最大火力
赤獅子は裏通りで『本物』と出会っていた。
何がどうして本物かと言えば、一切魔法を使わずして、剣技のみでブルビスの放つ攻撃を全て避けていた。
「はぁ、はぁ、……あ、っつ」
「……驚いたな」
容赦はなし。
魔法をとことん使い、現在は民家の壁を背にした紗枝に剣を向けている。解けて乱れた髪は、汗で体に張り付き、
開眼した目は赤く充血し、その眼光たるや得体の知れないどう猛な気配を感じさせる。
攻撃は避けきったが、炎の傍に立つだけで肌は焼け、赤らんでいた。
「ごっぢはぁ、はぁ、お”ん”な”の”ごよ”!」
掠れた声で叫ばれ、ブルビスは笑みを噴き出した。
「何が女だ。くくっ」
「あ”あ”ッ!?」
「貴様のような女がいるか! だが、余は気に入ったぞ。嫁にしたいくらいだ」
「はぁ、はぁ、……それ、……言うの……おっそいのよぉ……っ!」
もちろん、お断りだ。
ベルブという男の子に操を捧げると心に決めている。
しかし、ずっと異性から不遇な扱いを受け、不憫な生涯を送ってきた紗枝にとって、自分を気に入る男がいるとは思わず、本音を言うなら「もっと早くに出会っていれば」とも思うのだ。
何にせよ、ここで死ぬと決めた。
下衆な輩は討ち取り、あとは後々障害となるであろう、眼前の男を殺すまで。
「余に鋼の肉体を顕現せよ」
ブルビスはあろうことか、身体魔法の詠唱を唱えた。
赤い甲冑は見る見る内に膨らみ、金属の軋む音を立てながら、ブルビスの巨躯がさらに張っていく。
身長は180cmから2m30cmほどまで伸びていく。
最早、怪物である。
腕は丸太以上に太く、豪腕から繰り出される怪力は、いとも容易く家屋を吹き飛ばした。
「うぐっ!」
厄介なのは、力だけで剣を振る男ではないということ。
彼は剣の
身長の高さを利用して、上から畳みかけるか、横薙ぎに往復させて、詰め寄ってくるのだ。
必然と至近距離の際に使う技しか繰り出せず、相手への負荷は浅い。
近すぎれば、柄頭で顔や胸を叩き、足を払って体勢を崩すのが主だが、今となっては身長が伸びすぎて、柄頭は届かない。
何度も地面を転がり、先ほどと立つ場所が入れ替わった。
「けほっ、……こほっ」
――まずい。
――息が吸えない。
火による負荷は、斬撃だけではなかった。
周囲が炎に包まれている以上、煙が目に入ったり、まともに酸素を吸えない状態にある。
この状態で敵の攻撃を回避していたのだから、大したものだ。
とはいえ、火の手は二人を囲み、魔法が使えず、火に耐性があるわけでもない紗枝は、視界が霞んできた。
「楽しかったぞ。殺すには惜しいが、余は遠慮しない。貴様を殺し、明日への糧とするのだ」
ブルビスが一歩身を引くと、体から白い煙が立ち込めた。
自身の体を発火させるつもりだろうが、様子がおかしかった。
「ぷふぅ、……う、ふぅ……っ」
紗枝は肘で口元を覆い、膝を突く。
煙は高い所に上るので、なるべく低い姿勢で空気を吸いたかった。
「闇を食らい尽くす灼熱の業火よ」
信じられない事に、煙が消えてしまった。
ブルビスの野太い詠唱と共に、周囲の家屋は一斉に燃え上がり、巨大な火の
「赤き手中に収めた眷属は我が手足となりて――」
紗枝の頬が引き攣り、浮遊する火の玉を目で追いかけ、空を見上げた。
周囲からは家屋がなくなり、全てが赤い火の玉となった。
玉の数は五つか。
どれもが赤く爛れて、別の物体に変化していた。
大きさは人を飲み込むほどに大きく、身の危険を察した紗枝は、すぐに地を蹴った。
「地虫を食い潰せ!」
ブルビスの声に従い、浮かび上がった火球は、紗枝に狙いを定めて降り注いでくる。障害物が消えて広くなった分、自由に走る事ができる。
それは同時に、身を隠せる場所が消えたということだ。
息を止めて走り出した紗枝は、石畳の上を滑るようにして蛇行した。
地面と衝突して砕けた破片は、細かい火の粉となり、これも紗枝の背中を掠めて、地味に焦がしていく。
一球を避ければ、次がくる。
避けても破片が当たる。
「っとに、……妖術ばかり、……使ってぇッ!」
地面を転がると、紗枝はすぐに進路を変えた。
三つ目の球が飛んでくる前に、ブルビスを盾にしようと考えた。
加えて、甲冑を切断しようと、走りながら刀を鞘に納める。
大胆不敵な紗枝の行動に、ブルビスはますます嬉しそうに笑った。
「来るか! いいだろう!」
二つ同時に火球が降ってきた。
宙で二つの球が一つに合わさり、巨大な溶岩と化す。
当たれば一溜りもないが、構わずに紗枝は疾走し、――仰向けに姿勢を崩した。
「……ちちちちっ!」
顎を引いて火球を躱しはしたが、顔半分を溶岩に擦り付けてしまい、皮だけでなく、片目まで潰された。
だが、紗枝は止まらなかった。
ブルビスの眼前に迫り、素早く起き上がると、迷わずに一歩を踏み出す。
「――」
見越していたブルビスは、剣を突き出していた。
紗枝の抜いた刀身は、ブルビスの腕の下を掻い潜り、勢いよく甲冑に食い込んでいく。
「何と……」
不協和音を奏でて、強烈な摩擦が起きた。
甲冑の分厚い金属が火花を散らして切り裂かれ――止まった。
「褒めてやる。貴様のような剣士は初めてだ」
ブルビスの剣は――紗枝の胸を貫いた。
剣は肩の裏にまで達し、先端が皮を突き破っていた。
「……あぁ……が……っ」
霞んでいた視界が、さらに白くなる。
「おえぇ……っ」
唾液と共に血を吐くが、紗枝は柄から指を離さなかった。
体が後ろへ倒れ込む間際に、最後の力を振り絞って腕を引く。
刀の刃は甲冑を裂いて、中にある鎖帷子を斬りつけた。
「敵ながら天晴だ」
仰向けになった紗枝に近寄ると、ブルビスは剣先を喉に突き立てる。
せめて、苦しまぬように殺すのは、最大の慈悲であった。
「楽しかったぞ。あの世でまたやろう」
剣は胸に突き立てられ、体重を加えられた。
肉の薄い胸元は、すんなりと刃が通る。
心臓を潰された紗枝は、濁っていく景色の中、安らかに眠る事となった。
「――だから、言っただろう。死ぬ、と」
意識は、暗闇に落ちる途中で止まった。
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