第56話 海に触れて

「これが間近で見る、海の水ですか・・・」

岩場での生き物の観察を終えて、いよいよ海水浴というところで、

ソフィアが波打ち際に立ち、じっと前を見つめている。


「この砂の色が変わる場所が、海における一つの境目なのですね。」

「いや、それは波の大きさですぐに変わるけど・・・」

「あっ・・・!」

隣から声をかけるのとほぼ同時に、少し大きめの波が押し寄せ、

ソフィアの足元を海水が濡らしていった。


「あ、アカリ・・・初めて海へ入る瞬間が、こんな形で・・・」

「うん、海水浴自体が初めてなら、気持ちは分かる。」

切なそうな表情でこちらを向くソフィアの頭を、よしよしと撫でた。



「まあ、夢を壊すわけじゃないけど、あっちのほうを見て。」

「親子連れの来場者・・・ですか。」


「うん。ちゃんと準備運動をしたり、

 水に入る前に、少しずつ身体にかけて慣らしたり・・・

 海を特別に思うのも良いけど、時には事故も起きるからね。

 あんな風に、慎重に入ってゆくくらいで良いのかも。」

「そ、そうですね。準備運動にあたるものは、普段からしていますが、

 海に触れるのもだんだんと、ですね。」


「そうだね。今は足首くらいまでだから、

 少し先に進んで、身体に水をかけるくらいしてみようか。」

「はい、アカリ・・・! た、確かに水が冷たく感じます。

 お湯が十分に温まらないうちに、身体を洗おうとしてしまった時のようですね。」

「うん、向こうの世界では、お風呂を用意するのが大変だったのを思い出すけど、

 この状態の水にずっと入るから、やっぱり慎重になったほうが良いよね。」

そうして、手をつないで少しずつ進みながら、

私自身も久し振りの海を、ソフィアと一緒にだんだんと身体に慣らしていった。



「さて、ようやく海に入ったという状態になったけど、

 ソフィア、泳いだ経験は?」

「あると思いますか、アカリ・・・?」

私の問いに、ソフィアがにっこりと微笑む。


「うん。あの国に海が無かったことも、

 戦時中だったし、野外で泳ぐのは色々な意味で危険だったことも分かるよ。」

「はい。そういうわけで、お風呂以外、水に入ったことはありません。

 正直なところ今も、ずっと波の影響を受けているのが、

 楽しくもあり、違和感もあるといった状況です。」


「そうだよね。まずは体を浮かすような体勢とか、

 ソフィアに教えていこうか。」

「はい。お願いします、アカリ・・・!」


「まあ、いざとなったら水神様の力を使えば、

 水流なんかもある程度、好きなように出来る気がするけど。」

「こんなことのために、力を使って良いのでしょうか・・・」

「うん。非常事態でもなければ、止めておこうか。」

意見が一致したところで、私もそこまで詳しいわけではないけれど、

海での動き方を少しずつ、ソフィアに教えていった。



*****



「うんうん。十分に動けるようになってきたと思うよ、

 飲み込みが早いよね、ソフィア。」

「いいえ、アカリの教え方が良いおかげですよ。」

しばらくして、水泳で習うくらいの泳ぎ方を、

基本的なところは出来るようになったソフィアが、私に微笑む。


「それと、やはり感覚共有というのは、とても便利かと・・・

 力は使わないと、先程言ったような気もしますが。」

「まあまあ、これはお借りしたものじゃなくて、

 私達自身の力なんだから、気にしないで良いと思うよ。」

うん、召喚の繋がりを利用して、

泳いでいる時の感覚を伝えれば、身に付くのも早くなる。


それでも、飲み込みが早いのはそれを差し引いても本当だし、

一日かけて泳ぎ方を教えるようなことをするより、このほうが良いだろう。

ソフィアには、この世界でたくさんのものを楽しんでほしいから。


「ところでアカリ、この後も行く場所があるのでしたよね。

 どれくらいここに留まりましょうか。」

「そうだね、何だかんだ海水浴も楽しめたし、

 もう少し先まで泳いだところで、移動することにしようか。」

「はい・・・!」


そうして、寄り添いながら海を泳ぎ、

これ以上は進まないように示す、ブイの近くまでたどり着く。


私達の海水浴を、ここで締めくくろうかと思った時、

今まで無かった感覚が、私達に飛び込んできた。


「悲鳴・・・?」

「はい。それに、この嫌な気配は・・・」

「おそらくは霊的存在、だね。」

私達はそちらの方向に視線を向け、辺りを調べ始めた。

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