女武者

『ベルブは絶対に生きなくちゃダメよ。血が途絶えてしまったら、亡くなった父上が悲しむ』


 牢獄にいた頃、ずっと子守歌のように己の使命を聞かされていた。

 暗闇の中で姉に抱きしめられ、体の芯が冷えたら、決まって姉が手を温めてくれた。


『本当は、……ベルブに生きていてほしいだけなんだけどね』


 姉の笑顔が脳裏に焼き付いていた。

 過去を想えば立ちすくんでしまう。


 役目や城の事など、どうでもよかった。

 姉と一緒に逃げて、どこか別の場所で暮らしたかった。


 己の臆病さを悔いても仕方なくて、ただ道を歩く事しかできない。


 目の前に続く道は、足元がぬかるんでおり、草木は常に湿っていた。

 日光の当たりにくい道は視界が悪い。

 でも、人間ではないから、夜目は利く。


 耳鳴りがするほどの静けさ。

 滑らないように歩いていると、ベルブはハッとして顔を上げた。

 彼が見つめる先は、木の幹である。


 高い位置に枝が生えており、その付け根と幹の部分に違和感があった。

 考え事をしていて気づくのが遅れた。


「逃げるな」


 声は木から聞こえた。

 同色化していて分からなかったが、ベルブが来た道を引き返そうとすると、皮が剥がれたかのように、ズルズルとそれが落ちてくる。


 一人だけじゃない。

 二人、三人と、頭の天辺から足のつま先まで、茶色の装束に身を包んだ者達が現れた。


「俺たちは捕まえるように命じられただけ」

「手荒な真似をするつもりはない」

「くっ」


 対象に目掛け、手を突き出す。

 無詠唱で繰り出される魔法は、らせん状に噴き出る炎だった。

 二つの炎がグルグルと回転し、男たちに目掛けて飛んでいく。


 足場の悪い地面だというのに、男たちは余裕綽々よゆうしゃくしゃくかわしてみせた。


「来るな! あっち行け!」


 何度も炎の玉を飛ばし、無差別に木々を焼いていく。

 離れた場所で火の手が上がると、周辺の輪郭がハッキリと見えた。


 どれも体格の良い男だった。

 単純な腕力だけでも、ベルブには勝ち目がない事は明白。


「大火力を連発で使っても息切れしない」

「陛下が執着するわけだ」


 計10発以上の火を放ったが、いたずらに木を燃やすだけで、ベルブはジリジリと追い詰められていた。


「あっ!」


 終いには尻餅を突いてしまい、座ったまま後ずさる。

 眼前に迫った男は、「抵抗するのであれば、折るしかあるまい」と、ベルブの細腕を乱暴に掴み、うつ伏せにした。


 一人が押さえつけている間、他の仲間が何やら手の平に石のような物を顕現けんげんさせる。


 手の上では、灰色の泥が泡立ち、徐々に形を変えていく。

 出来上がった物は、大きめの石。

 近場に適当な石がないので、折るために作っただけだった。


「まずは腕だ。それから、片足。聞き訳がないなら、両方もらう」

「離せ! 離せよ!」


 顎を持ち上げ、「やれ」と身振りで指示を出す。

 押さえつけた仲間を手伝い、他の仲間も折りやすくするため、手首を持って、少しだけ浮かせた。


 横に振っても、引いても、力では敵わない。

 ベルブは足をバタつかせ、腹の底から声を搾り出した。


「ち、くしょおお!」


 悔しさから涙が溢れた。

 大粒の涙が目頭に浮かび、泥に落ちていく。


 無情にも、狙いを定めた石が細腕に目掛けて落とされた。


「……んお? あ、あれ?」


 一回で済ませるために、ひと思いに落としたはずだった。

 ところが、男が投げた石はどこにもない。

 両手で扇いで、空気を送り込んだだけだ。


「大の男が揃いも揃って……。情けない」


 ベルブが首を曲げて、声の方を向く。

 男の傍には、石を片手で持った紗枝が立っていた。


「う……」


 紗枝を見た途端、キラキラと眩しい光が眼を刺激する。

 堪らずに目を閉じた。

 目が落ち着いてから、もう一度瞼を開いて、いるはずのない女の名前を呼んだ。


「紗枝……さん」

「一宿一飯の恩義というのがあってだね」


 傍には、ベルブを攫おうとした男たちがいるというのに、紗枝は暢気にそんな事を言った。


「やはり返すものを返さないと、モヤモヤするんだよね」


 鋭い目つきは、ベルブを押さえつけている男に向けられる。


、退いてくれないかな?」

「何者だ?」

「曲者だ」

「……なんだと?」

「君ね。よくも、まあ、ベラベラと口を動かせるね」


 状況からして、紗枝の立つ場所は男たちに挟まれる所にあった。

 だというのに、誰も紗枝に対して、危害を加える者がいなかった。


「早く行きなさいよ」


 とん、と軽く頭を押しただけだ。

 それだけで、ベルブの上にいた男は、首が後ろに倒れた。


 他の者達は意識こそあるが、身動きができない。


「怖かったでしょう。一度、戻って体を綺麗にしないと」

「あ、あの……」


 ベルブは他の連中に目を向け、何とも言えない物を感じていた。


「見ちゃだ~め」


 目を塞いだ途端、いくつもの落下音がベルブの鼓膜に届いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る