第参章「迎撃東京湾」

参の1

 酔い潰れた五味を車に詰め込み、志戸が宿泊先の旅館に送りに出して一時間ほど経つ。時計の針も二十三時を回り、虎鉄は遅い夕食を摂っていた。

 五味の話に神経を集中させていたせいか、疲労の色が見られる。一言一句聞き漏らさないよう、食事すら控えていたのだろう。しかしその分、得られた収穫は大きかったようだ。虎鉄はメモ帳の走り書きを満足そうな面持ちで眺めていた。

 兎に角、景勝が横で聞いてる限り、関係者がやたらと多く、全体像を把握するだけでも骨が折れる情報量だ。ただ、五味が仕掛けた詐欺の仕込みは大方終わっており、あとはどう収束させるかだけの問題……。そして、最後の幕引きは、我々『始末屋』の出番だともいえた。

 座敷の囲炉裏を囲み、虎鉄は牛タン両面を軽く炙って塩胡椒をまぶす。

 箸で肉を口まで運び、じっくりと味わうように咀嚼する。

 目を瞑り、噛む度に広がる濃厚な肉の旨味。旅の醍醐味と言わんばかりに舌鼓したづつみを打ち、熱い緑茶を少しづつ流し込むのだった。

「虎鉄さん、麦酒ビールじゃなくていいんすか」

「ん? ちょっとな……。酔うと、考えが上手くまとまらねえんだよ」

 景勝は薄く笑う。「確かに。婆さま方も、酒は十分に気をつけろと言ってましたね」

「どんなに優秀な奴でも、酩酊すれば必ずボロがでるってな」

 過去に酒での失敗談でもあるのか、自らを戒めるような言い方。

 なぜなら虎鉄自身、戦後の混乱期を生身一つで生き抜いてきた猛者なのだ。今日の今日に至るまでの紆余曲折も多々あったことだろう。だが、それにしても少々慎重すぎる。まだその先に何か嫌な予感があるということなのか。この案件が一筋縄ではいかないことを、如実に物語っていた。

「……ほんで、実際はどうなんスか。虎鉄さんの見立てとしては」

「よくて五分五分ってとこだな」

「五分五分、結構厳しくないですか?」

「いやな、五味の野郎が仕組んだ不動産の詐欺はよくできてはいるのだが……」

 と、顎に手を充て、手帳をパラパラとめくる。焼いた牛タンを口に頬張りつつ、虎鉄は重要なページを人差し指で叩いた。

「こいつにはな〝人間の感情〟っていうのが計算に入ってないんだ。おまけに、日本人で構成させる旭日組は気性の荒い極道もんばかり……。欧露会に至っては厄介なオロス人まで混じってやがる」

 景勝は口の端を引く。「そりゃ、人は理屈通りにはなかなか動いてくれませんからね」

「その通りだ。人間の感情っていうのは、読めそうでそうなかなか読めないもんさ。よしんば、これが成功していたとしても、そのまま欧露会が黙っているとはとても思えん……」

 虎鉄は大きな溜め息をひとつして「やはり、犠牲は避けられんか……」と、ぽつり呟く。その意図は大体わかる。荒っぽい真似は極力したくないと思うのが人のサガだろう。しかしながら、必要とあれば我々は無慈悲に徹せねばならない。

 景勝は堰を切ったように身を乗りだす。「大方、分かりました。それで、どいつから消しますか?」

「はははは、やる気だな。まあ、そう先を急ぐなって。いまはゆっくりと、目標を吟味しようじゃないか」

 と、虎鉄は先程受け取った荷物を手元に手繰り寄せ、徐に物色し始める。

 五味の話では、この風呂敷に関係者たちの顔写真や簡単な経歴の書かれた書類も入っていたようだ。早速、その中から分厚い封筒を、ごそりと引っ張り出し、中身を覗いて確認する。

「まずは、顔写真を並べて全体像を把握するかね……」

「自分も手伝いますね」

「おう、よろしく頼むわ」

 景勝は封筒を逆さにして全て出し、虎鉄が写真を拾って適当にグループ分けをしてゆく。顔写真には本人の名前や役職、所属する団体名が記載されており、不動産取引きに関わる主要人物だけを素早く選定したのだった。

 あの酔っ払いの雑な説明だけで分かったのか、虎鉄は淡々と書類と顔写真を見比べて、畳の上に一枚一枚並べてゆく。驚いたことに、全てがカラー写真だ。その鮮明ななまでの画質の高さにも目を惹かれる。ご丁寧に、欧露会や旭日会の建物、弁護士事務所の内部写真まで揃えられていた。

「スゲェなこりゃ? 隠し撮りをするにしてもどうやって撮ったんだ?」

 景勝も虎鉄の反応を伺い、同様に声を合わせる。「いやはや、どんな高性能なカメラを使ったんだろうか……」

「ほんじゃあ、ついでだな。風呂敷の中も覗いてみるか」

 と、虎鉄は軽い調子で唐草模様の両端を解いて開く。

 風呂敷袋の中には梱包された箱や鞄の数々……。手始めに鞄の中を開けてみると、超小型カメラや、目に装着するようなゴーグル型のヘッドギア。見た感じとしては、赤外線式の暗視鏡だろう……。

 その他、使用用途が分からぬような未知の機器が箱からゴロゴロと出てきたのだった。その先進的なフォルムからして既製品の類いでないのが一目でわかる。明らかに魔女どもが作った非正規品だった。

 図らずも、虎鉄は笑みを零す。「まるでスパイ映画じゃないか」

「魔女の技術っていうのは、計り知れないですね」景勝も驚きを隠せない様子。

「カラスから聴いた話だと、半世紀先は進んでいるそうだからな」

「五十年もスか。その頃は、自分は爺さまになってるなあ……」

「ばかやろう、俺はその頃は墓場の中だわ」

 と、さも冗談を飛ばすかのように言う。ついつい釣られて笑ってしまう景勝。

 しかしながら、此れ等の小道具はかなり使えそうだ。虎鉄も実際にカメラを手に取り、小声で感嘆している。他に何か妙案でも浮かべば良いのだが……と景勝も物珍しそうにヘッドギアも弄ってみるのだった。

 ──すると、外の庭から車のエンジン音が木霊する。

 志戸が帰ってきたのだろうか……。

 直ぐ車のエンジン音が消え、ドアを開閉する音が響く。雪の寒さに参っているのか、いつもより義足をカチャカチャ鳴らして戻ってくる。玄関の立て付けの悪い引き戸を器用に開け、頭や肩の雪を払いながら入ってきたのだった。

 次いで、「いやあ、先生からメリー・クリスマスだって仙台の土産を貰っちゃいましたよ」と陽気な一言。その右手には仙台の地酒が嬉しそうに握られており、虎鉄と景勝は呆れたように顔を見合わせたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る