空に落ちる龍

 本当に不思議な出来事だった。

 紗枝は確かに雷に打たれ、体を通して青白い稲妻が石畳を割った。

 だが、目を覚ますと、傍らに立っているのはヴィーダではなく、紗枝を火葬する寸前のブルビスだった。


 視界は明瞭めいりょうで、息苦しさはない。

 体の傷は治っており、指先が僅かに動いた。


「さらばだ」


 静かだった紗枝の心が、急速に荒波のように激しく何かが競り上がってきた。

 感情と緊張が神経を張り詰めさせ、無防備なブルビスを見た途端、自然と体が跳ね起きた。


 戦闘で鍛えられた反射神経は凄まじく、身を捩って起き上がると共に、握りしめた刀の先を地に突き立てた。


 ブルビスが火炎を放ったのは同時である。

 小さな炎は放り投げられた瞬間、紗枝の寝ていた石畳の上で激しく燃え上がる。ブルビスの胸元にまで火の手が上り、眼前は小さな破裂音を幾度も鳴らし、薄赤色に染まった。


「……――む?」


 唐突に、ブルビスは体の異変に気付いた。

 足の先から頭の天辺に掛け、全身が痺れていた。

 毛穴は開き、元々逆立っていた毛は一段と天を目指して、真上にそよぐ。


 ――目の前には、爛れた腕があった。


 斬り上げた体勢で紗枝は固まっており、炎の中でブルビスを睨んでいる。全身を焼かれるのは、気が遠くなるほどの激痛に支配される。

 ところが、紗枝の執念深さは、痛みをかなぐり捨てていた。


 ブルビスの股間当ては二つに割れ、甲冑と下に着た鎖帷子にも、綺麗な裂け目が下から上へと続いていく。


 裂け目は顎の下で止まった。

 その直後、青白い電光が全身を包み、逆立った頭髪から文字通り天に昇っていく。


「介錯できなくて、ごめんなさい。……取らせてもらったわ」


 鼓膜を突き破る雷鳴が王都に響き渡った。

 この轟は紗枝のいる西地区だけでは終わらない。


 逃げ惑う民衆や揉み合う兵士達が驚きで静止し、その内臓を震わせるほどの振動が空間を伝って流れ込んできたのだ。


 王都にいた者達のほとんどは、雷鳴を聞いた瞬間、自然の法則に逆らう現象を目の当たりにする。


 青白い稲光が龍のように昇り、空へ落ちたのである。

 雷鳴は止むことなく、延々と鳴り響く。

 音で全てを支配している間、空に広がる暗雲が雷に焼かれ、青白い龍が東西南北に散らばり、人々に威を示した。


 紗枝は全身を焼かれていたが、音と衝撃は灼熱の炎さえ吹き飛ばす。

 直立不動のブルビスは天を仰いだ状態で絶命。

 自身が死んだことにすら気づいていない。


 ほんの僅かな間に起きた出来事は、永遠に感じられるほどの支配を周囲に与えた。


 ――護神流殺法、鯉登こいのぼり


 相手にとって死角となる、股下から斬り上げる技だ。

 これに加えて、本物の雷が刀身に宿り、斬った瞬間に青白い電流が散り、電光が相手を包み込むと同時に、轟音が鳴り響いたのである。


 数秒の間、ブルビスは外側だけでなく内側まで電流で焼かれた。

 空に落ちた雷は、ブルビスの焼ける体に連動して、激しくうねり、暗雲を無理やりこじ開けていく。


 全てが終わった後、紗枝の前には炭のように黒くなった巨躯が立っていた。さながら銅像のように骨肉が固められ、真上を向いた状態で静止。


 相手の死を見届けると、紗枝は背を向け、大きく袈裟斬りをした。

 振るった直後に、小さな電流が宙を舞い、刀身から振り落とされた血飛沫を一滴残らず焼いていく。

 切っ先から放たれた電流は石畳を打ち、ミミズのように細かい亀裂を作った。


 静かに刀を納める際、刀身は宿した雷が唸り、数回ほど激しい破裂音を鳴らす。

 そして、刀が納められると、ようやく辺りには静けさが戻った。


「ふう」


 大火傷をした皮膚は、紗枝が見ている前で、徐々に消えていった。


「もう、……人間じゃないのかしら」


 紗枝の体はすぐに完治し、痛みが消えた。

 複雑な表情で踵を返すと、離れた場所に覚えのある姿が映っていた。


「……あなた」


 黒女が剣を捨てて、駆け寄ってくる。

 走る真似はしなかったが、紗枝も彼女に歩み寄っていく。


「ホゥ!」


 勢いよく抱きしめられ、思わず笑ってしまった。


「いけない子ね。行けって言ったでしょうに」


 きつく抱きしめられる感覚に身を任せ、しばらくの間、紗枝は黒女の背中を擦ってあやしていた。

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