15 君は写真を撮って良い
秋晴れって奴だ。空気が乾燥していて空が深く青い。
これは、マジックアワーの訪れが楽しみだ。
中間テストが終われば期末テストを視野に入れた授業が始まる。が、この青空のせいで頭に入って来ない。ずっとそわそわしていた。終わったら飛んで帰って着替えてカメラを担ごうって。
母ちゃんの電動アシスト付きママチャリを借りた。これで吉森ヶ丘を登れる。格好悪いとかそんなことは言ってられない。
爺ちゃんのカメラには、篠塚先輩がフィルムを入れてくれた。使い方もレクチャーしてもらったし、ばっちり。
リバーサルフィルムがカメラバッグに入っていることをもう一度確認した。これを忘れたら色々台無しだ。
今日は多分、タカ君も吉森にいる。……根拠なんてないけど、何となくそんな気がする。
つくづく、タカ君は不器用な奴だ。
あいつの頭ん中、カメラを続けるか辞めるかの究極の選択になってやがる。
んな訳あるかよ。
趣味で続けりゃ良いんだよ。普通に学校に行って就職して、休日にカメラを弄る。日曜大工ならぬ日曜カメラマン。
なあタカ君、一緒に撮ろうぜ。痩せ我慢しなくて良いからさ。
爺ちゃんのカメラを貰ってから短期間に、オレは写真を撮ることが楽しい趣味になるって分かった。
カメラを通して知り合った皆、それぞれ違う楽しみ方をしている。同じ方向を向いているのに同じじゃない、緩くて不思議な繋がりを感じた。
タカ君も、親父さんとしか繋がれない訳じゃないはずだ。
『吉森きたよー!』
山手の高級住宅地へ向けて斜面を登る。西側の視界が拓けたところで斜面とうっすらオレンジの空を携帯で撮って、タカ君にメッセージを送ってみる。
『もう少し上』
リアルタカ君の印象と寸分違わぬぶっきらぼうな返事が、すぐに返ってきた。
添付の写真は同じ空。
だけど違う。視界が圧倒的に広い。遙か眼下の平野部を蛇行する美作川まで見えている。
川も町並みも緑もまだ全てが淡いオレンジがかった色合いで、この後どんどん赤に紫に青に変わっていくんだって思うと、わくわくする良い写真だ。
こんだけ景色の良い場所があるのか? 近くに? もう少し上?
「まだ登って……住宅地を抜けるのかな……」
この辺りは背の高い建物が多く、視野が狭い。道路の両側の家をさえ見下ろす場所に行かないといけない。
そこに、タカ君がいる。
自転車のペダルに足をかけて漕ぎ出した。確か、てっぺんにお寺がある。多分あそこだ。
訊かなかったのは、自分で探したいからであって。
タカ君が場所を書かなかったのもきっと、オレのマジックアワーハンターとしての勘を磨くために敢えてだ。
山手の高級住宅地の一番上に手付かずの森と、味わい深い山門がある。傍に見慣れたバイクが停まっていた。
ママチャリを降りて施錠する。借り物だから念入りに。
そして撮影機材を背負って山門を潜り、石段を駆け上がる。
「お待たせ」
高級住宅地の頂上にある古いお寺なんて平凡な男子高校生にはまず用がない。
けれど視界が下に拓けていて、俺ら庶民が住んでいる平地の方まで見晴らしが良い。
タカ君は、そこにいた。
「ホント良い場所知ってるよね」
「うーん、まあ学生は遠出できないしさ。近場でうろうろ探すうちに」
柘植先輩は子供の頃からタカ君の親父さんに憧れていたんだそうだ。
有名な山岳写真家の贔屓の店だってことが、すごく誇らしかったと言っていた。
だけど家族はたまったもんじゃない。
花咲く春、緑滴る夏、紅葉燃える秋、純白の冬。季節ごとに山は色んな貌をする。
写真家にシーズンオフはない。
頻繁に家を空けて、自分を置いて撮影に行ってしまう。そんな親父さんが羨ましいやら憎たらしいやら。タカ君の方は複雑だったろう。
ある日、いつも通り出掛けて行った親父さんが亡くなり、うっかり喧嘩別れしたままだったのも相まって、気持ちが宙ぶらりんになってしまった。
繋がっていた心の先を失って。それでもこうしてその季節その時刻、一番フォトジェニックな場所に足を運んでいる。
山の上公園がストーンヘンジになる時期が終わり。
今はここ、吉森のお寺の境内。
タカ君て本当に、カメラ大好きなんだろうな。
弄りたくて仕方ないんだろうな。
なのに必死に我慢してるの、ホント無駄な努力すぎる。
「フィルム写真撮るんだろ」
「うん」
「入れてやろうか?」
タカ君が手を出すので、オレはリバーサルフィルムの箱を置いた。
ふーん、これ使うのねって感じで、手際よく箱を開ける。
「それタカ君のね」
「は?」
「オレのはもう入ってる」
かかったな。タカ君。
そのフィルムはすでに開封済みだ。君が責任をもって消費したまえ。
「言ったろ? 何べんも。アドバイスくらいならしてやるけど俺は」
「つまんねえ意地張るなよタカ君。君は、撮って良いんだ」
どこの立場だよって。ずいぶん上から目線だなって。
自分でも分かってるさ。だけどこう言わずにはいられなかった。
撮って良い。
オレが許可する。
親父さんに気兼ねする必要なんかないんだ。
「明日の午後から天気悪くなる予報だぞ。もうすぐ『シャッターチャンス』だ。場所完璧、天気バッチリ、機材も全部揃ってる。なんで君は撮らないんだ?」
「……親父みたいになりたくないからだよ」
「んな心配はプロになってからしろよ。今のオレ達はただの、カメラが好きな高校生だ」
境内の風景が黄金色に輝き始めた。
じきに太陽が隠れる。
マジックアワーは短い。
「めっちゃ綺麗な夕焼けになってきた。これ撮んなきゃ勿体ないよ」
「仕方がない……今回だけだからな」
タカ君はスーンとした表情のままフィルムケースを開け、筒状の物体を取り出す。
リバーサルフィルム、見た目は普通のと変わらないな。
そして『望遠鏡代わり』と豪語する立派なカメラに、これまた巧みにセットする。……うん、手際良すぎ。何十回、何百回って繰り返して、手が覚えている動きだ。
ぎりぎりとフィルムを巻き上げる音がする。
タカ君のカメラが呼吸を始めた音だ。
「あとで金払う」
「いらないよ。部長も顧問も了承済み」
親指と人差し指で輪っかを作る。お金とオーケーのダブルミーニングだ。
我ながらセンスある。
「訳わかんね。変人ばっかだ、カメラ好きって」
「それは否定できないや。君も仲間だろ?」
「違う。別に好きでもなんでもない。ただ家にいっぱい転がってたからさ。ガキの頃から玩具にしてただけだよ」
「鼻血が出そうなくらい羨ましい環境だぜ」
苦笑いしながらタカ君が三脚の足を伸ばした。
あらかた構図を決めてから、ハンモックみたいな、うちの猫が喜んで飛び込みそうな奴を三脚に取り付ける。そこにリュックを乗せて安定させてから、更にあちこち微調整。オレの数倍かけてセッティングする。
「見てないで、君も撮るんだよ」
「おう勿論」
師匠がレンズキャップを外した。
街並みは暗くなり、ぽつぽつと灯りが灯り始めている。空は山の間際の明るいオレンジからピンク、紫を経て群青色へ、見事なグラデーションになっていた。
山の稜線に太陽が近付き、黄金色の空気が深みを増した瞬間。
マジックアワーが、始まる。
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