08 『格好良い』は、大事だろ
タカ君のストレートな問いに、オレは正直に頷いた。
そのために制服で来たんだ。覚悟を決める。
「最初に会った時は知らなかったんだけどね。もっとちゃんと勉強しようと思ってカメラ部に入ったら、君、有名人じゃん?」
「……別に」
「学校が君の地雷なのは分かってた。けど、オレ馬鹿だからさ。ぜんぜん知らないふりをしてタカ君と楽しいマジックアワーハンター仲間のままでいるなんて、無理だと思った。騙したくないしね」
クソダサブレザーの襟をつまみながら、どうしてこの格好で来たのかを説明した。
これはオレの誠意だ。
打算なき友情の証ともいう。
魔法の時間は、静かに溶けていった。
空はどんどん暗くなっていく。
オレはタカ君の横のベンチに腰を下ろし、黙って、彼の喉につっかえているものが出てくるのを待った。
「……今日、学校に電話した」
「おう」
タカ君が話を始めたのは、ストーンヘンジが青く沈黙した頃。
「進路指導の井上先生に」
「あーあの深海ザメみたいな顔した」
「深海ザメ……」
「ごめん、話の腰を折った。で、井上センセに何て?」
「前の進路調査で写真学部のある芸大志望と書いたけど、母親を食わせないといけないから、就職に変更するって」
言葉が、出てこなかった。
好きなものをやめて、夢を絶ち切らなきゃいけない理由が、あまりにも悲しくて。
「親父が死んで、今ちょっと精神的に、母さん働けなくなっててさ」
「そ……そっか……」
「だから写真は続けられない。この期に及んで写真撮ってたら、母さん無理させるし」
「孝行息子だなあ、タカ君は」
ああ、どう慰めれば良いんだろう。
受験で失敗したとかならまだ納得いく。そうじゃなくて、こんな悲しい理由で夢を諦めるなんて。
「仕方がないよ。親父が死んだの、俺のせいだし」
「んな訳ないだろ。君が責任を感じることじゃない。何も知らないオレが言っても説得力ないだろうけど、絶対にそんなことはないから。安心して、君は君の好きなことを続ければ良い」
タカ君の手が自前のフィルムカメラを撫でていた。
本当に好きなんだな、って手つきで分かる。
「俺が親父に最後にかけた言葉、教えてやろうか?」
「何?」
「『出ていけ』」
ぞくっ、と。
背中が寒くなったのは、太陽が完全に沈んで夜の気配が流れ込んできたからだけではない。
「一学期の終わりの、三者面談の前の日だったっけな。天気が思ったより早く変わりそうだから、撮影の日程を前倒しするって言い出して。俺は引き留めたよ。明日、学校に来てくれるって言ったじゃん。進路は芸大の写真学科ですって担任に話してくれるって、言ったじゃんって」
タカ君がカメラに頭突きした。
何度も。何度も。
そうやって自分を傷付けて、罰して、体の痛みで心の痛みをごまかそうと。
望遠鏡の代わりになるからなんて理由を付けて持ち歩いて。でもフィルムを抜くという制限を自分にかけて。
写真を撮るという、何より大好きなことを自分から取り上げて。
こいつが、悲しすぎる。
「あの時、キレずにもっとしっかり説得してたら、首に縄をかけてでも学校に連れてってたら、親父は死ななかったんだ。それでも君は、俺のせいじゃないって言えるのか?」
「言えるよ。君のせいじゃない」
即答した。
根拠なんてないけれど、それは断言できる。
君が背負うべき痛みではない。
「辞めるなよ。それは誰も望んでない。君の親父さんも」
「そうかな」
「そうだよ。遺したものを受け継ぐのは、死んだ人への一番の贈り物じゃないか。何となくオレ、思うんだ。爺ちゃんはきっと、オレが爺ちゃんの形見のカメラで写真を撮り始めたことを、天国で喜んでくれてるって」
そりゃ、まだ全然だけど。全然、いい写真撮れてないけど。
爺ちゃんに迫るなんて死ぬまで無理かもだけど。
でも多分——オレが楽しんでいることが、爺ちゃんは嬉しいはずだ。
「なあ、カメラって、面白いよな! めちゃくちゃ格好良い! 自分で触ってみるまで、ボタン押したら勝手に写真が撮れる不思議な何かだった。けど魔法じゃなくて科学なんだよな。目で確認して指で動かす機械仕掛けの道具なんだよな。自分で撮ってる。自分で、時間を止めてる。……それ、めちゃくちゃ格好良いじゃん」
俺達男子高校生にとって格好良さは必要不可欠な要素だ。
一緒に格好良い道を歩こうぜ。
親父さんのことが胸の中で整理できてなくても。進学を諦めても。
どんな状況でもシャッターは切れる。
「広瀬君ってさ」
「お?」
「意外と良い奴だね」
そう言うタカ君の笑顔は、ほんのちょっと、泣きそうだった。
だから『意外と』は余計だろってツッコミは、しないでおいた。
***
寝る前の習慣、ブックマークしているサイトやお気に入り動画配信者の更新をチェックしているのに、頭の中はお留守だった。
オレは悩んでいる。
どうやったらタカ君に、もう一度写真を撮ろうって思ってもらえるだろう?
あんな立派な顎乗せ。親父さんが草葉の陰で泣いてるぜ。
フィルムが入ってないフィルムカメラなんて、カメラ好きの誰が許せるかよ。
ふとタブレットをスワイプする手が止まる。
西校カメラ部にはブログがある。更新しているのは三年生、ハンドルネーム『そらちゃん』。どの人かイマイチ分からないものの、部活動中の出来事を丁寧に記録してくれている。
最近の大きな事件はもちろん新入部員オレ。
それから秋の撮影スポットについてとか、文化祭が近いとか、そういう話題の合間合間に部員が撮った写真がちりばめられている。
デジタルは良い。データ渡せば良いんだから。部員の中で日常的にフィルムカメラを使っているのは副部長くらいのもので、副部長の撮った写真は後日他の誰かが撮影して写真の写真というかたちで載っている。
世の中がアナログからデジタルに切り替わっていく中で、完全に駆逐されたものもアナログならではの持ち味を発揮して生き残ったものもある。
フィルム写真はというと。風前の灯って感じだろうか。
扱いやすさに関して言えばデジタル写真の圧勝だもんな。フィルムカメラの良さは……。
格好良い。
これだよな、やっぱ。
実際に格好良いんだよ。タカ君が撮ってる姿は見たことないけど。篠塚先輩のカメラより圧倒的に大きくて、無骨で、これぞプロ仕様って感じの風体で。
タカ君が顎を乗せている、カメラ中央上部のピラミッド型の出っ張りには、ペンタプリズムというブツが仕込んであるらしい。
そいつで光を一回転させるんだそうだ。
化学教師の門倉顧問が五角形の絵を描いて説明してくれた。
カメラの内部に入れたパーツで光の向きを変える、このアナログ感! たまんねえ!
理屈よくわかんなかったけど!
ただデジタルカメラさえまともに使えていないうちに手を出す訳にはいかない。爺ちゃんのフィルムカメラは封印中。
いつかオレも顎を乗せ……いや違う、写真を撮りたい。
そう言えばフィルムってまだ普通に売ってるのかな。
そらちゃん先輩のブログを閉じ、地図アプリを開いてカメラ店を検索してみる。自転車で行けそうな場所に一件だけあった。
店名は——
『つげカメラ』
——ん?
どっかで聞いたことあるような?
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