18 上には上が、もっと上が

 文化祭前、最後の火曜。

 今日の部活内容は、展示する作品を選ぶこと。

 オレはこの日を待っていた!


 デジタルの方は既に選んである。母ちゃんたっての希望で猫写真も一枚入った。マジックアワーハンターとしてどうなんだと思わなくもないが、是非にと言うんだからやむを得ない。

 まあ、うちの可愛い茶トラをお披露目する良い機会だ。

 あとは吉森で撮った夕焼けを二枚、山の上公園で撮った朝焼けを二枚。じっくり見比べて選んだ。見比べすぎてゲシュタルト崩壊を起こし、どれが良いのか自分でも分からなくなってきたから、周囲の意見も取り入れつつ。


 残り一枚はフィルム写真のために空けてある。

 さて、どんな仕上がりになっているだろう?

 同じ場所同じ条件で撮ったんだから、だいたいデジカメと同じになっているはずなんだけど。


 今日は皆、集まりが早い。クラスの出し物についての話し合いが長引いてしまい、ちょっと出遅れたオレが化学室に着いた頃、ほとんどの部員が既に揃っていた。

 一列になって部長から写真を返してもらっている。

 オレも慌てて最後尾に並んだ。


「ヒロ君、今日は珍しく遅かったね?」


 前に並んでいるそらちゃん先輩が話しかけてきた。


「クラスの話し合いです。オレは部活があるからって免除してもらえたっすけど、まだ揉めてますよ」


 列はサクサク進んでいる。

 受け取った部員から大机に写真を広げて、どれを展示しようか選ぶ作業に移っていく。なるほど、実験用の大机が役立っている。


「何やるの?」

「模擬店っす。帰宅部のエースのままだったらオレ、土日ずっとタピオカを煮る係でしたね」

「あはは! そりゃつまんないねえ」


 三年生は気楽なもんだとばかり、そらちゃん先輩は朗らかに笑う。


 そらちゃん先輩の相棒は二眼レフ。縦長の箱の正面に目玉が二つあって、百二十ミリという大きなフィルムを必要とする独特なカメラだ。上の目玉で見て、下の目玉で撮影する。

 一個のレンズから取り込んだ光をミラーとペンタプリズムで操作する一眼レフとは違い、二つの目玉がそれぞれ分業しているため内部構造が簡単だという。

 中学時代、物置で見つけてその格好良さに一目惚れしたは良いものの、使い方が分からず飾っていた。西校に入学して意気揚々と写真部に持ち込んだら、そういうのはカメラ部でやれと追い返されたんだそうだ。

