弐の10

 目の前で展開された現実に戸惑いを覚えながらも、混乱する頭の中を必死に整理する。確かに、数瞬は九十九の動作が先にみえたはず……。ただ、圧倒的な殺気に惑わされ、視覚が錯乱状態を起こしてしまったのかもしれない。しかし、そんな剣圧など物怖じもせず、長臣はいとも簡単に跳ね返してみせたのだった。

 下顎に深く突きつけられた光る銃口。九十九は鍔元から手を離し、参りましたと胸元まで両手を挙げる。完全に降参しまたしたといわんばかりに……。生唾を飲み込み、硬直した姿勢のまま辿々しく口を開くのだった°

「……こ、これは、お見事。御見逸おみそれいたしました」

「なら、最初から喧嘩など売らねえことだ」

 そう言うと、長臣は喉元からゆっくりと銃を引き抜く。そのまま数歩後ろに下がってから、拳銃を上着の懐に収めるのだった。

 ……まったく、銃ぐらいは所持しているとおもっていたが、その口径からして物騒な拳銃ぽい。どこから入手したのか、熊ですら狩れるほどの威力があるだろう。間違っても人に向けるような代物ではない。そうして、左吉は苦笑いを浮かべながら、意気消沈する九十九に目を遣った。

 彼は、額の汗を拭いながら襟元を無駄に整えている。

 だが、昂った心を落ち着かせ、冷静さを繕っているような印象も受けた。

 どれだけの自信をもって挑んだのかは分からぬが見事に返り討ち……。更に、殺気からして、本気で斬り殺そうとしていたのは確かだった。両者のいざこざはさておき、カラスと天狗は想定してる以上の犬猿の仲なのだろう。

 ……と、そんな折り、九十九が片手合掌をして「すまん! ほんに、すまんかったのうっ!」と詫びながら近寄ってくる。

 どう言う風の吹き回しなのか、今度は人格が入れ替わったように低姿勢ではないか。ここぞとばかりに深く頭を下げ、唐突に謝罪をしてきたのだった。

「いやいや、誠に失敬した。これも仕事の一環でな。出会い頭に大変失礼した」と真摯な態度。続いて、何か言いたげそうに顔色を伺う。

「……んで、改めて聴くがネムラズのとこの土師左吉だな?」

 疑うように目を細める左吉。「そうですけど……って、最初からご存じだったのですか」

 皮肉めいた笑み浮かべる九十九。「顔写真を何度か拝見している」

「どれだけ僕の写真が出回っているんですか」

「新型兵器のパイロットだろう? 魔女界隈では結構な有名人らしいぞ」

「やだなぁ……。僕の知らない話ばかりだ」

 困惑したように眉根を下げる左吉。自分の知らない所で話が色々と進みすぎなのだ。せめて一言欲しかったが、ヨウジの顔が浮かび上がりすぐに諦めの色に変わった。あの人なら確かにやりかねないからだ……。そんな事情を察したのか、九十九が続け様に話する。

「……しかしだな、カラスのおさってのは初めてみたぞ」

「そういえば、初対面でしたよね」

「噂の真相ってやつを確かめたくてな。つい無礼を働いてしまったよ」

 と、九十九は申し訳なさそうな顔だけはする。

 そして怪訝な顔で煙草を蒸しつつ、怠そうに戻ってゆく長臣の背中を恐々とした面持ちで眺めるのだった。

「オミさんって、そんな姿を現さないものなんですか?」

「普段は下っ端ばかり寄越すって話だ。本人が出てきたのは、本当に久しいはず……。確か、行待さんも数年振りに見たとかいってたな」

「へええ、オミさんってそんな感じだったですか」

「小生も、詳しくは知らんよ。ただ、カラスは少数精鋭の生え抜きばかりを集めているとは聞く。表向きは下部組織を上手く使っているそうだ」

 重ねて言われてみれば、左吉は長臣をよく知らなかったことに気づく。

 カラスは武器の調達屋か、取引の仲介人ぐらいにしか認識していなかったからだ。ただ、それだけの信頼や実績を積み重さねてこれたのも、それだけの業績があった上でのこと……。其れ等は知識や知恵だけではなく、それに見合うだけの抑止力も兼ね備えていたに違いなかった。

 ──折角の機会だ。と、左吉は不意に尋ねる。「因みにだけど、さっき言ってた〝噂話〟って何ですか?」

「わははは。やっぱり、気になるよな」と、九十九は片眉を下げ、一旦は話を区切る。

「……それなら『〝先読み〟』のことさ。なんだ知らなかったのか」

「先読みだって?」

「読んで字の如くだ。なんでも、奴は少し先の事象が完璧に読めるらしい」

「初耳だ。そんな真似が……」

「小生も眉唾だとばかり思っていたがな。ご覧の様よ。いよいよ、真実味が増してきたってもんだわ」

 などと嘯くが「まだ信じ難い」とでも言いたげな九十九の口調……。

 明るく振る舞い、できる限りの平静を装っているが、内心の動揺は隠しきれていないようだった。だが、左吉もほんの少しだけなら理解できる。自分も多少なりとも剣術の心得があるからだ。とはいえ、彼ほどまでに研鑽を積んだ者なら、あれは不可解極まりない事象だったことだろう。

