第50話

 二人して会話が続かなくなり棒立ちすること数分、病室の扉が微かに動いた。

 見れば小さなぬいぐるみが扉に挟まるように存在している。


「萌癒殿」

『なにをしている。入られよ』

「すみません」

『いさり殿は謝罪癖を早く直されよ』

「す……はい」


 完全に挟まった状態のライオンのぬいぐるみと普通に会話をするいさりくんを、征燈は観察するように見守った。


『サヲも成長せい』

『イジワル言うほうが悪いもん!』

『それは本当にイジワルだったのか? 言葉通りではなく気配を読めと言っているだろう』

『ううぅ』


 しっかりとたしなめられたサヲは耳を倒し、いさりくんに助けを求めるようにしがみつく。

 どうやら萌癒氏は彼らの師も兼ねているようだ。


『よく参られた。どうぞ』

「お邪魔します」

『柚麻は眠っておるが問題はない故、心配めさるな』

「こがねから聞いてるから心配してない」


 動じていない征燈になにを思うのか、萌癒氏は表向き見舞人たちを引き連れ病室内を歩いて行く。

 自我を持ち動くぬいぐるみの存在は強烈で、俺が欠片も知らない系譜の力が注がれているのを実感する。

 興味が湧いて仕方がないが、柚麻氏の守護霊は沈黙、いさりくんの守護霊は落ち着きなく「ハァハァ」としていて話を聞くどころではない。

 どちらも視線がかち合ったタイミングで会釈をしたが交流のきっかけは生まれなかった。


『もう今日の目的は理解できているだろう。始めてよろしい』

「わかりました」

「わかるのか」

「お前の式神の顕現だ」

「持ってないって」

「山の気がある」

「これは」


 言い淀んだ。

 まさか使役できる存在であるとは思わなかったのだろうな。

 持っていて損のない代物と言ったはずだが。

 気がつかないのだから、征燈の感知能力はその程度だ。

 研鑽し磨き抜かれた能力があるのなら、他人に言われなくても顕現させているだろう。

 恵まれた能力も使えるようにならなければ意味もなく目的もない。


「使いたくないのか」

「そういう風に使うつもりはなかったから」

「どういう風に使うつもりだったんだ」

「お守り」

「……確かに、お守りとして持っていても、有効なアイテムだと思う」

『お前えええぇ、いさりはお前がごねるから優しく同意してくれてんのわかってんのか? あ? おら、聞こえてねえだろうけど言ってやるからさっさと答えろよ』

「俺は別に式神を増やしたいワケじゃない」

「増やす?」

「こがねに取り上げられているオナガドリのシャモと、弟を護らせている管狐のゴンがいる。正直もう増やさなくてもいい」

『はあああぁ? 取り上げられたり貸し出したり、ずいぶんなご身分だがなあ、いさりは式神使役させたら右に出る輩なんぞいないりぃっっっっっっぱな一族なんだぞ。そのいさりからの申し出を断るたあ見逃せないなあ! 捻り上げて泣きっ面みてやろうか! オラ、オラオラぁ!』


