06 マジックアワー師匠とオレ
曇りがちな三日を経て、ようやく空が良い感じの夕焼けになった。
太陽はこっちの都合なんてお構いなし、あっという間に沈んでしまう。着替える暇もなく、制服のまま三脚を背負って家を飛び出した。
山の上公園めがけてチャリを漕ぐ。
まあぶっちゃけ、次に行く時は制服にしようって心に決めていた。時間があったって、着替えるつもりはなかった。
オレはあいつのことを結構色々教えてもらっている。なのにあいつは、オレが同じ学校の同級生であることすら知らない。
そんなの不公平だもんな。オレは別に、どこ高校か隠しているわけじゃないし。奴の方からは訊いて来ないだろうけど、こっちからいきなり自分語りもなんか照れるし。
紺のブレザーに赤いネクタイのクソダサ制服は、あいつが一学期まで着ていたものと同じだ。察してくれればそれでいい。
あいつは進学美術系コースだそうだ。うちの学校にそんな選択肢があったことさえ知らない。
夏休みに入る直前、山岳写真家が撮影中に亡くなったのもニュースになっていたというが、記憶にない。
写真もしくは山登りのどちらかに興味があれば、あるいは進学美術系クラスに縁があれば、色々気遣ってやれたのに。
いや逆かな。
気付いていなかったからオレ、あいつと話ができたのかもな。
爺ちゃんが亡くなった時、周囲がめっちゃ配慮してくれて、なんかそれが逆に心苦しかったもんな。
せめてダチ達くらい普通にしてて欲しかった。別にジュースとか奢ってくれなくても良いから。
あいつがどうして欲しいのか分からない。だったらオレがして欲しいようにしよう。
つまり、今まで通り接する。
それが自転車を漕ぎながら出した結論だ。
駐輪場にこの間のバイクがあった。てことは、いる。やっぱり今日も来ている。
愛チャリに鍵をかけて、公園への階段を駆け上がった。
川を見下ろすベンチに奴はいた。前と全く同じ感じで三脚を立てて、レンズのでかいカメラを装備して、マニア垂涎の顎乗せにして。
夕焼けと反対側の景色を見据えている。
——才能って、何だと思う?
部活中、何の話の流れだったか、副部長にそう訊かれ。生まれ持った非凡な能力とか何とか、辞書に載ってそうなことを答えた。
そしたら先輩は、ほんの少し顔を顰めて苦笑した。
——違うよ。環境だ。もちろん本人が持っている能力を否定するつもりはないけど、本人を包んでいるものの影響がでかいんだよ。分かるだろ? 俺はガキの頃からお年玉を貯めて、高校からバイトもやって、少しずつ買い揃えている。そんな状況じゃ、生まれた時からプロ仕様の機材に囲まれてる奴に、どう足掻いたってかなわない。
あの時の篠塚先輩は、カメラマンの息子であるこいつを羨んでいると同時に、今の状況を哀れんでもいたように思う。
父親の、撮影中の事故死。最も悲しいかたちで、奴は自らを包んでいた『恵まれた環境』を失った。
「よう。また会ったな」
しゅたっと手を挙げつつ、声をかけてみる。
振り向いた奴の視線が、オレのネクタイの結び目辺りから指定運動靴までとっくり二往復くらいした。
信じられない、ってなびっくり顔で。
「君も西校だったんだ」
「おうよ。改めてよろしくな、鷹……ええと」
しまった。
ど忘れした。
何だっけ。漢字がどうこうの話して、それで。
「鷹……待てよ、木偏までは覚えてるんだ。鷹、タカ」
「もういいよ。それで」
「じゃあ鷹木偏君。……長いなタカ君。やっぱり君はいると思っていたよ。同じマジックアワーハンター同士。今日は夕焼けが綺麗だからね」
眼鏡をずりあげたタカ君が、今まで以上に暗い表情になった。
この表情を、オレは知っている。内臓が苦しい時の貌だ。おなか壊してるんじゃなければ今、奴は胸の痛みを感じている。
ごめんタカ君。
でもさ、気を遣ったつもりで色々黙っている方が、多分ずっと深く君を傷付ける。
「君は今日も撮らないのかい?」
「……撮らない」
「じゃあなんで、ここにいる訳?」
「待ってる」
「誰を」
「ストーンヘンジ」
が、外国人?
……いや違うな。別にここでストーン・ヘンジ氏と待ち合わせしているわけではないだろう。確かそれ、どっかの国にある古代遺跡だ。
聞いたことがある。春分だか夏至だかそういう時にだけ、太陽の光がまっすぐ差し込むっていうあれじゃないかな。
太陽の動向といえば、オレ達マジックアワーハンターには欠かせない知識だ。
古代遺跡を待つ……。
遺跡って、来るのかな……。どうやって……。
タカ君はそれ以上の説明をしてくれない。どうやら全て伝え終えたつもりのようだ。
ぱっと見は根暗そうなイメージ、実態はかなりの不思議ちゃんなんだな。
何の比喩なのか分かんな——
——いや訂正。
分かった。
たった今、分かった。
山の上公園から見下ろす美作川の鉄橋に、細いオレンジ色の光線が、低い位置から当たっていた。
太陽の沈む側に山があって、東側の低地は影になっているはずなのに。
その、夜を細く切り裂くような、鮮やかな光。
朝焼けじゃない限りありえない、茜色の美作川。
その奇跡の光景は文字通り、古代遺跡と同じ現象だった。
「……そういうことか……!」
今、山と山の重なりの、ほんのわずかな隙に、ちょうどピンポイントに太陽が沈んでいるんだ。そして細い谷間を貫いて、いつも当たるはずのない夕陽が川を染めている。
まさに、石の隙間を通る光で季節を報せるストーンヘンジのように。
「春と秋の二回、短い間だけ見えるんだよ」
「それ待ってた訳?」
「いい景色を見るのは好きだし」
急いでカメラを出した。マジックアワーハンターの敵は時間。太陽は思ったより足が速く、魔法はあっという間に解けてしまうから、呑気に三脚を据えている暇なんてない。
カメラだけを、眼下の景色をまっすぐ貫く茜色の光の線に向けて、一枚。
撮れたのは、本当に同じ景色かと見紛うばかりの真っ白けな美作川だった。
「……ぎゃふん」
「うわ。ぎゃふんと言わされてる人、初めて見た」
タカ君は楽しそうだ。
絞り優先モード、むずい。
掛け算のうち数字ひとつを自分で決めて、残りをカメラに任せるやり方だ。上手く撮れれば凄い。うちの猫なんかモフみが数十倍、もうスマホカメラに戻れないくらい可愛く撮れる。
だが片方の数字を固定しているぶん、計算をミスしやすい。
光が足りず手ブレしたフィギュアとは逆に、夕映えの美作川は、真っ白。
篠塚先輩の教育的指導で、他のレンズとモードを使うことを禁止されている。
明るい室内限定の撮影方法なんじゃね? オレ、マジックアワーハンターなのに。
……いや。
副部長縛りのせいではない。全てはオレの知識不足。この条件でも風景を撮る方法は絶対にあるはずだ。
「タカ君、教えて」
「だから俺は撮らないって」
「撮りたくないんだったら、君は撮らなくてもいいからさ。俺に撮らせて欲しい。お願いします! 弟子入りさせてください! 師匠!」
手を合わせて真剣にお願いすると、タカ君は度の強そうな眼鏡越し、真っ直ぐに俺を見た。
そしてゆっくりと、口を開いた。
「やだ」
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