19 オレらの心の被写界深度

「お待たせしました。今日はもうお揃いですね。皆さん写真は受け取りまし——あら?」


 いつも通りふわふわした感じで登場した門倉先生、場の重い空気にしばし固まる。


「どうしました? 何かトラブルでも?」

「そういう訳じゃないんだけどさ。まあ普通に打ちひしがれるよね」


 誰も口を開けなかったので、副部長が全員の心中を代弁する。

 その通りだった。

 タカ君のお父さんは、そりゃプロだから当然なんだけど、そんなレベルじゃない凄味があった。

 もちろん裏事情っていうか、この一枚を撮影するために彼が払った代償を知っているからこそ胸が痛むんだけど、多分、何も知らなくたって感動する。


「……鷹栖さんの写真ですね。私は撮る人ではありませんけれど、見る目は持っていると思っています。本当に素晴らしい写真でした」


 タカ君は今も赦せないでいる。

 天気が悪くなりそうだから早めに出発すると、三者面談に行く約束をぶっちした父親を。

 そして、そんな父親に暴言を吐いた自分自身を。


 写真が好きだからこそ。

 自然相手の撮影が予定通りにいく訳がないって、理解しているからこそ。


「部長、他にないんですか? せっかく許可をもらったんだし、あるだけ展示しましょうよ」


 男子部員が提案すると、一部の部員が同意した。

 そうだそうだその通りだ、カメラ部の展示は鷹栖氏の写真で盛り上げよう、なんならリバーサルフィルムのスライドショーもやろう、みたいな感じで。

 勝手に意気が上がっている。


 ……えーと。あれ?

 何それ。


 そんなことできる訳ないじゃん?

 タカ君がどんな思いで部長にお父さんのカメラを託したと思ってんの?


 どんな思いであの日に向き合う決心をつけたと思ってんの……?


「バカなこと言わないで!」


 部長が声を張り上げることは滅多にない。皆驚いた様子で押し黙った。

 ……あるいはプロレス技の刑に処されることを恐れてか。


「皆さん。部長は最後まで、鷹栖さんの遺作の展示に反対していたんですよ。命を賭して写真を撮ったカメラマンへの冒涜だと言って。そこを、私が説得しました。せっかく鷹栖君が申し出てくれたのだから、彼の許容範囲を超えないだけの展示しましょう。確かに鷹栖さんの未発表作品、それも遺作ですよ、大々的に発表すれば彼の写真を愛する人は挙って足を運んでくれるでしょう。でもそれが何になります? これは私達の展示なんですよ?」


 門倉顧問の言葉でオレ、分かっちゃった。

 タカ君の親父さんがカメラ部のOBだってこと、先生は知ってたんだな。


 だから、卒業生の手を借りようというオレの提案は蹴ったんだ。

 まだあの頃は、タカ君の中でお父さんのことが片付いていなかったから。


 だけど今——自ら玉手箱を開け、止まった時間を動かす決意をしてくれた今、逆にこっちが気を遣いすぎるべきではない。


「確かに、写真部の連中と同じ発想だね」

「あっちのレベルに落ちるとこだった」

「俺らは俺らの展示をしよう」


 カメラ部の展示を『我らがOB・悲劇のプロカメラマン鷹栖嘉裕の遺作展』にしないことで場の雰囲気がまとまったところで、ふと、副部長はどういう立場だったんだろうか気になった。

 大々的に利用すべきだという一部の部員。世に出すべきではないという部長。一枚だけ、という妥協案で全方位を宥めた顧問。果たして篠塚先輩は。


 この結果に満足している、そんな雰囲気だった。


 視線に気付いたのかこっちを向いて軽く肩をすくめてみせた。

 うちの顧問、意外とやるだろ? って感じで。



 ***



 文化祭前日の金曜日。

 午後の授業はなく、一、二年が主導して明日の準備を行う。

 ……はずだったが、もう部活を引退したはずの三年がメインで動く文化部は、うちに限らず多かった。


 我らカメラ部はA校舎の教室で展示をする。両隣はアニメ研究部と花道部、この並びの意味は分からなかったが少なくとも写真部とは離れていて良かったと思う。


 初めて足を踏み入れた三年生の教室に多少緊張したものの、準備の雰囲気はいつもの『先輩達の場所』ではなく、何と言うか、工事現場だった。

 どこの教室も大道具を運び込み、電動ドリルや金槌の音が響いている。騒音が酷いから会話の音が大きくなり、賑やかさはさらに増す。

 嫌いじゃないけどな。この雰囲気。


 カメラ部の展示は慣れたもので、パネルを立てて写真を飾るだけ。

 ティッシュで花を作ったり、折紙の鎖を繋げたりはしない。

 ただ部員の写真だけを淡々と並べる。写真を展示する、それ以上でも以下でも以外でもない空間だった。


 部長が持ってきてくれたオレの写真は四つ切りサイズで、六種類、それぞれ三枚ずつ。余白の部分に日付とサイン、それからエディションナンバーを書き込むよう指示された。

 分母に限定数の三、分子は通し番号の一から三までの分数を、それぞれ書く。日付も一緒なら焼いてもらった枚数も同じなので、部員は皆ほとんど同じ数字。

 個性を出せるのはサインだけだったが、名前を筆記体でさらさら書く程度で済ませる部員ばかりだった。オレ中学時代に自分のサインを考えて練習したんだけど、ここで披露しても良いんだろうか。

 太一の太と一を組み合わせた、ウィンクしてるスマイルマークだ。マジックアワーハンターの硬派な作風とは合わないかも知れないが、オレしか書けないという意味ではばっちり役割を果たしている。


 この写真は間違いなく自分の作品であるという証拠を、こうやって完璧に残すこと。

 学生だからと言って手を抜いてはいけない。作品への誇りと責任を持て。

 部長のプロ意識、学ばねばと思う。


 ……逆にタカ君の意識の低さはホント呆れるぜ。

 何だよ、撮ったフィルムをくれるって。オレの作品ってことにしても良いのかよ。


 言質は取ってあるものの、所詮は口約束だ。一応メッセージを送って念押しした。君のと、お父さんの、ホントに飾るよと。

 返ってきたのはやたら個性的なスタンプ一個。意味が今イチ良く分からなかったが多分『反対ではない』という消極的同意だろう。


 一枚目は自分のもの。二枚目を展示。三枚目は予備だ。デジタルをアルミの、フィルムを木製のフレームに入れる。

 自分とタカ君、十二枚分の作業を終わらせてから、他の部員の仕事を覗いてまわる。


 全て木製フレームの篠塚先輩は、人のいる風景を撮っていた。学校の廊下もあれば、街もある。満開の桜の下の小さなベンチに座る老夫婦らしき後ろ姿は、二人が重ねた時間が感じられて特に好きだ。

 柘植先輩のモチーフは優しい光と不思議な空気感のある静物だった。ガラスの器や鏡、花束、可愛いスイーツといったものを、影を意識して撮っている。小型犬は先輩の家の子かな。

 そらちゃん先輩の六枚は全て、花と空の組み合わせ。二眼レフの味わいが爆発していた。


 他の皆も思い思いの写真を撮っていた。

 いろんなモチーフがあるのにみんな違う。

 機材も撮影方法も違う。

 心のピントが合うものは誰一人同じではない。


 登山道がいっぱいある山みたいなものなんだな。写真って。

 スタート地点はバラバラ。難易度もそれぞれ。けれど目指す頂は同じ。良い写真を撮ること。


 そして動機も同じ。

 写真が、楽しい。

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