第99話 忠誠

「『イトスギ』の福利厚生がどんなものか知らないけど、ウチの会社より上ってことはねぇだろ。」

 捕虜となった俺たちに会社の説明をする黒瀬堰臣の部下。

 そんな男に、俺たちは戸惑いを隠せずに問うた。

「ふ、福利厚生だと…お前はなんの話をしているんだ…いいか、俺たちはヴィラン結社『イトスギ』の鉄砲玉、世界を混沌に導く為の特攻要員だぞ!!」

「特攻要員ねぇ…で、今の給金は?有給は毎年何日つくの?そもそも年間休日は?ちゃんと残業代とか危険手当出てる?」

 知らない言葉がわんさか出てくる。

「お、お前は何を言っているんだ?」

 そんな俺たちの問いに、男は溜息を吐き後ろを向いた。

「社長、そういうことらしいですよ。」

 

「『イトスギ』ますます手を結ぶ必要が無くなったな…」

 男の影から出てきたのは、俺たちが標的として指示を受けていた黒瀬グループの社長にして秘密結社ブラックラピッズの総裁、黒瀬堰臣だった。

「君たちに、今から正しい雇用というものを教えてやる。」

 そう不敵に笑う黒瀬堰臣に、俺たちはこれまでの全てを塗り替えられる恐怖を感じた。


「年間休日は150日、有給休暇は毎年20日付与で有給休暇の完全消化義務を科す。連休も長期休暇も可能。能力に応じた昇給はその都度行うのが絶対で、数字に現れない評価も必ず行う。必ず毎年収益の内訳を公開して、不当な利益、無駄な出費を洗い、正当な配分が行われているか必ず全社員と共有する。これが雇用主の最低条件だ!!」

 黒瀬堰臣の説明はあまりにも空想じみていた。

「しかし、これはあくまで最低水準。我が黒瀬グループでは年間休日240日を目指しているんだが、まだまだでね…情けない限りだ。」

 そんな空想論者は心底悔しそうに言う。

「雇用主も労働者も、皆が富む世界。それがブラックラピッズの望む世界。故に改革が必要だ!!誰か1人が富めばいい、そんな世界はまっぴらごめんだ!!」

 そう力強く弁舌を奮う彼の理想が現実になるなら、それは大変凄いし嬉しい。それは分かる。

「悪が幸福を語るか…」

 そんな理想に唾を吐くのが俺たちヴィランだ。

「現実はそんな甘くねぇ!!俺たちがなんでヴィランになったか…なんでこんな生き方しか出来ないのか…恵まれたお前に分かるものか!!」

 そう叫んだ。

 悪の華道。その道を選ばざる負えなかった俺たちの意識は揺るがない。


「お父さん、ご飯出来てるから早く来てよ。えっ…お、お客様…ご、ごめんなさい!!」

 部屋の扉を開け、顔を覗かせた美少女。扉の間から見えたそのバツグンのスタイルと美貌は、その少女を傲慢にしてもおかしくないのに、奥ゆかしく控え目な振る舞い、その癖家族には少し強気で接する可愛らしさ。

 俺たちの理想の女神が現実に存在していた。


「ブラックラピッズの忠実な下僕となります!!」

 そう宣言した。

 正確に言うなら、ブラックラピッズではなく、あの女神の下僕となると誓った。



−−−−−−−−−−−−−−−−−



 今日から2時間早く起きてダイエットする。そう誓った日の早朝、

「「「おはようございます!!香紅璃お嬢様!!」」」

 突然私の護衛として雇われた人たちから挨拶される。

「お、おはようございます…あ、朝早くからお疲れ様です…私なんかの為にごめんなさい…」

 なんだか消えたくなってくる。

「おはよう、香紅璃。」

 そんな私に爽やかに言う父。

「毎朝ダイエットの為走るって言ってたから、護衛をね。まあ、僕としてはお腹の肉なんてそんなに気にしなくていいと思ったけど、可愛い一人娘の願いだからね。」

「お父さんのバカァ!!」

 デリカシーのない父に渾身の右ストレートを叩き込んだ。

「お父さんのバカ!!大っ嫌い!!」

 私は泣きながら家を飛び出した。


「お嬢様!!」

「お嬢様は女神様です!!」

「美しい…アナタの為ならこの命なんか惜しくない!!」

 そう言いながら追いかけてくる護衛さんたちから逃げる様に私は走り続けた。


「「「香紅璃お嬢様ーーー!!」」」

「ひとりにさせて下さい!!」

 私の思いは何故か届かないらしい。


 追いかけて続ける彼から逃げる私は、10kmの自己ベストを軽々と更新した。






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