#4「独占欲の怪物」


 「――私のに協力しなさい」



「……は?」

「残念だけれど、アナタに拒否権はないわ」


 復讐……?


 彼女の言っている意味がよく分からない。


「なんだよ、復讐って……。誰に?」

「もちろん歌恋よ。歌恋に、私と同じ苦しみを味わってもらうのよ」

「はぁ? 意味わかんねぇよ、なんで歌恋に……」


 歌恋の彼氏に……ということであればまだ分からなくもないが、なんで歌恋が復讐の標的になるのか、まるで理解できなかった。


「さっきは歌恋のこと……あ、愛してる、って言ってただろ」

「ええ、そうよ。愛しているからこそ憎いのよ。憎くて憎くて堪らない……。私を裏切った歌恋なんて、私のモノにならない歌恋なんていっそ壊してしまいたいの」


 そんなの、無茶苦茶だ……。


 自分勝手で傲慢でとんだ思い上がりだ。


 コイツの言っていることは分からない。


 分からないけれど……胸の奥底に引っかかる強烈な既視感のようなものがあった。


 そう、それを一言で表すならば――衝撃。


 まるで、胸の奥を手でかき混ぜられたようなそんな気分だった。


「それに……歌恋も私の苦しみが分かれば、私のところに帰ってきてくれるはずでしょ?」


 悪びれる様子もない。


 それは無垢な子供のようだった。


「……お前、狂ってるよ」


 無意識にそう呟くと、伊波さんは不満げな様子で眉間にしわを寄せる。


「なら、アナタは幼馴染を取られてなんとも思わないの?」


 ドキッ、と心臓が跳ねるのを自覚した。


「思うわけないだろ」


 そもそも、歌恋は俺のモノじゃない。


 俺はただの幼馴染で、それ以上でも以下でもないのだから。


 しかし、伊波さんはふとなにか悟ったように見透かした目を向けてくる。


「本当かしら? 想像してみて。歌恋がアナタの知らないところで、アナタの知らない顔で、アナタの知らない部分を晒して、アナタの知らない声で喘ぐの」

「…………」


 先ほどの、階段の踊り場で歌恋が楽し気に話している姿が脳裏に浮かぶ。


 ――あの笑顔は彼氏だけに向けられたものなんだ。


 ――他の誰でもなく、歌恋の彼氏だけのモノ。


 あのとき、俺が抱いた感情は。


「もしかしたら、今も男と二人きりで――」

「黙れ、それ以上喋るな……」


 無意識に口をついて出た言葉。


 気付けば、俺は伊波さんを睨み付けていた。


 それ以上、なにか言ったら殺す……と年下の女子に対して本気で思っていた。


 そんな俺の顔を見て、伊波さんは愉快そうに笑う。


「なんだ……やっぱり同じじゃない」

「は? 同じ……?」


 俺がコイツと同じ……?


 こんな奴と……?


 そんなわけが……。



 ――なんで、そんな男のことなんか好きになるんだよ……。



 それは、間違いなく俺の中にあるモノだった。


 胸の奥底に抑え込んでいた黒いなにかが蠢く。


「醜くて」


 うるさい。


「歪んでいて」


 黙れ。


「浅ましいの」


 やめてくれ。



「――アナタも、私と同じなのね」



 分からない。分かりたくもないと思っていた。


 だけど、心のどこかでは分かっていた。


 あぁ、気持ち悪い……。


 きもちわるいきもちわるいきもちわるい……。


「ねぇ、アナタは歌恋にどうしてほしいの?」


 それは、心に土足で踏み込まれるような不快感。


 しかし、どこか麻薬のような強烈な快楽を孕んでいて。


 幾重にも積み重ねた殻が剥がれるような音がした。


「お、俺は……」


 その時だった。


 ガラガラッ――と、部室の戸が開かれたのだ。


「ただいまー。ごめんね冬璃ちゃん、電話長引いちゃって……」


 部室に入ってきたのは、電話から戻ってきた歌恋だった。


 そのとき、俺は目を瞠ったまま茫然としていたと思う。


 歌恋はそんな異変を感じ取ったのか、心配そうな表情を浮かべた。


「ど、どうかした? なにかあったの……?」

「いいえ、なんでもないわ」


 その言葉に反応したのは伊波さんだった。


 まるで何事もなかったかのように優しく微笑む。


 狂気など、一切持ち合わせていないというような顔をして。


 どうやら俺は伊波 冬璃という触れてはならないものに触れてしまったらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る