このお香・・・。

 魔法の効果が切れたのだろうか、頭を抱え込みながら痛みをこらえるミディの姿が何もない空間から霧を晴らすように段々と露になる。


「あーっ。いってー・・・。少しぐらいは手加減してくれよ・・・。」


「お前が変な事して営業妨害するからだ。アホミディ。」


 キャスカはこんな悪戯を度々繰り返すミディに心底呆れた様子で返す。


「で、今日は何の用だ?この間お前から頼まれてた奴の受取か?ちゃんと金持ってきたんだろうな?」


「おお、さっすがお察しの通り。出来た?」


「出来たよ。当たり前だろ?」


「じゃあ早速・・・。」


「はいはい、持ってくるからお金用意してな。ちょっと待ってろ。はぁ。」


「おねがーい。」


 キャスカはその頼まれた物を取りに行くために、煩わしい顔をしながら待機室の方にトコトコと歩いていく。


 それをミディは「よろしくー」と、まるで催促するように手を振りながら後ろから見送った。


 ミディがいつの間にキャスカに依頼したのか、何時も一緒に居る筈なのに気づかなかった私は彼女に問いかける。


「キャスカに何を頼んでたの?魔法具?薬?」


「ん?いんや、虫よけ。」


「虫よけ?薄荷水じゃダメなの?」


 水に薄荷から生成した薄荷油を混ぜ更に少量の忌避成分を加えた、一般的に虫よけに使われる物。基本的にはこれを部屋の中に数度吹きかけるだけで窓を朝まで開けていても安心して眠れる筈だ。


「それがダメなんだよ。ほら。」


 ミディは首を回しながら私にうなじを見せ、五、六個ほどの虫刺されを指さして見せる。


「えっ、すっごい痒そう・・・。」


 確かにこれだけ蚊に刺されるのなら夜は安心しては眠れない。

 普通なら薄荷水があれば蚊程度の虫なら問題ないはずなのだけど、それが効かない状況は予想外だった。


 薄荷水でもダメならどれだけ蚊が湧いてるのだろうか。そもそも只の蚊とは限らない?


「うちの裏手さあ、ちょっと水捌けが悪くてこの間の雨で水たまりが出来ちゃったのよ。んで、その水たまりから蚊が沢山湧いちゃってもう夜はうるさいのなんの。だから水たまりの中の奴まで逃げるようなもんを頼んでたの。」


「そういうのって毒と同じで少なければ人体には害はないけど、多ければ人体に害が出るってやつってイメージなんだけども大丈夫なの?」


「しーらん。キャスカが作るって言ってんだから出来るんだろ。それに持ってくるっぽいし。」


「出来てるぞ。ほれ、受け取れ。」


 黒い塊の棒状の物を十数本手に持ってキャスカが待機部屋から戻って出て来る。

 見たところ棒状のお香といったものではあるのだが、お香ってこんなに黒かったかと思う程真っ黒の物だった。まるで星の無い新月の夜の森の中のような真っ黒さだ。


「おっ、サンキュー。これどうやって使うんだ?」


「虫の忌避成分がちょっと強すぎてな。周囲に影響及ぼしかねないので人間一人分の虫よけに使える分しか入ってない。という事で身に着ける形で使え。これでな、ほれ!」


 キャスカはミディに向かって金属で出来た縦長のペンダント型の香炉入れを思いっきり投げつけると、それはミディのちょうど鳩尾にめり込むように当たる。


「ひゅ・・・っ!」


 内臓から横隔膜を圧迫され息に窮し悶え苦しむミディを横目に、キャスカはこのお香の説明を開始し始める。


「これは新月香って言ってな、私が名づけた。これを使う時は渡したペンダントの中に火をつけたお香を入れて身に着けて使え。灰が漏れたりペンダント自体が熱くならないようには作ってあるから安心しろ。」


「こ、これ。おえ・・・。」


 ミディはまだ息継ぎに苦しんでおり、言葉を吐き出す事すらうまくできない。


「んでだ、ミディ。これを家の中全部に置いて家全体燻すような真似は絶対にするなよ。いいか?絶対だぞ?」


 キャスカはずいずいとミディの顔を覗き込みながら近づく。それはもうあと少しでキスしそうなほどの距離まで。


「な、なんで・・・だめなの・・・?」


「家全体で焚こうもんならご近所さんの魚どころかペットまで影響出ちまうからな。」

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