02 まずは基礎から始めよう

 結局あの日、オレは一枚も写真が撮れなかった。

 ——否。撮ることは撮った。が、一枚としてピントが合っていないのである。

 目を見張る鮮やかな夕焼けに背後から嘲笑われながら撮った逆光の美作川の、大量のピンボケ写真群。

 初挑戦とは言え、これは屈辱以外の何物でもない。

 全部削除……しようと思ったが比較的ましな奴を数枚残した。このしょっぱさと太陽系のスケールを忘れずに、いつか最高の写真を横に並べて自分の成長を実感するためだ。


 今時のカメラは賢くて、自動でそこそこ撮れる。プログラムモード万歳。

 だがそれでは機械に使われているにすぎない。そこからもう一歩踏み込み、爺ちゃんの形見達の性能を遺憾無く発揮して写真を撮るには、やはり独学では厳しい。

 ……何だよ、マニュアルレンズって。


 しょっぱなから、少々当たったくらいじゃびくともしない壁にぶち当たった以上、誰かの助力が必要だ。

 真っ先に思い浮かぶのはあの、かっちょいい名字をした山の上公園の好敵手。

 いいカメラを持っていて詳しいあたり、ちゃんと学べる環境にいることは確かだ。


 あいつを師匠と仰ぎ、撮影技術を伝授してもらいたいところだが、ちょっと様子が変だった。奴は撮るどころか、オレにピントの合わせ方を教えてくれた時以外、一度もカメラを触らなかったのだ。

 ……手では。

 ずっと顎‪乗せだった。なんという贅沢。


 事情があるんだろうか。バッテリーが切れたとか?

 あるいはオレの前で撮りたくなかったのか。景色が良くないからまた今度ってことだったのかも知れない。


 ただ、何となく『弟子にして下さい』とは言い出せない雰囲気だった。

 

 他の方法を検討しよう。

 市のカルチャーセンターが開催するカメラ教室的なものはあった。……平日真っ昼間に。

 金と時間にゆとりのある高齢者向けだな。初手で学生と社会人を篩い落としにかかっている。

 本格的な講座や通信教育は、意外と高額だった。授業料を払うためにバイトしてたら、撮影に割く時間がなくなって本末転倒じゃないか。


 となると、残された選択肢は、これしかない。


「え? 入りたい? カメラ部に?」

「はい」


 昼休みの職員室。

 化学教師の門倉先生が、びっくりした貌をしている。


 自他共に認める帰宅部の二年生エース、オレ。うちの学校にどんな部活があるのか知りもしない。

 けれども学生が何か専門的にやるとしたら、これが一番手っ取り早い。調べたら、うちの高校には写真を撮る部活があるではないか。


 それも二つも。

 写真部とカメラ部。……なんで二つ。


 何が違うのか良く分からなかったがとりあえず部員が多くて大々的に活動している写真部の方が良いだろうと、顧問をやっている美術教師の鈴木先生に接触を試みた。

 いかにも芸術が爆発してそうな中年紳士だ。ワイシャツもネクタイもすげー色してる。オレ美術選択しなくて良かったなと、内心そう思った。こんなの一コマも眺めてたら網膜に残像が焼き付いて取れなくなるぞ絶対。


