町へ

 平野の向こうに延々と続く道を歩き、紗枝はベルブの手の平を見つめ、魔法について勉強をしていた。


「なるほど。紋章ですか」

「はい。紋章は人間にも、魔族にも刻まれているものです。これがあると、魔法を使う事ができるんです」


 さりげなく手の平を触り、紗枝は笑みを押し殺す。

 この度、紗枝には彼氏ができた。

 ベルブという毛唐の男の子。

 だが、彼氏に毛唐というのは失礼なので、呼ばないように心に刻んでいた。


(や、柔らか~……っ。やだぁ。女の子みたい~)


 ぷにぷにとした肌の感触が、紗枝の心を蕩かしていた。


「あ、あの、紋章は、触らないでください」

「あらら。失礼」

「いえ。紋章があると、魔法を使う事はできますが。不利な点もありまして」

「不利な点?」


 首を傾げ、紗枝は再び手の平を揉み始める。

 親指でグリグリと押すと、何やら可愛らしい反応をするので、紗枝は表情を見たくて仕方なかった。


「う、ぐっ。は、はい。紋章の部分は、あの、……敏感なので」

「こんな感じ?」


 爪でなぞると、ベルブの背筋にはぞわわと痺れが起こった。


「ああっ!」


 思わず、手を離し、紗枝は顔をしかめる。

 初めて聞いた男の嬌声に戸惑っているのだ。

 心臓がバクバクと脈を打ち、「おぉ」と込み上げる興奮に震えた。


「べ、ベー殿。変な声を出さないでください!」

「す、……すいません」


 しょぼん、とするベルブが可愛すぎて、紗枝は体の震えが止まらなかった。


(この子が、わたしの……こ……恋人……。おぉ……)


 紗枝からすれば、夢にまで見たやり取り。

 ずっと乳繰り合いたかったが、何分経験がないので、どうしていいか分からなかった。


 手をわきわきとさせ、抱きつきたいが間違えて関節を外しては大事に至ってしまう。


「ベー殿」


 そこで考えた紗枝は、目線を合わせてベルブにある提案をした。


「わたしと、ベー殿は恋仲です」

「……そうでしたっけ?」

「え?」

「あ、いえ。恋仲というより、ボクの方が召使として仕える約束ではありませんでしたか?」

「……え?」

「ですから、全てが終わった暁には、ボクの人生を紗枝さんに捧げるといいますか」


 深刻な勘違いが起きていた。

 紗枝は「いつでも襲っていいからね?」と言おうとしたのだ。


 目に見えて落胆し、紗枝は勘違いをどう払拭しようか考えだす。

 そこへ道端で眺めていた者達がやってきた。


「お嬢さん。もしかして、その子奴隷?」


 薄汚い恰好の男が、二人。

 口角をつり上げ、一人が馴れ馴れしく声を掛けてくる。

 もう一人は周囲に人影がないことを確認し、連れ込める場所を選んでいた。


「や……人生捧げるって……恋人……。でも……」


 無視してブツブツと独り言を話す紗枝。


「夫婦……よかったのに……んで……」

「ねえって。無視すん――」


 男の汚い手が紗枝の肩に触れようとした瞬間だった。

 紗枝が振り向いたと同時に破裂音が辺りに響いた。


「――」


 男は何もない一点を見つめ、ボーっとしだす。


「なあ、あっちでやろうぜ」


 不穏な空気を感じていたベルブは、紗枝と男たちを交互に見つめる。

 町までは、目と鼻の先だ。

 なのに、物騒な目に遭っているのだから、気が気ではなかった。


「あの、紗枝さん」

「……はい」


 超落ち込んでいた。


「その、後ろ……」

「あぁ、……はい。行きましょうか」


 無視して、紗枝は歩き出す。

 ベルブは横に並んで歩き、後ろを振り返った。


「行っちまうぞ。おいって!」


 声を掛けようとした男は、肩を揺さぶられ、やっと反応があった。

 だけど、声を発することはせず、周りをキョロキョロとして、何が起きたか分かっていない様子。


 その理由は、男が音を半分失った世界にいたからだ。

 片方の耳からは血を流し、ずっとうるさい耳鳴りが続いていた。

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