 なるほど、式神使いの正統な一族なのだな。

 やたらと征燈につかっかるいさりくんの守護霊が呪をかけようと構えたのを見て、俺は結界をしっかりと張った。

 気配に気がついて、いさりくんの守護霊はぎょろっとした目をこちらに向ける。

 守護霊にあるまじき敵意だな。


『んだよ、文句あんのか』

『危害を加える気なら許さん』

『は~? ジジイになにができんだ、どうせ見せかけだろうが』

『物静かで知的ないさりくんの守護霊とは思えない荒くれ者だな。よほどいさりくんがお気に入りらしい。あまり想いを詰めるとよくないのでは?』

『ジジイらしく蘊蓄たれんの? そういうの鬱陶しいから他でやってくれ。こちとら、いさりの邪魔も心を乱すことも絶対許さねえんだよお!』


 「ハァハァ」していたのは、好意が行き過ぎてしまっていたかららしい。

 守護霊としての領分を幾らか逸脱しているが、いさりくんを護るという固い信念が彼を守護霊として留めているのだろう。

 しかし、どのような縁でいさりくんに辿り着いたのか……。

 回数的に見ても路次くんの守護霊の半分も経験を積んでいない、素人守護霊に少し毛が生えたような若造(見た目ではなく守護霊として)だ。

 どんなに凄んでも、口汚く脅しても、俺にはなんの効果もない。


『許さないならなんとする』

『ぶっ潰す』

『やってみろ』


 大人しくさせることなど一瞬だ。

 勇ましく肩を怒らせ結界に触れてきたから即座に畳んでやった。


『へきゃ』


 守護霊として護る力への影響のない「しつけ」だが、彼の自尊心は大きく抉れたに違いない。

 上には上がいる。

 それは守護霊の世界でも当然存在する理で、奇跡のない世界線だからこそ例外があったり覆ることなど絶対にない。

 守護霊としてどれほどの縁を繋いできたのかが透けて見えるほどでは、まだまだ俺には届かないだろう。


『守護対象を庇護するあまり外へ向けて悪態を吐くな。お前の言霊は守護対象の業と徳に影響を与え、思考にも害を及ぼすと覚えておけ』

『クソ……っ、ただのジジイじゃないのかよ』

『俺もかつては一族を率いた身だ。山賊上がりのようなお前よりは力がある』

『式神使いの祖にお前のような気配はない。嘘を言うなよ』

『守護霊になってまで嘘を吐いてなんになる。神なる事象を使役し活動するは式神使いだけではない。そんなことも知らず、いさりくんの守護霊を務めているとは情けないな』

『やかましい。俺は、俺の世界を見渡すことができればいいんだ』

『ならば守護に徹底せよ。外へ害を広めるな。いさりくんのためと言うならば、己が言動を改めよ』


 いさりくんの守護霊は鼻を鳴らして引っ込んだ。

 ならず者のような雰囲気だったが、根は素直なのだろうと思うことにする。


「複数の式神を使役できるのか」

「同時には使ったことないかも」

「使役、だ」

「使役」


 気もなく繰り返した征燈に対し、いさりくんはスッと目を細める。

 ただそれだけなのに、彼から感じる気配が変わった。

 清らかだが冷たく空気すら凍らせようかと思わせる鋭い気配だ。

 なるほど、この気配がいさりくんの本気なのだな。

 ならず者が惚れ込むだけはある。


「式神への敬意を忘れるな。彼らは従ってくれているが、俺たちよりも遥か高みの精神を持ち合わせた存在だ。故に慈しみ敬い、共に在らなければならない」

「そか。こがねも同じようなこと言ってた」

「こがねとはお前の師匠か? 弟子の不出来は師の不出来、そんな知識では師匠も笑い者だな」

「笑っていいよ。正直、しっかり教わったことないし。アイツ、俺は実践向きだとか言って予備知識、っていうか、そういうのはゴンを俺の式神にする時にしか聞いてない」

「俺の式神にする?」

「ゴンは元々こがねの管狐だったんだけど、俺が預かることになった」

「……管狐の譲渡が可能な法式を会得しているのか」

「こがねは知ってるんだろうけど、俺は全然素人だからよくわかんねえ」


 いさりくんは右手を顎に当てて沈黙した。

 ふと気がつくと、サヲくんが隠れながらも征燈を見つめている。

 その視線が俺に向くと、驚いたように瞳孔を細くしたがすぐに緊張が解けて大きな耳がこちらを向いた。

 興味津々、と言ったところだ。

 サヲくんはいさりくんの守護霊を視ることがないのだろうか。

 会話ができるのなら、相当相性が悪そうだな。


「仕切り直そう。よろしいですか、萌癒殿」

『結論へ導かれたのならば問題はない』

「ありがとうございます」


