05 実践・広角単焦点Aモード

 部長、副部長、それに顧問。この三人が揃うと話がクドくなる、というのがカメラ部共通の理解らしい。

 オレへの教育的指導が始まったあたりで、他の部員は散っていく。

 秋も深まるこの時期は花壇や紅葉を狙いに行くのだという。本格的なデジイチからコンパクトなやつ、カメラなのかどうかも判断つかない縦長の四角い箱など、思い思いの得物を手に。


 オレは別に、苦痛ではなかった。

 自分自身が良く理解していなかった爺ちゃんの形見について、教えてもらうのは楽しい。

 遺してくれた数本のレンズは微妙に用途が違うが、肉眼と同じくらいの、標準レンズと括られるものが複数あるそうだ。日常のスナップ写真を好んで撮っていた爺ちゃんならではだ。


 意気揚々と担いで行って山の上公園で自爆したあの特大レンズだけがマニュアルなのは何故か。副部長の推測は『あんまり使わないんだろう』。

 ……なるほど。他のレンズはデジタルカメラと一緒に買い揃えたんだな。


 篠塚先輩が目をつけたのは明るい広角単焦点というもの。

 二十ミリ、F一・四。オレはピンと来ないが、カメラ好きを『おぬしできるな?』と唸らせる数字なんだそうだ。


 まずは『広角』について。画角が広い、略して広角。……かどうかは知らないがそういうニュアンスらしい。

 そもそもオレ画角って言葉すら初耳だった。デジカメやスマホカメラでざっくり『何倍ズーム』なんて言うあの、対象に寄って大きく写すやつ。あれ実際は角度で言い表されるものらしい。


「角度なのに単位はミリなんすね」


 素朴な疑問を口に出したら、門倉先生のメガネがきらんと光った。

 そして、待ってましたとばかりに口火を切る。画角はフィルムもしくはイメージセンサーを底面とし焦点の位置を高さとした直円錐を想定した場合の頂角であって——

 その辺りで副部長の静止が入った。そういう専門的な話は置いておくって、今言ったばかりなんだけど、と。


「まあこの辺はね、分かりづらいから省略されている部分だよ。だいたい、三十五ミリ換算二百ミリレンズって言われてもピンと来ないだろ? そこを光学四倍ズームって言い換えたら、わー肉眼で見るより四倍くらい寄った感じで撮れるんだろうなーみたいな、ニュアンスだけは把握できる。それで良いんだよ」


 篠塚先輩の言葉はとても分かりやすかった。

 この人、教え方がうまい。


「それでだ。広瀬君にはこれから、この広角レンズを絞りを開放して使い込んでもらう。さっきの『何倍ズーム』の話だと、だいたい……五十ミリが等倍だから……」

「零コンマ四倍です」

「おっ、さすが門倉ちゃん、暗算早い! 要するに肉眼で見る倍以上、広い範囲が写るわけだ。となると当然、歪むよね。本来見えていないはずのものを画面に収めるには、それなりに皺寄せが来る。極端に言えば魚眼レンズみたいに、外側ほど小さく写る。つまり中心がぐっと強調される。それがね、面白いんだよ」


 副部長は、お行儀の良い写真を撮る気が最初からないらしい。

 今時のカメラやレンズは、味わいを躍起になって消してしまう。結果、見たまんまの面白みのない写真になる。

 それじゃつまんない、というのがうちの高校のカメラ部。なるほど分裂するわけだ。


「座学より実践だ。せっかく良いレンズがあるんだから、これで実際に広角レンズの奥行きを体感してみるといい」


 ちなみにこのレンズは単焦点といって、倍率固定。ズームができない。

 操作する項目が減るのだから打って付けなんだそうだ。

 なんでズームできないのかと言うと、それは第二の項目『明るい』に由来する。


「俺がさっき撮った写真、手前と後ろがボケてるだろ? 専門用語で被写界深度と言って、ピントが合う範囲のことなんだけど、明るいレンズほど、これが浅い写真が撮れる」

「使いどころが難しいのよね。想像してみて。これでクラスの集合写真を撮ったら、真ん中の列にだけピントが合って手前と後ろの生徒はボケちゃうでしょ?」

「そう、用途は限られる。その代わり腕と発想次第で面白い写真が撮れる。カメラ任せにすると余計な気を利かせて近景も遠景もはっきり写してくれるからね。これが一番、自分で撮ってるって感じがするんじゃないかな」


 部長と副部長が交互に教えてくれたが、たった一枚、篠塚先輩が撮ってみせてくれた薬品棚の写真が言葉以上に如実に物語っている。

 百聞は一見にしかずとはこのことか。

 レンズの効果って、すげぇ。


 あっと言う間に下校時刻になった。最後に門倉先生が、遠慮がちに訊いてきた。正式に入部するかどうか。

 もちろん即答した。入りますとも。


「ではそのように手続きしておきますね」

「あらためて。よろしくね広瀬君」

「文化祭の展示が近いから忙しいと思うけど、楽しもう」


 ……ん?

 文化祭?



 ***



 カメラは預けたままでもいいらしいが、オレは持って帰った。

 自主練のためだ。


 なるべく明るい場所で、絞りを開放——カメラがめいっぱい光を取り込む状態にして。

 絞り優先モード——光の量を固定し、シャッタースピードををカメラに決めさせる。

 すると。


 うちの茶トラが死ぬほど可愛く撮れた。


「母ちゃん! 見て! ちゃこが可愛い!」


 思わず親に見せに走ったほどだ。

 ちなみに、ちゃこと言う名はオレが付けた。厨二病を発症する前のネーミングセンスだ。


 画像の歪みは、目で見て分かるほどではない。ただ、良い感じの遠近感が出ているのはそのお陰なんだろう。丸っこさが強調されて、少しボケた光が玉になって毛先に散っている。

 全体的にぺたっと明るい写真じゃなくて、陰影がしっかり付いている。これは、篠塚先輩が撮った薬品棚の写真にも言えたことだ。

 明るい光と濃い影があり、遠くへ行くほどボケて滲む。


 優秀なのは爺ちゃんのカメラか、オレの腕か、先輩達の教え方か。

 それともうちの猫か。


 カメラに関心のなかった母ちゃんだが茶トラの可愛さは認め、待ち受けにするからあとでスマホに送ってとか言う。

 まあ、プログラムモードで撮った時でさえスマホより何十倍も可愛いうちの猫だ。多少知識があれば更に倍率ドン。制限をかけられている他のレンズやモードが解禁された暁にはもうどんだけ可愛くなるやら!

 たまらん。うちの猫。


 だがオレの目指すべき道は家猫写真家ではなくマジックアワーハンター。その矜持、忘れちゃいないぜ。

 ……夕焼けも朝焼けもまともに撮れたことないけどな。


 とりあえず今は練習、練習。

 部屋に戻って、推しヒーローのアクションフィギュアを棚から出した。これ以上ないくらい完璧なスーパーヒーロー着地を決めさせていたんだが、悩んだ末にポーズを崩す。拳を手前に突き出させてみた。


 オレ分かっちゃった。パンチを繰り出す瞬間、拳がやたらでかく見えるのは、ずばりレンズ効果だ!

 つまり今のオレなら再現できる!


 と、思ったのだが。

 唐突に襲いかかる手ブレの洗礼。


 写真は光の量と時間の掛け算。絞り優先モードだから当然、暗い場所ではシャッタースピードが遅くなる。

 できる限り部屋を明るくし、三脚でカメラを固定するなど、頑張ってみたが思うような写真にならなかった。


 難しいぜ……。

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