弐の9

   *


 東京にも雪がチラホラと降ってきた。美しく揺れる白い雪が、漆黒の空から次々と舞い落ちてくるように……。吐く息は煙のごとく、肌寒い潮風だけが海上から静かに流れた。クリスマスの前夜らしい素敵な夜となるのだろう。

 左吉は頭や肩に積もる雪を払い、晴海埠頭に現れた船影に目を遣った。

 驚いたことに闇夜に紛れて「揚陸艇」が迫ってくる。突然の事態に呆然とする左吉……。主に揚陸艇は戦車や装甲車などを輸送するための専用船だ。一体、何処からこんな船艇を調達してきたのか、遠目からみても圧巻の光景。古い軍用のものを払い下げ、民間用に改造したに違いない。魔女の持つコネクションや資金力の片鱗を、まざまざと見せつけられたのだった。

 波止場近くに隣接された倉庫棟も、物資の積み下ろしを容易にする為のようなもの。後から特別な工事も施したのか、揚陸専用らしき加工の跡がある。無論、其れ等は装甲車両や戦車の運搬すら可能としたのだった。

 低いエンジン音を轟かせ、波止場にゆっくりと入場する揚陸艇──。

 倉庫棟の矢倉から照射される誘導灯の指示に従い、慎重に接岸している。ちょうど、くぼみのような波止場になっており、揚陸艇が正面から侵入し、綺麗に収まる感じになっていた。

 船に駆け寄り、直近でみるとかなりの迫力。鈍い金属音を立てて着岸すると同時に、甲板からロープが投げ入れられたのだった。そのロープを空中で受け取り、左吉は係留止めに素早く括り付ける。その反対側でも長臣が投げれられたロープを拾い上げ、似たような係留作業を怠そうにしていた。

「土師君は、この手の作業は慣れているようですね?」

 と、行待が能面な顔をして、急に話掛けてきたのだった。

 どんな意図があるのやら「船舶の扱いなら、色々と仕込まれましたからね」と、左吉は仏頂面で言葉を返す。

「それなら重畳ちょうじょう。少しは安心できますよ」

「安心ですか?」

「ええ。わたしにも、表向きな立場というものがありますので」

「立場ですか。内務省でも大変なんですね」

 ふふふ、と行待の虚無的な笑み。どうも先程から絡みづらく、この男だけは接し難いのだ。それがさも、生まれながらの「サガ」でもあるかのように、微塵も態度を改めようとはしない。感情の機微も殆ど読み取れず、まるでカラクリ人形と話してるような印象を与えるのだった。

 やがて、接岸した揚陸艇の船首部分が奇怪な音と供に大きく口を開く──。

 鈍重な車両を運搬するだけあって、乗り口の部分はかなり分厚い鋼鉄板で造られていた。物珍しい船体でもあり、どうしても好奇心ばかりが先立つ。内部の構造が気になってしまい、ついつい前のめりになってしまう左吉だった。

 そうして、暫く目を凝らしていると、雪に紛れて船内から人が姿を現す。

 いましがた、甲板からロープを投げ入れていた人物だろうか。降ってくる雪を煩わしそうに払い除けながら憮然とした顔で歩いてくるのだった。

 苛々と不機嫌そうな面持ち。太々しいまでの態度。筋肉質で、体格のがっちりした身体の大きな若者。旧陸軍の軍服姿で頭を短く丸め、身長も百八十センチは雄に超えている。変わった風貌。驚いたことに、腰に帯刀までしていた。

 行待が軽く手を上げる。「九十九君。お勤めご苦労さまです」

「これはこれは、行待さん。ご足労かけます」

 と男は畏まって頭を下げる。

「いえいえ、お安いご用ですよ。ところで、遊佐君はどこですかね?」

「遊佐のやつでしたら、まだブリッジで作業をしているかと……」

 行待は「そうですか。あとはよろしく頼みましたよ」と、意味深な言葉を漏らすようにさっさと艇内に入ってゆく。まるでこの場から逃げてゆくかのように──。

 船内に何か用事があるのか〝遊佐〟と呼ばれていた人物も気になる……。

 魔女の協力者に高級官僚が混じっていたのは驚きだが、これだけ禍々しい兵器を運用するとなれば、それなりの手続きや根回しが必要となるはず。政府側も過去の因縁を含めて決着をつけようと何か目論んでいるのだろう。

