[声!]

「さ、乗って」


 駐車されていた白い軽自動車の運転席に知的な雰囲気の女性が乗っている。

 アラサーくらいだろうか?

 私に笑みを向けている。


「こんにちは」

「こんにちは。宜しくお願いします」

「こちらこそ。じゃ、出発しますね」


 後部座席に乗り込んだ私に落ち着きのある声で言うと、車はゆっくりと動き出した。

 芳香剤の花の香りが鼻先に漂う。


「こちら佐久田華子さくたはなこさん。私たちのチームのリーダーよ」

「リーダーなんてやめてちょうだいよ。最年長ってだけよ」

「あ、確かに」

「確かにって、はいはいおばさんですよ」

「ふふふ」

「あら笑った。そこは否定でお願いしたいわ」

「あはは」


 和やかな笑いが車内の空気と私の気持ちをほぐしてくれる。


「こちら乃木谷笙子のぎたにしょうこさん」

「宜しくお願いします」

「はい、宜しくね。緊張しないでリラックスしてね」


 運転中の佐久田華子がちょうど赤信号になったところで後部座席の私を振り返り言った。


「ありがとうございます」

「ところでお腹は? 空いてない?」

「あ・・・・少し」

「じゃ、マックのドライブスルー寄るわ。それでいい?」

「はい、私は何でも・・・・」

「決まりね」


 話しやすい人たち、そう思った。

 たぶん基本的には同情心からくる対応で、ヘルプ!と来る相手には誰にでもこんな感じで接するのだろうけれど。


 間もなくドライブスルーに到着。

 待ちの車はなく、スムーズに注文コーナーへと停車する。


「笙子さん、何がいい?」

「あ、同じので」

「そう? じゃ──」


 3人同じセットで、と話はすんなりまとまり、運転席の佐久田華子がスピーカーマイクに注文を告げる。


「◯◯セットを3つですね?ドリンクとポテトはLサイズで」

「はい」

「かしこまりました。ではお会計は──」


 いかにも若そうな女性の爽やかな声が響く。

 と、次の瞬間──


『右 腕 を ひ と つ』


「えっ?!」


 思わず驚きが口から漏れた。

 頭の中で、声が・・・・。


「ん? 笙子さん、何?」

「どうしたの?」


 同時に2人が私を見た。


「あ、いえ・・・・」

 

 申し訳程度に小首を左右に降りはしたが、たぶん今、私の表情はこわばっている。

 間違いなく顔色も悪いはず。


「大丈夫よ、今は安全地帯にいるんだからリラックスリラックス」

「まずはお腹を満たして落ち着きましょ、ね?」


 挙動不審な様子を見せたにも関わらず、小学生を安心させるかのような口調で2人は語りかけてくれる。

 たぶん緊張から嫌な記憶のフラッシュバックでも起こしたと解釈してくれたのかもしれない。

 DV被害者の駆け込み寺として心が弱った者の扱いに慣れている様子だ。


「さ、行きましょ」

「部屋に行ったらもっと安全だから心配しないでね」

「・・・・はい」


 私は小さく頷いた。


────────────────────


『右 腕 を ひ と つ』


 頭の中に響いた声。

 低音でねっちりとした声。

 

 あの場所を飛び出した切迫した緊張状態が引き起こした幻聴?

 いや──違う。

 あれは、あの声は、間違いなく聞き覚えのある声。

 すべてを取り仕切っている男、朱円礼二郎じゅえんれいじろうの独特な圧のあるあの声だ。


 テレパシー?

 まさか、そんなことあるはずがない。

 非現実的すぎる。

 そんなことが出来るはずが──


「さ、着きましたよー」

「・・・・」

「笙子さん?」

「あ、はい」

「さ、降りましょ」

「はい・・・・」


 ぐるぐると陰な考えが巡る脳内から意識を引き戻され、私は緩慢な動きで車から出た。

 見ればそこは車15台ほどの駐車場で、目の前には5階建ての小ぢんまりとしたマンションが建っている。

 周辺にはアパートや戸建てが立ち並び、住人の多そうなエリアに見える。


(セキュリティは大丈夫なのかな・・・・)


 そんな懸念を感じながらオートロックではないエントランスを抜けエレベーターで5階に上がる。


「さ、ここです。お疲れ様」


 多嘉良恭子たからきょうこが私に笑みを向ける。

 その横で佐久田華子がスマホを取り出した。


「到着です」


 電話を掛け、そう一言だけで切った。

 

「インターホンは使わないの。万が一への警戒でね。中にいるスタッフに掛けて開けてもらうのよ」

「そうなんですか」

「表札もないでしょ?」

「確かに・・・・」


 頷いていると中で解錠の音がしドアが開いた。


「こんにちは。どうぞ!」


 中から明るい挨拶で顔を出したのは私と年が近そうな女性だった。

 うながされ中に入る。

 建設からさほど年月が経っていないのか、とても綺麗な室内だ。


「こちら乃木谷笙子のぎたにしょうこさん」

「初めまして。木山明日香きやまあすかです」


 ギクリ、とした。

 明日香──思い出したくない人物と同じ名だ。


「初めまして。乃木谷です。よろしくお願いします」

「こちらこそ。さ、座って」

「はい」


 シンプルなソファーセットが置かれたリビングは陽が入り明るい雰囲気で少しホッとする。


「じゃ、まずは腹ごしらえをして、それからゆっくり話を聞かせてもらうわね」

「はい」


 腰を下ろして深く息を吸い込むと気分が落ち着くのを感じた。

 が──


「痛っ」


 布巾ふきんでテーブルを拭こうとした木山明日香がふいにその手を引っ込めた。

 布巾が足元に落ちる。


「え、何?」

「 どうしたの?」


 恭子と華子が同時に声をかける。

 それに対して明日香の口から出た言葉に私は瞬時、硬直した。


「何だろう、急に右腕がすっごい痛くなって・・・・あ、痛たた」

(右腕?!)


 戦慄した。

 しかめた表情で右の二の腕あたりを左手でさする明日香を見ながら、私は押し寄せる不安に全身が呑み込まれてゆく感覚に襲われていた。


 







 


 







 

 


 





 

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