#2「歌恋の友達」


 歌恋かれんに彼氏ができてから数日が経った。


 幼馴染に彼氏ができたからと言って、俺の日常はなんら変わらない。


 授業が終わり放課後になると、俺はいつものように文芸部の部室を訪れた、


 壁際にいくつか本棚があり、部屋の中央に長机が置かれているだけの何の変哲もない簡素な部室に人の姿は見当たらない。


「あれ、今日部長いないのか」


 いつもは三年の部長が先に来ているのだが、今日はなにか用事でもあるのだろうか。


 俺は適当な椅子に腰掛け、家から持ってきた文庫本を開く。


 うちの文芸部は部長と俺を含めてたった五人しか在籍しておらず、しかもそのうち二人は幽霊部員。まともな部員はたったの三人しかいないという弱小クラブだ。


 今日廃部を言い渡されてもさして驚きはしないだろう。


 かく言う俺も部長に泣きつかれ、仕方なく入部しただけの数合わせだし。


 最近は家に帰っても暇だから、バイトがない日はできるだけ顔を出すようにしていた。


 静かな部室でしばし読書をしていると、不意にガラガラッと部室の戸が開く。


 顔を上げれば、見知った顔があった。


「あれ、今日はそうちゃんだけなんだ?」

「ん、そうみたいだな」


 部室に入ってきたのは文芸部の部員である鳴宮 歌恋だった。


 歌恋は彼氏ができてから部室に来る時間が遅くはなったものの、頻繁に顔を出していた。


 正直俺たちは数合わせで、特に文芸部っぽい活動をしているわけでもないからてっきり来なくなるものだと思っていたのだが。


 ふと、歌恋が後ろに振り返って手招きしたのが気になった。


「今日はね、お客さんがいるんだー」

「え……?」


 ドキッ――と不快な動悸を感じた。


 まさか、彼氏を連れてきたのか……と思ったが、歌恋に続いて部室に入ってきたのはひとりの女子生徒だった。


 濡れ羽色の長髪に猫のようなつり目がちな目元、身長は歌恋よりもやや高く、大人びた雰囲気のある女子生徒だった。


 ほっと安堵しながら、俺が歌恋に説明を求めるように視線を送ると、その視線に気付いたらしい猫目の女子生徒がぺこりと頭を下げた。


「初めまして、一年の伊波いなみ 冬璃ふゆりです」

「あー、どーも。二年の羽月はづき 颯太そうたです」


 形式的な挨拶を済ませると、歌恋が嬉しそうに言う。


「冬璃ちゃんがねー、文芸部に入りたいって言ってくれたの!」

「ほー、こんな時期にめずらしいな」


 季節はもう六月だ。入部時期には一か月ほど遅い気がするけど。


「えーっと、入りたい部活を探しているうちにタイミングを逃してしまって……」

「この学校、部活多いもんねー」

「ええ。それに以前から少し興味があったから」

「冬璃ちゃんが入部してくれると楽しくなるよー」


 微笑み合う二人。


 なんだか、ゆりゆりとした素敵な光景だった。


 それに話には聞いていたけど、高校でも歌恋にちゃんと友達がいて安心した。


 誰目線だって感じだけど……。


「冬璃ちゃん、よく読書してるし絶対向いてると思うんだよね!」

「この部活、ほとんど何もしてないけどな」


 ちゃんと文芸部っぽい活動をしているのは部長だけで、数合わせの俺と歌恋は本を読んだり雑談したり、ゲームをしたりと、ただ自由に過ごしているだけだった。


 もし伊波さんが文芸部っぽい活動を期待して入部したいと言っているなら、その期待を裏切ってしまうことになるだろう。


 だから、ちゃんと説明しておく必要がある。


「あー、俺と歌恋って言わば部を存続させるための数合わせなんだ。部長はわりとしっかり活動してるんだけど、もしかしたら期待外れになっちゃうかも。それでも大丈夫?」

「ええ、構いません。本格的な活動がしたいわけではないですし、歌恋といると楽しいので」

「ふふん、歌恋といると楽しいだって。見直した?」


 自慢げに胸を張る歌恋。


 小柄なわりにボリューミーな胸が制服を押し上げている。


 俺は油断すれば引き付けられそうになる視線を誤魔化すように顔を逸らした。


「……たしかに飽きないな。アホだし」

「あぁー、そうちゃんひどぉーい!」


 歌恋がぷくーと頬を膨らませる。


 俺は無駄に距離の近い歌恋に、ギュッと胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


「つーかお前、部活なんかしてる暇あんのか? 彼氏はどうしたんだよ……」