 そうして、その場に残されてしまった〝九十九〟と不意に目が合ってしまう左吉。慣習に倣って会釈を返すものの、この男からは得体の知れない威圧と嫌悪が如実に伝わる。おまけに、かなり殺気立っているではないか──。

 人見知りをしたわけではないが、気不味さから目線を逸らしてしまい、それに気づいた九十九が尋問をするかのように問い詰めてくるのだった。

「おいっ。貴様が噂のカラスってやつか!?」

 首を振って左吉は即座に否定する。「いや、僕はカラスではなく……」

「ああっ!? じゃあ、ただの倉庫作業員か何かか!?」

 そう言いつつ、上から下へと舐め回すような視線で絡んでくる。

 左吉は即座に言い返す。「違う。俺は倉庫の作業員ではない」

「カラスでもねえ、倉庫作業員でもねえ。じゃあ、おまえさんは何なんだ?」

「困ったな。行待からは何も聞いてないのか?」

 やはり、この手の男はどうも苦手かもしれない。話の要点すらよく分からなかった。喧嘩上等。喋り口調も荒く、他者への配慮や礼節に欠けている。この九十九という男が何者なのかも不明。もし政府側の人間なら、なるべく関わらないのが無難だろうか……。横柄で高圧的な態度に戸惑っていると、斜め後方から長臣が気怠そうにやってきたのだった。

「悪いが、あんちゃんよ。俺がそのカラスだが、なんか用事か!?」

「おおっと、あんたがそうかい」

 と、九十九は、やや引き気味に驚き、咄嗟に距離を取り始める。

「だったら、なんだ。こっちはおまえなんぞ一切知らんぞ」

「……へへっ。噂なら色々聴いているんでね」

 多少の合点がいったように長臣は言う。「ははん、なるほどな。さては、行待がわざわざ呼び寄せた天狗の小童こわっぱだろ?」

「あん!? ……おっさん。いま、なんつったよ?」

〝小童〟呼ばわりされたのが余程癪に触ったのか、敵対的な視線と憤怒の表情を瞬時に向ける。ここまでくれば、売り言葉に買い言葉。急転直下、一発触発の緊急事態である。とばっちりは御免だとばかりに、左吉も咄嗟に離れて凶事に備えた。

 不穏な空気を身に纏い「ざわり」と、沸き立つ殺気──。

 対して、長臣は眉ひとつ動かさず堂々と対峙している。どこからこの余裕が生まれるのか、微動だするどころか逃げる気配すらない。ただ、激昂する九十九を睨みつけ、気怠い表情で迎え撃つのだった。

 ──次の刹那、緊張の糸が限界一杯まで張り詰める。九十九の目の色が変わり、腰元の刀に指を触れる。一瞬の刻、居合らしき構えと手の動き。目にも留まらぬ速さ。抜刀、その直後に繰り出されるであろう斬撃に血の気が引いた。


 ──やばいっ!


 胴体が真っ二つにされる長臣のヴィジョンがはっきりと目に浮かぶ。

 それはまるで、確定されてしまった未来かのように、鮮明にイメージできたのであった。達人の域にまで洗練された技に触れた瞬間、多少の腕に覚えのある者なら擬似体験してしまう幻覚の類い。突如として、訪れる殺傷沙汰に息を呑む左吉。だが、止めようにも術は無い。既に自分の手から離れゆく時間の感覚に身を委ねるしかなかった。


 ──ところが、現実的は全く違った結末を辿る。


 どういう訳なのか、居合の動作よりも速く、長臣の拳銃が相手の喉元へと突きつけられたのだった。決着は一瞬で着き、九十九の顳顬こめかみから頬に流れる一筋の脂汗。一体全体、何が起こったのかさっぱり理解ができなかった。

 時が止まったのか、それとも巻き戻ってしまったのか。まるで狐に頬でも摘まれたかのように、左吉は閉口したのだった。

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