22 祭のあとには

 代休でのんびり過ごした月曜日、受験生そらちゃん先輩だけは忙しく働いてくれたようだ。

 夜にはカメラ部ブログが更新された。

 文化祭について、ふんだんに画像を添えて詳細に記録されている。それこそ正門前に建ったベニヤ板製の門をくぐるところから。


 二眼レフという通好みなカメラを愛用しているそらちゃん先輩がなぜ広報担当に選ばれたかと言うと、ネットリテラシーがしっかりしているから。

 なるほど確かに、顔を写しているのは舞台上の演者などだけ。なるべく一般人が入らないよう細心の注意を払っているのが分かるし、うっかり見切れた場合はぼかしをかけている。

 私は愛機を使いたいんだよぉーとボヤきながら、スマートフォンで撮りまくってたっけ。ちなみにどうして二眼レフなのかと訊いたら、答えて曰く『好き好んで手のかかるカメラを使う女はいるのだよ、好き好んで手のかかる男を選ぶ女と同様に』だそうだ。奥が深い。


 カメラ部の展示は、全体を引きで何枚か。それと、個人個人の展示をアップで二枚ずつ。撮影者へのお褒めの言葉と、作品を見て『こういう写真を撮ってみたい』と思った閲覧者へ向けて、ちょっとした技術的な解説が添えてあった。

 この写真はここがこういう風に凄いんだよ、こうやって撮ってるんだよと。


 オレは期待の新入部員として紹介されていた。

 本格的にカメラを触り始めてまだ二ヶ月なのに! と感嘆符付きで、爆焼けの美作川の写真を絶賛してくれている。

 照れるぜ。

 まあオレは周囲に恵まれたけどな。始めて山の上公園でカメラを構えた時、たまたま横にタカ君がいなかったら、なんでシャッターが切れなかったのか分からないまま放置してると思う。


 何を始めるにも、縁ってだいじなんだな。

 もちろん独学で突き詰めてる人を否定はしない。それはそれで尊敬する。けれど教えてくれる人がいるのはオレの強みだ。


 それから二枚目にピックアップされた写真だが。

 まさか、猫かいっ! のツッコミを二度も入れることになるとは思わなかった。

 ちゃこが可愛いのは揺るぎなき事実だから仕方がないとは言え。


 ただ、そらちゃん先輩による『ペットを可愛く撮るには』の蘊蓄はためになった。今度から意識してみよう。逆光を狙って、ピントは目に合わせて。


 他の部員の解説は難しくて理解できないものもあった。特に部長が『百二十ミリ組』と呼んでいる特殊フィルムカメラグループは、そらちゃん先輩自身が二眼レフを愛用していることもあり、内容が濃すぎる。

 絞りとシャッタースピードだけ理解した程度ではまだまだ良い写真は撮れないということだ。

 何とも奥が深い世界だ。

 いつかこの記録を再読した時、分かるようになっていたら良いなと思う。


 助っ人枠でいちばん輝いているのは、案の定タカ君だった。

 一緒に撮ったとは思えない。

 何の差だろう。やっぱレンズかな。篠塚部長がヨダレを垂らすプロ用機材だもんな。


 まだ山のふちに濃いオレンジ色の残照が残っているのに、気の早い星は既に空の上で自己主張を始めている。青いフィルター越しに見ているような町並みに灯りが点り、手前の県道はヘッドライトが光の川のようになっていた。

 そらちゃん先輩によると、星がじっとしているギリギリの時間はせいぜい十五秒から三十秒。けれどもその間、時速六十キロの車なら二百五十から五百メートルも進むから、フィルムには川となって記録される。

 タカ君の写真には二つの、時計の針の進み方が違う世界が同時に写っているわけだ。


 そして最後はもちろん鷹栖先輩——タカ君の親父さん。

 ……やっぱ、圧巻だった。

 奥行きが違う。色の深さが違う。空の青さが、水の透明感が、何もかもが違う。


 この写真には技術的解説がなかった。その代わり、部長が書いたあのメッセージが全文掲載されている。

 鷹栖先輩への愛とリスペクトに溢れる長文は、哀悼のメッセージであると共に遺された自分達への励ましでもある。

 写真を辞めない。

 撮り続ける。

 その決意が深く静かに感じられて、先輩を直接知らないオレまで胸が熱くなる。


 展示作品の紹介の後は、来場者への感謝。それから、片付けの様子の画像で記事は締めくくられていた。

 最後まで読み終えてから、いつも通りリアクションしておこうと思い——


「んっ?」


 びっくりした。

 既にとんでもない数のいいねが付いている。

 いやまあ普段の、部員しか読まないであろう活動ログとは違うし、多いのは分かるんだけど、それにしても桁が違いすぎる。


 ……何だこれ。



 ***



「いやー、焦った焦った」


 翌日の火曜、いつもの化学室。

 文化祭を最後に引退したはずの三年生そらちゃん先輩が顔を出し、ブログがバズった件について説明した。


「ちょっと目を離したら、なんかえらいことになってて。びっくりしちゃった」

「他人事みたいっすね」

「他人事だもん。リュリュさんがSNSでつぶやいたからなんだし」


 あの人形みたいな顔のモデルはインフルエンサー。この件で初めて覚えた、流行の発信源という意味だ。

 そう称される人物が『これを見て』と言えば、数千数万というフォロワーが一斉に見る。『良いよね』と言えばいいねする。

 そして、フォロワーのフォロワーの……と、もはやモデルのリュリュを知らない人にまで届いて、訳わかんない広がりを見せている。


 こうなると変なのも寄って来がちだが、幸い荒らされなかった。

 好意的に紹介されていたからだろう。

 もし彼女が攻撃的な性格で、カメラ部への批判的なコメントを発信していたら、大変なことになっていたかも知れない。

 ……案外、いい人だったんだな。リュリュさんて。


「だからやめた方がいいって言ったのよ、わたしは。鷹栖さんの写真、影響力が大きいの」


 何か荷物を抱えてやってきた柘植部長が会話に加わる。


「むしろミサちゃんの弔辞が評判だよ。泣いたってコメントいっぱい付いたもん」

「泣かせるために書いた訳じゃないんだけど」


 澄ました顔でそんなことを言いながら、重そうな紙袋を大机に置く。

 オレとは違って三年生と絡むのが苦手だとかで離れたところで雑談していた他の部員も集まってきた。

 その様子から皆、部長が何を持って来たのか——これから何を配るのか、もう分かっているようだ。


「文化祭後の恒例、うちの店からの記念品を渡すわね」

「何すか」

「フォトブック。写真なんてもう家でプリントする時代だからねえ、こういう付加価値を付けないとカメラ屋はやっていけないの」


 皆に冊子を配りながら部長がさらっと自虐ネタを交える。

 文字通り、文化祭で展示したオレらの写真が、全部まとめて新書くらいの大きさに製本されていた。これは凄い。オレの写真が本格的な写真集になった!


「広瀬君、君のマジックアワーハンター仲間に渡してくれる?」

「了解っす」


 託されたのはフォトブックだけではなかった。ラッピングクロスの塊と、フィルムとプリントが入った『つげカメラ』印の封筒も同時に渡される。

 玉手箱だったものと、その中身だ。


 見たいっていう衝動を死ぬ気で抑えた。オレには、タカ君より先にこれを見る権利はない。

 ただ……タカ君を呼び出す口実は手に入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る