 冷たい海風と共に頬に雪があたる。降雪が段々と強くなってきた。左吉も長臣に続くように倉庫棟に向おうとしたが、揚陸艇から降りてくる二つの人影……。案の定、揚陸艇から喧嘩の遣り取りを眺めていたのだろう。ただ、不満足な結果だったのか、行待が肩をすぼめて寒そうに歩いてくるのだった。


 ──「度々、すみませんね。先に紹介したい人がいます」

 

 と、鷹揚おうようなまでの低い声質。ちょうど、用事を済ませて艇内から戻ってきたようだ。その背後には神経質ぽい顔をした髪の長い女性を連れていた。

 彼女は伝統的な民族衣装に和服の上着を羽織っており、歳は比較的若そうに見えるが、その出立ちからして一癖も二癖もありそうだった。しかし、九十九も同じくして着ている服装も古風で、些か時代錯誤な違和感を醸し出している。

 しかしながら、個人の趣味というよりは、前世の知識や経験を継承すると言われている天狗の特性が強く現れてしまっているのだろう──。今しがた目にした九十九の抜刀術にしかり、二十歳前後の若造が到底できる芸当とは思えなかった。……見ての通り、天狗というのは個性的になってしまうのかもしれない。

 行待が連れてきた女性は左吉を値踏みをするかのように暫く見つめ、一瞬微笑んだかと思うと、直ぐ真顔になり憮然とした表情を作る。そうして一歩前に出てから、しおらしく頭を下げたのだった。

「わたしの名前は〝森見 遊佐もりみ ゆさ 〟と申します。以後は〝遊佐ゆさ〟と気軽にお呼びくださいな」

 上品で、とても落ち着いた喋り口調。訛りからして京都言葉だろうか。

 遊佐は左吉をじっと見据えたかと思うと、鋭い視線を斜め前へ送りつけたのだった。一重で切長な遊佐の眼光。えも言われぬ迫力。きつく睨みつけられたせいか、九十九は途端に空気を読んだのだった。

「ふははは。そう言えば、小生も自己紹介がまだだったな。名は〝天宮 九十九 あまみや つくも〟と申す。今更だが、よろしく頼むぞっ! 青年っ!」

 突然どうしたのか、わざとらしく九十九から差し出される右手……。

 どうやら一方的に友好を求められているらしく、些か腑に落ちないながらも力無く握手をする左吉。どうも彼等の予定調和に無理やり巻引き摺り込まれている気がする。

 察するに、長臣への強襲が未遂に終わってしまったせいで当初の予定が大きく狂ってしまったのではなかろうか。命を狙われたかと思えば、すぐに手のひら返し。二枚舌もいいところ。カラスが天狗を極端に嫌うわけである。最早、我々に協力するしかないと踏んで舵を切り返したようでもあった。

 だがしかし、所詮は敵味方など時勢によって入れ替わってしまうもの。

 そこに打算的な思惑や妥協の産物などもあるだろう。天狗は一歩間違えれば敵対していたかもしれない勢力。それを鑑みれば此方についてくれただけでも儲けものだ……。左吉は諸々の事情を考慮した上で「どうぞ、よろしくお願い致します」と、丁重に頭を下げたのだった。

「……それでは、そろそも中に参りましょうか」不気味に微笑む行待。

「クリスマス・イブですし、簡単な食事やお酒も用意してるそうです」等と、白々しく切り出して、皆がの待つ倉庫棟へと先導してゆく。

 ふと足下に目を遣れば、雪がもう積もり始めている──。

 踏み締めた白い足跡が点々と続き、煌々と輝く埠頭の明かりだけがやたら幻想的に映った。自らの逃れられぬ宿命を暗示するかのように降り続ける雪たち。降雪は左吉にとっては呪いであり、不吉な前兆を表す象徴のようなものであった。

 そうして、今年も寒くて厳しい冬がやってくるのだ。

 出航は明朝の八時。左吉は数人の仲間を引き連れて直ぐ戻らねばならなかった。早くしないと皆が眠りについてしまう。故郷と仲間の未来を守るためにも。奴等は必ず守りが手薄な頃合いを狙って襲ってくるはず。今度こそ、オロス達との紛争に陥ってしまうだろう。

 到着して一日足らずで帰郷するのは心残りだが、物見遊山に来たわけでない。全ては故郷を救うため。東京は憧れの街ではあるが、決してそれを表情にはださなかった。しかし、せめて遠くの景色と雰囲気だけでも…… と、左吉は懸命にその景色を目に留めるのだった。

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