壱の3

 そう言うと、長臣は手酌で再び麦酒ビールを注ぎながらマッチ箱とハイライトの煙草を胸元から取り出す。しかし何故、苗字ではなく、わざわざ名前の方で呼んでもらいたいのか。内心に薄く疑問が残る。

 左吉は「はい、了解しました」と、答えつつもあまり腑に落ちていない様子。そんな小さな所作を読み取り、長臣は察して言葉を繋げる。

「……まあ、長臣っていう名は聴きようによっちゃ苗字にも聞こえるからな。普段は名前呼びの方が色々と使い勝手がいいんだわ」

「なるほど、そうでしたか。……それでは〝オミさん〟で。初対面で馴れ馴れしいかもしれませんが、若頭と呼び方を統一させてください。あと、カラスでの仕事ぶりなら、常々伺っております」

 とくに言葉を返すことなく長臣は無言で頷き、煙草の火をマッチで点ける。

 紫煙がゆらりと立ちのぼり、左吉も被っている野球帽を脱いでビールに口をつけるのだった。空腹にじんわりと染み込んでくる麦酒のアルコール。真昼間から酒を呑むのは少々気が引けるが、互いに親睦を深める為ならそれも仕方なかろう。

 ただ、呑み過ぎないように気をつけねば。これから大事な交渉事があるのだ……。一気に飲み干したい気持ちをグッと堪えて、左吉は持ってきた手荷物を足下に手繰り寄せる。ずしりと重く、鞄の中身は、大方の検討はついている。きっと、金目のものだろう。


 ……さて、どう話を切り出せば良いものか。


 対面にいる長臣は煙草の煙を口元でくゆらせ、店主がカウンターに用意してくれた酒の肴のを取りにゆく。蒟蒻とちくわの煮物だろうか。鷹の爪の輪切りが入っており、辛味が効いて実に美味そうである。そう言えば、列車の遅れた原因は「蒟蒻芋」を乗せた貨物車両だったらしい。まず、遅れたことを詫びなければ……。

「あの、オミさん。待ち合わせ時間に遅れて申し訳なかったです」

「ううんっ? ああ、それは問題ない。連絡はしっかり受け取ったからよ」

 左吉を一瞥してから長臣は蒟蒻を口に頬張る。ゆっくり咀嚼して味わうように。……しかし、一体どのようにして此方の連絡を受け取ったのだろうか。左吉が覚えているのは指定された電話番号にかけて、渡されたメモの内容に従って該当する数字をダイヤル入力しただけ……。

 何か自分の知らない最新技術でも導入しているのか──。

 なんせ〝カラス〟という組織は一枚岩ではなかった。普段は資産家たちの指示で動いているだけあって、其れ等の情報量も半端でないのだ。とくに、その背後に潜む『ある噂』が左吉の関心を強く惹きつけていた。

「──腑に落ちない顔だな。そんなに電話のカラクリを知りたいのか?」

「後学のために、聞かせて貰えると」

 と素直に頭をさげる。

「まあ、いいだろう。これからもっとたまげた物を見るかもだしな……」

 そう長臣は語尾に含みを持たせると、吸いかけの煙草を灰皿に乗せる。

 そして上着の内ポケットを弄り始りながら時折、眉を上げ下げしながら妙な顔をした。余程大事なものなのか扱いが慎重だ。そうして、懐から手帳サイズの機器を取り出す。

 しかし、全くと言っていいほど見慣れぬほどの流線形なデザイン……。その外装や質感からして、世間で流通しているような既製品ではなかった。SF映画でもあるまいし、左吉は思わず身を乗り出して目を見張った。

