彼と出かけた日(5/1-5/3)

私は相変わらず冷静だった。

注意深く彼の言動を観察し、取り乱すこともなく彼と話しをしたりごはんを食べたりしなるべく多くの情報を得ようとしていた。

正直彼のことはわからない。特になにかを話てくるわけでもないし、突然表情が消えることもあれば子供のようにはしゃいで話し続けることもある。

彼の姿を見ていてわかったことが1つある。

いまさらだが私は母親としてなにも出来ない。大きな愛情で包み込むような行動が思いつかないのだ。

それでもなにもしないわけにもいかないし、母性はなくとも彼が好きだ。

彼の姿を見ながら頭の中は高性能コンピューターのように思いつく限りの危険と道と可能性を探り続けていた。

今はやりのChat GPTを脳内で動かすかのように疑問を投げつけてはその答えを精査し次の疑問を投げつけ続けていた。


わかったことは「私は彼に安心安全な環境を提供し続ける力はない」という事実だ。

つまり、彼が彼として生きる術を一緒に探っていく手伝いしか出来ないということ。

私には力もなく溢れる財力があるわけでもなく、包みこむような愛情さえない。

欠陥品もいいところな産んだだけの母親だということだ。

それでも彼が私のそばに居たいと言ってくれてる間になにかをしなければならない。


そこで私はGWに彼を札幌に連れて帰った。

夫(義父)と会うことを怖がっていたし、そのことに関しては不安げな表情を見せてはいたが、私には彼について考える時間が必要だった。

GW直前ということもあり、同じ飛行機のチケットはとれなかった。

彼が飛行機に乗れない状況も加味していた。それでも一緒に行くことにした。

息子のリュックに私の薬を持たせて「来れなかったら私は薬がない状態になるよ。でもどうしても無理ならそれはそれでいいんだよ」

と半ば脅しのようなことを言った。本当は薬なんてどうでもいい。けれどやさしい彼がまだ人の体のことまで考えられる状態にあるのか?それが知りたかった。

私は彼の1便前の飛行機に乗り、彼を空港で待った。

飛行機が着いて彼の姿を見たときには心底ほっとした。


さて。これから彼とどう接しよう。

考えたあげく出た答えは「母親として接することができないなら『私』として接するしかない。私のこれまでの経験や知識を総動員して彼の心を動かす援助をする」


まず朝起こしたあとは顔を洗わせて暖かい飲み物を与える。

そのあと朝日の中で伸びをさせる。

体内時計の調節だ。

昼寝をしてもいいし、なにもせずにゲームをしてもいい。

ただ昼間はなるべく起きている状態にし、夜は寝かせる。

そしてひたすら彼に言い続け、問い続けた。

「自分の声を聴いてごらん。今までできたことも丁寧にやってごらん。今の自分の状態を見てあげてごらん」

答えてくれたときには

「そう。それが今の君の言葉なんだね」と。

肯定も否定もせず。

『一緒に君の声を聴こう』と言い、『自分の声を大切にしてあげよう』と話しかけ続けた。


彼から手紙をもらった。

内容は支離滅裂だし、ひらがなだらけの文章にもなっていないものだ。

でも彼なりになにかを伝えたがっている。

これが今の彼の状態なんだなと思いながら今日も彼と彼の声を聴く。

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