壱の2
緊張のせいなのか、〝
男は軽く苦笑いすると「とりあえず、ついて来な」と、顎をしゃくって左吉を促す。急いでいるのか、あまり人と一緒にいるのを見られたくない素振り。老朽化し
都会の人間は歩くのが速いとは聞いていたが、田舎とは時間の進み方がまるで違う。我先にと、せかせかと動き回っている。そして、高架下に寄生し、張り巡らすように増築される建造物の数々。貪欲に吸収して膨らみ続ける東京という都市を象徴しているようでもあった。
アメヤ横丁と書かれた看板の下を潜り、早々と慣れた足取りで先へと進む。
左吉は人の多さに圧倒され後に付いていくのがやっとだ。まだ闇市の跡が色濃く残る賑やかな露店が左右に連なり、方々から威勢の良い掛け言葉が飛び交っていた。何よりも、その活気の良さに驚くばかり。
……そういえば、もう年の瀬が押し迫っているのだった。
あと一週間もしないうちに帰省が始まるのだろう。正月の飾り付けや家の
……そんな故郷は現在、生きるか死ぬかの存亡の危機にあるといえる。
それも昨年、ここ数年
カラスとの付き合いは戦後からとは聴いているものの、実際に顔を合わせて会うのは初めてだ。村の若頭の話によれば顔の広い仲介人であり、金さえ払えば力強い味方でもあるとのこと……。おそらく、村に備蓄されてる銃などもこの男を介して仕入れた物なのだろう。要は、金次第でいくらでも融通の効く商売人でもあった。
後方にいる左吉に目を遣り、男は少し立ち止まって警戒してから高架下の古い建物に入る。左吉も咄嗟の駆け足でそれに続く。すると、男が入った通路の先には地下階段があり『愉座楽』という居酒屋らしき看板にさし当たったのだった──。
どうやら、半地下のような構造になっているらしい……。
左吉がおそるおそると、上から慎重に覗き込む。
階段下の踊り場では、男が店主らしき人間に男が耳打ちしながら手招きをしている。そこはかとなく急かされている様子もあり、左吉は会釈を交えつつ、アタッシュケースを抱えて慌てて降りてゆく。
そうすると「ぼうっとするなっ!」──。と、いわんばかりの強い視線。
ついつい反射的に身体が
店主の不満そうな態度が露骨に感じられ、表向きだけでも申し訳なさそうな顔をして左吉は頭を下げながら入店する。しかし、そういう時代の価値観でもあるのだ。たとえ口に出さずとも、対等な扱いなどするわけがなかった。
店の内部はこじんまりとしており、石油ストーブが炊かれてほんのりと暖かい。寿司屋のような和風なカウンター席とその奥に四人掛けのテーブル席がいくつか見える。モダンな石造りに、漆喰の厚塗り。天井には大きな鉄筋コンクリートの梁で補強されている。
なかなか洒落ている内装だ。開店前なのか客がまだ一人もおらず、厨房には仕込み中の鍋に火がかけられている。筑前煮などの煮物だろうか、出汁のいい匂いが店中に漂っていた。そして男は慣れた足取りで奥席の方へと進んでゆく。
「……腹、減ってるだろう?」
左吉は帽子を脱ぎながら、素直に頷く。「腹ペコですわ」
「うむ、店の主人が何か作ってくれるそうだ。少し、待ってな」
と、男は左吉を先に座らせ、手前勝手に冷蔵のショーケースの中から瓶ビールを数本取り出す。次いでにグラスを二つ手にして戻ってくるのだった。
仏頂面の店主は厨房で調理をし始め、サクサクとした小刻みの良い音が響く。低く唸る腹の虫、男も対面に座りつつ、ほくそ笑みながらグラスを差し出すのだった。
「あんた、酒はいける口かい? もし下戸だったら遠慮なく言ってくれや」
「いやいや、なんもなんも。それは
と、左吉は軽く指差す。
「ああ、そうだ。てか、札幌で
「……まあ、そうですけど」
「じゃあ、珍しくはあるまい。見慣れたもんだろ」
口の端を上げて、男は顎先で左吉のグラスを煽りつつ、上機嫌で蓋を栓抜きで開ける。炭酸が勢いよく吹き出し、泡と一緒に麦酒が溢れ出す。なるべく零さないようグラスを傾け、左吉は注ぎ口をグラスのリムを重ねた。
琥珀色のきめ細やかな泡がグラスの上一杯に広がる。鮮やかな黄金色の麦芽が食欲を唆るようだ。夏だけではなく、真冬の冷えた麦酒も悪くない……。
代わって、今度は左吉が麦酒のお酌をする。同じ要領で注いでもらい、男も満更でもないようだ。続いて、冷んやりとしたグラスの感触を指で楽しんでいると……、ふと何かを思いだしたように言葉を発するのだった。
「おっと、いけねえ。自己紹介がまだだったな」
左吉は少し首を傾げる。「……ええと、カラスさんですよね?」
「その呼び名でも構わんがな。一応、名乗るのが礼儀ってもんだろ?」
と、軽くグラスの杯をあわせてビールを一気に流し込む。ゴクゴクと喉越しの良い音が聴こえる気持ちの良い呑みっぷり。男は爽快なまでの旨さにため息をつつつ、強めにグラスを置いたのだった。
──「俺は、
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