「彼も部活があるのー。サッカー部の練習が終わるまで暇だし」


 彼、か……。


 その言葉がやけに重く響いた。


「そういえばね、相馬くん一年生なのにもう背番号貰ったんだって!」


 相馬、というのは歌恋の彼氏の名前だ。フルネームは知らん。


「すごいよねー、運動神経もいいし優しいんだよぉー」

「のろけ話なんか聞きたかねぇよ」


 こんな感じで、ここ数日は恋愛相談の延長線で歌恋ののろけ話を聞かされていた。


 そのたびになんとも言えない複雑な感情に苛まれる。


 素直に応援してやれない自分に対しても嫌気が差していた。


 俺は不満げな顔をする歌恋を無視して伊波さんへと視線を向ける。


「えーっと、じゃあ伊波さん入部届なんだけど……あー、今日部長いないんだよなぁ」


 入部するには、入部届を部長が顧問に届ける必要があるのだ。


 しかし、今日はあいにく部長がいない。


 と、不意にピコン、とスマホにメッセージが入った。


「あ、部長だわ。なんか先生に呼び出されて遅れるっぽい」

「えー、部長先輩なんかしちゃったのかなー?」

「まぁ、いつものことだな」


 ちょっと変わってるからな、あの人……。


 とりあえず、部長は後から部室に来るらしい。


「悪いけど、部長が来るまで待ってもらうことになるけど時間とか大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「冬璃ちゃん、好きなところに座っていいよー」

「ええ、ありがとう」


 と、そのときだった。


 不意にスマホの着信音が部室に響き渡る。


「あ、相馬君からだ。どうしたんだろ?」


 着信音の正体は歌恋のスマホだった。


 しかも、相手は相馬……。


「ごめんね冬璃ちゃん、ちょっと電話してきていい?」

「え、ええ……」


 歌恋はスマホを片手に部室を出て行ってしまった。


 残された俺は今日会ったばかりの一年生女子をちらと見やる。


 伊波さんは無言で姿勢を正したまま、俯いていた。


 居心地の悪い空気が部室に張り詰める。


「あー、伊波さんは普段どんな本を読むの……?」

「……小説です」

「ミステリとか?」

「……はい」

「へぇー……」


 気まずい……。


 初対面の年下女子に使える話題なんて俺のボキャブラリ―にねぇよ。


 しばらくして、俺は気まずい雰囲気に耐えきれなくなり席を立った。


「……ちょっと俺、飲み物買ってくるよ。なに飲みたい?」

「……お任せします」

「お、おう。わかった……」


 俺はそそくさと部室を出て、自販機が置いてあるピロティに向かう。


 ……これは別に逃げたわけじゃない。ほら、お客さんに飲み物のひとつも出さないとか普通に失礼だし。


 ピロティの自販機で自分のカフェオレと部長のブラックコーヒー、歌恋のいちごミルクを買う。


「お任せってなんだよ……」


 俺は伊波さんの飲み物で迷った挙句、りんごジュースを選んだ。リンゴジュースか、いちごミルクのどちらかを選んでもらって余った方を歌恋に飲ませればいいだろう。


 飲み物を四本抱えながら、部室に戻る。


 その道中、見覚えのある背中を発見した。


 歌恋である。


 歌恋は階段の踊り場でスマホを耳に当てながら楽し気に会話している。


 ……彼氏にしか見せない笑顔、というヤツだろうか。


 あの笑顔は彼氏だけに向けられたものなんだ。


 他の誰でもなく、歌恋の彼氏だけのモノ。


 俺はズキリと胸にダメージを受け、歌恋から目を逸らす。


 このまま歌恋を見ていると、俺は自分のことがもっと嫌いになりそうだった。


 歌恋に背を向け、部室に戻る。


 部室棟の二階。その突き当りが文芸部の部室だ。


 腕いっぱいに飲み物を抱えて部室の前まで来たときだった。



「――なんなのよッ!」



 鬼気迫る女性の声。


 それが文芸部の部室の中から聞こえてきたのだ。


 俺は扉の隙間からおそるおそる部室の中を覗き込む。


 ガタンッ――と椅子が倒れる音。


「えっ……」


 椅子を蹴りつけ、綺麗な顔を憎悪に染めたのは だった。


 大人びた雰囲気から一転、そこにあるのは狂気。


 伊波さんは唇に歯を突き立て、底冷えするような声で言う。


「――歌恋、アナタは私だけのモノよ……」

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