「な、なんですか? これはっ!」

「初めて目にする機械だろ? 俺も最初は目を疑ったもんさ」

 口角を上げ、長臣が機器に直接触れると画面が青白く発光する──。 

 まるで小さな画面にテレビが収まっているようだった。画面に浮かび上がる英字や数字を見ても解像度が極端に違う。どこの誰が作ったモノなのか、おそろしく薄い平たい形状。思い当たる節と言えば画面の『液晶化』あたりだろうか。海外の科学雑誌で読むかぎり、液晶の実用化はまだ実験段階の代物……、あったとしても、まだこの世の市場に存在するはずがなかった。

 軽く麦酒ビールを口に含み、長臣は黒い機器を指差す。

「……コイツはな、その場で文字の遣り取りができる装置ってとこか。電話局の中継基地に転送してアルファベットと数字の送受信ができる。一応、関東近郊と日本の主要都市部なら電波があるぽいな」

「送受信……ってことは、同じような機器がまだあるってことですか?」

「察しが早いな。……ただ、基本は『受信』のみだな。アナログ電話からは数字しか送れないらしい。お前さんから送られてきたのはその数字のみさ」

 左吉は携帯機器を見つめて、やや嬉しそうに微笑む。「なるほど。だから、僕が送った数字の0906はオクレル。つまり『遅れる』って意味なんですね?」

「まあ、そういうこった。他にも色々な組み合わせで送れる。通称『携帯コール』ってとこか……。文字を送る機能はあと数十年だっけかな? 回線のデジタル化とやらで世間でも一般的になるそうだぞ?」

 と、今度は長臣がその機器を操作して英文を打ち込んでみせる。

 携帯機器はプッシュ式のボタンが多数ついており、英数字が自由に入力できるようになっていた。──やはり、似たような機種を持って連絡を取り合ってる人間が他にもいるのだろう。これから何処に連れていかれるか不明だが、その先に待っている人物こそ、左吉が上京してきた真の目的でもあった。

 小さな頃から度々言い聴かされていた逸話の数々。眉唾の話だと思いながらも、頭の片隅にずっと引っ掛かっていたのだ。近年に入ってからは、その存在が真しやかに明らかになってくると、一度ぐらいは会ってみたいと願うようになっていた。

 彼女らは……そう、

 この近未来的な機器が動かぬ証拠といえよう。彼女らは、卓越した科学力を有し、故郷の村にも「労働」という形で多くの恩恵をくれたのだ。

 自分がこの歳まで何不自由なく育ってこれたのは彼女らが与えてくれた仕事のお陰でもある。生産性のない集落に豊かさや富みを齎してくれたのだから。左吉は改まるように座り直して、ほろ酔い気分の長臣をじっと見据えた。


 ──「不躾なんですが、それを造ったのは〝魔女〟たちなんですよね?」


 一瞬、長臣の顔が強張った。〝魔女〟という言葉に反応し、突き刺すような視線を向けてくる。だが直ぐに頬が綻び、携帯機器の方へ視線を落とす。

「……若頭のヨウジだっけか。魔女については何か聴いてるのか?」

「いや、それがなんも、行けば分かるの一点張りで……」

 頭を搔く左吉の困った顔をみて、長臣は想像がつくように笑う。

「確かに、あいつらしい物の言い方だ。……ただ、この大変な時期に代理のあんたを寄越すってなると『例の噂』ってやつは、いよいよ真実味が帯びてくるな」

 少し真顔になる左吉──。あまり触れられたく雰囲気もある。

「オミさんは、ヨウジさんに会ったことあるのですよね?」

「勿論、何度かはあるさ。ただ、かなり用心深い男だったからな。仕事以外の話は殆どしやしねえ。俺は、ほんの少し聞き齧った程度でな」

 ……という具合で、送信を終えた携帯機器を手元に置き、再び蒟蒻とちくわの煮物に手をつける。別に腹が減っている訳でもなさそうたが、長臣は意図的に間をばかり空けてくるのだった。多分、話を引き出し、此方から自主的に話して貰いたいのかもしれない……。どの道、左吉にとっても避けて通れぬ話題でもあった。


 ──「……如何いかにも。うちの一族が〝冬眠〟するって話は本当なんですよ」

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