02 虹
「そうか、蛇がぶつかったことで起動したのか。いや、覚醒だな。んで、元々は箱に守られてた中身は生き物だったから無事として、役目を終えた
顎に拳を添え、早口に呟くファズールに男は半笑いだ。
「現状を見ろ。冷静に分析して暇があるのか」
へぇへぇと口をひん曲げたファズールは闇を睨んでいた目を
二対の瞳が見下ろす先には小さな体躯が横たわる。
ネモフィラに包まれるように体を丸めた少女は雨よけ用の布を被せられていた。健やかな横顔と寝息から不具合の心配はないだろう。蜘蛛の糸のように光を放つ髪はやわらかく波うち、触れたらすぐに絡みつきそうだ。布の下からのびる四肢は華奢な造りで、肌の白さは砂地に引きをとらなかった。筋肉のうすい体は不健康とまではいかないが旅をするには不向きだ。
ファズールはしゃがみこみ、値踏みする。身動ぎひとつしない人形のような少女が動きそうにないことを読み取って、ため息を吐いた。空気を震わせる音が途切れ、途方にくれた声が出る。
「どうすんだよ、コレ」
遠くを見ていた男が事も無げに言う。
「置いてくか」
「――ディム。お前は悪魔か」
誉め言葉だなとディムは面白そうに肩をすくめた。剣に腕をあずけるよう柄に手を置き、どうするんだと気のない声で答えを促す。
ファズールは甘く微笑む顔をうろんげに見上げた。わかりきっているような色男の顔を見ても苛立ちが募るだけだ。顔の中心にしわを寄せ、少女に視線を落とした。たっぷりと時間をとり、腹の底から息を吐き出す。
「このまま連れてく。邪魔だけどな」
「邪魔扱いするヤツに悪魔とか言われたくないんだが」
「根に持つのやめろよ。運ぶにしても大きすぎるし、連れて歩くにしてもコイツの足に合わせたら倍は時間がかかるだろ」
悪態をつきながらも心は決まっていた。
目を細めて行く先を見守っていたディムは片眉を上げる。
「いっそのこと、ココで回復を待ってから帰った方が確かじゃないか」
「どうしても野宿したいんだな」
「今さらだろ」
同意したくないファズールは閉口した。
世界の九割が砂と水になって二年。その大半は探索に明け暮れ、遠方に出向く際は野宿を強いられたこともある。慣れているという言葉は正しい。予期せぬ事態に備えて寝泊りする最低限の装備は揃えているが、
全身で苦渋の色を示す相棒にディムは何とも言えない顔で助け船を出す。
「救援信号を上げれば半日ぐらいで来てくれるだろ」
「アイツの世話になんのもなぁ」
ファズールの反応につられてディムも口端を歪める。
「まぁ、まず一週間は療養だな」
うへぇと砂を吐くにように呻いたファズールは無造作にしばりあげた頭をかきむしった。まとめた髪が藁のようにほどけていく。心配しすぎる
「起きるまで待って、快復の具合で予定を決める方が無難だな」
妥当な判断に、ファズールも概ね賛成だ。賛成というより選択肢がない。
ディムが転がっていたサングラスを拾い上げ、持ち主に渡した。
黒いレンズ越しに見る砂は影おびながらも、まだ白く映る。
砂とネモフィラと残された少女。灰と生物と作り物でできた、あまりにもちぐはぐな光景だ。
ディムが少女を抱え上げようとする姿を茫然と見ていたファズールの耳に驚きの声が届く。
「この子、番号がないぞ」
誰に言うでもなく呟いた言葉は固い。急ぎ腕輪も、こめかみの後ろにあるはずの
真偽を問う相棒にファズールは素っ気なく返す。
「……やっぱり、な」
「知ってたのか」
「なんとなく」
解析している時の違和感が、やはり正しかった。消えた箱には、少女の形をとる
「本当に連れていくのか」
ディムの懸念はもっともだが、ファズールはわかっていた上で決断した。隠していても仕様がないと口を開く。
「認識番号の代わりなのか、覚醒の条件が名前をつけることだった」
つけたのか。気付いたらな、と短い言葉が交わされる。
ディムは少女を抱えあげ、布地がしかれた場所まで運んだ。
「泣けるぐらいに優しいねぇ」
「気色悪い」
ファズールのいちゃもんはあまりにも劣性だ。少女から数歩離れたテーブルに軽く腰かけ、不貞腐れたように瞼をふせる。卓上に雑多に並ぶ貴石の原石や形を留めている遺物が目に入った。
誉めてるのにと可笑しそうに笑ったディムはそのままの声色で続ける。
「で? 子供につけたかった名前とかか」
親バカだろ、と無駄な抵抗を見せるファズールをディムは流し目で促した。獲物を逃がさない瞳だ。
ぐっと押し黙った少年はできるだけ小さな声で呟く。
「『ノア』だよ」
「ノア、ねぇ」
含みを込めた言い方は黙殺された。
わずかに口角を上げたディムは湯を沸かす内に服にできそうなものを見つくろう。腰を折り、首元からこぼれた水晶は緻密に削られた守り石だ。
想いを込められた珠玉に光が反射する。角度を変え、形を変え、分解された光が瞬いた。
七色に映る光の欠片をサングラスに隠れる瞳は写すことができない。気付かれないように目をそらしたファズールは仕様がなく少女を眺めることにした。
微動だにしない姿は人形を彷彿とさせる。
「ファズール、このシャツ借りるぞ」
ディムはファズールの私物もひっくり返し、手ごろなシャツを見つけたようだ。
「好きにしてくれ」
じゃ、遠慮なくと軽く返したディムが一点を見て考え事をしている。
勘づいたファズールはディムの視線の先にあるものを見た。鼻に皺をつくり、あえて何も言わない。
シャツを握るもう一方の手が、ゆっくりとのびる。
「下着は――」
「やめろ」
「ちょうど――」
「や、め、ろ」
強い口調にファズールのものにのびていた手が名残おしそうに引き下がった。
気を取り直したディムは起きたんじゃないかと小首を傾げる。
反応するように動く気配がした。
恐る恐る振り返った先で少女はゆっくりと瞬きをする。
「はじめ、まして?」
まだ夢を見ているようなあどけない表情で少女は口を動かした。
ファズールは唇を湿らせ、言葉を選びながら問いかける。
「話せるのか」
「
言い様のない違和感が渦巻くファズールの横からディムが歩み出る。
「俺はディルガーム。ディムと読んでくれ。コイツはファズール」
「ディルガーム。愛称はディム。黒髪に
面食らう二人を置いて、少女は続ける。
「ファズール。麦穂色の髪に……虹、の瞳?」
「虹とはちょっと違うと思うぞ」
ディムの指摘に少女は口をつぐみ、サングラスの奥で揺らめく瞳をまっすぐに見る。
解析されているような心地を味わいながら、その視線から逃げることは出来なかった。
機械じみた動きで瞬きをした少女は再び、口を開く。
「判断を間違えました。あの色は何と言えばいいのでしょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます