第32話 穏やかな時を

「空気の匂い・・・と言えば良いのでしょうか。

 それが、だんだんと変わってきたように思います。」

「うん、そうだね。

 つまり、近いってことだよ。」

「そ、そうなのですか・・・!」


展望台を後にして、再び電車に乗り、

しばらく歩いたところで、私達はそれにたどり着く。


「アカリ・・・! 水辺が見えてきました。

 これが、本当にそうなのですね。」

「うん、間違いないよ。」

「ええ、灯の言う通りだわ。」


「私は、初めての海へ来たのですね・・・!」

今日一番と言っていいほどの、晴れやかな顔で、

ソフィアが嬉しそうに言った。


うん、その辺にアスファルトの道が伸び、

今現在立っている場所も、砂浜でも何でもない場所で、

ソフィアに初めての『海』を経験させてしまっていることに、

思う所が無いわけではない。


だけど、それは海に囲まれた国の、

海岸線に出ることが容易な地域に住んでいる私達の、

価値観に沿った考え方なのかもしれない。



私もソフィアが生まれた国に召喚されたから、よく知っている。

あの国が存在するのは、完全に内陸部であり、

向こうの世界での暮らしからすれば、国境線を越えるのは気軽なものではない。


そこに住む人達のほとんどにとっては、海とは伝え聞くだけの存在であり、

その海で採れたという乾燥した食べ物は、結構な高級品なのだ。


潮風というものを知るはずもない、ソフィアが今大喜びしているのも、

うなずけることだろう。


「ソフィア・・・着いたばかりで楽しんでいるところに悪いけど、

 そろそろお昼の時間だよ。良かったらお弁当を買って、

 海を眺めながら食事をしない?」

「う、海を眺めながら・・・!

 はい、はい、そうしましょう、アカリ・・・!」

私の提案に、とても高揚した様子で、

ソフィアが答えてくる。


「コンビニでお昼を買って、公園で食べるという言い方は・・・」

「今だけは、それは止めておこうか。」

うん、美園も分かっているとは思うけど、

今のソフィアの笑顔は、いわゆる守らなければならない類のものだ。

他にも海を感じられる様々な機会があることは、

もう少し、こちらの世界に詳しくなってからでも良いだろう。


「それにね、別に人気の食事処とか、

 みんな知ってるような遊園地なんかに行かなくても、

 こういうのも良いと思うんだよね。」

少し道順を検索しつつ、これから行こうとしている、

広めの敷地を持つ公園を見れば、なかなか雰囲気は良さそうだ。


「ええ、そうかもしれないわね。

 最近は悪霊退治とかで、慌ただしいことが多かった気がするから、

 これはこれで良いと思うわ。」

美園もうなずく中で、私は喜ぶソフィアの手を引いて、

都会ならよく見かけるだろうお店へと、食べ物を買いに歩き出した。



*****



「はむっ・・・こちらの世界では、

 美味しいものを簡単に買えるのが、幸せなことだと思います。

 しかも、こんな過ごしやすい所で、海を眺めながらなんて・・・」

やがて、たどり着いた緑の多い場所で、

海をすぐ先に見ながら、ソフィアがおにぎりを頬張る。


「ええ、過ごしやすいのは本当だわ。」

「なんか、平和って感じがするよねえ・・・」

先程からずっと嬉しそうにしているソフィアほどではないけれど、

ここで落ち着いた空気を感じるのは、私達も心地よい。


さっき美園も口にした通り、慌ただしいことが何度も起こると、

それが普通みたいに思ってしまうこともあるけれど、

こういう時間を楽しめることも、大事なのかもしれない。


ソフィアの笑顔と、緑と潮風に囲まれた空気の中で、

私達はしばらくの間、ゆったりとした時間を過ごした。




「・・・今更ですが、私はだいぶ浮かれていませんでしたか?

 アカリ、ミソノ・・・・・・」

やがて、ようやく落ち着いてきた様子のソフィアが、

顔を赤らめながら尋ねてくる。


「うん、それは否定しないよ。」

「ええ、その通りだと思うわ。」


「うううう・・・・・・お恥ずかしいところを。」

すぐさま答える私達を前に、その頬はますます真っ赤になっていった。


「いや、たまにはそれくらい楽しんでも、いいんじゃないかな?

 向こうの世界では、私と二人きりの時以外は、

 ずっと堅めな感じでいた気がするし。」

「それは、確かにそうだったのかもしれませんが・・・」


「ええ、灯みたいにとは言わないけれど、

 もっと気楽な感じでいても、気にしたりしなわいよ。」

「さらっと私に棘が飛んできてない・・・!?」


「はい・・・・・・ミソノもそう言ってくれるなら、

 私ももう少し、楽に考えるようにしたいと思います。」

「ちょっと、ソフィア・・・?」


「ミソノも私も、アカリに振り回されたことがあるのは、

 同じかもしれないと思いましたので。」

「ええ、その点ではお互い、積もる話がありそうね。」

「うぐっ・・・!」

いけない、この二人に同時に攻撃されれば、

私のダメージは甚大なものになる・・・!



「ふふっ、ごめんなさい、アカリ。

 振り回されるというのも間違いではありませんが、

 そんな堅い気持ちや場所から、私を連れ出してくれたこと、

 本当に感謝していますので。」

「うん、どういたしまして。

 私もソフィアのおかげで毎日が楽しいから。

 感謝するのはこちらのほうだけど。」

「ええ、ソフィアに会えたり、悪霊祓いで助けられたりと、

 私もソフィアと灯、どちらにも感謝すべきかもね。」


うん、向こうでソフィアに出会ってからも、

一緒に戻ってきてからも、色々なことがあったけれど、

今、三人でこの時を過ごしているのは、本当に良かったと思えることだろう。


「あの頃の私が堅い印象だったと、アカリは言いますが・・・

 そこに飛んでいる、鳥のような気持ちを持てていれば、

 少しは違ったでしょうか・・・」

「鳥か・・・確かに、空をあんな風に飛び回る様子は、

 自由と結び付けて考える人も多いよね。」

「ええ、確かにそんな表現を見たことがあるわ。」


「あっ・・・こんな時ですが、思い付きました。

 最近、気配を探る時に苦労することがありましたから、

 空に探知用の魔法を飛ばして、鳥を模した視点で見ることが出来れば、

 便利かもしれませんね。」

「うん。こっちの世界では、空飛ぶ乗り物で情報を得るやり方も知られてるけど、

 私達が魔法でそれを出来れば、またこの前みたいなことがあった時、

 役に立ちそうな気がするよ。」


「こういう時に、ふと魔法を思い付くあたり、

 ソフィアは本当に、そういう力を持った人なんだと、

 改めて気付かされるわね。」

「私からすれば、ミソノの力も私の元いた場所には無かった、

 特別なものですよ。」

そう、私達はそれぞれに違ったものを持っていて、

そのおかげで乗り越えられたことも、確かにある。


「まずは、今言った魔法を実際に使えるよう、

 考えたいと思います。」

「うん、私も手伝うよ。」

「私の視点から役に立てることがあれば、いつでも言ってね。」

海の見える静かな公園で、私達はまた決意を新たにした。

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