昨日、幼馴染に彼氏ができた。
更科 転
#1「幼馴染に彼氏ができた」
昨日、幼馴染に彼氏ができた。
俺――
幼馴染の
そんな歌恋に彼氏ができたと聞き、前々から恋愛相談に乗ってやっていたこともあって俺も自分のことのように嬉しいと思った。
だが、一晩明けて……。
歌恋に彼氏ができた翌日。
俺は朝から妙に気分がすぐれなかった。
目が覚めた瞬間からやけに胸がモヤモヤとして息苦しいのだ。
今日から彼氏と一緒に学校に行くのかな、とか。
彼氏のことを想って身だしなみを整えている姿、とか。
彼氏とイチャイチャしているところ、とか。
そんなことを想像してしまうと、脳細胞が破壊されるような不快感に襲われる。
俺はこの感情をどう処理していいものか、分からなかった。
まさか、これが娘を嫁に出す父親の気持ちというヤツなのだろうか。
それとも無意識のうちに嫉妬している……?
――いや、それはないか。
だって、今までアイツのことを恋愛対象として見たことなんて一度もないし、ずっと妹のような存在だと思っていたのだ。
それがアイツに彼氏ができた途端、急に嫉妬しだすとか、まるで独占欲の化け物だ。
気持ち悪いったらありゃしない。
もしかしたら、俺はアイツが遠くに行ってしまったみたいで寂しいのかもしれない。
もう一緒に登校することもないだろうし、俺の部屋を溜まり場にすることもないだろう。
今までずっと一緒だったけど、これからはそうじゃない。
普段はつい邪険に扱ったりもしてしまうものの、本当は歌恋のことを家族みたいに大切な存在として思っていたのだと改めて自覚した……つまりはそういうことだ。
俺は胸に蟠る感情にそう結論付け、気を紛らわせるためにいつもより早めに家を出ることにした。歌恋と顔を合わせるのもなんだか気まずいし。
エレベーターで一階のエントランスに降りて駐輪場へと足を向ける。
すると、そこで見知った顔を発見した。
「あれ、そうちゃん? 今日は早いね」
「か、歌恋……」
よりによって、いま一番会いたくない相手だった。
俺は平静を装って「うす」と軽く会釈し、その場から逃げるように自転車を取りに行く。
と、そのとき――。
チャリンッ、と鈴の音が鳴った。
つい手を滑らせて、自転車のカギを落としてしまったのだ。
カギは鈴を鳴らして地面を滑り、思ったよりも遠くまでいってしまった。
それをひょいっと拾い上げたのは幼馴染の歌恋である。
歌恋はこちらに近付き、鍵を手渡そうとしてくれる。
だが、不意にその手を止めて。
「ねぇ、そうちゃん。なんか歌恋のこと避けてない……?」
「え……いや、いつもどおりだろ」
「そうかな……。いつもより距離を感じるっていうか」
「なんだよそれ」
言いながら、カギを寄越してくれと促すように手を差し出す。
歌恋は素直にカギを渡してくれたが、ぶつぶつと不満を垂れた。
「だって、全然こっち見てくれないじゃん。ねぇ、歌恋なんか嫌なことした……?」
「だから気のせいだって――」
しつこく問いただしてくる歌恋に観念して顔を上げた瞬間。
ふわり、とフローラルの爽やかな香りに鼻腔をくすぐられる。
そのせいで、思わず心臓が跳ねた。
ぱつっと眉の辺りで切り揃えられた前髪、長いまつ毛の奥で光り輝く宝石のような一〇カラットの瞳。小柄な体躯に似つかわしい、愛らしさを詰め込んだような童顔がすぐ近くの距離で、不安げに俺の顔を覗き込んでいた。
あ、あれ……。コイツ、こんな可愛かったっけ……?
そこにいるのは、俺の知っている歌恋ではなかった。
いや、いつもの歌恋なんだけど、そうじゃない。
なんだこれ……。自分でもよくわかんねぇ……。
「そうちゃん? どうかした?」
ぼーっと立ち呆けていたせいで心配させてしまったのか、歌恋が小首をかしげる。
そんな仕草さえ、可愛く思えて……。
思わず言うつもりのなかった言葉が口をついて出てしまった。
「――いや、なんかキレイになったなと思って……」
「えっ……⁉」
気付いた時には遅かった。
無意識のうちにとんでもないことを口走った後、正気を取り戻したのだ。
「あ、いや、違うんだ! ほら、恋する乙女ってキレイになるって言うだろ? だ、だから、ホントによかったな、告白成功してさ……」
「……う、うん」
戸惑ったような反応をする歌恋。
上手く誤魔化しきれなかったか。
まったく、何言ってんだよ俺は……。急に「キレイになったな」とか、彼氏持ちの女子に。ましてや歌恋になんて……。
口をつぐんでしまった歌恋におそるおそる視線を向ける。
すると、歌恋はぷくーと頬を膨らませてこっちを睨み付けていた。
「え、なに……?」
「なんでもない!」
「そ、そうか」
これ以上、なにか言うと墓穴を掘ってしまうような気がして、俺は大人しく引き下がる。
しかしそれがかえって不満だったのか、歌恋は小さくため息を吐いた。
今まで歌恋に対して感じたことのなかった居心地の悪さ。
手持ち無沙汰で、この場から脱するタイミングを図っていると、不意に歌恋がなにか言いたげにこちらに視線を向けてきた。
だが、視線がかち合うとすぐにそらされてしまう。
しばしの沈黙が降りる。
やがて、意を決したような吐息が聞こえた。
歌恋は耳まで真っ赤に染めて俯ていたが、ちらと上目遣いに見上げてくる。
「その……そうちゃんは、歌恋に彼氏ができてさ、ちょっとは嫉妬した……?」
その破壊力は、俺の理性を破壊するには充分な威力だった。
今まで張りつめていたものがパンと破裂するような音。
胸の奥底から濁流のような感情が押し寄せる。
――ああ、したさ。めっちゃ嫉妬した。どこの馬の骨とも知らない男のことなんか好きになりやがって。なのに思わせぶりなことを言う歌恋にも、歌恋の告白を簡単に受け入れた男にも腹が立つし、今まで恋愛相談なんかに乗っていた自分自身にもむかついてきた。
なんで、彼氏なんか作ってんだ……。
なんで、そんな男のことなんか好きになるんだよ……。
胸の奥で渦巻く黒い感情。
歪な形をした醜いなにか。
俺は、昨日思っていたこととはまるで正反対の感情がこんなにもすんなりと溢れ出してくることに自分でも驚きを隠せなかった。
だけど、口から出た言葉は今までどおり。
「――そんなわけないだろ」
この時、決定的になにかが変わった。変わってしまった。
そのきっかけはきっと――昨日、幼馴染に彼氏ができたからだ。
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