星屑のアルカディア
かこ
01 箱
空は全くの暗闇だった。星もなければ、月もなく、
ファズールは手元の電灯と青く発光したネモフィラを頼りに解析を進めていた。胡座の上にのせたタブレットがほの白く反射する。サングラスの奥にひそむ瞳に莫大なデータを映し、機械と脳で処理していく。
「ファズール、いけそうか」
声と同時に甘い香りが鼻腔をくすぐった。チタン製のマグを現れ、手を休ませずにその先を一瞥する。
悠然と構えた男がファズールの傍らにマグを置き、自分の分を口に運んだ。
画面に視線を戻したファズールは悪態をつく。
「こんな所で野宿とか勘弁」
「住めば都と言うじゃないか」
「いつの時代の話してんの。最近、はやってる言葉知らない?」
壮年の男は肩をすくめて無知を示した。
文字が流れ続けるパネルを叩きながらファズールは教えてやる。
「世界の九割は天国ってやつ」
吟味するようにまた一口、コーヒーを味わう時間が過ぎた。丁寧に飲み込んだ口から白い息と言葉が吐き出される。
「まぁ、確かに、天に召されるな。地獄と言わないところがポジティブというべきか」
「変なところで感心するよな」
ファズールもマグを手に取り、ぐびりと飲み込んだ。砂糖を溶ける限界までいれたカフェオレは熱くもなく冷たくもなく、胃の腑に落ち体に取り込まれる。もう一口、流し込み、画面をスライドさせ確認を進めた。
口の中だけで聞き取れない言葉を呟く少年に男は苦笑する。
「カフェオレ、冷めない内に飲めよ」
集中する横顔は男の言葉を聞き入れない。
ため息を失笑で隠した男は夜のようだと評された瞳をファズールが睨む先に向けた。
人工物としては粗雑で、自然の岩としては整いすぎている。何より灰懐を免れているということは、生きているか、作動しているのか。座ったファズールと変わらない高さ、無造作に切り取ったサイコロにも見えるそれは遠隔操作を通しての解析は困難であった。何かの遺跡の残骸と片づけることもできたが、ネモフィラを抱く姿はあまりにも神秘的で底知れない謎を感じさせる。
赴いて表面を撫でれば違和はすぐに解決した。あらけずりな凹凸全てに、二次元コードが記されている。ただ浅く彫られたコードは間近で見なければ判断しがたく、風化し、傷で幾分かの情報は抜けていた。
しかし、ファズールの手にかかれば造作もない。
「あと十分で開ける」
ファズールの手はすでに止まっていた。残りの作業はわずかとなったのだろう。
男の助けはいらないようだ。
「見回りして、帰り支度してるぞ」
マグを野外用の机に置いた男は、見ないのかと言葉をぶつけられた。安心させるように笑い怠慢な動きで首をかしげる。
「怖じ気づいたのか」
信頼といたずらを込められた夜の瞳がファズールは面白くない。視線を外し大きな口を叩く。
「いーや、全く」
笑みを深くした男は剣の柄に手をかけ踵を返した。
横目で見送ったファズールはつめていた息を細く吐き、箱に向き直る。
石には日誌のようなものが刻まれていた。正確には記録と言われるべきものかもしれない。全ての面に成長が記録され、観察や考察が含まれている。まるで思い出を綴ったような記録は
記録から判断するに、性能はほぼ完璧といっていい。有機物で構成され、人間と変わらないだろう。クローンの一種だと読み取れる。
つまり、これは閉じられた箱だ。
ただ開けるだけならこんなに悩まない。掘り出し物だと思っただろう。
箱を開ける方法は、『彼女』に新たな名を与えることだ。割りきった関係を結べるだろうか。慕われでもしたら面倒だ。
覚醒させていいものだろうか。手がおえない事態になるのでは。
興味がないと言えば嘘になるが、自分の手でおえないものは持ちたくなかった。
ファズールはサングラスを外し、花に囲まれる石を見つめた。大地と同じ冷めた灰色は何も語らない。
視界の端で、花が揺れる。故郷にも咲いていた。生命が消えた土地でたった一人眠らせるにはさみしいことだろうか。
考えることが嫌になった少年は舌打ちをしてモニターに指をすべらせた。かつて『ノア』と呼ばれていた名を『彼女』に与える。
そこまでたどり着いたのに、最後のキーが押せない。
「ファズール! 逃げろ!」
我に返ったファズールの視界に飛び込んできたのは腕よりも太く自分の背丈よりも長い体躯をもつ蛇だ。考えるよりも先に後ろに避け、タブレットではたき落とした。
息をする暇もなく、脅威は砂地をすべり迫りくる。
咄嗟に投げ出したタブレットが箱にあたり音が響く。そちらを確認せずに
閃光を放たれる直前、蛇は口を押さえつけるように刺し殺された。痙攣する様は生への執着か名残か。溢れでるものは色をなくして見える。
静かに眺めたファズールは剣の汚れを払う男を見上げた。
「サンキュ」
「どういたしまして」
タブレットと蛇はすぐに灰に成り果てる。
ファズールは重い腰を上げて、投げ捨てたタブレットだったものを指先でつつく。
もろく砕け、大地へと還る様は見慣れたものだ。
「予備は」
あるけど、と短く答えたファズールはため息混じりに続ける。
「また最初っからだよ」
「泊まり込み確定だな」
男は何でもないように言ったが、ファズールは肩を落とした。サイアクだ、メンドウだ、アメ食いてと文句を惜しみもなくこぼれるままにこぼす。
しばらく面白そうに笑っていた男は視界に端に入った光に目を奪われた。呆然としたまま、気付いていない様子の少年の肩を掴む。
「何で嘘ついたんだ。もう終わってるじゃないか」
「んなワケないだろ」
「石が青く光ってる」
は、と顔を固めたファズールは箱を見た。
確かに起動している。角砂糖が溶けるように箱は灰になり、そよ風に舞った。残されたのはただ一人の少女だ。のびた髪は絹糸のように細く波打ち、肢体を包むようにのびる。殻に閉じ籠るように体を丸める様は生まれたての赤子のようだ。
幼い印象に反し、肩や腰に丸みがある。その事実に気付いたファズールは停止した。
「ファズール、服の予備はあるのか。て、聞いてないな、こりゃ。俺、持ってきてないからなぁ。止血用の布でどーにかこーにかするか」
声は少年の耳には届かない。
少女の体が生まれたままの姿だったからだ。
(続くかもしれない)
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