07 ボケるのは背景だけにしてくれ
カァーカァーと、二人の頭の上をカラスが鳴きながら飛んでいく。
この、微妙な間。
「……ええと」
「好きに撮ればいいじゃん。写真なんてシャッター切れば誰にでも撮れるんだから」
本心ではそんな風に思ってないんだろうなって口ぶりだった。
まあ誰でも思う。オレもちょっと前までそんな感じだった。けど今は、フルオートに頼らない写真の奥深さを学んでいる最中だ。
「誰にでも撮れる写真に用はないんだよ」
「……」
「君の方が分かってんだろ。そのくらいのこと」
もう一度、カメラを向ける。
あっという間に鮮やかなオレンジから紫色へ深みを増していく眼下の空気、だけどやっぱりまだだいぶ明るい。
液晶に映る白飛びした景色と本物を見比べていたら、タカ君がにゅっと首を伸ばして覗き込んできた。
「教える気がないんなら見るな」
「いいじゃん別に」
「素人なんだから仕方ないだろ」
「気にすんな。露出オーバーなんてプロでも良くやる失敗だよ。そういう場合はもう一段絞れば良い」
教えるつもりはないときっぱり言い切ったくせに、どうやら、下手くそが悩んでいるのは気になるらしい。
初対面の時もそうだったっけ。
もしかしてこいつ、相当面倒くさい性格してない?
「一段絞る……。そんなアイスあったよな」
「あれ美味いよね」
「そうそう、濃厚なミルクの風味がーっておい! ボケにボケで乗っかるのやめて? ツッコミ入れてくれなきゃ。それは『草原しぼり』だろ! って」
「あ、そういうことか」
やばいな。こいつ正真正銘のド天然だ。
基本的にボケ担当のはずのオレがノリツッコミしなきゃいけないなんて。
「いいレンズだし、スペック的にもったいないけど、それ開放で撮るにはまだ明るすぎると思う。絞るって分かるかな、少しF値の数字を増やす」
「どうやって」
「どうやってって……。羽根を閉じる、的な?」
……ん? 今度は何か無駄にメルヘンなこと言い出したぞ?
「羽根って? あ、もしかしてバレちゃってた? オレの正体が天使だってこと」
「絞り羽根。レンズの中に入ってる、光の量を調節する板だよ」
「今度はボケないんかい」
「F値は羽根の開き具合の数値で、小さいほど明るい。一で人間の裸眼と同じ」
手でちょいちょいと呼ばれ、カメラを離れて素直に奴の方に行く。奴は三脚を倒してカメラを膝の上に横たえた。
そしてレンズフードを外して、手前のごっつい大きな凸レンズを指差す。
「奥を良く見てろ。羽根が見えるだろ」
「ん?」
奴の指がレンズの胴体の、こないだ覚えたフォーカスリングとは違う部分を回す。カチカチと小さな音がして、筒の内側で何かが動いた。
カチカチ。カチカチ。音と共に開いたり、閉じたり。三日月型の黒い板が何枚か、レンズの胴体の中に整然と円を描くように並んでいて、それがタカ君の操作音に合わせてせり上がって来たりたり引っ込んだりして、中央の穴が小さくなったり大きくなったりする。
「開いたり閉じたりして、光の量を調節する。これが羽根」
「おおぉ……天使はタカ君の方だったのか」
「嫌だよ、こんな真っ黒い九枚羽根の天使なんか」
「堕天使みがあって格好良いじゃん」
驚いた。こんな単純な構造なのか。
二人の先輩と顧問の先生が代わる代わる教えてくれたから、知っているつもりでいた。けど『光を絞る』ってもっと何か難しく考えていた。
これ間違いなく門倉先生の好きな世界だな。本当に、文字通りの意味で、穴の大きさを変えることで取り込む光の量を増減してる。
「要するに人間の瞳孔と同じ構造なんだ。眩しい時は光の通る穴を小さくすればいい。分かった?」
「分かった。……いや分からん。原理や構造じゃなくて操作を教えてよ」
「デジタルカメラの操作なんか知らないし」
唇を尖らせて、さも不満そうに、ことカメラの世界において『知らない』ことがあるのを認めたくないとばかりに。
ああ、そうか。
そういう意味か。
だから俺に教えられないのか。教えたくても、できないのか。
「まあ、そうだな。原理を教えてもらったあとは、自分のカメラの操作を自分で覚えるしかないな。F値、F値と。篠塚先輩、どこで弄ってたかな」
「篠塚先輩……」
一段絞る。これはこないだのと違って電子制御のレンズだから、カメラから操作する。液晶に表示されている数字にカーソルを合わせて、下矢印をひとつ押す。Fの値が倍になった。
手でレンズをカチカチ回すのと違って今イチ『操作している』感には欠けるな。
「タカ君は撮んないの?」
「……だから、撮らない。辞めたって言ったろ」
「じゃあ何なんだ? 君のその、ご立派な撮影機材は」
「フィルム入ってないから撮れない。ただの望遠鏡代わりだよ」
「またまた」
悩んでいるんだろうって。
父親の事故のショックでまだ写真に向き合えないんだろうって、カメラ部の先輩が言っていた。けどこの目の前にいるド素人が気になって仕方がなくて、ついつい口を出してしまうくらいには、カメラってもんが染み付いている。
篠塚先輩は、タカ君とオレが朝焼けと夕焼けを狙うマジックアワーハンター仲間だって言ったら驚いていた。
あの一匹狼がずぶの素人と組むなんて、と。
それは、オレがあいつの素性を知らなかったからだ。
タカ君は、プロカメラマンの息子であるという色眼鏡で見て欲しくなかった。だから見ず知らずのオレとはカメラの話ができた。
だけど知ってしまった以上、嘘をついて仲良くすることなんてできない。
オレは君のことを知っている。
その上で、友達でいたいと願う。
柘植先輩が話してくれた。
カメラ部の、もう卒業してしまった先輩が、入学したばかりのタカ君をスカウトしたらしいんだ。
そして怒らせた。
親父さんの機材を使わせてくれよ、なんてことを冗談のつもりで言ってしまって。
——プロの道具を勝手に持ち出せる訳ないじゃないですか。
こいつは冷たくそう言い返したんだそうだ。入学したての一年坊主が、三年の先輩に向かって堂々と。
ふと、タカ君が不憫に思えてきた。
本人自身、写真を撮ることが好きなんだと思う。お父さんのことも尊敬しているんだと思う。けどその真っ直ぐな気持ちに妙なバイアスがかかってしまっている。
篠塚先輩が言っていた本当の意味の『才能』に対する、タカ君自身の引け目のせいだ。
お父さんのお陰でカメラに詳しいんだろうって風には思われたくなくて。
けど、お父さんを尊敬していて、影響は否定できなくて。
「……お。今度は綺麗に撮れたかも」
「見せて」
液晶に出してタカ君に見せてやる。
こいつ本当に写真が好きなんだなって分かる顔をした。
「やるじゃん」
「うへへー師匠がいいからな」
「……勝手に師匠認定すんなよ」
「でもすげー教えてくれるし。なあ一緒に撮ろうぜ、その格好良いカメラで」
教えてくれるのは本当に嬉しい。
だけどオレ、タカ君が撮ってる姿からもっと学びたい。
「だから、フィルム入ってない」
「カメラマンが撮影にいっちゃん大切なもん忘れて来るなよ。次は絶対、持って来いよ」
「撮れないんだよ。カメラ部に聞いたんだろ。俺のこと」
タカ君は——自ら踏み込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます