風の将

 ポンプは剣先を紗枝に向け、感情を抑えつけた低い唸りを発する。


「貴様が……彼ピッピか……」

「……はい?」


 床に置いたコップを拾い、悠長に飲み始める。

 口に入った木屑を吐き出し、入り口の前に立つ大男を見据えた。


 体格。剣の長さ。甲冑。

 そして、男の方から吹いてくる風の乱れ。


 ほんのりと汗を掻いているからこそ、自然に発生した風ではないことを予期できた。真っ直ぐに吹く風とは違い、ポンプの方から運ばれてくる風は腹を撫でて、背中を伝い、また元の位置へ戻っていく。


 風が渦を巻いていた。


「答えろ。貴様は、魔族の残党か? 見たところ、人間のようだが」

「どちらでもいいですよ。お好きな方を選び下さい。わたしは、彼ピッピの剣になり、初夜を迎えたいだけです」

「……言ってる意味が……分からんな……」

「女心を知らないようで」


 ポンプは話している間に、己の筋骨を膨張させていた。

 ブルック同様に甲冑の内側では筋肉が盛り上がり、鎖帷子が張り詰めていく。


 身体魔法によって肉体が変わると、風の乱れがさらに激しくなった。

 壁や床が軋み、家屋全体が揺れ始める。

 自分の髪が真後ろに靡き、紗枝は刀を床に突き立てた。


「オレの町で狼藉を働いた罪。償ってもらうぞ」


 ポンプの目が大きく開かれた。

 次の瞬間だった。


 食事処の建物が一気に吹き飛んだ。

 内側から破裂したかのように、屋根はバラバラになって空中を舞い、壁は倒れて、床は大きく捲れ上がる。


 被害は食事処の家屋だけではない。

 周辺にある建物は突風の勢いに負けて、次々に空へ投げ出されていく。


 辺りは風一つで平地になった。


 紗枝は突き立てた刀を引きずり、後ろへ体が持っていかれる。

 かろうじて吹き飛ぶはなかったが、勢いでサラシが解けて、風で飛ばされてしまう。


 乳房を露わにした紗枝は、一言呟く。


「さむ……」


 強風で扇がれると、さすがに寒かった。

 乳房を見られても隠そうとしないのは、やはり戦い慣れしている証拠だろう。

 女の恥よりも、隙を作らない方に徹底していた。


 そして、紗枝を襲ったのは突風だけではない。

 吹き飛んだ家屋の破片が雨の如く空から降り注いできたのだ。


 目だけを上に向け、自分の立つ場所に目掛け、柱が落ちてきた。

 避けようとはせず、ジッとしていると、すぐ隣にはテーブルがいくつも落下。

 目の前には屋根が落ちてきて、頭上に注意を払いつつ、紗枝はゆっくりと後退をしていく。


 すると、眼前にある天井と思わしき残骸。――その中央部に亀裂が入った。


 残骸を壊し、突き出してきたのは黒くて大きな剣。


「敵に回したことを後悔するがいいッ!」


 怒号と共に突進してきたポンプは、自身の体に風を纏わせ、全体重を掛けた刺突を繰り出した。


 相手の剣を寸の所で受け流しはしたが、巨体の勢いは止められなかった。


 大きな肩による衝突をまともに食らい、紗枝の体は落ちてきた残骸を破り、ずっと真後ろへ吹き飛んでいく。


 瓦礫はポンプを避けて降り注ぎ、家屋の残骸に隠れた紗枝の安否は確認できなかった。

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