弐の8

 気の毒に感じた景勝がそっと視線で促す。それに気づいた志戸が小さく頷く。稀にだが、よく居合わせる空気の重い場面でもあった。

 先ず、その為には話題を変えてしまうのが手っ取り早い。継いで、志戸が「それで、ですね……」と、控え気味に横から尋ねる。恐る恐るな態度ですんなりと、ごく自然な頃合いで……。だが、五味は会話を邪魔されたかのように「あぁんっ?」と、振り向きざまに凄むのだった。

「……その、旭川で何が起こっているのでしょうか?」

「ううんっ? 」何かを思い出したような顔をする五味。「おおっと、いけねえ。そうだった。確かにそうだったな」

 と、額を叩いて愉快そうに笑うのだった。

 機嫌取りも程々にしておかなければ、いつまで経っても本題に入れぬというもの……。そういう意味では、志戸の入れた合いの手は絶妙だった。茶を口に含み、多少の苛つきを覚えつつも、五味は落ち着いた口調で再び話し出す。

「いまな、オロスの欧露会と旭日組の間でちょっとした一悶着ひともんちゃくが起こっててな……。商業地域の土地開発や教会の敷地の売買を巡って、まさに一発触発の状態ってわけよ」

「それって、向こうで抗争を誘発させるとかですかね?」

「はあっ? なんだって?」と、片眉をあげる五味。

「ボウズなあ、なに物騒なこと言ってんだ。そんな真似したら、街中が死体だらけになるだろうが。第一に、一般市民さまにも迷惑がかかる。いいか、ワシはあくまで〝商売〟の話をしてんだぞ?」

 今度は景勝が景気よく口を挟む。「……なるほど。ビジネスの話ですか。察するに、必要なのは、叩いた人間の頭数ではないってことですかね?」

 ──「ごもっとも」という具合に、景勝はおかわりの茶をすっと差し出す。

「そう、それなんだよっ! 大事なのは、損失と利益。所詮はな、儲かってナンボの世界じゃ。故にだ、経済的に奴等を困窮こんきゅうさせてやるのが最も効く。さすれば、あっという間に干上がっちまう。なんたって、金がないのは首が無いのと一緒だからよっ!」

 世辞せじにも可愛いとは言い難いネズミ顔を歪ませ、つばを飛ばしながら下品にゲラゲラと笑う。この癖のある老人は、相手の嫌がる急所をよく熟知している。贔屓目ひいきめなして下品な奴だ。無意識のうちにその嫌悪を露骨に吐き出し、場としての空気に不快感を漂わせるのだった。

 続いて、少し静観していた虎鉄がようやく口を開く。「つまり、オロスの欧露会と旭日会を土地売買で大損させろと?」

「……まあ、大まかにいうとそんなところだな」

「ただ、そうなりますと、少々時間が掛かりますかね」

「そうだろう。そうだろう」五味は不気味ほど深く共感する。

「……だが、喜ぶがいいぞ。一応、ワシが旭川に潜入してタネだけはいておいた。いやあ、この数ヶ月は結構骨が折れたわい。あとは煮るなり焼くなり、お前さんたちの好きにするとええぞっ?」

 と、いきなりそんな事を言う。急におかしな展開になった。

 五味は熱そうにお茶を啜り、ずんだ餅を口に頬張る。そうして、脂ぎった鼻のあたまを掻くと、ゆっくりと禿頭を撫でて、若干気まづそうに目を逸らす。明らかに何か後ろめたいことがある証拠だった。


 ──その所作を目にして、虎鉄は目を見開いて口を半開きにする。


 同時に顔を見合わせ、きょとんとする志戸と景勝。うまく話を聴きとれなかったような素振りをしたが、五味が言わんとしていることは分かった気がする。

 おそらく、事態の後始末を此方に頼みたいか、計画途中で頓挫とんざして収拾がつかなくなったに違いない……。要は、旭川で何かしらの『失態』を犯して逃げてきたのだろう。あたかも、我々に尻拭いをしろと言いたげな口振りだった。


 ……だとすれば、長臣が自分らを呼んだのもうなずける。


 しかし、とんだ負債を押し付けられたもの。特に、他人がやった仕事を途中で請け負うほど気持ち悪いものはない。本来であれば、そこで御破算となりうる案件だ。とはいえ、裏を返せば、カラスに恩義を売るには絶好の機会でもあった。どのみち拒否できないのであれば、損をしてでも得を取るしかないのだ。

 ──既に選択肢などはない。それが虎鉄の出した最終的な結論でもある。

 例え、地獄の業火ごうかに焼かれたとしても、覚悟を決めて最後までやり遂げる他ないのだ。懸命に、愚直なまでに、前に進むしかない。元々、一攫千金を狙って請けた仕事……。一筋縄ではいかないだろうとは想定していたものの、状況はやはりかんばしくなかったのだろう。

 なんとも、始末が悪そうに虎鉄が首を垂れる。「……そうですか、分かりました。お膳立てをして頂き、感謝致します」

「がははははっ! そう思うだろ? それに、今回は魔女様方の後ろ盾もあるんだ。安心せい、ワシも必要な情報はいくらでも提供してやるわいっ!」

 と、多少安堵あんどしてしまったのか、ネズミらしくない大きな歩み寄り……。

 それだけ不味い状況なのか、随分とあせっているようだ。しかし、勢いで言ってしまった手前、今更いまさら訂正はできないだろう。まさに千載一遇の好機。同時に、虎鉄の目が小さく光り、その隙間を決して見逃しはしなかった。

 すぐさま膝を立たせ、これぞとばかりに頭を下げて五味をおだてる。

「それはそれは、大変に心強いお言葉っ! 先生のお力添えがあれぼ百人力。さっそくですが、お伺いした話が山ほどありまして……」

「おっ、おうっ! なんでも、聞くといいぞっ!」

「シド、カツ、話が長くなりそうだ。先生にお酒とさかなをお出ししなさい。さっき買った笹かまぼこがあったな?」使用人を呼ぶかのように、両手を叩く虎鉄。

「へいっ、ただいまっ! 牛タンも用意致しますっ!」

 と、同調して声をあげる志戸と景勝。台所から御新香や笹かまぼこを出し、景勝は団扇を煽いで七輪の火力を上げる。志戸は外で冷やしておいた瓶ビールを持ってくるのだった。流石に婆さま方から、厳しくしつけられていたのがよく伺える。なんせ、ドクロは女性優位の珍しい一族だ。

 そこで育てられた二人の適応能力は高く、炊事、家事、洗濯となんでもこなせたのだった。とりわけ、料理の腕は相当なもの。紅茶や珈琲をれるのですら非常に上手い。「飲食」というのは、生活の基盤であり、虎鉄らが最も重要視する事柄の一つでもあった。だからこそ、料理に強い二人を連れてきたのだ。

 志戸は栓抜きの代わりに、十円玉を取り出し器用に瓶麦酒ビンビールの蓋を開ける。

 これも、客人を目を楽しませる為のパフォーマンスの一環……。

 白い泡が小さく溢れ、コップに黄金色の麦酒ビールが注がれる。続いて、土間から美味そうな肉の焼ける匂いまで漂ってくるのだった。老人は物欲しそうに台所を見ながら思わず喉を鳴らす。部類の酒好きでもある五味にとっては堪らない待遇でもあった。


 ──「さて、先生。今宵は旭川でのを是非お聞かせくださいな」

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