 萌癒氏はいつの間にか目を閉じている柚麻氏の胸の上に載っていた。

 犬のような座りかたなのは、単に手足が短いデフォルメ体型のせいだろうか。

 犬座りだと前足が浮いてしまう短さで、香箱座りを試みれば確実に頭が先に地面につくくらいの等身バランスだ。

 誰がどう見ても可愛らしいライオンのぬいぐるみ。

 そんな萌癒氏へ恭しく頭を下げたいさりくんは、気負いもなく突っ立っている征燈に向き直る。

 その静かな瞳には固い決意が宿り、引き締めた唇からは僅かな緊張が読み取れた。


「式神についての知識がどれほどあるか、試験を行う」

「突然だな」

「俺の質問に知っているか知らないか答えるだけでいい」

「おう……わかった」


 いさりくんは実に慎重で、ひとつの質問に対して征燈が「知らない」と答える度にじっくり吟味し、知識レベルを下げての質問を繰り返した。

 質問は八つで終了したが、それ以下レベルの質問が出ないくらいに初歩的な質問で終わる。


「本当に式神に対し無知だったのか。すまない、使役しているならば知っていて当然と思い話を進めていた。相手のレベルは視認ではなく会話で確認する大切さを改めて思い知ったよ」

「むしろ俺の知識度を計ってくれて助かるよ。俺もどんなことをどこまで知ってるのか自分でもわからないし」

「わかった。これからはすべて知らないこととして説明する」

「式神を使役するプロに教えてもらえるんだから、ありがたいよ」

「言っておくが、お前に教えるのは式神を使役する上での知識だけだ。式ぬいについては詮索してくれるな」

「要らないし」


 始終クールに会話をしていたいさりくんは、征燈のその言葉に一瞬表情を強張らせた。

 変化に気づいた征燈が首を傾げると、いさりくんは繕うように笑う。


「すまない、そう、だな。俺が詮索するなと言ったんだ、必要がないと判断するのは、間違いじゃない。気にしないでくれ」

「え、いや、俺なんか拙いこと言ったか?」

「言っていない。お前は正しいことを言った。それだけだ」

「なら……いいけど」


 きっと、いさりくんは式ぬいが好きなのだろう。

 自分で詮索するなと言ってしまったが、真っ向から即座に「要らない」と言われたことにショックを受けたようだ。

 動揺する視線があちこち泳いだが、深呼吸をして落ち着きを取り戻した。

 なんと言うか、本当に独特の空気感を持っているな。


 いさりくんはソファに座り、ローテーブルにルーズリーフを広げると征燈を見る。

 隣に座った征燈に筆記用具を出すように言って、文字通り「授業」のような時間が始まった。




「ただいまぁ」

「お帰り兄ちゃん!」

「はー、居残りで補習受けたみたいな気分だ」

「お勉強したの?」

「超がんばってきた」


 鞄から六枚程度のルーズリーフを取り出し、両面びっしり自分の文字で書き込まれているのをチラッと見せる。

 晴燈くんはもっと見せてとせがんだが、征燈は先に着替えさせてとスリッパに履き替えた。


「病院に行ったんじゃなかったの?」

「病院で勉強してきたんだ」

「誰と?」

「こがねと同じタイプの人。教えてくれたのは同年代のヤツだけど」

「お友だちになったの?」

「そんな感じ」

「同じ学校の人?」

「違うよ」

「別の学校の子とお友だちになるなんて凄いね!」


 いつもの笑顔を浮かべてくれる晴燈くんの頭を撫で、キッチンの母親に帰宅を告げる。

 そこから階段を上がって部屋の前にきた征燈は、ピッタリついてくる晴燈くんを振り返った。


「どうした、晴燈」

「ん……」

「心配事か? 学校でなにかあった?」

「そういうのじゃないよ」

「じゃあ、どういうのだ?」


 しゃがんで目線を合わせると、晴燈くんは真っ直ぐに征燈を見つめる。

 僅かな表情の変化を敏感に察知した征燈は、安心させるように抱きしめて背中を撫でた。


「大丈夫。兄ちゃんの一番は晴燈だって、知ってるだろ?」

「……うん」


 しがみつくように征燈の背に腕を回した晴燈くんは、一気に噴き出した不安に顔を歪めた。

 頬が赤くなり小さく結んだ唇が震える。


「兄ちゃん……ずっと、ずっと一緒にいてね?」


 征燈がしっかりした声音で「もちろん」と答える背中で涙を零す晴燈くんの傍では、燈瑠児が楽し気に目を細めて笑っている。

 ぬぅと俺の前に顔を寄せると一層楽し気に歯を見せた。


『さあて大とと様。なにが変わったか、わっかるっかなあぁあ?』

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