 あの派手シャツに。

 ……てな話を聞いて以降、勝手に親近感を抱いている。


「そもそもなんでタピオカ煮るんすか」

「乾燥タピオカはお湯で柔らかくしないと食べられないんだよ」

「なるほど煮物と言うより乾物」

「なんか和食みたいに聞こえるねえ」

「そらちゃん! 広瀬君!」


 おしゃべりに夢中になっているうちに列が進む。行列あるある。

 すっかり置き去りのオレ達、慌てて部長の元へ駆け寄る。

 先にそらちゃん先輩、それからオレ。自分の分とタカ君のぶん、二つ封筒を受け取る。いっぺんに出したのに別々になってた。

 片方はオレが書いたオレの名前。もう片方は……鷹栖って書いてある。


 ……木偏に西。

 そうだったそうだった。


 お互いの写真を見比べながらキャッキャウフフしている部員達で大机がほぼ埋まっている。空いているところを探して座り、まずは自分の写真を取り出してみた。

 インクジェット用紙ではない、本物の印画紙にドキドキしつつ。一枚目から順に、机に置いていく。


 最初の一枚は化学室、二枚目はうちの猫。篠塚先輩に使い方を教えてもらった時と、家で練習した時のものだ。

 へぇ。不思議。

 画質はスマートフォン程度、周囲四隅がうっすら暗い。光の玉が綺麗。これが古いカメラの味わいなのかな。


「……ぉ」


 そして三枚目からは吉森のマジックアワーだ。

 めくる度に、時が進む。空がどんどん暗くなっていく。

 ただの連続写真じゃなくて色々、あれこれ試行錯誤した痕跡があった。真っ暗や真っ白を挟みつつ、時々適正露出で撮れてるって感じ。打率四割ってとこかな。

 途中で傾きが直っているのは、師匠に指摘されたからだ。自分では気付かなかったけど確かに傾いてた。すごいなタカ君。

 光がふんわり柔らかくていい雰囲気だ。デジタルでこれだと失敗写真に数えてしまいそうだけど、何て言うのかな、空気が感じられる。これはこれでアリ。


 吉森が夜になったら、山の上公園の朝の写真になった。

 こっちはむしろ、デジカメより迫力がある。

 あの爆焼けをうまく留められたのは、デジタルよりフィルム写真の方だ。なんでだろう。空を映す美作川の茜色まで、ばっちり再現されている。


「巧いね。いい写真だよ」


 通称『ナナメってる先輩』こと副部長が、いつの間にかナナメに覗き込んでいた。


「あざす。まあ師匠の腕がいいんで」


 鷹栖と書かれた、もう片方の封筒を撫で撫でする。

 オレの一生の宝物とは、フィルムそのものではない。初めてタカ君と一緒に撮影した記憶だ。

 教えてもらったことも全部含めて大切なんだ。


 ……見て良いかな。

 展示しても構わないとは言ってくれたけど。

 オレ大丈夫かな。並べたら悲しいことになること確定だけど。


「そっちは、秘密?」

「いや、オレが貰ったものなんで。好きにしていいはずっす」

「じゃ見せてよ」


 意を決して取り出してみる。まぁ今更、タカ君にライバル心を滾らせたり嫉妬で歯噛みしたりしないはずだ。

 何しろオレとは比べ物にならない高みにいる人なんだし。

 あの格好良さに憧れこそすれ、自分と見比べるなんて百万年早い。


 表面を触らないよう、厚みの部分を持って。

 封筒から出した写真を見て——思わず叫びそうになった。


「うっ……わ」


 いつも飄々としている篠塚先輩も感嘆の声を漏らす。

 それを聞きつけて集まってきた部員達。


 タカ君の写真は、一段も二段も違うレベルにあった。

 空の濃さ、影の深さ、オレの写真には映っていない街の灯や淡い星まで、なにもかもが。


 気軽に『流してみる』とだけ言って撮っていた写真が、また凄い。

 帰宅ラッシュの県道が光の川のように横たわっている。

 オレがうっかり撮って手ブレを起こしたヒーローフィギュアの長時間露光写真とはまるで違う。止まるべきものは止まり、流したいもののみが流れ。

 これ本当に、あの場でアドリブ的に、思いつきで撮った写真なんだよな?


 タカ君。

 どんだけのものが積み重なってるんだよ。君の足元には。


「恐ろしい才能だよ、ほんと」

「どっちの意味っす?」

「両方」


 生まれ持ったセンスも、環境も。


「鷹栖君と言えば、少し皆に伝えておきたいんだけど」


 部長が大きめの厚紙封筒を大切そうに抱えて輪に加わった。


「彼のお父さんのことは、みんな知ってるよね。今回、その、最後の撮影に使ったカメラを預かったの。ボディが歪んで巻き取れなくなってたから暗室で開けてみてほしい、フィルムが無事だったら現像して、展示しても良いって言ってくれて……」


 すらり、と。

 大きく焼いた写真を一枚、取り出して大机に置く。


「これを、文化祭で借りようと思ってる」


 それは、タカ君のお父さんが最期に見た風景——

 雪を残したままの急峻な尾根に囲まれ、青を通り越して紺色の空を映す静かな湖の、息を呑むほど壮大な、寒気をすら覚えるほど見事な写真だった。

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