里の隣に立ち覗き込んだ。

「ああ、その人なら、捜査本部が参考人として調べ始めています。このページから先はなにも書かれていませんので、被害者が最後に書いたものということになります。本部はこの書き方と、しおりが挟んであるのを見て、被害者となにかしら深い関係にあるのではないかと、とりあえずですが判断したみたいですね」

名前の下に住所がふたつ記されている。滝石がそれらを指した。

「この場所に一課とウチの捜査員が聴取に向かっています。本人がいるかもしれませんので」

千里が一枚前のページをめくると、名前がひとつと、住所がふたつ記されていた。

「これは?」

そのページを示して、千里は滝石に訊いた。

「これは被害者が生前、聴取に行った所です。市川課長が殺害されたときの捜査で。あのときは、特に収穫はなかったと捜査会議の際に報告していましたかね。さっき一課の方に訊きましたら、どうやら被害者が独自のルートで見つけた人物だったそうです。」

千里がページに記された名前を見つめる。

「独自のルートねえ・・。西野翔平にしのしょうへい・・。だったら私は、この人から話を訊いてみる」

「なら自分も。係長から、『本庁からひとり増員が来るから、その捜査員と組め』と指示を受けました。緋波さんのことですよね?」

「多分」

ひと言言った千里は手帳を証拠品袋に戻し、机に置いた。

「その前に行きたいとこがある」

千里が鑑識課を出て行くのを滝石は追いかけ、横並びになると問いかけた。

「どこです?」

舟木ふなき組の事務所。引っ越してなきゃいいんだけど」

その名を聞いて、滝石が思い起こす。

「舟木組・・ってたしか、暴力団ですよね。轟仁ごうじん会系の」

廊下を歩きながら千里が説明する。

「奴らはね、組織では武器の調達係なの。銃やドスなんかを仕入れては本家に上納してた。三年前、今の暴対ぼうたい課と合同捜査したとき、捜査の過程で私は、奴らが警察にはバレない銃を仕入れ出したって情報を耳にしたの。でも、あのときは刺殺事件だったから、銃は関係ないだろうと思って気にも留めてなかった」

「じゃあ、その銃がこの事件と関係していると?」

「なんらかの繋がりはあると考えてる」

千里が立ち止まって、滝石の顔を見る。

「滝石さんは来なくてもいいのよ。私ひとりで十分だから」

この期に及んでと滝石が返す。

「行くに決まってますよ。いくら緋波さんとはいえ、ヤクザの事務所にひとりで乗り込むなんて無茶過ぎます。緋波さん、拳銃持ってるんですか?」

「持ってない」

「なら尚更ですよ。自分は命令が出てるんで拳銃、携帯してますから」

滝石は上着を広げて、腰のベルトに取り付けてある拳銃が収められたホルスターを千里に見せると、続けて言った。

「護衛も兼ねて緋波さんに同行します」

「勝手にして」


 千里がまた歩き出した。後ろから滝石もついて行く。会議室前に来たところで、千里を見つけた高円寺が血相を変えて会議室から出ると、歩いてくる千里の前に立ちはだかって指を差した。

「俺を殴ったこと、管理官に伝えたからな。あんたはもう・・・」

高円寺が言い切る前に、千里が高円寺の顔面にストレートパンチを打った。血が流れた鼻を押さえて高円寺は後退あとずさり脇に避けた。障壁を取り払った千里は、何事もなかったかのように通り過ぎていった。一瞬のことに滝石は右往左往していたが、やがて高円寺に向かって謝った。

「すみません!」

深く頭を下げた滝石は、すぐに千里の後を追いかけた。

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