ハヤブサ以上の速さ

 紗枝はいくつもの瓦礫を貫き、500m先に吹き飛ばされていた。


 咄嗟に後方に目掛けて分、相手の突進の威力は軽減。

 とはいえ、おとぎ話で聞いたような、次元の違う力を目の当たりにしたことで、感嘆かんたんの息が漏れた。


「ひょえぇ。ありゃ、死んじゃうね」


 町の外にまで吹き飛ばされたのだ。

 全身に力を入れて堪えようとすれば、間違いなく壊される。

 地べたから起き上がり、前方を見やる。


 何もない平野。

 障害物がないということは、誤魔化しが効かない。

 純粋な剣と剣の勝負になるだろう。


「鬼かしら。……何にせよ、驚きだわ」


 腹を擦り、背伸びをする。

 離れた場所では、再び残骸が弾け飛んだ。


 ――頬を破片が掠め、紗枝は思わず笑みを浮かべる。


 本物と対峙できたことを嬉しく思う。

 修羅道にいるからこそ、命の競り合いがとても嬉しい。

 父の教えは、娘として受け止め、欠けた心を得ようと励む所存だ。


 ただ、この世界は見渡す限り、どこまでも荒れ狂っていて、修羅道の世界そのものだ。


 その修羅の世界で困っている者がいるのであれば、それを救う事ができるのもまた、同じ修羅ではないだろうか。


「鬼かと、思ったけど――」


 紗枝はつま先を浮かせ、を向いた。


 ――鬼の形相で剣を振りかざすポンプが、隣に立っていた。


 金属をばら撒いたような、けたたましい音が鳴り響く。

 大地は剣によって陥没し、土が舞い上がった。


「まさか。女の身で大の男を殺し回る者がいようとはな。俄かに信じ難い話だったが、貴様のおかげで目が覚めたわ」


 冑の隙間から、傍らに立つ紗枝を睨む。

 不動明王のように、カッと開かれた眼光は見る者を圧迫する迫力があった。


 そして、紗枝は刀で剣を押さえつけていた。


「剣を持てば、童子も戦士となる。……認めようじゃないか。貴様は戦士。そして、同時に狼藉を働いた愚か者だ!」


 人を吹き飛ばすほどの風圧が、再び紗枝の体を圧していく。

 足の底が引きずられ、刀は剣の刃を滑る。

 このまま、意固地になったら大きな隙を晒すだろう。


「――あなた。……獣ですねぇ。勘違いしました」

「ふん。抜かせ」


 風圧を纏いし剣を持ち上げると、ポンプは全身の金属を軋ませ、奥歯を噛みしめた。


 力いっぱいに振りかざした大剣。

 狙いは傍にいる、女の顔をした化物だ。


 大きく仰け反った紗枝は、覚束ない足取りで後ろへ下がる。

 この隙を逃す程、ポンプは易しくなかった。


 息を止めて放たれた斬撃は、大空を覆い隠すが如く、大雲のようであった。


 地面には大きな黒い影が漂い、放たれた大剣の平地は光を放つ。

 黒光りする平地が空気を撫で、圧切りを前提とした、丸みのある剣刃が華奢な肉体に迫っていく。


 ――


 ポンプの目には確信が宿った。

 紗枝は迫りくる剣に対して、またも体を浮かせ、刀の峰に手を添えた。


 金属を打つ激しい音が鼓膜を揺さぶり、紗枝の手には刀を通して、一撃必殺の振動が加わる。


 常人を超えた腕力で放たれた一振りだ。

 さすがの紗枝も、軽減したとはいえ、まともに受けたのだから痛みを伴った。


「しぶとい奴め。これで終わりにしてやる」


 再び、同等の距離を飛ばされた紗枝。

 土くれと雑草が混じった悪路を転がり、すぐに起き上がる。


 何を思ったのか、紗枝は起き上がるなり、刀を納めてしまった。


 覇気が感じられず、頭は垂れて、グッタリと全身から力が抜けていた。

 鞘を片手で持ち、空いた手は、手首を柄に掛けている。


「降参するには遅かったな」


 剣を担ぎ、ポンプは前へと跳躍した。

 人を浮かせる突風を自身の背後に集中させる。

 同時に、足元からは真上へと押し上げる風が吹き、ポンプの巨体はたった一度の跳躍で、浮遊に近い状態にあった。


 大剣を振りかざした巨躯が前進する速さは、ハヤブサ以上である。

 常人なら、何が迫っているか肉眼で捉えることは、まず不可能。

 正体に気づいた時には、すでに事切れている。


 確実に仕留めるつもりだった。

 豪速の斬撃が迫る中、紗枝は眠そうに半分閉じた目で、迫る影に肩を向けている。


 横を向いた状態のまま、なおも力が入っていなかった。


「取ったぞ!」


 確信の雄たけびが空にこだまする。

 しかし、紗枝はポツリと言った。


「――


 迫る風の音に掻き消され、ポンプの耳には届かなかった。

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