21 無限大な光の世界
今年七月、山岳写真家の鷹栖嘉裕氏が、撮影中の事故でこの世を去りました。
まだ四十六歳という若さでした。
西校カメラ部の先輩であり、部員の目標であり、行く道を照らす光のようでもあった氏の突然の訃報に、私達は言葉を失いました。
今でも信じられない思いでいっぱいです。
きっとまた素晴らしい写真を撮ってきてくれる、カメラの可能性を広げてくれる。山の強い日差しで真っ黒に日焼けした顔で笑いながら、沢山のフィルムを私の家、氏に贔屓していただいていた『つげカメラ店』に預けに来てくれる。
勝手にそう思い込んでいました。
彼が来店した時はいつも、私は父を手伝うふりをして会いに行きました。すると、現像したフィルムや焼き増ししたプリントを店頭で確認すると言って、私にも見せてくださるのです。
一番最初に彼の作品に触れることができる。それが私の自慢でした。
本当に、憧れでした。
カメラ部員一同、氏のご冥福をお祈りすると共に、ご遺族へ、心よりお悔やみを申し上げます。
これは氏と私の店の、最後の共同作業です。
事故の衝撃により破損したカメラからフィルムを取り出す仕事を、私どもは託されました。
そしてここに、氏がフィルムに留めた最後の風景を、ご遺族のご厚意により展示いたします。
この写真を撮るために、氏はあの日、山に登ったのです。
肩に降り積もる雪の重さを。
じりじりと身を焼くような日差しを。
せせらぎの音を。花の香りを。
氏の写真は私達に伝えてくれます。
この目で見るように、この手で触れるように、確かに伝わってきます。
ずっと考えていました。なぜフィルムに拘っていたのか。その答えを、私はこの写真に見た気がします。
彼の目に映る無限大の世界を表現するには、デジタルの千六百万色では足りないのだと。
鷹栖さん。
あなたの新作をもう二度と拝見することができなくなりました。
それが残念でなりません。
けれども私達は、カメラを置くことはないでしょう。毎日ファインダーを覗き、沢山シャッターを切り、いつか誰かの心に残る一枚を撮ることができるよう励むでしょう。
そして何より、そうすることを楽しむでしょう。
あなたがそうであったように。
私達もそうありたいと、願っています。
心からの感謝と、哀悼の意を捧げます。本当にありがとうございました、先輩。
県立西高等学校カメラ部
部長 柘植美紗都
***
添えられたメッセージを静かに読み終えてから、タカ君は訥々と語ってくれた。この、青空を映す鏡のような湖について。
七回目のチャレンジでようやく撮れたんだそうだ。
過去四回は雲の中。二回は悪天候で到達することすらできず下山している。
その日が快晴だったことは、調べれば分かる。
だが撮ったかどうかが分からない。
壊れてフィルムが巻けないカメラは、タカ君が前進することを阻んでいた。
「タカ君はどう思う? この写真」
「良く撮れてる」
「上から目線だねえ」
「俺の人生ぶち壊したんだ。このくらい撮って帰らないとだめだろ。……あいつらしいよ。凄ぇあいつらしい。この構図が大好きでさ、いっつもこんな、ワンパターンな写真ばっか撮ってたんだよ」
「タカ君、今……」
撮ってた、って言った。
お父さんの思い出が、過去形になってた。
「何?」
「や、なんでもないよ。それお父さんの個性って意味だよね」
多分、無意識なんだろうな。だったら指摘すべきじゃないな。
悪い変化ではないんだし。
柘植部長が書いた手向けの言葉はかなりの部分でタカ君とシンクロしている。
作品を一番近くで、誰より早く拝見できる、身近なファンだったってこと。心から慕っていた大切な目標が急になくなり、戸惑っていること。
それでもカメラが好きで、好きでたまらないこと。
あの壊れたカメラを受け取った時、柘植部長は涙をこぼしていた。
そして、部内で唯一、展示に反対した。
結果的に一枚だけってことで納得したみたいだけど。
やって良かったよね。特別展示。
ちゃんとタカ君の時間が流れ始めた。
「時間ある? 飯食おう」
「いいけど何を」
「料理部のおべんとう、受け取りに行こうぜ。家族の分も抑えておいたんだけど、兄貴が来てくれなくてさ」
こういうベタな口実をタカ君は信じるタイプだろうか。
それとも『敢えて多めに買ったんだろうな』と穿っちゃうだろうか。
顔に出ないからどっちかは分からなかった。ちょくちょく醸す厨二病ムーブに、まだ反抗期を克服できてない節があるけど、繊細だからなあ。
「料理部のあれ、美味いって話だよな」
「あ、知ってた? そうそう、去年食べられなくてさー、今年は速攻で抑えたんだ」
「去年かぁ。模擬店の焼きそばがクソまずかった思い出しかない」
「あ! それオレが食ったやつと同じかも! むちゃくちゃ焦げ臭かったよね!」
「つか普通に焦げてたろ、あれ」
そういえば、同じ学校に通ってるんだよな。
去年の話なら共通の話題がある。
あの頃はまだ爺ちゃんは生きていた。余命の宣告も受けていなかった。オレはあと半年もしないうちに爺ちゃんが死んでしまうなんて思ってもいなかった。
カメラに興味もなかった。同級生のタカ君も、風変わりな生徒達が集まったカメラ部の存在も、知らなかった。
爺ちゃんの死やタカ君の親父さんの事故を、こういう風に捉えるのは不謹慎かも知れないけど。
あの悲しみの先に今があるんだから、人生って面白い。
お昼時ということもあって猛烈に並んでいる模擬店をスルーして、料理部が店舗を構えるA校舎一階へ向かう。
さすが受注生産、混んでない。
そして美味い。
うちの母ちゃんのカボチャの煮物、面取りなんかしてないぜ? これ高校生の部活レベルじゃないって。
満足度の高い昼食のあとは他の展示を見て、体育館も覗いて、うちの教室に行ってクラスメイトが焼いたチョコバナナクレープを買い食いし、駄菓子の模擬店で冷えたラムネを飲み、『これなら大丈夫そう』ということで無難に美味しそうなたこ焼きを三パックくらい購入した。
カメラ部への差し入れだ。
「行ってみる? 写真部のほう」
「いや良い。あっちのセンスは、なんか良く分かんない」
「だよねー」
本来の意味の『写真映え』とはニュアンスが違う気がして仕方がない。ああいう連中が求める『ばえー』というやつは。
「今はもうカメラに任せておけば良いからね。それじゃ写真を撮ってるんじゃなくて、撮らされてる……って親父が愚痴ってたな」
「部長も副部長も、似たようなこと言ってた。何を撮るかじゃなくてどう撮るかが写真の醍醐味なのにって」
タカ君は深く頷いていた。分かる! とばかりに。
やっぱり、あの二人とは絶対に気が合うと思う。
一緒にたこ焼きをつまむことなく、タカ君が暇乞いをする。クラスの皆が頑張っている手前、呑気に見学できないと。
またねって、再会を約束する挨拶をしてバイクを見送ってから、カメラ部に戻る。
ちょっと遠回りして写真部の前を通りすがってみた。ちょうどあのモデルのトークショーが始まる前で、賑わっていた。
けれど同じ時刻のカメラ部もまた、人が絶えることがなかった。
勝負したつもりはないが。
少なくとも、負けてはいない。
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