 目をやられないよう直視を避けつつ、入部の動機として『祖父の形見分けで貰ったカメラの使い方を学びたい』と答えた。

 すると、こう言われたのである。そういうのは門倉先生のカメラ部でやってくれと。


 オレ、何となくわかった。

 写真部は写真を、カメラ部はカメラを極める部活だと。

 つまり、俗に言う『ばえー』を追求するのが写真部。オレが知りたいカメラの操作方法やらマニュアルレンズやらは専門外ってこと。


 で、タライ回しされた感はあるものの、門倉先生に声をかけた訳だ。

 良く言えば不思議ちゃん、悪く言ったら典型的なオタク女子の門倉先生は、自作らしい小さな弁当と短い箸をそれぞれの手に、本気でびっくりしている。

 まあ二年の途中で入部希望の直談判なんて、珍しいとは思うんだが。まるで入って欲しくないみたいな反応だ。


「……どうして?」

「祖父の形見にカメラをもらったんすけど、使い方が分からなくて」


 写真部の時と同じ説明をする。

 これでまた『あっちの部に行け』と言われたら、タライを一周して元の位置に戻ってしまう。部活で学ぶという手段も諦めざるを得ない。


「ええと……うちはちょっと特殊な部だけど……」


 門倉先生が言葉を濁した。

 特殊? 何それこわい。

 アクション映画で『特殊部隊』といえば最強の兵士の称号と相場が決まっている。特殊部活。なんか首の後ろザワザワしてきた。


「……カメラの部活ですよね?」

「うん。そうだよ。カメラについて学んだり、写真を撮ったりしてる」


 一応、カメラを正しい用途で使ってはいるようだ。


「それの何が特殊なんすか」

「まあ……入ってみたら分かるよ」


 門倉先生にちょっと焦りの色が見える。


「とりあえず、体験入部って形で。毎週火曜日の放課後に化学室に集まってるから、その、お爺さんの形見のカメラを持って来て。撮影機材のことは副部長が詳しいから、教えてもらえるとは思う」

「はい」

「貴重なものだから、学校に持ってくる時は気をつけてね。わたし朝一で化学準備室で待ってるから、預けにおいで」


 こっちの顧問は面倒見が良い。

 化学も履修してないから知らなかった。お堅い紺のスーツに束ねただけの黒髪、ピンクのナイロールのメガネ。おしゃれ感ゼロで見た感じは根暗なオタク女子だけど、ちゃんと顧問してるし意外と巨乳だ。


「あの、門倉先生もカメラ好きなんですか」

「うーん……部員のみんなみたいに詳しくないけど、嫌いじゃないよ。教科で言ったら写真は芸術というより化学のカテゴリに含まれると思ってて、感性よりロジックが重要という辺りに、ほんのちょっと興味があるの。素敵な写真は数値化できるんだよ。厳密に計算で得られる論理がそこにあって——」


 あ。

 この人、ちょっと面倒くさい方向の写真好きだ。


 言ってること、ぜんぜん分かんない。でも熱量だけは伝わってきた。

 実際オレ、山の上公園から見下ろす美作川に夕焼けじゃなくて朝焼けが映るって事実に打ちのめされたばかりだ。

 太陽は好き勝手に昇ったり沈んだりしない。あの場所は、太陽が沈むのではなく昇る。それもまた化学教師の言う、計算すれば導き出せる論理のひとつじゃないか。


 写真の芸術センスを磨く写真部より、カメラに理系的アプローチをしているカメラ部の方が、案外楽しそうな気がする。



 ***



 火曜の放課後の化学室。

 扉は固く閉ざされているが、確かに人の気配がする。カメラ部もちゃんと部員がいた。

 さて、どういう風に特殊なのかな?

 記念すべき、体験入部初日。緊張しつつオレは扉に手をかけた。


「失礼しまーす」


 ガラリと引き開ければ。

 流し台と水道とガスの栓を備えた、四人で囲む大きな机が四つずつ三列に並んでいる。前方に黒板と教壇、奥の壁一面の薬品棚。

 いかにも化学室、な風景の中に。


「しーのーづーかー! 貴様だな!? 部費を使い込んだのは!」

「待って! 話し合おう! 話せば分かる!」

「いいや聞く耳は持たない! 今すぐ耳を揃えて返せ!」


 憤怒の形相でコブラツイストをキメる美女と。

 完璧に脇腹を固められている優男がいる。


「失礼しましたー」


 そっ閉じした。

 そして眉間を軽く抑える。


 いやいや待て待て、オレ今一体何を見た?

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